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『誰も切らない電話の保留』
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第一章 切っていいはずの時間
その電話は、最初から要領が悪かった。
三回コールして、「ただいま担当者におつなぎします」という自動音声が流れ、そのまま保留音に切り替わった。
ごく普通の流れだ。
問題は、そのあとだった。
一分。
二分。
三分。
私は時計を見る。
業務上の問い合わせだから、多少待つのは仕方がない。
五分。
ここまでは許容範囲だ。
むしろ、よくある。
十分。
——長いな、とは思う。
でも、まだ切らない。
なぜなら、ここまで待ったからだ。
「十分も待ったのに切る」
という行為は、どこかで負けを認める感じがする。
何に負けたのかは、自分でもよくわからないのに。
第二章 保留音という中立地帯
保留音は、不思議な音楽だった。
明るすぎず、暗すぎず、感情を刺激しない。
主旋律もなければ、印象に残るフレーズもない。
ただ、「切らないでください」とも、「もう切ってもいいですよ」とも言わない。
完全な中立。
この音楽が流れている限り、誰も悪者にならない。
私は受話器を肩に挟み、パソコンで別の作業を始めた。
仕事は進む。
でも電話は終わらない。
保留音が、だんだん職場の環境音になる。
エアコンの音。
キーボードの打鍵音。
そして、保留音。
誰も、それを不自然だとは思わなくなっていく。
第三章 切れない理由を探し始める
十五分。
ここまで来ると、「切らない理由」が必要になる。
私は、頭の中で理由を量産し始めた。
・もう少しでつながるかもしれない
・今切ったら、また最初からになる
・相手も忙しいのだろう
・自分は急いでいない
・切るほどの緊急性はない
どれも正しいようで、どれも決定打ではない。
それでも、理由があるうちは切らない。
理由がなくなった瞬間に、切らなければいけなくなるからだ。
第四章 周囲が気づき始める
「まだつながらないんですか?」
隣の席の同僚が、ちらっとこちらを見て言った。
「はい、保留です」
「長いですね」
「ですね」
それ以上、会話は続かない。
彼は、「切ったらどうですか?」とは言わない。
言った瞬間、判断を押しつけることになるからだ。
誰も、他人の電話の保留に責任を持ちたくない。
その沈黙が、逆に私を切れなくする。
第五章 時間が意味を持ち始める
二十分。
もはや、用件の重要度とは関係なくなっている。
ここで切ると、この二十分が無駄になる。
——いや、もう無駄なのに。
でも人は、無駄を確定させる行為を極端に嫌う。
切らなければ、まだ「途中」だ。
途中なら、失敗ではない。
保留音は、希望ではなく、保留そのものだった。
第六章 切るタイミングが消える
二十五分。
今さら切るのは、遅すぎる気がする。
五分なら切れた。
十分でも、たぶん切れた。
でも、二十五分は違う。
ここまで来たら、最後まで行くしかない。
「最後」が何なのかは、誰にもわからないのに。
私はもう、相手と話したいわけではなかった。
ただ、この保留を自分の判断で終わらせたくなかった。
第七章 向こうから切れる
三十分近く経ったころ。
プツッ、という音がした。
保留音が消え、画面に「通話終了」と表示される。
向こうが切った。
私は、なぜかほっとした。
自分は切っていない。
判断を下していない。
悪者になっていない。
達成感はない。
でも、妙な安心感だけが残る。
第八章 なにも解決していないのに
結局、用件は解決していない。
むしろ、またかけ直さなければならない。
それなのに、私は満足していた。
「自分は待った」
「自分は切らなかった」
その事実だけで、どこか誠実な人間になった気がする。
完全に、錯覚だ。
第九章 次の日も切らない
翌日。
同じ番号にかける。
同じ自動音声。
同じ保留音。
十分経っても、私は切らない。
昨日切らなかったのだから、今日も切らない。
一度守った行動は、ルールになる。
誰も決めていないのに。
最終章 責任が切れない理由
考えてみれば、保留を切らない理由は単純だ。
切った瞬間、「自分が終わらせた」という事実が残る。
それが、怖い。
だから人は、保留を切らない。
電話の向こうに誰もいなくても、保留音が流れている限り、関係は続いていることになる。
責任の所在も曖昧なまま。
今日もどこかで、誰かが電話を切れずにいる。
それは優しさでも忍耐でもなく、ただの習慣だ。
誰も切らないまま、責任だけが保留され続けている。
その電話は、最初から要領が悪かった。
三回コールして、「ただいま担当者におつなぎします」という自動音声が流れ、そのまま保留音に切り替わった。
ごく普通の流れだ。
問題は、そのあとだった。
一分。
二分。
三分。
私は時計を見る。
業務上の問い合わせだから、多少待つのは仕方がない。
五分。
ここまでは許容範囲だ。
むしろ、よくある。
十分。
——長いな、とは思う。
でも、まだ切らない。
なぜなら、ここまで待ったからだ。
「十分も待ったのに切る」
という行為は、どこかで負けを認める感じがする。
何に負けたのかは、自分でもよくわからないのに。
第二章 保留音という中立地帯
保留音は、不思議な音楽だった。
明るすぎず、暗すぎず、感情を刺激しない。
主旋律もなければ、印象に残るフレーズもない。
ただ、「切らないでください」とも、「もう切ってもいいですよ」とも言わない。
完全な中立。
この音楽が流れている限り、誰も悪者にならない。
私は受話器を肩に挟み、パソコンで別の作業を始めた。
仕事は進む。
でも電話は終わらない。
保留音が、だんだん職場の環境音になる。
エアコンの音。
キーボードの打鍵音。
そして、保留音。
誰も、それを不自然だとは思わなくなっていく。
第三章 切れない理由を探し始める
十五分。
ここまで来ると、「切らない理由」が必要になる。
私は、頭の中で理由を量産し始めた。
・もう少しでつながるかもしれない
・今切ったら、また最初からになる
・相手も忙しいのだろう
・自分は急いでいない
・切るほどの緊急性はない
どれも正しいようで、どれも決定打ではない。
それでも、理由があるうちは切らない。
理由がなくなった瞬間に、切らなければいけなくなるからだ。
第四章 周囲が気づき始める
「まだつながらないんですか?」
隣の席の同僚が、ちらっとこちらを見て言った。
「はい、保留です」
「長いですね」
「ですね」
それ以上、会話は続かない。
彼は、「切ったらどうですか?」とは言わない。
言った瞬間、判断を押しつけることになるからだ。
誰も、他人の電話の保留に責任を持ちたくない。
その沈黙が、逆に私を切れなくする。
第五章 時間が意味を持ち始める
二十分。
もはや、用件の重要度とは関係なくなっている。
ここで切ると、この二十分が無駄になる。
——いや、もう無駄なのに。
でも人は、無駄を確定させる行為を極端に嫌う。
切らなければ、まだ「途中」だ。
途中なら、失敗ではない。
保留音は、希望ではなく、保留そのものだった。
第六章 切るタイミングが消える
二十五分。
今さら切るのは、遅すぎる気がする。
五分なら切れた。
十分でも、たぶん切れた。
でも、二十五分は違う。
ここまで来たら、最後まで行くしかない。
「最後」が何なのかは、誰にもわからないのに。
私はもう、相手と話したいわけではなかった。
ただ、この保留を自分の判断で終わらせたくなかった。
第七章 向こうから切れる
三十分近く経ったころ。
プツッ、という音がした。
保留音が消え、画面に「通話終了」と表示される。
向こうが切った。
私は、なぜかほっとした。
自分は切っていない。
判断を下していない。
悪者になっていない。
達成感はない。
でも、妙な安心感だけが残る。
第八章 なにも解決していないのに
結局、用件は解決していない。
むしろ、またかけ直さなければならない。
それなのに、私は満足していた。
「自分は待った」
「自分は切らなかった」
その事実だけで、どこか誠実な人間になった気がする。
完全に、錯覚だ。
第九章 次の日も切らない
翌日。
同じ番号にかける。
同じ自動音声。
同じ保留音。
十分経っても、私は切らない。
昨日切らなかったのだから、今日も切らない。
一度守った行動は、ルールになる。
誰も決めていないのに。
最終章 責任が切れない理由
考えてみれば、保留を切らない理由は単純だ。
切った瞬間、「自分が終わらせた」という事実が残る。
それが、怖い。
だから人は、保留を切らない。
電話の向こうに誰もいなくても、保留音が流れている限り、関係は続いていることになる。
責任の所在も曖昧なまま。
今日もどこかで、誰かが電話を切れずにいる。
それは優しさでも忍耐でもなく、ただの習慣だ。
誰も切らないまま、責任だけが保留され続けている。
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