クウェイル・ミルテの花嫁

橘 葛葉

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【9】実家と夫の関係

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ヘリオスの執務室に移動し、向かいに座るオルフェと、お茶に焼き菓子の他、資料をテーブルに広げての話し合いとなった。
セレーネは花の香りがするクッキーを堪能しながら、二人の話を聞いている。
「あ……懐かしい」
小さく呟いてから、はっと口に手を当てた。しかし二人の邪魔はしないで済んだようだ。
昔こんな香りのお菓子を食べた気がするなと思いながら紅茶を飲む。
「実はキケマン地方の追加調査で、気になる被害報告があります」
サクッとセレーネがクッキーを噛む音だけが室内に響き、しばしの静寂に辺りが包まれた。
「気になる、とは?」
ヘリオスが先を促すが、オルフェはセレーネを見て続きを躊躇っている。
「オルフェ、勿体ぶらずに続きを」
オルフェが話しやすいようにと、セレーネはゆっくり頷いてその目を見た。
「それが……」
オルフェは言い辛そうにセレーネを見たが、意を決したように口を開いた。
「キャラウェイ家が被害に遭っておりました」
キャラウェイと聞いて、セレーネの首が緩く傾く。それが実家の事だと分かるのにしばしの時間を要した。
「私が元いたキャラウェイ家かしら?」
「さようでございます、奥様」
セレーネの実家が収める土地は、北東にある辺境の地である。めだった特産品もなく、土地も豊かではないと聞いていた。
強いて言うなら貴族の避暑地として多少、名が通っている程度だという。
長閑な辺境の地。
広大な土地を収めるのは、人口の多い中心地を治めるのとは違った苦労がある事だろう。
「詐欺にでも遭ったの?」
見知らぬ両親だが、騙されたと聞けばいい気はしない。
「その通りでございます、奥様」
「どんな詐欺なの?」
ヘリオスが問いかける前に、セレーネから質問があがる。
「鉱石採掘の詐欺ではないだろうかと街の噂です」
「コーセキ?それって、宝石って事?」
「宝石も含まれます。しかしキケマン地方は山が少なく、鉱山として有名な場所もありません。山といえば境界線の山脈くらいで、そこに手をつけるのは現実的ではありませんし、出資するメリットがあるようには思えず調査したのです。そうすると、どうやら出入りしている商人がいるようなのです。その者の言いなりなのではないかと町では噂になっております」
記憶のない実家だが、聞く話から想像くらいはしている。近くに森があり、その奥に湖がある長閑な場所。家は大き過ぎず、仲の良い五人家族を勝手に想像していた。
セレーネの実家や地域がヘリオスの領地の果てにあることも学んで知っている。
「キャラウェイ家の被害が、領民に影響がなければいいんだけど」
親のことは心配だが、ヘリオスの妻としては領地の心配をするのが正解だろうと思い口を開いたセレーネ。
「そうですね。現段階ではこれ以上の詳細は不明です。ただ……」
少しだけ間をおいて、オルフェは思案顔で続ける。
「あくまで噂なのですが……。労働力として雇われた者への報酬がなく、強制労働の話も噂では流れてきておりまして……」
オルフェの言葉に、ヘリオスは鼻で笑って言う。
「まるでパラキート・ミルテで噂されている某地方のようだな」
北東の山脈を超えた先にあるパラキート・ミルテは、地図上で見ただけで『寒い』以外の情報がない。ヘリオスの口ぶりで、そのような噂がある事を初めて知った。
驚いた顔のセレーネに、オルフェから補足のような説明が入る。
それによると、他領では領主の一存でそのような状況に陥る事もあるようだ。もちろん国が許可したことではない。そして領主が積極的に行っているわけでもない。
ミルテを治める領主から土地を任されている者の中に、私腹を肥やそうと過重労働を課したり、奴隷のように人を扱ったりする者がいるとの事だった。
つまりクウェイル・ミルテで例えるなら、ヘリオスに任じられたセレーネの父のような立場の人間が、暴利を貪ると考えたら良いのかと理解した。
「パラキート・ミルテの領主が加担しているって事はないの?」
素朴な疑問だと思って口にしたセレーネ。しかしオルフェの反応を見る限り、非常識な質問だったようだ。青ざめた顔のまま、口を半開きにしているオルフェに変わって、ヘリオスが優しく教えてくれる。
「ミルテ領主は王に誓いを立てていますので難しいでしょうね。王に誓いを立てるとは、王家と魔力を用いた契約を交わしているという事です。誓いを破ればミルテが力を失い、その領土は衰退していくと言われています」
「衰退……」
「歴史上、そのような事が全くなかったとは言いませんが、損失が大きい事が証明されているので、領主が加担しているとは考えにくいですね」
そして、とヘリオスは続ける。
「昨年、パラキート・ミルテの境界線地方でちょっとした事件があったのです。その際、あちらの領主から依頼を受け、各地方の隅々まで調査したのです」
そのちょっとした事件について聞いてみたかったが、セレーネは実家が絡む話の続きを先に聞こうと口を閉ざしていた。ヘリオスが一息つき、代わりにオルフェが答える。
「現地まで赴きましたが、キケマン地方はまったく問題のない領地でした」
「そうだな。そもそもキケマンは幼少時から注目している。そのような事があればすぐに分かるはずだ」
ヘリオスが強い口調で言う。どうして注目していたのかは不明だが、セレーネの両親がそれに加担していないのであれば良いと思う。
「そうですね。山脈があるとはいえ、パラキート・ミルテと接していますし、警備は厳重だと聞いています。お二人のご子息も誠実にご両親を支えていると聞きますし」
オルフェの言葉に、セレーネは勉強で見た地図を思い出しながら考える。
パラキート・ミルテはキケマンを越えた、その先の他領である。山脈があるとはいえ、そこから人がやってきて悪さをすることはないのだろうか。
「そうだな。しかもあのような人が少ない地域で強制労働など、目立ちすぎて……」
ヘリオスは自分の言葉に、はたと固まりしばし考え込む。ややしてオルフェに顔を向けると問うた。
「もしや、鉱山といわれているのは門からほど近い、あの山か?」
「その通りでございます。あくまでも、噂の域を出ませんが」
セレーネが首を傾げる前に、オルフェが説明してくれる。
「キケマンの門は、山脈が途切れたようになっている場所に設置しているのですが、そのために低い山が近隣に多いのです。キケマンの門を境に、山脈が名称を変えるほど形状が違うのですが、東側の山脈が、門からしばらくは標高が比較的低い山が続きます」
「標高の低い山……」
「はい。低いと言っても、簡単に越えられる低さではありません。身一つでミルテ越えを覚悟し、三日三晩かけてようやく超えられる箇所が低い山です。しかし、背に腹は変えられない人も中にはおります。そのような人が税を払えるはずもなく、身一つでも気候の良いクウェイル・ミルテへの侵入を試みる者が後を経たないのです」
それは、警備に人員を割かねばならず大変だろうとセレーネは思う。
「その中で最も標高の低い山があるのですが、ここは一晩もあれば山頂から降りてこられます。しかしそこが最も人が越えるのには適さない山なのです」
「適さない?」
どう適さないのだろう。
オルフェはすかさず頷いて説明を再開する。
「隠れる場所が極端に少ないのです。樹々がなく、草もあまり生えないのです。標高の高い山でもないのに、小石が山積していて滑りやすく、警備の目を盗んで侵入するにはかなりの難所といえます」
「そんな場所があるのね」
「はい。それでも境界線の山ですから、侵入を試みる者はゼロではありません。常に警備が目を光らせており、最も簡単に捕まえる事のできる山なのですが……」
オルフェは言葉を切ってヘリオスに顔を向け、静かに口を開いた。
「穴でも掘れば途中からはパラキート・ミルテとなり、こちらからは口を出しにくくなります」
その言葉にヘリオスも頷く。
「わたしの所領でそのような事が行われていればすぐにでも対処できるが、パラキート・ミルテ側となると現場を押さえても処罰するのが難しいな」
そうですねとオルフェが頷く。
「すでに貫通している穴があるのなら、あちらの領主と相談して門を新たに築くのも手だが……」
はい、とオルフェは頷き口を開く。
「しかもですよ、ロリキート領主が主犯の可能性もあるようで……」
ロリキートで地図を思い出した。
キケマンの山脈北側は、パラキート・ミルテ領ロリキート地方だったか。
「なるほど。それでは少し動員を増やして調査する必要があるな」
「はい。魔法を使える者も一名派遣してよろしいでしょうか?」
「構わない。人選は任せた」
「かしこまりました」
オルフェは座ったままだったが、丁寧なお辞儀をヘリオスに向かってすると、資料を片付けて部屋を出ていった。
オルフェを見送ったヘリオスは、じっとセレーネを見る。何事かとその目を見つめ返していると、静かに問われた。
「あなたの実家が犯罪に加担していた場合、わたしはあなたの家族を罰せねばなりません。罪の重さによっては、温情が難しい場合もありますが、あなたはそれに耐えられますか?」
真剣に問われたセレーネは、じっとその目を見て考える。
そして過去の記憶を丁寧に掘り起こそうとした。
だが……
首を横に振ってヘリオスの目を見た。
「私の家族は、今はあなた一人です。でも、会った事がない人達でも、親だと聞かされたらきっと心に引っ掛かりができると思うわ。だから、何事もないことを祈ってる。答えになってないと思うけど、今はこれが精一杯……」
神妙な面持ちで頷いたヘリオスは、セレーネに近寄りこめかみに口付ける。
「まずは真相を突き止めましょう」
ぎゅっと抱きしめられたセレーネは安堵感に包まれ、その背に自らの腕を回して力を込める。
その耳元にヘリオスの声。
「先に部屋で待っていてください」
先に帰れと言われただけなのに、なぜかセレーネはその背後に含みがある気がして、真っ赤になって頷いた。
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