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36.再会四
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煌鷽はまだ自分で立つこともできない涼芽を抱き抱えたまま、扉を開けて通路に出る。白い通路を、涼芽はきょろきょろと視線を動かして興味深そうに見ていた。
「他の扉の中はどうなっているの?」
「さあ? 私も知りません。涼芽がいた部屋以外は、押しても開きませんでしたから」
扉脇の銀板に触っても、反応は無かった。
「斬れば見られるじゃろうが、止めちょいた方がよかじゃろうな」
前を歩く苧乍が本気か冗談か分からぬ声で言う。煌鷽と涼芽の視線は、自然と彼の腰に差さる朱鞘の刀に向かっていた。
「そうじゃ。涼芽様には外の空気は辛かかもしれん。手拭いで口と鼻を覆っておいちゃりや」
廊下の終わりが近付いてきたところで、思い出したように苧乍が振り返った。
頷いた煌鷽は涼芽を左腕に座らせるように抱くと、懐から取り出した手拭いで彼女の口と鼻を覆う。
不思議そうにしていた涼芽だったが、外に出ると理由に気付いたようだ。
「砂漠だね。確かに私には辛いかもしれない」
砂塵が舞うこともある砂の大地。煌鷽や苧乍は気にすることは無いが、昂隹は汚れるからと嫌がることも多かった。
「これから南萼に向かいます。少し揺れるでしょうから、体が辛いようなら遠慮なく仰ってください」
時間も押している。これ以上帰りが遅くなると、怪しまれかねない。
煌鷽と苧乍は砂漠を走る。揺れるのが不安なのか、涼芽は煌鷽の襯衣の胸元を握り続けている。
彼の知る人たちと比べるとあまりに弱弱しい力具合。自分が護らなければ生きていくことさえできないのではないかと、庇護欲を掻き立てられる。
――だから、守護者が必要なのか。
納得すると同時に、彼女に選ばれた幸運を噛みしめた。
いったいどのような理由で自分が選ばれたのか、煌鷽は未だに分からない。東萼に赴いた者から選ばれるのであれば、最も出向く頻度の高い第七部隊の隊員が選ばれたはずだ。
視線は自然と前を走る男に向かう。
煌鷽よりもずっと強く、魔物を一人で討伐できる力を持つ、守護者に誰よりも相応しいであろう男。
――もしも苧乍殿が当代神子様の守護者でなければ。
考えても意味のないことだとは分かっていても思考は廻る。
だが涼芽に選ばれたのは煌鷽なのだ。一度まぶたを落として苧乍の姿を消した煌鷽は、気持ちを切り替え前を向く。
冥海が見えてきた。
黒い水を見た涼芽は表情を強張らせる。
「大丈夫ですよ、涼芽」
「は、はい」
先に苧乍が容易く飛び越えて見せたが、恐怖は抜けきらなかったのだろう。煌鷽の首にしがみ付いて来た。
弱弱しい腕の力。温かく柔らかな肌。
愛しさが膨らんでいく。
難なく冥海を飛び越え、南萼へと入る。
「ここは緑に覆われているんですね」
「垠萼は東西南北四つの土地に分かれていて、それぞれに特徴が異なりますから」
南萼を覆う植物を眺めている涼芽はどこか楽しそうで、彼女の表情を見ていた煌鷽の目じりが下がる。
門まで残り半分ほどのところで、苧乍が番貝を取り出して通信を始めた。
「駈須か? 悪かが灰薙の服を一式と髪染めを持って、南萼まで出てきてくれんか? ああ、なるべく早よ頼む」
通信を切ると背後からの視線に振り返り、安心させるように笑う。
「そん格好で人前には出らん方が良かじゃろう?」
指摘されて自分の格好を改めて意識してしまった涼芽は、耳まで真っ赤にして俯いた。
長袍で隠れているとはいえ下は何も着ておらず、脇の割れ目から白い足が覗いている。
恥じらう姿を可愛らしいと思いながら、煌鷽はなぜその気遣いができるのならば裸体の涼芽を見たのだと、苧乍に問い詰めたい気持ちが湧きあがった。
見晴らしのいい門前の草原より手前で足を止め、駈須を待つ。
煌鷽は優しく抱き抱えていたつもりだったが、涼芽は疲れ果てたようにぐったりしていた。
「大丈夫ですか? 涼芽」
「うん、大丈夫。迷惑をかけてごめんね。煌鷽さんが運んでくれて私は何もしてないのに、体に力が入らなくて」
「気にしないでください。涼芽と居られるだけで、私は驚くほど嬉しいのですから」
人とはここまで幸福を感じることができるのだと、煌鷽は感嘆する。
涼芽の表情が動くたびに引きずられるように一喜一憂し、触れている部分から蕩けるような温かみが全身を酔わせる。
理性を総動員していないと、彼女をもっと堪能しようとして暴走してしまいそうだ。
待っている間に、涼芽は木の実の汁を少し飲んだ。空腹は感じるのだが一度に多く飲むことはできないという。
「来たな」
体の状態を確かめるように手足を軽く動かしていた苧乍が、門の方へ視線を向ける。煌鷽もすぐに反応して涼芽から門へと視線を動かした。
ゆっくりと門が開いていき、見慣れた顔触れが姿を現す。
違和感を覚えた煌鷽の体は、考えるより先に警戒態勢に入る。苧乍も微かに緊張した面持ちで門を睨む。
門の向こうに現れたのは、駈須だけではなかった。第七部隊の隊員が勢揃いしている。それも普段は寮から出ない、馬辛と仲飛まで。
駈須の表情は警戒で染まっており、呂広と梯枇は加えて不安が窺える。
他の隊員たちからは表情が読み取れなかった。
いつも表情筋の動きが乏しい蒲羅や灰薙はもちろん、どんな状況でも表情豊かな李蛄までが無表情で並んでいる。
「他の扉の中はどうなっているの?」
「さあ? 私も知りません。涼芽がいた部屋以外は、押しても開きませんでしたから」
扉脇の銀板に触っても、反応は無かった。
「斬れば見られるじゃろうが、止めちょいた方がよかじゃろうな」
前を歩く苧乍が本気か冗談か分からぬ声で言う。煌鷽と涼芽の視線は、自然と彼の腰に差さる朱鞘の刀に向かっていた。
「そうじゃ。涼芽様には外の空気は辛かかもしれん。手拭いで口と鼻を覆っておいちゃりや」
廊下の終わりが近付いてきたところで、思い出したように苧乍が振り返った。
頷いた煌鷽は涼芽を左腕に座らせるように抱くと、懐から取り出した手拭いで彼女の口と鼻を覆う。
不思議そうにしていた涼芽だったが、外に出ると理由に気付いたようだ。
「砂漠だね。確かに私には辛いかもしれない」
砂塵が舞うこともある砂の大地。煌鷽や苧乍は気にすることは無いが、昂隹は汚れるからと嫌がることも多かった。
「これから南萼に向かいます。少し揺れるでしょうから、体が辛いようなら遠慮なく仰ってください」
時間も押している。これ以上帰りが遅くなると、怪しまれかねない。
煌鷽と苧乍は砂漠を走る。揺れるのが不安なのか、涼芽は煌鷽の襯衣の胸元を握り続けている。
彼の知る人たちと比べるとあまりに弱弱しい力具合。自分が護らなければ生きていくことさえできないのではないかと、庇護欲を掻き立てられる。
――だから、守護者が必要なのか。
納得すると同時に、彼女に選ばれた幸運を噛みしめた。
いったいどのような理由で自分が選ばれたのか、煌鷽は未だに分からない。東萼に赴いた者から選ばれるのであれば、最も出向く頻度の高い第七部隊の隊員が選ばれたはずだ。
視線は自然と前を走る男に向かう。
煌鷽よりもずっと強く、魔物を一人で討伐できる力を持つ、守護者に誰よりも相応しいであろう男。
――もしも苧乍殿が当代神子様の守護者でなければ。
考えても意味のないことだとは分かっていても思考は廻る。
だが涼芽に選ばれたのは煌鷽なのだ。一度まぶたを落として苧乍の姿を消した煌鷽は、気持ちを切り替え前を向く。
冥海が見えてきた。
黒い水を見た涼芽は表情を強張らせる。
「大丈夫ですよ、涼芽」
「は、はい」
先に苧乍が容易く飛び越えて見せたが、恐怖は抜けきらなかったのだろう。煌鷽の首にしがみ付いて来た。
弱弱しい腕の力。温かく柔らかな肌。
愛しさが膨らんでいく。
難なく冥海を飛び越え、南萼へと入る。
「ここは緑に覆われているんですね」
「垠萼は東西南北四つの土地に分かれていて、それぞれに特徴が異なりますから」
南萼を覆う植物を眺めている涼芽はどこか楽しそうで、彼女の表情を見ていた煌鷽の目じりが下がる。
門まで残り半分ほどのところで、苧乍が番貝を取り出して通信を始めた。
「駈須か? 悪かが灰薙の服を一式と髪染めを持って、南萼まで出てきてくれんか? ああ、なるべく早よ頼む」
通信を切ると背後からの視線に振り返り、安心させるように笑う。
「そん格好で人前には出らん方が良かじゃろう?」
指摘されて自分の格好を改めて意識してしまった涼芽は、耳まで真っ赤にして俯いた。
長袍で隠れているとはいえ下は何も着ておらず、脇の割れ目から白い足が覗いている。
恥じらう姿を可愛らしいと思いながら、煌鷽はなぜその気遣いができるのならば裸体の涼芽を見たのだと、苧乍に問い詰めたい気持ちが湧きあがった。
見晴らしのいい門前の草原より手前で足を止め、駈須を待つ。
煌鷽は優しく抱き抱えていたつもりだったが、涼芽は疲れ果てたようにぐったりしていた。
「大丈夫ですか? 涼芽」
「うん、大丈夫。迷惑をかけてごめんね。煌鷽さんが運んでくれて私は何もしてないのに、体に力が入らなくて」
「気にしないでください。涼芽と居られるだけで、私は驚くほど嬉しいのですから」
人とはここまで幸福を感じることができるのだと、煌鷽は感嘆する。
涼芽の表情が動くたびに引きずられるように一喜一憂し、触れている部分から蕩けるような温かみが全身を酔わせる。
理性を総動員していないと、彼女をもっと堪能しようとして暴走してしまいそうだ。
待っている間に、涼芽は木の実の汁を少し飲んだ。空腹は感じるのだが一度に多く飲むことはできないという。
「来たな」
体の状態を確かめるように手足を軽く動かしていた苧乍が、門の方へ視線を向ける。煌鷽もすぐに反応して涼芽から門へと視線を動かした。
ゆっくりと門が開いていき、見慣れた顔触れが姿を現す。
違和感を覚えた煌鷽の体は、考えるより先に警戒態勢に入る。苧乍も微かに緊張した面持ちで門を睨む。
門の向こうに現れたのは、駈須だけではなかった。第七部隊の隊員が勢揃いしている。それも普段は寮から出ない、馬辛と仲飛まで。
駈須の表情は警戒で染まっており、呂広と梯枇は加えて不安が窺える。
他の隊員たちからは表情が読み取れなかった。
いつも表情筋の動きが乏しい蒲羅や灰薙はもちろん、どんな状況でも表情豊かな李蛄までが無表情で並んでいる。
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