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20.砂鰐
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第七部隊に配属されて一月ほどが過ぎた頃、ついに煌鷽にも垠萼への遠征命令が下りた。
「煌鷽は垠萼に出るは初めてじゃな。とりあえず、俺の近くにいろ。今回は見学や。攻撃には参加せず、隊員がどう動くか見ちょけ。襲われそうになったた逃げてもよかが、門は開けさせるな」
蕊山の地下にある垠萼へ続く階段を下りながら、苧乍が指示を出す。
「了解しました。ですが垠萼に出るのは初めてではありません。一度だけ出たことがあります」
「ああ、北萼か?」
北萼は岩と氷の大地だ。低温と日照不足ゆえに人が定住することは難しいが、危険な魔物の生息は確認されておらず、垠萼の中では最も安全な地帯である。
魔貝と呼ばれる、ほぼ無害な貝の魔物が生息していて、この魔貝の中には発光する灯貝や、遠方の者とも通信できる番貝など、有用な魔貝も存在する。
そのため魔貝を取りに出入りする者は珍しくない。
「いえ、東萼です」
「は?」
会話していた苧乍だけでなく、全員が煌鷽に注目した。
「待て。東萼は何もなかぞ? あそこへ行くなんて物好きはおらん。何しに行った?」
岩が点々と転がるだけの砂漠地帯。しかも出てくる魔物は爬虫類型の魔爬。垠萼に生息する魔物の中で最も凶暴で、決して人に懐くことのない存在だ。
恐れ知らずの第七部隊といえども、東萼と南萼への遠征となれば暗い気持ちになる。
「父に冤罪を掛けられて捨てられました」
今度こそ、全員が言葉を失った。疑問と困惑と得体の知れない存在を見るような気持ちなどが混沌と渦を巻き、複雑に歪んだ表情となっていた。
「お前ん父は何を考えちょっど?」
「私にも分かりかねます」
「そうか」
「はい」
「まあ、無事で何よりじゃ」
蕊山の麓から離れなかったとはいえ、近くまで魔獣が現れることだってあるのだ。門を潜って垠萼に出た途端に襲われて、命を落とすことだってある。
「おそらく」
煌鷽は微かに視線を左手の甲に落とす。
神子である涼芽の加護が魔物を寄せ付けなかったのではないかと、彼は考えていた。
小さな囁きを拾った苧乍は煌鷽の表情を見て、またもや表情を歪ませた。
なぜ父に東萼に捨てられた話をして怒りや悲しみではなく、うっとりとした愉悦の表情を浮かべられるのか、彼にはまったくもって理解できなかった。
「煌鷽はまともじゃと思うちょったが、こいつも壊れちょるんじゃろうか?」
首を捻りながら門へと向かう。
「まあ、いいんじゃないの? 出たことがあるなら、どういう所かは分かるでしょ?」
「はい。砂漠地帯ですね。所々に大小の岩が見えましたが、一つ一つが離れていますので、隠れ場所として適切とは言えないかと」
「合格。東萼は隠れられない。走るのも足を取られる。だから集中して敵を観察」
「はい」
自分達より若く経験も浅い後輩の存在が嬉しいのか、呂広と梯枇兄弟は煌鷽に絡んでくることが多い。
「お前らもじゃぞ? 無茶して飛び出すな」
「分かってますって」
不信感を拭いされない顔を向ける苧乍。兄弟は声を揃えてにっかりと歯を見せた。
溜め息を吐きながら肩を落とした苧乍は、後方を振り返り他の面々にも声を掛ける。
「蒲羅、李蛄、灰薙。砂を撒き散らして味方の視界まで塞がんように注意せえ」
「にゃはは。分かってるよ」
返事を声にしたのは李蛄だけで、巨体の蒲羅は頷くだけ。灰薙に至っては聞こえているのかいないのか、反応も示さなかった。
いつものことなのか、苧乍は気にせず視線を他の面子へと移していく。
「斉諏、埜頑、お前らは興奮しても敵を迷うな? 状況によっては暴れさせちゃるから」
「はーい」
「了解」
これから戦場に向かうというのに、斉諏はいつもと変わらぬ気だるげな様子だ。本当に戦えるのだろうかと不安になってしまいそうなほうどに。
一方の埜頑はすでに目がギンギンと輝いていて、門が開くと一人で突撃しそうな危うさが見える。
「いつも通り、門は俺が死守する。思いっきり戦え」
「ちょっと、私には?」
「ん? ああ、昂隹は」
この場にいる面子の中で唯一声を掛けてもらえなかった昂隹が前に出てきた。駈須も参加しているが、彼は斥候として先に行っている。
「昂隹は」
首を後ろに向けたまま速度を落とさず歩く苧乍。期待の眼差しで見つめる昂隹。
「魔爬は落とせんと思うど?」
「私を何だと思ってるのよ? 私だって爬虫類なんかごめんよ!」
真面目な顔で言われて呆気に取られた昂隹は、すぐに言われた言葉を飲み込んで地団太を踏みだした。
軽く笑った苧乍は前を向く。
「煌鷽、昂隹をよう見とけ」
隣を歩く煌鷽にだけ聞こえるように小さく囁いた。
階段を下りると短い通路を進み、三つの扉を潜って何もない広い空間に出る。もし垠萼で魔獣が暴れたときは、検衛の待機所としても利用されるそうだ。
「ああ、来た来た」
「駈須、いつも骨を折らすな。情報を頼ん」
先行していた駈須がこちらに気付いて手を振った。
煌鷽は微かに眉を寄せる。駈須は忘れてしまったようだが、煌鷽の中では未だに彼への警戒が根付いていた。
「煌鷽は垠萼に出るは初めてじゃな。とりあえず、俺の近くにいろ。今回は見学や。攻撃には参加せず、隊員がどう動くか見ちょけ。襲われそうになったた逃げてもよかが、門は開けさせるな」
蕊山の地下にある垠萼へ続く階段を下りながら、苧乍が指示を出す。
「了解しました。ですが垠萼に出るのは初めてではありません。一度だけ出たことがあります」
「ああ、北萼か?」
北萼は岩と氷の大地だ。低温と日照不足ゆえに人が定住することは難しいが、危険な魔物の生息は確認されておらず、垠萼の中では最も安全な地帯である。
魔貝と呼ばれる、ほぼ無害な貝の魔物が生息していて、この魔貝の中には発光する灯貝や、遠方の者とも通信できる番貝など、有用な魔貝も存在する。
そのため魔貝を取りに出入りする者は珍しくない。
「いえ、東萼です」
「は?」
会話していた苧乍だけでなく、全員が煌鷽に注目した。
「待て。東萼は何もなかぞ? あそこへ行くなんて物好きはおらん。何しに行った?」
岩が点々と転がるだけの砂漠地帯。しかも出てくる魔物は爬虫類型の魔爬。垠萼に生息する魔物の中で最も凶暴で、決して人に懐くことのない存在だ。
恐れ知らずの第七部隊といえども、東萼と南萼への遠征となれば暗い気持ちになる。
「父に冤罪を掛けられて捨てられました」
今度こそ、全員が言葉を失った。疑問と困惑と得体の知れない存在を見るような気持ちなどが混沌と渦を巻き、複雑に歪んだ表情となっていた。
「お前ん父は何を考えちょっど?」
「私にも分かりかねます」
「そうか」
「はい」
「まあ、無事で何よりじゃ」
蕊山の麓から離れなかったとはいえ、近くまで魔獣が現れることだってあるのだ。門を潜って垠萼に出た途端に襲われて、命を落とすことだってある。
「おそらく」
煌鷽は微かに視線を左手の甲に落とす。
神子である涼芽の加護が魔物を寄せ付けなかったのではないかと、彼は考えていた。
小さな囁きを拾った苧乍は煌鷽の表情を見て、またもや表情を歪ませた。
なぜ父に東萼に捨てられた話をして怒りや悲しみではなく、うっとりとした愉悦の表情を浮かべられるのか、彼にはまったくもって理解できなかった。
「煌鷽はまともじゃと思うちょったが、こいつも壊れちょるんじゃろうか?」
首を捻りながら門へと向かう。
「まあ、いいんじゃないの? 出たことがあるなら、どういう所かは分かるでしょ?」
「はい。砂漠地帯ですね。所々に大小の岩が見えましたが、一つ一つが離れていますので、隠れ場所として適切とは言えないかと」
「合格。東萼は隠れられない。走るのも足を取られる。だから集中して敵を観察」
「はい」
自分達より若く経験も浅い後輩の存在が嬉しいのか、呂広と梯枇兄弟は煌鷽に絡んでくることが多い。
「お前らもじゃぞ? 無茶して飛び出すな」
「分かってますって」
不信感を拭いされない顔を向ける苧乍。兄弟は声を揃えてにっかりと歯を見せた。
溜め息を吐きながら肩を落とした苧乍は、後方を振り返り他の面々にも声を掛ける。
「蒲羅、李蛄、灰薙。砂を撒き散らして味方の視界まで塞がんように注意せえ」
「にゃはは。分かってるよ」
返事を声にしたのは李蛄だけで、巨体の蒲羅は頷くだけ。灰薙に至っては聞こえているのかいないのか、反応も示さなかった。
いつものことなのか、苧乍は気にせず視線を他の面子へと移していく。
「斉諏、埜頑、お前らは興奮しても敵を迷うな? 状況によっては暴れさせちゃるから」
「はーい」
「了解」
これから戦場に向かうというのに、斉諏はいつもと変わらぬ気だるげな様子だ。本当に戦えるのだろうかと不安になってしまいそうなほうどに。
一方の埜頑はすでに目がギンギンと輝いていて、門が開くと一人で突撃しそうな危うさが見える。
「いつも通り、門は俺が死守する。思いっきり戦え」
「ちょっと、私には?」
「ん? ああ、昂隹は」
この場にいる面子の中で唯一声を掛けてもらえなかった昂隹が前に出てきた。駈須も参加しているが、彼は斥候として先に行っている。
「昂隹は」
首を後ろに向けたまま速度を落とさず歩く苧乍。期待の眼差しで見つめる昂隹。
「魔爬は落とせんと思うど?」
「私を何だと思ってるのよ? 私だって爬虫類なんかごめんよ!」
真面目な顔で言われて呆気に取られた昂隹は、すぐに言われた言葉を飲み込んで地団太を踏みだした。
軽く笑った苧乍は前を向く。
「煌鷽、昂隹をよう見とけ」
隣を歩く煌鷽にだけ聞こえるように小さく囁いた。
階段を下りると短い通路を進み、三つの扉を潜って何もない広い空間に出る。もし垠萼で魔獣が暴れたときは、検衛の待機所としても利用されるそうだ。
「ああ、来た来た」
「駈須、いつも骨を折らすな。情報を頼ん」
先行していた駈須がこちらに気付いて手を振った。
煌鷽は微かに眉を寄せる。駈須は忘れてしまったようだが、煌鷽の中では未だに彼への警戒が根付いていた。
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