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3・王宮にて
3-4・混乱
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おかしいと思ったのは、侍従から受け取った茶の用意を、手ずからで運んできた殿下が、わざわざ、ソファ席の俺の横に腰を下ろした時。
あれ? なぜ、と。
この応接スペースには、2~3人掛けのソファが、ローテーブルを挟んで向かい合わせに設置されていて。つまり、向かい側のソファが、丸々空いている。
普通は向かい側に座るだろう所を、殿下は今、隣にいるのだ。
これがおかしくなくて何なのか。
「殿下?」
呼びかけることで問いかけて、隣を見た俺に、殿下はにっこりと笑いかけてきた。
見慣れた笑み。だが、これは。
「ようやくだから、もう、堪えきれなくて」
今まで見たことがない笑みでもある。言っていることの意味が分からない。
幼少期から慣れ親しんだ、幼なじみとも言える殿下が、この時初めて、俺には知らない男のように見えた。
どうして。
何が、いったい、どうして。どうして、殿下は、今、俺の隣で。どうして、今、そんな顔で、俺に笑いかけて。
頭の中で警報音が鳴り響き、訳も判らず混乱する。
こんな殿下の顔は、間違いなく、今まで見たことがなかった。
笑っている。とても機嫌よさそうに、満足そうに。自分の思うとおり運ぶ何事もが、この上なく好ましいと、そんな風に。
笑顔自体は、これまでいくらだって見たことがあった。だけど違う。何より目が。
俺は決して鈍くない。特に人から向けられる感情の機微に、敏くあるべき立場で育ってきたのだから、余計にだろう。だからわかる。わかってしまった。
殿下の眼差しに宿るのは熱だ。
これまでアルフェスに。あるいは他の誰かに。幾度も向けられてきた覚えがある劣情。
それがどうして今、殿下の瞳に宿っているのだろう。
わからなかった。
だってこれまで一度として、殿下のそんな目を、俺は見たことがなかったのだから。
「でん……か?」
もう一度呼びかける。殿下の笑みは崩れない。
「これまで長かったよ。本当に」
満面の笑みだ。殿下が俺の手を取った。俺は少しも抗うことが出来ず、固まるばかりで。殿下が俺に話しかけてくる。いつも通りの口調で。だけどいつもとは違う、熱のともった眼差しとともに。
「こんなに性急に、なんて、自分でもどうかとは思っている。でも本当にようやく、なんだ。君と、初めて出会った時。――……君にはすでに、婚約者がいた」
殿下と初めて会ったのは、俺が5歳の時。
アルフェスとの婚約は、アルフェスが生まれる前、俺が1歳の頃、下にルーファが出来ることが分かってすぐに結ばれている。
殿下との出会いは、当然その後だ。
「僕はすぐに父上や母上に言ったんだ。君が欲しいって。でも父も母も首を縦には振らなかった。君には婚約者がいたし、その婚約を破棄するには、僕からの求婚だけでは弱いと言われたよ。まだ幼かったしね。何より我が王家は、王族からの強権など、出来るだけ避けるように心がけている。僕がどれだけ強請ったって、我が儘を言うなと、逆に窘められる始末だった」
理解できる話だった。そもそも、我が国の傾向として、王族をはじめとして、貴族など上位の立場の者こそ、清廉であることが美徳とされている。下位の立場への強権など、それに反する最たるものだ。だからこそ上の立場の者は敬われるし、下位の者は、それに逆らわない。
ルーファの行動が学園内で問題となったのも、それが原因だった。彼女に悪意がなく、そんなつもりがなかったからこそ、余計に。
俺が何も返せないでいるのに、殿下は更に言葉を続けた。
「でも僕は君が諦めきれなかった。遊び相手と称して、君を頻繁に王宮に呼びつけたのは、僕の悪あがきのようなものだ。君はちっとも気付かなかったけど、僕はずっと君を見ていたよ。そんな僕を見かねたのか、そのうちに条件が付いたんだ。まず第一に、君とアルフェスの婚約関係が、双方同意のもと、解消されること。君を王宮に呼んだ翌年から、アルフェスも一緒に呼ぶようになったのはこれがあったからだ。勿論、爵位的に問題がなかったというのもあるけどね」
殿下の言葉は止まらない。手は、握られたまま。視線だけが熱かった。
「君はともかく、アルフェスが君に好意を抱いているのは、初めて会った時によくわかったよ。だけどやっぱり諦めきれなくて。それからも僕はじっと注意深く、君たちを見ていた。付け入る隙が出来るといいなって期待して。……――アルフェスと君の性質が合致しない、なんてのは、僕にとっては僥倖だったなぁ。誓って作意なんてない。いや、僕の君への恋情が産んだ奇跡かな? その後、ルーファ嬢へは少し助言をしたけどね、たったそれだけ。それだけでああなった」
殿下が告げる。熱っぽく、真摯に。切々と。
「ねぇ、ティアリィ。わかってるかい? 僕は君が好きなんだ」
それはまさに青天の霹靂だった。
あれ? なぜ、と。
この応接スペースには、2~3人掛けのソファが、ローテーブルを挟んで向かい合わせに設置されていて。つまり、向かい側のソファが、丸々空いている。
普通は向かい側に座るだろう所を、殿下は今、隣にいるのだ。
これがおかしくなくて何なのか。
「殿下?」
呼びかけることで問いかけて、隣を見た俺に、殿下はにっこりと笑いかけてきた。
見慣れた笑み。だが、これは。
「ようやくだから、もう、堪えきれなくて」
今まで見たことがない笑みでもある。言っていることの意味が分からない。
幼少期から慣れ親しんだ、幼なじみとも言える殿下が、この時初めて、俺には知らない男のように見えた。
どうして。
何が、いったい、どうして。どうして、殿下は、今、俺の隣で。どうして、今、そんな顔で、俺に笑いかけて。
頭の中で警報音が鳴り響き、訳も判らず混乱する。
こんな殿下の顔は、間違いなく、今まで見たことがなかった。
笑っている。とても機嫌よさそうに、満足そうに。自分の思うとおり運ぶ何事もが、この上なく好ましいと、そんな風に。
笑顔自体は、これまでいくらだって見たことがあった。だけど違う。何より目が。
俺は決して鈍くない。特に人から向けられる感情の機微に、敏くあるべき立場で育ってきたのだから、余計にだろう。だからわかる。わかってしまった。
殿下の眼差しに宿るのは熱だ。
これまでアルフェスに。あるいは他の誰かに。幾度も向けられてきた覚えがある劣情。
それがどうして今、殿下の瞳に宿っているのだろう。
わからなかった。
だってこれまで一度として、殿下のそんな目を、俺は見たことがなかったのだから。
「でん……か?」
もう一度呼びかける。殿下の笑みは崩れない。
「これまで長かったよ。本当に」
満面の笑みだ。殿下が俺の手を取った。俺は少しも抗うことが出来ず、固まるばかりで。殿下が俺に話しかけてくる。いつも通りの口調で。だけどいつもとは違う、熱のともった眼差しとともに。
「こんなに性急に、なんて、自分でもどうかとは思っている。でも本当にようやく、なんだ。君と、初めて出会った時。――……君にはすでに、婚約者がいた」
殿下と初めて会ったのは、俺が5歳の時。
アルフェスとの婚約は、アルフェスが生まれる前、俺が1歳の頃、下にルーファが出来ることが分かってすぐに結ばれている。
殿下との出会いは、当然その後だ。
「僕はすぐに父上や母上に言ったんだ。君が欲しいって。でも父も母も首を縦には振らなかった。君には婚約者がいたし、その婚約を破棄するには、僕からの求婚だけでは弱いと言われたよ。まだ幼かったしね。何より我が王家は、王族からの強権など、出来るだけ避けるように心がけている。僕がどれだけ強請ったって、我が儘を言うなと、逆に窘められる始末だった」
理解できる話だった。そもそも、我が国の傾向として、王族をはじめとして、貴族など上位の立場の者こそ、清廉であることが美徳とされている。下位の立場への強権など、それに反する最たるものだ。だからこそ上の立場の者は敬われるし、下位の者は、それに逆らわない。
ルーファの行動が学園内で問題となったのも、それが原因だった。彼女に悪意がなく、そんなつもりがなかったからこそ、余計に。
俺が何も返せないでいるのに、殿下は更に言葉を続けた。
「でも僕は君が諦めきれなかった。遊び相手と称して、君を頻繁に王宮に呼びつけたのは、僕の悪あがきのようなものだ。君はちっとも気付かなかったけど、僕はずっと君を見ていたよ。そんな僕を見かねたのか、そのうちに条件が付いたんだ。まず第一に、君とアルフェスの婚約関係が、双方同意のもと、解消されること。君を王宮に呼んだ翌年から、アルフェスも一緒に呼ぶようになったのはこれがあったからだ。勿論、爵位的に問題がなかったというのもあるけどね」
殿下の言葉は止まらない。手は、握られたまま。視線だけが熱かった。
「君はともかく、アルフェスが君に好意を抱いているのは、初めて会った時によくわかったよ。だけどやっぱり諦めきれなくて。それからも僕はじっと注意深く、君たちを見ていた。付け入る隙が出来るといいなって期待して。……――アルフェスと君の性質が合致しない、なんてのは、僕にとっては僥倖だったなぁ。誓って作意なんてない。いや、僕の君への恋情が産んだ奇跡かな? その後、ルーファ嬢へは少し助言をしたけどね、たったそれだけ。それだけでああなった」
殿下が告げる。熱っぽく、真摯に。切々と。
「ねぇ、ティアリィ。わかってるかい? 僕は君が好きなんだ」
それはまさに青天の霹靂だった。
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