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02.遭遇二
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壁の所々に扉のような段差があり、すぐ隣には文字らしきものが書かれた小さな銀板が貼りつけられていた。
銀板に触れても段差を押しても動くことはない。一つ一つを確かめるように触れながら、煌鷽は奥へと進んでいく。
途中から数えることも放棄し、そろそろ引き返そうかと考え始めた頃、変化が訪れる。
銀板に触れた指にちりりと刺激が走り、段差になっていた部分が横に移動して口を開けた。
ひんやりとした冷気が溢れてきて、驚きに目を瞠る煌鷽の頬を撫でる。
緊張しながら中を覗き込むと、二畳ほどの狭い空間の中央に白い筒状の柱が立っていた。
「これはいったい?」
部屋に踏み入った煌鷽は、慎重に柱に近付き手を伸ばした。
「氷?」
硬く冷たい感触。他の回答は思いつかない。だからこそ、困惑が彼を襲う。
「なぜこんな所に氷の柱が?」
おそらく他の部屋も同じような構造で、同じように氷の柱が床から地面を貫いているのだろう。そこまでは安易に予想はできたが、それが何の意味を持つのかさっぱり分からない。
煌鷽の目は自然と天井を見上げた。
意識が向けられているのは更に上。中央の壁から奥に入ったこの場所の上にあるのは、王族や華族が暮らす蕊山。
そこにはこの世界を創った神々を祀る祠殿もある。
「もしかして、祠殿に関わるものでしょうか?」
ぞわりと背筋が粟立った。
畏れ多いと慌てて手を離し、一歩下がる。何も見なかったことにして引き返そうと足を動かしかけて、氷の柱の一ヶ所だけわずかに色が違うことに気付いた。
立ち去らなければと思うのに、気になってしまう。誘惑に負けて再び手を伸ばし、指を這わせる。
霜に覆われた表面に線が描かれ、氷の奥に何かがあることに気付く。服の裾で拭いてみれば、それはわずかに姿を見せた。
「まさか?」
厚い氷の柱の中に浮かぶ影。煌鷽は上着を脱いで氷の柱を拭く。
次第に明らかになってくる氷の中身は、人の姿をしていた。戸惑いながらも手を動かし続け、ようやく見えた顔。
煌鷽の手が止まり、足が一歩一歩と後退る。
「なぜこんな……」
驚愕が思考を奪う。
氷の中から現れたのは、外見だけなら煌鷽よりも少し年下に見える少女。何より目を引くのは、彼女の頭を覆う黒い髪。
人は様々な色の髪と瞳を持つ。けれど一色だけ、この世で一人しか持たない色があった。この世界を護る神々の依代だといわれる、神子だけだ。
神子は王が崩御するとどこからともなく現れて、新たな王を選ぶ。そして王と共にこの世界を護り導く。
「まさか、神子様は蕊山の地下で眠っていらした? この方が次代の神子様?」
王族しかその姿を見ることが許されず、王しか触れることのできない高貴な存在。平民である煌鷽が傍にいて良い存在ではない。
畏れ多いことだ。これ以上この場に留まってはならないと頭の中で警鐘が鳴り響く。それなのに、煌鷽の体は動かない。
魅入られたように彼女を熱い眼差しで見つめる。頬に触れたくて手を伸ばすが、氷の柱が邪魔をした。
苛立たしさに舌打ちしたくなるが、彼女に聞かれたくないと耐える。
瞼を落として眠っているように見える少女。音が届いているかは甚だ疑問ではあるが。
少しでも近づきたくて氷の柱に両手を添えたまま、彼女の顔を見つめる。
左右対称の整った顔立ちしか見たことのない煌鷽にとって、神子の顔立ちは少し不思議に思えた。
けれど他にない面立ちは益々彼女が特別であると示しているようで、彼の欲望を刺激する。
『――寒い』
突然声が聞こえた。
煌鷽は目を瞠り、氷の中の少女を凝視する。少女はやはり凍っているようで動かない。
「生きているのですか?」
『誰かいるの? お願い、ここから出して。ここは寒くて、痛くて、寂しいの』
煌鷽の胸まで痛くなるような、嘆きの声。
いつからなのか。彼女はこの氷の中に一人閉じ込められて、その冷たさと孤独に耐え続けていたのだろう。
「すぐに助けます」
そう言って氷を割ろうと腕を振り上げたが、はたと気付く。氷を割ってしまえば、中にいる少女ごと割れてしまわないだろうかと。
どうしたものかと辺りを見回すが、役に立ちそうな物は何もない。
煌鷽はもう一度、氷の柱をよく観察する。
少女の体は柱の中ほどに浮かんでいて、上下に空間がある。柱の上部と下部を壊して運び出せば助けられるかもしれない。
「少し待っていてください」
廊下に出ると壁から落ちていた破片を手に部屋に戻る。氷の柱に打ち付けようと破片を握った手を振り下ろした。
『警告』
少女とは異なる声が頭に響き、腕が止まる。どんなに力を入れても、氷の柱を傷付けることはできなかった。
「すみません。私にはあなたを助ける力は無いようです」
『そう、気にしないで。でもありがとう。助けようとしてくれて』
痛くて寂しいと訴えていたのに、彼女はお礼を口にした。
「お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
『涼芽。涼しい草の芽と書いて涼芽だよ』
「涼芽様。私は煌鷽です」
『こうがく、さん』
柔らかな声で自分の名前を呼ばれて、うっとりとした気分で煌鷽は動かぬ少女を見つめる。
名前を呼ばれることがこれほど嬉しいのだと、彼は知らなかった。
銀板に触れても段差を押しても動くことはない。一つ一つを確かめるように触れながら、煌鷽は奥へと進んでいく。
途中から数えることも放棄し、そろそろ引き返そうかと考え始めた頃、変化が訪れる。
銀板に触れた指にちりりと刺激が走り、段差になっていた部分が横に移動して口を開けた。
ひんやりとした冷気が溢れてきて、驚きに目を瞠る煌鷽の頬を撫でる。
緊張しながら中を覗き込むと、二畳ほどの狭い空間の中央に白い筒状の柱が立っていた。
「これはいったい?」
部屋に踏み入った煌鷽は、慎重に柱に近付き手を伸ばした。
「氷?」
硬く冷たい感触。他の回答は思いつかない。だからこそ、困惑が彼を襲う。
「なぜこんな所に氷の柱が?」
おそらく他の部屋も同じような構造で、同じように氷の柱が床から地面を貫いているのだろう。そこまでは安易に予想はできたが、それが何の意味を持つのかさっぱり分からない。
煌鷽の目は自然と天井を見上げた。
意識が向けられているのは更に上。中央の壁から奥に入ったこの場所の上にあるのは、王族や華族が暮らす蕊山。
そこにはこの世界を創った神々を祀る祠殿もある。
「もしかして、祠殿に関わるものでしょうか?」
ぞわりと背筋が粟立った。
畏れ多いと慌てて手を離し、一歩下がる。何も見なかったことにして引き返そうと足を動かしかけて、氷の柱の一ヶ所だけわずかに色が違うことに気付いた。
立ち去らなければと思うのに、気になってしまう。誘惑に負けて再び手を伸ばし、指を這わせる。
霜に覆われた表面に線が描かれ、氷の奥に何かがあることに気付く。服の裾で拭いてみれば、それはわずかに姿を見せた。
「まさか?」
厚い氷の柱の中に浮かぶ影。煌鷽は上着を脱いで氷の柱を拭く。
次第に明らかになってくる氷の中身は、人の姿をしていた。戸惑いながらも手を動かし続け、ようやく見えた顔。
煌鷽の手が止まり、足が一歩一歩と後退る。
「なぜこんな……」
驚愕が思考を奪う。
氷の中から現れたのは、外見だけなら煌鷽よりも少し年下に見える少女。何より目を引くのは、彼女の頭を覆う黒い髪。
人は様々な色の髪と瞳を持つ。けれど一色だけ、この世で一人しか持たない色があった。この世界を護る神々の依代だといわれる、神子だけだ。
神子は王が崩御するとどこからともなく現れて、新たな王を選ぶ。そして王と共にこの世界を護り導く。
「まさか、神子様は蕊山の地下で眠っていらした? この方が次代の神子様?」
王族しかその姿を見ることが許されず、王しか触れることのできない高貴な存在。平民である煌鷽が傍にいて良い存在ではない。
畏れ多いことだ。これ以上この場に留まってはならないと頭の中で警鐘が鳴り響く。それなのに、煌鷽の体は動かない。
魅入られたように彼女を熱い眼差しで見つめる。頬に触れたくて手を伸ばすが、氷の柱が邪魔をした。
苛立たしさに舌打ちしたくなるが、彼女に聞かれたくないと耐える。
瞼を落として眠っているように見える少女。音が届いているかは甚だ疑問ではあるが。
少しでも近づきたくて氷の柱に両手を添えたまま、彼女の顔を見つめる。
左右対称の整った顔立ちしか見たことのない煌鷽にとって、神子の顔立ちは少し不思議に思えた。
けれど他にない面立ちは益々彼女が特別であると示しているようで、彼の欲望を刺激する。
『――寒い』
突然声が聞こえた。
煌鷽は目を瞠り、氷の中の少女を凝視する。少女はやはり凍っているようで動かない。
「生きているのですか?」
『誰かいるの? お願い、ここから出して。ここは寒くて、痛くて、寂しいの』
煌鷽の胸まで痛くなるような、嘆きの声。
いつからなのか。彼女はこの氷の中に一人閉じ込められて、その冷たさと孤独に耐え続けていたのだろう。
「すぐに助けます」
そう言って氷を割ろうと腕を振り上げたが、はたと気付く。氷を割ってしまえば、中にいる少女ごと割れてしまわないだろうかと。
どうしたものかと辺りを見回すが、役に立ちそうな物は何もない。
煌鷽はもう一度、氷の柱をよく観察する。
少女の体は柱の中ほどに浮かんでいて、上下に空間がある。柱の上部と下部を壊して運び出せば助けられるかもしれない。
「少し待っていてください」
廊下に出ると壁から落ちていた破片を手に部屋に戻る。氷の柱に打ち付けようと破片を握った手を振り下ろした。
『警告』
少女とは異なる声が頭に響き、腕が止まる。どんなに力を入れても、氷の柱を傷付けることはできなかった。
「すみません。私にはあなたを助ける力は無いようです」
『そう、気にしないで。でもありがとう。助けようとしてくれて』
痛くて寂しいと訴えていたのに、彼女はお礼を口にした。
「お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
『涼芽。涼しい草の芽と書いて涼芽だよ』
「涼芽様。私は煌鷽です」
『こうがく、さん』
柔らかな声で自分の名前を呼ばれて、うっとりとした気分で煌鷽は動かぬ少女を見つめる。
名前を呼ばれることがこれほど嬉しいのだと、彼は知らなかった。
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