28 / 75
3・王宮にて
3-4・混乱
しおりを挟む
おかしいと思ったのは、侍従から受け取った茶の用意を、手ずからで運んできた殿下が、わざわざ、ソファ席の俺の横に腰を下ろした時。
あれ? なぜ、と。
この応接スペースには、2~3人掛けのソファが、ローテーブルを挟んで向かい合わせに設置されていて。つまり、向かい側のソファが、丸々空いている。
普通は向かい側に座るだろう所を、殿下は今、隣にいるのだ。
これがおかしくなくて何なのか。
「殿下?」
呼びかけることで問いかけて、隣を見た俺に、殿下はにっこりと笑いかけてきた。
見慣れた笑み。だが、これは。
「ようやくだから、もう、堪えきれなくて」
今まで見たことがない笑みでもある。言っていることの意味が分からない。
幼少期から慣れ親しんだ、幼なじみとも言える殿下が、この時初めて、俺には知らない男のように見えた。
どうして。
何が、いったい、どうして。どうして、殿下は、今、俺の隣で。どうして、今、そんな顔で、俺に笑いかけて。
頭の中で警報音が鳴り響き、訳も判らず混乱する。
こんな殿下の顔は、間違いなく、今まで見たことがなかった。
笑っている。とても機嫌よさそうに、満足そうに。自分の思うとおり運ぶ何事もが、この上なく好ましいと、そんな風に。
笑顔自体は、これまでいくらだって見たことがあった。だけど違う。何より目が。
俺は決して鈍くない。特に人から向けられる感情の機微に、敏くあるべき立場で育ってきたのだから、余計にだろう。だからわかる。わかってしまった。
殿下の眼差しに宿るのは熱だ。
これまでアルフェスに。あるいは他の誰かに。幾度も向けられてきた覚えがある劣情。
それがどうして今、殿下の瞳に宿っているのだろう。
わからなかった。
だってこれまで一度として、殿下のそんな目を、俺は見たことがなかったのだから。
「でん……か?」
もう一度呼びかける。殿下の笑みは崩れない。
「これまで長かったよ。本当に」
満面の笑みだ。殿下が俺の手を取った。俺は少しも抗うことが出来ず、固まるばかりで。殿下が俺に話しかけてくる。いつも通りの口調で。だけどいつもとは違う、熱のともった眼差しとともに。
「こんなに性急に、なんて、自分でもどうかとは思っている。でも本当にようやく、なんだ。君と、初めて出会った時。――……君にはすでに、婚約者がいた」
殿下と初めて会ったのは、俺が5歳の時。
アルフェスとの婚約は、アルフェスが生まれる前、俺が1歳の頃、下にルーファが出来ることが分かってすぐに結ばれている。
殿下との出会いは、当然その後だ。
「僕はすぐに父上や母上に言ったんだ。君が欲しいって。でも父も母も首を縦には振らなかった。君には婚約者がいたし、その婚約を破棄するには、僕からの求婚だけでは弱いと言われたよ。まだ幼かったしね。何より我が王家は、王族からの強権など、出来るだけ避けるように心がけている。僕がどれだけ強請ったって、我が儘を言うなと、逆に窘められる始末だった」
理解できる話だった。そもそも、我が国の傾向として、王族をはじめとして、貴族など上位の立場の者こそ、清廉であることが美徳とされている。下位の立場への強権など、それに反する最たるものだ。だからこそ上の立場の者は敬われるし、下位の者は、それに逆らわない。
ルーファの行動が学園内で問題となったのも、それが原因だった。彼女に悪意がなく、そんなつもりがなかったからこそ、余計に。
俺が何も返せないでいるのに、殿下は更に言葉を続けた。
「でも僕は君が諦めきれなかった。遊び相手と称して、君を頻繁に王宮に呼びつけたのは、僕の悪あがきのようなものだ。君はちっとも気付かなかったけど、僕はずっと君を見ていたよ。そんな僕を見かねたのか、そのうちに条件が付いたんだ。まず第一に、君とアルフェスの婚約関係が、双方同意のもと、解消されること。君を王宮に呼んだ翌年から、アルフェスも一緒に呼ぶようになったのはこれがあったからだ。勿論、爵位的に問題がなかったというのもあるけどね」
殿下の言葉は止まらない。手は、握られたまま。視線だけが熱かった。
「君はともかく、アルフェスが君に好意を抱いているのは、初めて会った時によくわかったよ。だけどやっぱり諦めきれなくて。それからも僕はじっと注意深く、君たちを見ていた。付け入る隙が出来るといいなって期待して。……――アルフェスと君の性質が合致しない、なんてのは、僕にとっては僥倖だったなぁ。誓って作意なんてない。いや、僕の君への恋情が産んだ奇跡かな? その後、ルーファ嬢へは少し助言をしたけどね、たったそれだけ。それだけでああなった」
殿下が告げる。熱っぽく、真摯に。切々と。
「ねぇ、ティアリィ。わかってるかい? 僕は君が好きなんだ」
それはまさに青天の霹靂だった。
あれ? なぜ、と。
この応接スペースには、2~3人掛けのソファが、ローテーブルを挟んで向かい合わせに設置されていて。つまり、向かい側のソファが、丸々空いている。
普通は向かい側に座るだろう所を、殿下は今、隣にいるのだ。
これがおかしくなくて何なのか。
「殿下?」
呼びかけることで問いかけて、隣を見た俺に、殿下はにっこりと笑いかけてきた。
見慣れた笑み。だが、これは。
「ようやくだから、もう、堪えきれなくて」
今まで見たことがない笑みでもある。言っていることの意味が分からない。
幼少期から慣れ親しんだ、幼なじみとも言える殿下が、この時初めて、俺には知らない男のように見えた。
どうして。
何が、いったい、どうして。どうして、殿下は、今、俺の隣で。どうして、今、そんな顔で、俺に笑いかけて。
頭の中で警報音が鳴り響き、訳も判らず混乱する。
こんな殿下の顔は、間違いなく、今まで見たことがなかった。
笑っている。とても機嫌よさそうに、満足そうに。自分の思うとおり運ぶ何事もが、この上なく好ましいと、そんな風に。
笑顔自体は、これまでいくらだって見たことがあった。だけど違う。何より目が。
俺は決して鈍くない。特に人から向けられる感情の機微に、敏くあるべき立場で育ってきたのだから、余計にだろう。だからわかる。わかってしまった。
殿下の眼差しに宿るのは熱だ。
これまでアルフェスに。あるいは他の誰かに。幾度も向けられてきた覚えがある劣情。
それがどうして今、殿下の瞳に宿っているのだろう。
わからなかった。
だってこれまで一度として、殿下のそんな目を、俺は見たことがなかったのだから。
「でん……か?」
もう一度呼びかける。殿下の笑みは崩れない。
「これまで長かったよ。本当に」
満面の笑みだ。殿下が俺の手を取った。俺は少しも抗うことが出来ず、固まるばかりで。殿下が俺に話しかけてくる。いつも通りの口調で。だけどいつもとは違う、熱のともった眼差しとともに。
「こんなに性急に、なんて、自分でもどうかとは思っている。でも本当にようやく、なんだ。君と、初めて出会った時。――……君にはすでに、婚約者がいた」
殿下と初めて会ったのは、俺が5歳の時。
アルフェスとの婚約は、アルフェスが生まれる前、俺が1歳の頃、下にルーファが出来ることが分かってすぐに結ばれている。
殿下との出会いは、当然その後だ。
「僕はすぐに父上や母上に言ったんだ。君が欲しいって。でも父も母も首を縦には振らなかった。君には婚約者がいたし、その婚約を破棄するには、僕からの求婚だけでは弱いと言われたよ。まだ幼かったしね。何より我が王家は、王族からの強権など、出来るだけ避けるように心がけている。僕がどれだけ強請ったって、我が儘を言うなと、逆に窘められる始末だった」
理解できる話だった。そもそも、我が国の傾向として、王族をはじめとして、貴族など上位の立場の者こそ、清廉であることが美徳とされている。下位の立場への強権など、それに反する最たるものだ。だからこそ上の立場の者は敬われるし、下位の者は、それに逆らわない。
ルーファの行動が学園内で問題となったのも、それが原因だった。彼女に悪意がなく、そんなつもりがなかったからこそ、余計に。
俺が何も返せないでいるのに、殿下は更に言葉を続けた。
「でも僕は君が諦めきれなかった。遊び相手と称して、君を頻繁に王宮に呼びつけたのは、僕の悪あがきのようなものだ。君はちっとも気付かなかったけど、僕はずっと君を見ていたよ。そんな僕を見かねたのか、そのうちに条件が付いたんだ。まず第一に、君とアルフェスの婚約関係が、双方同意のもと、解消されること。君を王宮に呼んだ翌年から、アルフェスも一緒に呼ぶようになったのはこれがあったからだ。勿論、爵位的に問題がなかったというのもあるけどね」
殿下の言葉は止まらない。手は、握られたまま。視線だけが熱かった。
「君はともかく、アルフェスが君に好意を抱いているのは、初めて会った時によくわかったよ。だけどやっぱり諦めきれなくて。それからも僕はじっと注意深く、君たちを見ていた。付け入る隙が出来るといいなって期待して。……――アルフェスと君の性質が合致しない、なんてのは、僕にとっては僥倖だったなぁ。誓って作意なんてない。いや、僕の君への恋情が産んだ奇跡かな? その後、ルーファ嬢へは少し助言をしたけどね、たったそれだけ。それだけでああなった」
殿下が告げる。熱っぽく、真摯に。切々と。
「ねぇ、ティアリィ。わかってるかい? 僕は君が好きなんだ」
それはまさに青天の霹靂だった。
56
あなたにおすすめの小説
悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?
* ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。
悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう!
せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー?
ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!
ユィリと皆の動画つくりました! お話にあわせて、ちょこちょこあがる予定です。
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます
プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
【完結】弟を幸せにする唯一のルートを探すため、兄は何度も『やり直す』
バナナ男さん
BL
優秀な騎士の家系である伯爵家の【クレパス家】に生まれた<グレイ>は、容姿、実力、共に恵まれず、常に平均以上が取れない事から両親に冷たく扱われて育った。 そんなある日、父が気まぐれに手を出した娼婦が生んだ子供、腹違いの弟<ルーカス>が家にやってくる。 その生まれから弟は自分以上に両親にも使用人達にも冷たく扱われ、グレイは初めて『褒められる』という行為を知る。 それに恐怖を感じつつ、グレイはルーカスに接触を試みるも「金に困った事がないお坊ちゃんが!」と手酷く拒絶されてしまい……。 最初ツンツン、のちヤンデレ執着に変化する美形の弟✕平凡な兄です。兄弟、ヤンデレなので、地雷の方はご注意下さいm(__)m
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします
* ゆるゆ
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!?
しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが、びっくりして憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です!
めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので!
ノィユとヴィルの動画を作ってみました!(笑)
インスタ @yuruyu0
Youtube @BL小説動画 です!
プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったらお話と一緒に楽しんでくださったら、とてもうれしいです!
ヴィル×ノィユのお話です。
本編完結しました!
『もふもふ獣人転生』に遊びにゆく舞踏会編、完結しました!
時々おまけのお話を更新するかもです。
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
愛する公爵と番になりましたが、大切な人がいるようなので身を引きます
まんまる
BL
メルン伯爵家の次男ナーシュは、10歳の時Ωだと分かる。
するとすぐに18歳のタザキル公爵家の嫡男アランから求婚があり、あっという間に婚約が整う。
初めて会った時からお互い惹かれ合っていると思っていた。
しかしアランにはナーシュが知らない愛する人がいて、それを知ったナーシュはアランに離婚を申し出る。
でもナーシュがアランの愛人だと思っていたのは⋯。
執着系α×天然Ω
年の差夫夫のすれ違い(?)からのハッピーエンドのお話です。
Rシーンは※付けます
【完結】悪役令息の伴侶(予定)に転生しました
* ゆるゆ
BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、反省しました。
BLゲームの世界で、推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑)
本編完結、恋愛ルート、トマといっしょに里帰り編、完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
きーちゃんと皆の動画をつくりました!
もしよかったら、お話と一緒に楽しんでくださったら、とてもうれしいです。
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画
プロフのwebサイトから両方に飛べるので、もしよかったら!
本編以降のお話、恋愛ルートも、おまけのお話の更新も、アルファポリスさまだけですー!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?
krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」
突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。
なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!?
全力すれ違いラブコメファンタジーBL!
支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる