『誰も決めていないルールの中で』――説明できない日常コメディ短編集

灯台のそばの書庫

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『「ご自由にお取りください」の責任』

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第一章|お菓子箱は突然に

それは、月曜日の昼休みだった。

休憩室の長机の端に、見慣れない箱が置かれていた。

白い段ボール箱。

中身が少しだけ透ける、半透明のふた。

そして、ふたの中央に貼られた紙。

――ご自由にお取りください。

文字は丁寧で、少し丸い。

誰かの善意であることだけは、はっきりしていた。

「誰のだろう」

同僚の誰かがつぶやいたが、答えは返ってこなかった。

誰も箱に近づかない。
誰も覗き込まない。

お菓子の匂いは、たしかにしている。

甘くて、無害で、午後の仕事を少し楽にしてくれそうな匂い。

なのに、誰も手を伸ばさなかった。

第二章|最初の一個という呪い

職場には、暗黙のルールが多い。

その中でも厄介なのが、「最初の一人にならない」という掟だ。

最初に取ると、

「がめつい人」
「空気が読めない人」
「様子見ができない人」

になる可能性がある。

誰もそんな役を引き受けたくない。

私はコーヒーを淹れながら、箱を横目で見た。

中には個包装のお菓子が、ぎっしり詰まっている。

減らない。

まったく減らない。

まるで、取ったら何かが始まってしまう。

そんな気配だけが漂っていた。

第三章|貼り紙が増え始める

水曜日の朝、箱に変化が起きた。

――本当にご自由です。

貼り紙が一枚、増えていた。

フォントも紙も違う。

誰かが焦れている。

それだけは分かった。

午後には、さらに増えた。

――遠慮は不要です。
――お仕事の合間にどうぞ。

お菓子より、貼り紙のほうが目立ち始めた。

箱はもう、「善意の塊」ではなく、説得装置になっていた。

第四章|貼り紙考察会(非公式)

誰が貼っているのか。

それが分からない。

持ってきた本人なのか。

それとも、別の誰かなのか。

「これ、圧を感じるよね」

小声で言った同僚に、全員が無言でうなずいた。

自由なのに、自由であることを何度も念押しされる。

その時点で、もう自由じゃない。

第五章|責任の所在

金曜日の午後。

私は、箱の前に立った。

お菓子はまだ減っていない。

貼り紙は、さらに増えていた。

――持ち帰りもOKです。
――賞味期限近いです。
――気にしないでください。

気にしないで、と言われるほど気になる。

もし私が取ったら、「減らした人」になる。

そして、「始めた人」になる。

責任は、形のないものほど重い。

第六章|一個、消える

翌週の月曜日。

箱の中のお菓子が、一つだけ減っていた。

誰も何も言わない。

誰も見ていないふりをする。

でも、全員が知っている。

誰かが、責任を引き受けた。

貼り紙が、さらに増えた。

――残りわずかです。
――早い者勝ちではありません。

もう、意味が分からない。

第七章|貼り紙の最終形態

水曜日には、箱の側面まで貼り紙が侵食していた。

お菓子箱というより、貼り紙展示台だった。

誰もお菓子を見ていない。

全員、文章を読んでいる。

善意は、管理されないとこうなる。

最終章|撤去

木曜日の朝。

箱は消えていた。

机の上には、剥がされた貼り紙の跡だけが残っている。

誰も何も言わなかった。

誰も困らなかった。

お菓子がなくても、仕事は回る。

でも、あの箱は確かに教えてくれた。

「ご自由に」の裏には、責任がある。

そして、その責任を誰も取りたがらないと、自由は腐る。

私は今日も、コンビニで買ったお菓子を自分の引き出しにしまう。

――配る予定は、ない。

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