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岩魚と河童 六
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しかしそんな心配は無用だった。
川下を見れば、岩も落差も無い場所で水しぶきが上がっている。水掻きの付いた手が川の中から助けを求めるように伸びているのは、怪談の絵巻物でも見ているようだ。
河童は川で溺れていた。まさに河童の川流れ。
「さて、どうしたものか?」
先ほどと同じ言葉が口からこぼれるが、声音からは重みが消えて、困惑が見え隠れする。
視線を川下から空へと移せば、若葉もゆる木々の向こうに、澄んだ青空が広がり美しい。新緑の美しさにささくれ立った心が和んでいく。
現実から逃避していると、急に真夜の胸が痛みだした。
「何だ?!」
痛む胸を抑えて千夜丸がいると思われる、溺れる河童の辺りを窄めた目で凝視する。千夜丸は窮地に陥ってはいるが、まだ無事だ。
真夜は契約に縛られている。夜姫を護るという契約に。
そのために柄にもなく夜姫を連れ歩き、彼女を護っているのだ。だが守るべき対象は夜姫であり、千夜丸は生きてさえいれば問題ないはずだった。
「内容は夜姫の保護だろう? なんで今……」
忌々しげに奥歯を噛みしめた真夜の疑問は、三秒と経たずに解消される。
「しんにゃー……ちよー……」
真夜は沈黙した。思わず鷲掴みにするように自分の顔を左手で覆ってしまう。
上流から聞き慣れた声が近づいてくる。十中八九、夜姫で間違いないだろう。しかし彼女が足場の悪い川岸を追いかけてこられるとは思えない。
なにせ彼女は五寸程と小さい上に、四つん這いでしか動けないのだから。
嫌な予感を覚えながら首を回せば、残念ながら的中していた。
黄色い頭に緑の頭巾とちゃんちゃんこを付けた包子人形が、どんぶらこっこ、どんぶらこっこと、流れてきていた。
「なんで落ちた?」
呆れながらも、近くまで流れてきた夜姫を回収する。水から救い出すと、真夜の胸の痛みも止まった。
「しんにゃ、ありがと」
「どういたしまして」
「ちよは?」
水で重くなった体では自力で動くこともできず、夜姫は声だけを発して千夜丸の行方を問いかける。
どう答えたものかと微かに迷った真夜だが、今回ばかりは千代丸に助けられたと認めざるを得ないだろう。
このまま放置して見殺しにするのは、契約云々を抜きにしても沽券に関わる。
太い溜息を吐き出すと、岩の上を跳ねるように移動して河童の下へと向かった。
「ちよー!」
千夜丸の姿を見つけた夜姫は歓喜の声を上げるが、千夜丸は反応しない。彼には今、そんな余裕はないのだ。
「おい、誰に喧嘩売ったか分かってるのか?」
岩の上から手を伸ばして河童の首根っこを掴んだ真夜は、一気に水から引き上げる。
四尺ほどの河童は真夜が立ちあがってしまえば、完全に全身を空気に晒した。水から出してしまえば、真夜には手も足も出ないだろう。
すでに疲れ切った様子の河童は、更なる危機に見舞われたと理解して、絶望の表情を浮かべた。
「ちよー」
逆に危機は去ったのだと気付いた千夜丸は、夜姫の声に意識を向けると、ぽよんっと跳躍して真夜の腕に着地する。そのまま腕を伝って夜姫の下へ急いだ。
ぽよよんっと身を寄せた千夜丸は、濡れている夜姫の体を乾かしてやる。手の届くところに千夜丸が来るなり、夜姫は抱きしめた。
「ちよ、大丈夫?」
心配そうに小首を傾げて覗き込んでくる小さな人形に、千夜丸は大丈夫だと伝えるように、ぽよよんっと大きく揺れてみせる。
「ちよー」
抱き締め合う布人形と陸海月。
「下りてからやってくれないか?」
「あい」
いつの間にか川原に移動していた真夜は、素直に返事した夜姫と、頷くようにぽよんっと揺れた千夜丸を小石が散らばる地面に下ろし、改めて河童と向かい合う。
川下を見れば、岩も落差も無い場所で水しぶきが上がっている。水掻きの付いた手が川の中から助けを求めるように伸びているのは、怪談の絵巻物でも見ているようだ。
河童は川で溺れていた。まさに河童の川流れ。
「さて、どうしたものか?」
先ほどと同じ言葉が口からこぼれるが、声音からは重みが消えて、困惑が見え隠れする。
視線を川下から空へと移せば、若葉もゆる木々の向こうに、澄んだ青空が広がり美しい。新緑の美しさにささくれ立った心が和んでいく。
現実から逃避していると、急に真夜の胸が痛みだした。
「何だ?!」
痛む胸を抑えて千夜丸がいると思われる、溺れる河童の辺りを窄めた目で凝視する。千夜丸は窮地に陥ってはいるが、まだ無事だ。
真夜は契約に縛られている。夜姫を護るという契約に。
そのために柄にもなく夜姫を連れ歩き、彼女を護っているのだ。だが守るべき対象は夜姫であり、千夜丸は生きてさえいれば問題ないはずだった。
「内容は夜姫の保護だろう? なんで今……」
忌々しげに奥歯を噛みしめた真夜の疑問は、三秒と経たずに解消される。
「しんにゃー……ちよー……」
真夜は沈黙した。思わず鷲掴みにするように自分の顔を左手で覆ってしまう。
上流から聞き慣れた声が近づいてくる。十中八九、夜姫で間違いないだろう。しかし彼女が足場の悪い川岸を追いかけてこられるとは思えない。
なにせ彼女は五寸程と小さい上に、四つん這いでしか動けないのだから。
嫌な予感を覚えながら首を回せば、残念ながら的中していた。
黄色い頭に緑の頭巾とちゃんちゃんこを付けた包子人形が、どんぶらこっこ、どんぶらこっこと、流れてきていた。
「なんで落ちた?」
呆れながらも、近くまで流れてきた夜姫を回収する。水から救い出すと、真夜の胸の痛みも止まった。
「しんにゃ、ありがと」
「どういたしまして」
「ちよは?」
水で重くなった体では自力で動くこともできず、夜姫は声だけを発して千夜丸の行方を問いかける。
どう答えたものかと微かに迷った真夜だが、今回ばかりは千代丸に助けられたと認めざるを得ないだろう。
このまま放置して見殺しにするのは、契約云々を抜きにしても沽券に関わる。
太い溜息を吐き出すと、岩の上を跳ねるように移動して河童の下へと向かった。
「ちよー!」
千夜丸の姿を見つけた夜姫は歓喜の声を上げるが、千夜丸は反応しない。彼には今、そんな余裕はないのだ。
「おい、誰に喧嘩売ったか分かってるのか?」
岩の上から手を伸ばして河童の首根っこを掴んだ真夜は、一気に水から引き上げる。
四尺ほどの河童は真夜が立ちあがってしまえば、完全に全身を空気に晒した。水から出してしまえば、真夜には手も足も出ないだろう。
すでに疲れ切った様子の河童は、更なる危機に見舞われたと理解して、絶望の表情を浮かべた。
「ちよー」
逆に危機は去ったのだと気付いた千夜丸は、夜姫の声に意識を向けると、ぽよんっと跳躍して真夜の腕に着地する。そのまま腕を伝って夜姫の下へ急いだ。
ぽよよんっと身を寄せた千夜丸は、濡れている夜姫の体を乾かしてやる。手の届くところに千夜丸が来るなり、夜姫は抱きしめた。
「ちよ、大丈夫?」
心配そうに小首を傾げて覗き込んでくる小さな人形に、千夜丸は大丈夫だと伝えるように、ぽよよんっと大きく揺れてみせる。
「ちよー」
抱き締め合う布人形と陸海月。
「下りてからやってくれないか?」
「あい」
いつの間にか川原に移動していた真夜は、素直に返事した夜姫と、頷くようにぽよんっと揺れた千夜丸を小石が散らばる地面に下ろし、改めて河童と向かい合う。
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