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一緒に
しゃくしゃく咀嚼
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処置を終えて病院の自動ドアを出るころには夜の10時を過ぎていた。こんなに夜遅くまで出歩くことはほとんどない。ママも明日は仕事のはず。
それでもママは、一切の苛立ちを見せることなく、僕とわたらいさんを愛車の後部座席へとにこやかに押し込めた。
走り出した車内には、ママの選んだ無機質な芳香剤の香りと、わたらいさんの甘い体温が混ざり合う。それがひどく息苦しく思えて、車の窓を少しだけ下げた。
温かさすら感じる夏の夜風が、火傷した頬を撫でる。
ふと目をやれば、バックミラー越しのママの鋭い視線とぶつかる。僕が息を呑む間にも、後部座席を射抜くような強い視線が徐々に柔らかくなり、隣のわたらいさんへと向けられた。
「……恵ちゃん、お腹は空いていないかしら」
ママが探るように問いかけた。
その声は、普段僕にかける声の何倍も優しさを帯びているが、品定めするような冷たさを隠しきれていない。
「猫ちゃんを探していたそうね。ご両親も大変な時に、大事な猫ちゃんまで居なくなって……辛いわよね。周りが見えなくなってしまうのも無理はないわ」
「ママ、そんな言い方……」
わたらいさんを追い詰めるようなママの言葉に、僕は思わず声を上げた。
けれど、バックミラーの中でママの眉がぴくりと動くのを見て、その続きは喉の奥に張り付いてしまった。
ママは、僕に嗜める隙すら与えてくれない。
「いいの、私は」と、わたらいさんは僕にだけ聞こえる声で囁く。
彼女は膝の上で指をぎゅっと組んだ。
「本当にごめんなさい……ハヤテくんまで、危ない目に遭わせてしまって」
わたらいさんは目を潤ませ、消え入りそうな声で俯いた。
「……それなのに、お気遣いありがとうございます。でも本当に、これ以上はご迷惑かけられません。
……私、今夜は帰ります。お家まで送っていたけたら、ひとりでも平気ですから」
その謙虚な拒絶は、ママのプライドを逆撫でするのに十分だった。
「何を言っているの。こんな夜更けに、女の子を一人にするわけにいかないわ」
ママの声は優しかったが、それは慈悲ではなく、獲物を逃さないための網のようだった。
「でも……家に居ないと、おじいちゃんたちも心配するだろうし……」
「それなら、心配しないで」
わたらいさんの不安の言葉を遮るように、ママが言う。
「大丈夫よ。あなたのご祖父母様には病院を通して、私の連絡先を伝えておいたから。後でお二人にも詳しくお話しするけれど……とにかく、今夜はうちへいらっしゃい。さっき病院でもそう言ったでしょう?」
ママの有無を言わせぬ物言いで、わたらいさんは強引な正しさの中に捕らえていく。
「ひとまず、この時間でも開いているお店探して、何か食べましょう。……颯、あなたも栄養を摂らないとね」
僕らはそれ以上何も答えず、窓の外を流れるオレンジ色の街灯を見つめていた。
檻のような車内で、わたらいさんが僕の手の甲に、自分の指をそっと重ねた。
僕はそれをそのままにする。角度的にママには見えないだろうけど、見えてしまっても構わなかった。
ママが指定したのは、国道沿いにポツンと光る24時間営業のファミリーレストランだった。
明るすぎる店内で席に着くなり、わたらいさんはメニューを広げて僕に言った。
「ハヤテくん、ピザにしようよ。手掴みなら、火傷した手でも食べられるでしょう?」
指先は問題なく使えるのに、わたらいさんはそう提案する。そして、ボックス席の向かい側に座るママの視界を遮るように、メニュー表を立てた。
「この大きいの、半分こにしよう」
「あら、ピザ……」
ママが眉をひそめて、自分のメニューをめくる。
「夜食には、少し重いんじゃないかしら」
「いいえ、お母様。ハヤテくんはさっきからずっと痛みに耐えているし、脱水症状のせいでエネルギーが足りないはずなんです」
「ね?」
わたらいさんはメニュー表の陰で、僕の肘の内側の柔らかい皮膚をそっと指先でなぞった。
ママの死角で、僕の体が跳ねる。
「うん……僕もピザがいい」
「そう……。なら、サラダも頼みましょう。2人に取り分けてあげるから。エネルギー切れなら、尚更バランスよく、野菜の栄養も摂らないとね」
ママは店員を呼ぶためのボタンを押した。
Lサイズのマルゲリータと、大盛りのグリーンサラダ、それに三人分のドリンクバーを注文した。
店員が去ると、わたらいさんはすぐに「ドリンク、ハヤテくんの分も持ってくるね」と席を立ち、慣れた感じでドリンクバーへ向かう。
残された僕とママの間に、重苦しい沈黙が流れた。
「……あの子、よく気がつくのね」
そう呟いたママの声は、あまりに低かった。
さして面白くもない雑談の後、テーブルに続々と料理が運ばれてくる。
「お待たせ」
わたらいさんは、ママの視線を真っ向から無視して、僕の顔を覗き込んだ。
「ハヤテくん、どっちがいい?綺麗な緑色のメロンソーダと真っ白なカルピスソーダ、どっちが飲みたい?」
ママが小さく息を呑む音が聞こえた。
「……恵ちゃん、そんな体に良くないもの選ばせないで」
その声には、隠しきれない不快感が滲んでいる。
それでも、わたらいさんは首を傾げて、無邪気に笑った。
「でもお母様、選ぶのって楽しいですよ? 例え、体に悪くても。たまになら、心の栄養になるんです。ね、ハヤテくん」
僕はママの強張った顔を見ることができず、わたらいさんの持つ二つのコップだけを見つめた。
恐る恐る手を伸ばし、黙ってメロンソーダを受け取ると、自分のスペースに置く。
「あ、やっぱり。私も、ハヤテくんはそれがいいんだと思ってた」
わたらいさんは僕の隣に弾むように着席し、自分の目の前に、甘くて真っ白な液体を置いた。
ママはわたらいさんが運んできたメロンソーダを、まるで未知の劇物を見るような目で見つめている。
大切に守ってきた理想的な息子の胃袋に、甘い毒が流れ込む準備が着々と整っていく。
「ほら、お腹が空いてるでしょう?二人とも、食べて食べて」
そうしてママは、取り皿にたっぷりのグリーンサラダを盛り付けると、僕とわたらいさんの目の前にこれ見よがしに置いた。
「ピザ美味しそうだね、ハヤテくん」
わたらいさんが、サラダを丸切り無視して感想を述べる。
「うん。メニューで見るより、ずっと美味しそう」
僕は答えて、早速切り分けられたピザの一切れに手を伸ばす。程よく焼き色のついた香ばしい生地から、湯気が立っていた。
ドリンクバーのコーヒーを苦々しく啜っていたママのスマートフォンが、突然小刻みに震え出した。
「……病院からだわ。ご祖父母様との連絡がついたのかもしれない。ちょっと席を外すわね」
画面を確認すると、ママは速やかに立ち上がる。
「颯、野菜から先に食べるのよ」
去り際のママに釘を刺されて、思わず伸ばしていた手を引っ込める。
スマートフォンを耳に当てたママの姿が店の外へと消えた瞬間、わたらいさんの表情が一変した。
にこやかだった仮面が剥がれ落ち、そこには空腹の小動物のような、剥き出しの飢餓感が浮かんでいる。
ママが二人のためにと置いたサラダの皿を、彼女はまとめて自分の手元に引き寄せた。
そしてフォークも使わず、ドレッシングの味もしない生野菜を、両手で掴むようにして口に押し込んでいく。
頬を膨らませ、喉を鳴らして、必死にママの正しさを処分している。
その必死な姿がひどく滑稽で、どういうわけか、胸が締め付けられるほど愛おしかった。
「……ハムスターみたい」
僕が笑みと共に溢すと、わたらいさんは戯けてぽっかりと口を開けた。咀嚼しかけの口内の無惨な野菜を見せつけられて、可笑しくて笑う。
彼女の咀嚼が再開する。その音が響くたび、自分の内側でママという絶対的に正しい存在が少しずつ噛み砕かれていく。
「……わたらいさん」
ようやく漏れた声は、自分でも驚くほど掠れていた。
「ありがとう」
「大丈夫。今だけは、私の言うことだけ聞いてればいいから」
口いっぱいにサラダを頬張りながら、わたらいさんは見たこともないような残酷で美しい笑みを浮かべた。
それでもママは、一切の苛立ちを見せることなく、僕とわたらいさんを愛車の後部座席へとにこやかに押し込めた。
走り出した車内には、ママの選んだ無機質な芳香剤の香りと、わたらいさんの甘い体温が混ざり合う。それがひどく息苦しく思えて、車の窓を少しだけ下げた。
温かさすら感じる夏の夜風が、火傷した頬を撫でる。
ふと目をやれば、バックミラー越しのママの鋭い視線とぶつかる。僕が息を呑む間にも、後部座席を射抜くような強い視線が徐々に柔らかくなり、隣のわたらいさんへと向けられた。
「……恵ちゃん、お腹は空いていないかしら」
ママが探るように問いかけた。
その声は、普段僕にかける声の何倍も優しさを帯びているが、品定めするような冷たさを隠しきれていない。
「猫ちゃんを探していたそうね。ご両親も大変な時に、大事な猫ちゃんまで居なくなって……辛いわよね。周りが見えなくなってしまうのも無理はないわ」
「ママ、そんな言い方……」
わたらいさんを追い詰めるようなママの言葉に、僕は思わず声を上げた。
けれど、バックミラーの中でママの眉がぴくりと動くのを見て、その続きは喉の奥に張り付いてしまった。
ママは、僕に嗜める隙すら与えてくれない。
「いいの、私は」と、わたらいさんは僕にだけ聞こえる声で囁く。
彼女は膝の上で指をぎゅっと組んだ。
「本当にごめんなさい……ハヤテくんまで、危ない目に遭わせてしまって」
わたらいさんは目を潤ませ、消え入りそうな声で俯いた。
「……それなのに、お気遣いありがとうございます。でも本当に、これ以上はご迷惑かけられません。
……私、今夜は帰ります。お家まで送っていたけたら、ひとりでも平気ですから」
その謙虚な拒絶は、ママのプライドを逆撫でするのに十分だった。
「何を言っているの。こんな夜更けに、女の子を一人にするわけにいかないわ」
ママの声は優しかったが、それは慈悲ではなく、獲物を逃さないための網のようだった。
「でも……家に居ないと、おじいちゃんたちも心配するだろうし……」
「それなら、心配しないで」
わたらいさんの不安の言葉を遮るように、ママが言う。
「大丈夫よ。あなたのご祖父母様には病院を通して、私の連絡先を伝えておいたから。後でお二人にも詳しくお話しするけれど……とにかく、今夜はうちへいらっしゃい。さっき病院でもそう言ったでしょう?」
ママの有無を言わせぬ物言いで、わたらいさんは強引な正しさの中に捕らえていく。
「ひとまず、この時間でも開いているお店探して、何か食べましょう。……颯、あなたも栄養を摂らないとね」
僕らはそれ以上何も答えず、窓の外を流れるオレンジ色の街灯を見つめていた。
檻のような車内で、わたらいさんが僕の手の甲に、自分の指をそっと重ねた。
僕はそれをそのままにする。角度的にママには見えないだろうけど、見えてしまっても構わなかった。
ママが指定したのは、国道沿いにポツンと光る24時間営業のファミリーレストランだった。
明るすぎる店内で席に着くなり、わたらいさんはメニューを広げて僕に言った。
「ハヤテくん、ピザにしようよ。手掴みなら、火傷した手でも食べられるでしょう?」
指先は問題なく使えるのに、わたらいさんはそう提案する。そして、ボックス席の向かい側に座るママの視界を遮るように、メニュー表を立てた。
「この大きいの、半分こにしよう」
「あら、ピザ……」
ママが眉をひそめて、自分のメニューをめくる。
「夜食には、少し重いんじゃないかしら」
「いいえ、お母様。ハヤテくんはさっきからずっと痛みに耐えているし、脱水症状のせいでエネルギーが足りないはずなんです」
「ね?」
わたらいさんはメニュー表の陰で、僕の肘の内側の柔らかい皮膚をそっと指先でなぞった。
ママの死角で、僕の体が跳ねる。
「うん……僕もピザがいい」
「そう……。なら、サラダも頼みましょう。2人に取り分けてあげるから。エネルギー切れなら、尚更バランスよく、野菜の栄養も摂らないとね」
ママは店員を呼ぶためのボタンを押した。
Lサイズのマルゲリータと、大盛りのグリーンサラダ、それに三人分のドリンクバーを注文した。
店員が去ると、わたらいさんはすぐに「ドリンク、ハヤテくんの分も持ってくるね」と席を立ち、慣れた感じでドリンクバーへ向かう。
残された僕とママの間に、重苦しい沈黙が流れた。
「……あの子、よく気がつくのね」
そう呟いたママの声は、あまりに低かった。
さして面白くもない雑談の後、テーブルに続々と料理が運ばれてくる。
「お待たせ」
わたらいさんは、ママの視線を真っ向から無視して、僕の顔を覗き込んだ。
「ハヤテくん、どっちがいい?綺麗な緑色のメロンソーダと真っ白なカルピスソーダ、どっちが飲みたい?」
ママが小さく息を呑む音が聞こえた。
「……恵ちゃん、そんな体に良くないもの選ばせないで」
その声には、隠しきれない不快感が滲んでいる。
それでも、わたらいさんは首を傾げて、無邪気に笑った。
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僕はママの強張った顔を見ることができず、わたらいさんの持つ二つのコップだけを見つめた。
恐る恐る手を伸ばし、黙ってメロンソーダを受け取ると、自分のスペースに置く。
「あ、やっぱり。私も、ハヤテくんはそれがいいんだと思ってた」
わたらいさんは僕の隣に弾むように着席し、自分の目の前に、甘くて真っ白な液体を置いた。
ママはわたらいさんが運んできたメロンソーダを、まるで未知の劇物を見るような目で見つめている。
大切に守ってきた理想的な息子の胃袋に、甘い毒が流れ込む準備が着々と整っていく。
「ほら、お腹が空いてるでしょう?二人とも、食べて食べて」
そうしてママは、取り皿にたっぷりのグリーンサラダを盛り付けると、僕とわたらいさんの目の前にこれ見よがしに置いた。
「ピザ美味しそうだね、ハヤテくん」
わたらいさんが、サラダを丸切り無視して感想を述べる。
「うん。メニューで見るより、ずっと美味しそう」
僕は答えて、早速切り分けられたピザの一切れに手を伸ばす。程よく焼き色のついた香ばしい生地から、湯気が立っていた。
ドリンクバーのコーヒーを苦々しく啜っていたママのスマートフォンが、突然小刻みに震え出した。
「……病院からだわ。ご祖父母様との連絡がついたのかもしれない。ちょっと席を外すわね」
画面を確認すると、ママは速やかに立ち上がる。
「颯、野菜から先に食べるのよ」
去り際のママに釘を刺されて、思わず伸ばしていた手を引っ込める。
スマートフォンを耳に当てたママの姿が店の外へと消えた瞬間、わたらいさんの表情が一変した。
にこやかだった仮面が剥がれ落ち、そこには空腹の小動物のような、剥き出しの飢餓感が浮かんでいる。
ママが二人のためにと置いたサラダの皿を、彼女はまとめて自分の手元に引き寄せた。
そしてフォークも使わず、ドレッシングの味もしない生野菜を、両手で掴むようにして口に押し込んでいく。
頬を膨らませ、喉を鳴らして、必死にママの正しさを処分している。
その必死な姿がひどく滑稽で、どういうわけか、胸が締め付けられるほど愛おしかった。
「……ハムスターみたい」
僕が笑みと共に溢すと、わたらいさんは戯けてぽっかりと口を開けた。咀嚼しかけの口内の無惨な野菜を見せつけられて、可笑しくて笑う。
彼女の咀嚼が再開する。その音が響くたび、自分の内側でママという絶対的に正しい存在が少しずつ噛み砕かれていく。
「……わたらいさん」
ようやく漏れた声は、自分でも驚くほど掠れていた。
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