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一章
25.そんなに面白いの?
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「そんなに面白いの? 何が書いてあるのかさっぱり分からないんだけど?」
「本当に面白いの? 文字と数字しか書いてないんだけど?」
対してイーサン殿とユージーン殿は、私を得体のしれないものでも見るような目で見下ろす。気安いのは嬉しいが、失礼な扱いである。
このまま変人扱いされるのは嫌なので、内容をお二人にも説明しよう。
「例えばこの部分ですけれど、指に通っている神経と痛覚の関係から、筋肉の反射運動を割り出し――」
「待って待って。すでに分からないから」
「もうちょっと、俺たちにも分かる言葉で説明して?」
お二人にも興味深い話だと思ったのだが、止められてしまった。
どのように説明すれば分かりやすいだろうかと考え、書かれていることを実際に行ってみることにする。
「ヴィクターさん、すみませんがこちらに来ていただけますか?」
寝台脇に来てくれたヴィクターさんに、右手を出してもらう。
「本によりますと、親指のこの部分をこのように摘み――」
書かれている通りに手を動かすと、ヴィクターさんが軽く眉をしかめた直後、くるりと回転して私に背を向けた状態で膝を突いた。
「何やってるの? ヴィクター?」
「どうしたの? ヴィクター?」
「オリバーがヴィクターに勝ったの? オリバー凄いわ!」
イーサン殿とユージーン殿が呆れた声をヴィクターさんに投げつける一方で、真っ直ぐなスカーレットはきらきらとした眼差しを私に向ける。
「この本に書かれていた通りにしただけだよ。人体の構造を理解したうえで、最小限の力で相手を制圧する手段が書かれているんだ。だから私でも、ヴィクターさんに膝を突かせることができたのだよ」
もっとも、ヴィクターさんが私の指示に従って、抵抗することなく手を差し出してくれたからだけど。襲ってきた相手に同じようにしろと言われても、親指に触ることさえできないだろう。
けれどこの本に書かれていることを身に付けておけば、私も少しくらいはイーグル一族の強さに近付けるかもしれない。
そんな希望を抱かせてくれる知識が、この本の中には詰まっていた。
「凄いわ、オリバー。私も試してみたい! やり方を教えて!」
「いいよ。まずはここを……」
「ちょっと待ってください!」
スカーレットに手ほどきをしていると、慌てたヴィクターさんが止めに入った。
「お嬢様、オリバー様は怪我人です。例え元気であっても、オリバー様で試してはいけません。大怪我をしてしまいます」
言われて気付く。スカーレットに教えてあげるために、私は自分の手をスカーレットに差し出していた。
一拍遅れて自分の浅はかさに気付き、血の気が引いた。非力な私がヴィクターさんを跪かせたのだ。スカーレットが私に仕掛けたらどうなるか……。私の命が危ない。
「じゃあヴィクターの手を貸してちょうだい?」
「申し訳ありません、お嬢様。どうかご勘弁を。イーサン坊ちゃんかユージーン坊ちゃんにお願いして頂きたく、お願い申しあげます」
いつにも増して慇懃な態度のヴィクターさん。彼でもスカーレットに仕掛けられたら危険だと判断したのだろう。本当に、止めてもらってよかった。
「じゃあ、イーサンお兄様、いいかしら?」
「いいよー。ヴィクターってば大袈裟だろう?」
笑いながら手を出したイーサン殿。私の説明を聞きながらスカーレットが彼の手を捻った途端、寺院にある大きな鐘を撞いたかと錯覚する凄まじい音が部屋に響いた。
全員の視線が、金属床にめり込んだイーサン殿に集中する。
誰も一言も喋れない。予想以上の結果である。
「――ちょおっと、嘘でしょう!?」
最初に復活したのはユージーン殿だった。絶叫した後、イーサン殿とスカーレットを交互に見る。
ユージーン殿の声を皮切りに運動能力を取り戻した私は、そろりとヴィクターさんに視線を向けた。彼は土気色になった顔を引きつらせながら、金属床にめり込んだイーサン殿を凝視している。
判断を誤れば、私か彼が犠牲となっていたのだ。そして只人である私たちならば、天に召されていたかもしれない。
いかにイーグルの者とはいえ、イーサン殿は大丈夫なのだろうか?
……。
「イーサン殿!?」
突如正気に戻った私は、寝台から身を乗り出してイーサン殿の無事を確認する。全身がぴくぴくと動いているので、生きてはいるらしい。良かった。――いや、良くはないのか?
実行犯となってしまったスカーレットを恐る恐る見ると、彼女は呆然と自分が倒した兄を見つめている。
さっと血の気が引いた。お茶会事件で負った心の傷もだいぶ癒え、笑顔で過ごしていたスカーレットに再びトラウマを植え付けてしまうなんて――。
私はなんと愚かな婚約者なのだろうか。なんて浅はかな行動を取ってしまったのだろう。
「スカーレット……」
ためらいながらも、彼女の心の傷を少しでも軽くしなければと、愛しい婚約者の名前を呼びながら手を伸ばす。抱きしめて、頭を撫でて、悪いのは君ではないのだと伝えなければ――。
イーサン殿を見つめていたスカーレットの肩が、小刻みに震え始める。
「スカーレッ」
「凄おーいっ! イーサンお兄様を簡単に落とせたわ! オリバー、凄いわ!」
イーサン殿から離した手を胸の辺りで軽く握って、ぴょんぴょんと無邪気に飛び跳ねる、私の可愛い婚約者。春の花畑が背後に見えそうな、輝く笑顔が眩しい。
「ぷっはあーっ! 吃驚したあ。何今の? 父さんより凄くなかった?」
金属床にめり込んでいたイーサン殿が復活した。軽く首を横に倒したり、腕を回したりしているが、元気そうだ。
どうなっているのだろうか、イーグル一族の肉体は……。
兄を金属床にめり込ませたスカーレットよりも、不死身ではないかと疑わしいイーサン殿のほうが恐ろしい。
「イーサン平気?」
「大丈夫、大丈夫。ちょっと首を捻ったけど、もう治ったよ?」
ちょっとなのか。そしてもう治ったのか。
この場にいる人間の中で、唯一心を通じさせられそうなヴィクターさんに視線を向けてしまう。顔を引きつらせていた彼は、私の視線に気付くと何とも言えない表情で小さく同意してくれた。
イーグル家に仕える彼も、イーグルの者がここまで強靭な体を持っているとは思っていなかったようだ。
私は本当に、この家族と上手くやっていけるのだろうか?
思わず焦点を遠くへ手放していると、視界の端でヴィクターさんが憐憫の眼差しを私に向けていた。
「オリバー君、他にもあるの?」
「えっと、はい」
「一番派手なの教えて? スカーレット、俺にも仕掛けてよ」
「いいわよ」
今の惨劇を見て立候補するとは、ユージーン殿には特殊な性癖でもあるのではないだろうか?
困惑しつつも本を捲る。派手な技とはいったい?
「これですかね?」
私の思考回路はきっと衝撃でおかしくなっていたのだろう。言われるままに選びだし、文字を追いながらスカーレットに手ほどきする。
「こうかしら?」
手順を追って本の通りにスカーレットが手を動かした直後、ユージーン殿は嵐の日の水車を連想させる動きでくるくると回転しながら飛んでいった。
「すげーっ!」
「わー! 凄ーい!」
イーサン殿とスカーレットが歓声を上げる。
現実とは思えない光景をぼんやりと眺めていた私の肩を、誰かがぽんっと叩く。見上げると、ヴィクターさんが私の隣に立ち、掌を差し出していた。
「申し訳ありません、オリバー様。その危険物を回収してもよろしいでしょうか?」
「お願いします」
迷うことなく、私は自分の手の中にある、かつてのイーグル伯爵が書いたと思われる本をヴィクターさんに託す。
これは決して世に出してはいけない禁書だ。
「しっかりと封印をお願いします」
「心得ております」
王都が滅ぶ前に、悪魔の書は封印された――。
「本当に面白いの? 文字と数字しか書いてないんだけど?」
対してイーサン殿とユージーン殿は、私を得体のしれないものでも見るような目で見下ろす。気安いのは嬉しいが、失礼な扱いである。
このまま変人扱いされるのは嫌なので、内容をお二人にも説明しよう。
「例えばこの部分ですけれど、指に通っている神経と痛覚の関係から、筋肉の反射運動を割り出し――」
「待って待って。すでに分からないから」
「もうちょっと、俺たちにも分かる言葉で説明して?」
お二人にも興味深い話だと思ったのだが、止められてしまった。
どのように説明すれば分かりやすいだろうかと考え、書かれていることを実際に行ってみることにする。
「ヴィクターさん、すみませんがこちらに来ていただけますか?」
寝台脇に来てくれたヴィクターさんに、右手を出してもらう。
「本によりますと、親指のこの部分をこのように摘み――」
書かれている通りに手を動かすと、ヴィクターさんが軽く眉をしかめた直後、くるりと回転して私に背を向けた状態で膝を突いた。
「何やってるの? ヴィクター?」
「どうしたの? ヴィクター?」
「オリバーがヴィクターに勝ったの? オリバー凄いわ!」
イーサン殿とユージーン殿が呆れた声をヴィクターさんに投げつける一方で、真っ直ぐなスカーレットはきらきらとした眼差しを私に向ける。
「この本に書かれていた通りにしただけだよ。人体の構造を理解したうえで、最小限の力で相手を制圧する手段が書かれているんだ。だから私でも、ヴィクターさんに膝を突かせることができたのだよ」
もっとも、ヴィクターさんが私の指示に従って、抵抗することなく手を差し出してくれたからだけど。襲ってきた相手に同じようにしろと言われても、親指に触ることさえできないだろう。
けれどこの本に書かれていることを身に付けておけば、私も少しくらいはイーグル一族の強さに近付けるかもしれない。
そんな希望を抱かせてくれる知識が、この本の中には詰まっていた。
「凄いわ、オリバー。私も試してみたい! やり方を教えて!」
「いいよ。まずはここを……」
「ちょっと待ってください!」
スカーレットに手ほどきをしていると、慌てたヴィクターさんが止めに入った。
「お嬢様、オリバー様は怪我人です。例え元気であっても、オリバー様で試してはいけません。大怪我をしてしまいます」
言われて気付く。スカーレットに教えてあげるために、私は自分の手をスカーレットに差し出していた。
一拍遅れて自分の浅はかさに気付き、血の気が引いた。非力な私がヴィクターさんを跪かせたのだ。スカーレットが私に仕掛けたらどうなるか……。私の命が危ない。
「じゃあヴィクターの手を貸してちょうだい?」
「申し訳ありません、お嬢様。どうかご勘弁を。イーサン坊ちゃんかユージーン坊ちゃんにお願いして頂きたく、お願い申しあげます」
いつにも増して慇懃な態度のヴィクターさん。彼でもスカーレットに仕掛けられたら危険だと判断したのだろう。本当に、止めてもらってよかった。
「じゃあ、イーサンお兄様、いいかしら?」
「いいよー。ヴィクターってば大袈裟だろう?」
笑いながら手を出したイーサン殿。私の説明を聞きながらスカーレットが彼の手を捻った途端、寺院にある大きな鐘を撞いたかと錯覚する凄まじい音が部屋に響いた。
全員の視線が、金属床にめり込んだイーサン殿に集中する。
誰も一言も喋れない。予想以上の結果である。
「――ちょおっと、嘘でしょう!?」
最初に復活したのはユージーン殿だった。絶叫した後、イーサン殿とスカーレットを交互に見る。
ユージーン殿の声を皮切りに運動能力を取り戻した私は、そろりとヴィクターさんに視線を向けた。彼は土気色になった顔を引きつらせながら、金属床にめり込んだイーサン殿を凝視している。
判断を誤れば、私か彼が犠牲となっていたのだ。そして只人である私たちならば、天に召されていたかもしれない。
いかにイーグルの者とはいえ、イーサン殿は大丈夫なのだろうか?
……。
「イーサン殿!?」
突如正気に戻った私は、寝台から身を乗り出してイーサン殿の無事を確認する。全身がぴくぴくと動いているので、生きてはいるらしい。良かった。――いや、良くはないのか?
実行犯となってしまったスカーレットを恐る恐る見ると、彼女は呆然と自分が倒した兄を見つめている。
さっと血の気が引いた。お茶会事件で負った心の傷もだいぶ癒え、笑顔で過ごしていたスカーレットに再びトラウマを植え付けてしまうなんて――。
私はなんと愚かな婚約者なのだろうか。なんて浅はかな行動を取ってしまったのだろう。
「スカーレット……」
ためらいながらも、彼女の心の傷を少しでも軽くしなければと、愛しい婚約者の名前を呼びながら手を伸ばす。抱きしめて、頭を撫でて、悪いのは君ではないのだと伝えなければ――。
イーサン殿を見つめていたスカーレットの肩が、小刻みに震え始める。
「スカーレッ」
「凄おーいっ! イーサンお兄様を簡単に落とせたわ! オリバー、凄いわ!」
イーサン殿から離した手を胸の辺りで軽く握って、ぴょんぴょんと無邪気に飛び跳ねる、私の可愛い婚約者。春の花畑が背後に見えそうな、輝く笑顔が眩しい。
「ぷっはあーっ! 吃驚したあ。何今の? 父さんより凄くなかった?」
金属床にめり込んでいたイーサン殿が復活した。軽く首を横に倒したり、腕を回したりしているが、元気そうだ。
どうなっているのだろうか、イーグル一族の肉体は……。
兄を金属床にめり込ませたスカーレットよりも、不死身ではないかと疑わしいイーサン殿のほうが恐ろしい。
「イーサン平気?」
「大丈夫、大丈夫。ちょっと首を捻ったけど、もう治ったよ?」
ちょっとなのか。そしてもう治ったのか。
この場にいる人間の中で、唯一心を通じさせられそうなヴィクターさんに視線を向けてしまう。顔を引きつらせていた彼は、私の視線に気付くと何とも言えない表情で小さく同意してくれた。
イーグル家に仕える彼も、イーグルの者がここまで強靭な体を持っているとは思っていなかったようだ。
私は本当に、この家族と上手くやっていけるのだろうか?
思わず焦点を遠くへ手放していると、視界の端でヴィクターさんが憐憫の眼差しを私に向けていた。
「オリバー君、他にもあるの?」
「えっと、はい」
「一番派手なの教えて? スカーレット、俺にも仕掛けてよ」
「いいわよ」
今の惨劇を見て立候補するとは、ユージーン殿には特殊な性癖でもあるのではないだろうか?
困惑しつつも本を捲る。派手な技とはいったい?
「これですかね?」
私の思考回路はきっと衝撃でおかしくなっていたのだろう。言われるままに選びだし、文字を追いながらスカーレットに手ほどきする。
「こうかしら?」
手順を追って本の通りにスカーレットが手を動かした直後、ユージーン殿は嵐の日の水車を連想させる動きでくるくると回転しながら飛んでいった。
「すげーっ!」
「わー! 凄ーい!」
イーサン殿とスカーレットが歓声を上げる。
現実とは思えない光景をぼんやりと眺めていた私の肩を、誰かがぽんっと叩く。見上げると、ヴィクターさんが私の隣に立ち、掌を差し出していた。
「申し訳ありません、オリバー様。その危険物を回収してもよろしいでしょうか?」
「お願いします」
迷うことなく、私は自分の手の中にある、かつてのイーグル伯爵が書いたと思われる本をヴィクターさんに託す。
これは決して世に出してはいけない禁書だ。
「しっかりと封印をお願いします」
「心得ております」
王都が滅ぶ前に、悪魔の書は封印された――。
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