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3・王宮にて
3-3・山になっていた書類と
しおりを挟むにこやかな殿下の前には執務机。その上は少量の書類が乗るのみで整頓されている。しかし、その横に設置されている、殿下の執務机と同等か、少し小さいぐらいの同じような机の上には、書類が山と積まれていて、気付いた俺は、しばし、目を瞬かせた。
この部屋には何度も入ったことがあるのだが、殿下の横にあるそれは、机ごと見覚えがない。そもそも、殿下は書類を溜めるような性質ではなく、この部屋でこんな量の紙束の山など、今まで一度として見たことがなかった。
「で、殿下……? それは……」
挨拶もそこそこに、視線の先の書類の山について、恐々としながら殿下に尋ねる。なんだか悪い予感がしていて。いや、これ、もしかしてもしかしなくても。
「うん。机自体は君に、と思って用意させたんだけど、その上にある書類はね。……今朝、届けられたんだ。今日からの僕の仕事だそうだよ?」
「は?」
山である。うずたかく積まれた紙の山。いったいどれだけあることか。それを全て今朝。
殿下は笑顔だった。……――内心はどうあれ。
俺は遠慮なく顔をしかめる。
「なんでも、これまでは学生だからと配慮されていたのだとか。今日からは補佐も入るのだからと、増やされたとか何とか……はは。面白いよね。ちょっと手を付けかけてはいたんだけど、何せ僕自身、ほんのついさっき、この部屋に来たばかりでね」
まだちっとも、目を通せてすらいないと、空々しい笑顔のまま肩を竦めるのに、俺はごくりと一つ、唾を飲んだ。
今日からの、殿下の仕事。つまり。
「……拝見しても?」
「勿論。それが君の仕事だ」
そう、すなわち、俺の仕事だ。
にこやかな殿下の横へと回って、山となった書類へと手を伸ばす。仕分けすらもされていないらしい紙の束をパラパラと軽く確認して、急ぎだと思われるものを幾枚か抜き出し、無言で殿下へと差し出した。
殿下も心得たもので、軽く頷いて受け取ってくれる。
流石にそのまま張り付いていた笑顔は崩して、溜め息を吐き、仕事へと取り掛かる様子を見て、俺は俺で、ひとまずはと、目の前の山を切り崩すことに専念することにした。
全てに軽く目を通しながら、次々と期限ごとに仕分けていく。とりあえず、今日中と思われる急ぐ物、明日以降でよさそうな物、ちっとも急がなさそうな物。
急ぎの物はいくつか更に殿下へと回した。本当はもう少ししっかりと内容を吟味してからの方がいいのだが、何せ、この量だ。本来、俺がするべき詳細の確認も、同時にいくらかは殿下にも請け負ってもらおう。
流石に殿下も判っているのだろう、文句ひとつ言わず、黙々と書類を裁いていく。
だが、ややあって改めて溜め息を吐いた。
「しかし全部の書類がここに集まってるんじゃないかと思うね、この量は」
何せ山である。俺は手を止めないまま肩を竦めた。
「それこそ、まさかでしょう」
いくらか集約されているのは確かだろうが、全部、というのは言い過ぎだろう。多分、文官の詰めている部屋などには、これの比ではない量の書類を、日々処理しているはずだ。多分、きっと、おそらくは。――……実際に今度確認してみようと思いつつ、手早く済ませた仕分けは、ひとまずの底が見え始めていた。本当に軽く中身を改めただけなので、それほど時間はかからない。
「でもほら、それなんか、侍従の選出だって。皇太子の仕事かい?」
言いながら殿下が、目についたのだろう、急ぎではない紙束の一番上を指し示す。
俺は仕分け終わった紙の山の内、急ぎの案件の確認に、改めて取り掛かりながら、俺なりの考えを殿下へと返した。この量の仕事を、いきなり回すことも含めて、おそらくは。
「そういう内向きの決裁は皇后陛下の管轄だったかと思いますが……殿下にまで決裁権を下ろしたって事でしょうね。これからの為にも、慣れて頂こうと思っておられるのでは?」
我が国は皇帝も皇后も双方ともまだまだ健在で、殿下の戴冠の予定など、今の所、今後、数年はあり得ない。しかし、両陛下共に、早いうちに皇位を譲って、早々に隠居したいと言うようなことを以前、聞いたこともあったので、これはその準備なのだろうな、ともちらと思った。
「それにしてもね」
急にこんな量を回してくるなんて。うちの親は頭がおかしいのかな?
口調だけはにこやかに呟くのへ、不敬罪ですよと窘める。
「いいさ。この部屋には君と僕しかいない」
とは言え、部屋の隅に侍従も控えていれば、見えない所で護衛もついているのだろうけれど。そんなもの、他に耳目がないのと同じだ。
俺は溜め息を吐いて口を開いた。
「人事的なことなら、ある程度はこちらで絞ってから、殿下に回しますよ。最終判断だけは殿下がなさってください」
「流石だね。君の人選なら間違いなさそうだ」
明日以降にはなるがと、予定を軽く言葉に乗せると殿下が満足気に頷いた。
どういう意味なんだか。もとよりそのつもりだったくせに。そもそも、その為の俺なのだろう。あるいは陛下方もそれ込みで、こういう案件も回してきているのか。俺に量る術はないが、あながち間違っていない気がした。
「軽く見た限りですが、こちらが急ぎの案件のようですよ。全て今日中、明日の朝までには各部署まで回す必要のある書類です」
取り掛かり始めている仕分け終わった書類の山を示しながら促すと、その量を見て、殿下はしばし押し黙った。
「……結構な量だね」
「全体の3分の1ほどかと」
「なるほど」
急ぎと思われるものだけでもそれだけ。誰かが溜めてでもいたのだろうか。あるいはわざと溜めていたのか。
この城にそんな怠惰な者はいないはずなので、おそらくはわざとなのだろう。
二人してそれぞれ溜め息を吐いて、改めて書類へと向き合っていく。その間、追加が持ち込まれる様子がなかったのは救いだろうか。俺も殿下も、こういった仕事は苦手ではない。二人がかりなのも相俟って、数時間も経つ頃には、いくらか、目に見えて減り始めてさえいた。それでも多分、今日中だろう物だけでも、終わらせるのに今日一日はまるまるかかりそうだ。何とかなりそうではあるな、と、内心安堵したタイミングで、殿下もまた隣で一つ息を吐いた。
集中力が切れたのだろう。
「……少し、休憩しようか」
昼まではまだ少しあるし、一応の目途も立ったと言える。この辺で一度、休憩を挟むのも悪くはないだろうと、ソファのある応接スペースの方へと促され、俺も静かに机を離れる。
殿下はもしや初めからあんなつもりだったのだろうか。俺はちっとも気付かなかった。
侍従に茶の用意をさせた後、続けて席を外すよう指示した殿下に、何故その時の俺は不審を抱かなかったのか。
後から思い返して、俺は自分の迂闊さに、頭を抱えることになるのである。
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