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10 自称お兄さんは傷だらけでした

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木立を抜けた先は、少し草地となっていて、その向こうには少し木々が密集した小さい森があった。
その森の入り口で、大きな黒い馬が立ちすくんでいる。

(あれ、どこかで見たことが…)

近づくと馬の足元に何か黒っぽいものが転がっているのが見えた。

(まさか…)

更に近づくとそれは人だとわかった。

(エエ!まさか…)

黒い馬は自分の四肢の間にその人を囲い、まるで守護しているように見える。

シューティングスターから降りると、近くの木に手綱をくくり、嘶く馬を刺激しないように近づいた。

近づくと、それは夕べ厩であった自称お兄さんだった。

(えっと、まさか死んでないよね)

恐る恐る近づいた。

途端に父様もこんな風に倒れていたのだと思いあたり、私は驚愕に震えた。

目の前に倒れる彼が父親のそれと重なり、たちまち目から涙が溢れる。

「あ…」

ガクガクと震える足で這うように近づくと、警戒した馬が私に威嚇してきた。

「大丈夫、大丈夫、あなたのご主人を助けに来たんだよ」

父様は見つかった時は既に息絶えていた。

彼も既に手遅れなのだろうか。

「う………っ」

僅かに呻き、身動ぎした。どうやらまだ生きているようだ。でもこのまま放置すれば確実に危ない。

「いい子だね、ほら落ち着いて、大丈夫だから」

優しく声をかけ、じっとその目を覗きこむ。

何度も大丈夫、大丈夫と声をかけ続けると、馬はそっと後ろに下がった。

「ありがとう。いい子だね」

右側を下にして、頭をこちらにしてお腹を抱えるように丸くうずくまっている。

半分被った状態のフードを取り除くと、苦痛に歪ませた顔が現れた。

瞼をぎゅっと閉じているので瞳の色はわからないが、浅黒い肌をしていて、苦痛に歪んでいても男前だとわかる。右側を下にしているため、顔の左半分しか見えないが、薄茶の前髪は汗で額に張り付き、眉根を寄せて必死に痛みを堪えている。
顔にかかった肩の下辺りで切り揃えた薄茶色の髪を耳にかけて、その顔を覗き混む。
あ、意外と柔らかい、などと思いつつ目線を下に下ろすと、左の脇腹を押さえている。脇腹辺りの衣服にはどす黒い染みが付いている。
押さえている左手をどけ、そっと衣服を捲ると、背中から脇腹にかけて右斜め下まで走る刀傷があった。

「ひど…」

血は既に渇き、乾いた血が周囲にこびりついている。止血は必要ないみたいだ。内臓も傷ついていないようだ。出血多量みたいだが。他のところにも傷がないか確認するため、体の向きを変え、仰向けに転がすと、下になっていた顔の右側が見えた。

「!?」

右のこめかみから右耳の前を通り、右顎まで古い傷が縦に走っていた。

男前なのになぁ、でも案外さまになってるかも。

全身をくまなく調べる。上半身は申し訳ないが少し捲って背中まで調べ、小さな切り傷がいくつかあるものの、大したことはなさそうだ。上半身にもあちこち古い傷が残り、多くの争いを経験してきたのだと想像できる。
下半身はさすが脱がすわけにいかないので、パンツの上から切られていないか確認する。
上から触ると筋肉質なのがわかる。一人で勝手に赤面してしまった。

ひととおり調べ、左脇腹の傷以外に大きな傷がないとわかり、顔をもう一度覗き混むと、唇が渇いてひび割れている。
愛馬のところに戻り、荷物を持ってくると、中から水筒を取り出し、彼の唇を潤す。
顎を持ち、口を開けて注ぐ。

「やっぱり、だめかぁ」

注いだ水は飲み込まれることなく口元から溢れる。

「これは、あれね…人命救助と羞恥心の葛藤」

相手は意識がない。こちらから何も言わなければ気づかれない。

「仕方ないか…」

はあっと息を吐いて、ヨシッと気合いを入れて、まず自分の口に水を含む。
男の顎を持ち、えいやっと気合いを入れて唇を重ね、水を送り込む。男の喉元がごくりと動き、水を飲み込んだのを確認し、すかさず顔を反らす。

唇が冷いけど柔らかったとか、これはファーストキスにカウントするのかとか一瞬考えたが、荷物から清潔な布と傷にきく軟膏、ピンセットなどを取り出し、まず濡らした布で傷口付近の血やゴミを取り除くと別の布に軟膏を塗布し、傷口に当てる。包帯にするほどの布がなかったので、少し迷ったが、自分の上着を引っ張りあげ、胸に巻いていた胸当て用の布をほどいた。
少しすうすうするが、外套を脱がなければばれないだろう。次の街でサラシに使う布を買わなければと思いながら、サラシを外した瞬間、男の馬が背後で嘶いたので、誰か来たのかと振り返ったが、シューティングスターと仲良く鼻を付き合わせている。

その時、私はとてもみっともない、恥ずかしい格好だった。胸の上まで上着を引っ張りあげ、胸当てを外した胸も、傷もむき出しにしていた。
そして馬が嘶いた時、振り返っていたため、馬の嘶きに一瞬、男の目がうっすらと開いて、また閉じたのに気づかなかった。

上着を下ろし、包帯代わりに巻き付けると、男の上着を下ろした。
袋から滋養の効果のあるクワテイコの実を取り出し、石をまな板にして、剣の柄で砕く。
お腹は膨れないが、必要な栄養素は補える筈だ。
砕いた実を更に細かくし、もう一度水と一緒に口移しで飲ませた。
呼吸も穏やかだ。

「大丈夫…あなたは助かる。大丈夫…」

男の額に手を置き、呟いた。父が襲われた時、自分が側にいたら、父は助かっただろうか。自分が側にいたら、そもそも襲われることもなかったのに。
男の頬に雫が落ち、泣いていることに気づいた。

「やだ…」

男の瞼が少し震え、目が覚めたのかと身構えたが、それ以上開くことはなかった。
夕べのことが脳裏を過り、何となく顔を合わせずらい気がして、このまま立ち去る方がいいのではと考えた。

「とりあえず、このままここには放っていけないし…」

シューティングスターに付けていたマットを下ろし、男の横に広げ、マットの上に転がすと、そのままマットごと男を引きづり、木陰へと横たわらせた。領内にいた時にヨガ用に開発したものだった。

「出血大サービスだよ」

手当てをし、胸当てを提供し、マットまで貸してやった。男がいつ目覚めるかわからないので、男の馬を川原まで連れていき、水を飲ませ、ついでに馬に付いた血も洗い流してやる。
周りには草がいっぱい生い茂っているので、男が目覚めるまで勝手に草を食むだろう。
男が目覚めた時のため、宿屋のお姉さんにもらったチーズとハム、クッキーを側に置いた。クワテイコの実も化膿止めの薬と一緒に置く。
どんなことがあるかわからないとモーリスが思い付く限りの薬を持たせてくれたのが役にたった。

すっかり日が高くなっていた。早く出発しないと店が開いている間に辿り着けなくなる。

「ちょっと急ぐよ」

シューティングスターに跨がり、もう一度男の方を振り返って、苦しそうに歪めていた顔が今は穏やかになっていることに顔を綻ばせ、軽く馬の腹を蹴ると、次の街に向けて走らせた。

遠く立ち去る馬と人の後ろ姿が男の焦点の定まらない瞳に写っていた。


それにしても、あの傷は一体どうしたのだろう?
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