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1.学園入学編

狂犬を宿す少女

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「自身の限界の先の先の未来を制約をつけることで一時の間それを掌握する。だけどそれは神の理を凌駕する手法であるため禁忌とされる…」

「…それはどういう意味ですか?」

床も壁も天井も何もないその見覚えのない白い空間。
身体は落下することもなく停滞している。だが浮遊感はなく、あるのは後頭部に感じる柔らかな何かの感触のみ。
なぜ身体が何事もなく寝そべってられるのかは全く分からなかった。

「つまり無理しちゃダメってことよっ♡」

覗き見るように顔を近づけてくる可愛らしい顔をした女性。

「無理…」
「うんうん、世界の理に全てが上手くいくなんてものは存在しない。何かを手にするには代償が必要、今の君のレベルでは頂に立つことも私を使うことも不可能よっ♡」

「あなたは一体、」

「そうね、言えることは今の私が不完全だということ、謂わば人間に近い状態。今の私には〝死〟という概念が存在しているのっ♡」

なぜか彼女は死に怯えることなく楽しそうに爆弾発言をしている。彼女の心中を僕がわかるはずもなく、返す言葉が見当たらない。

慰めるべきなのか、話題を逸らすべきか、それ以前に口を出すべきなのか。
色々考えた結果僕はどの選択肢も間違っている気がして、静かに彼女の言葉を待った。

しかし彼女の正体が未だに掴めない。
彼女の発言からすると今以前は死という概念が存在していなかった。それはつまり生命以上の存在だということ。
一体彼女は何者なのだろうか。

「私とあなたは一心同体とまではいかないけれど、私の存在が消滅すればもうあなたは魔法を使うことは叶わなくなるのよっ♡」

「ちょっ、さらっと恐ろしいことを言わないでくださいよ」
「あ~ごめんごめん、怖がらせちゃった?」

その妖艶な瞳からは反省の色は全く見えない。だがその謝罪が偽りだと知っていてもなぜか許せてしまう。

「そういえばそうとここはどこなんですか?」
「ひ・み・つ♡」

人差し指を口に添えながら小悪魔のように微笑む彼女。どうやらこれ以上追求しても教えてくれなさそうな雰囲気だな。

「最後にもう一つだけ…」
「もうっ、欲張りさんなんだから♡」

子供染みたその言動は不思議と大人びたものを感じる。それは風格や、数多の道や時間を歩んだ者のみが身につけられるオーラという不可視なもの。

「あなたは一体僕の何なのですか?」

ここは一体どこなのか、なぜ僕はこんなところにいるのか、そして彼女は何者なのか。
疑問が疑問を呼ぶ中、僕は今一番知りたい疑問を彼女に投げつける。

「私があなたの何なのか、それを知れる方法はただ一つ。今よりもっともっと強くなることよっ♡」
「………」

「あなたは人から与えられるのではなく自分自身で掴み取りなさい。今の君はまだその領域に達していないわっ♡」
「そう…ですか。」

つまりもっともっと強くなれ、ってことなのかな。
剣聖の、おじいちゃんの力。あの力をものにするまでは彼女が何かを知ることができないし教えてくれない。

まあ、知っても知らなくても僕は家族を守るために強くならなくちゃいけない。だから目的は何一つ変わらないんだけどね。

「……」

突如、彼女はその妖艶な瞳を虚空に向け始める。
僕はそこになにかあるのかと気になり、彼女の目線を追って見てみてもそこには何もなかった。

「そろそろお時間が来ちゃったみたい」
「時間?」

どことなく彼女は悲しそうな顔をする。
おそらく僕の意識が目覚め始めたのだろう。事実、頭の中にノイズが走り始めている。

「ここでの出来事はあなたの頭の片隅にも残らないのよっ♡特別最後にこれだけ教えてあげる」

駄目だ、もうほとんど彼女が何を言っているのか分からない。視界にも何重の暗い線が映り、ノイズ音が増していっている。

「私は全てを生み出し続ける者、にもかかわらず私は禁忌を犯し悪魔に魂を売った女なの。そしてそして~肝心の私の名前は~テスカトリポカっで~すっ♡」







「……ミ……っ」

聞き覚えのある声が微かに聞こえる。
これは僕を呼んでいる…のか?

「ミルミっ!!!」
「はっ…!」

暗い暗い意識から覚めた途端見えたのは空…澄み渡った青い空だった。

「そうだ…僕は…」

止まっていた思考が徐々に回り始める。
脳が機能し始めたと同時に身体の神経も感性を取り戻したその瞬間、強烈な痛みが右腕だけ・・に走った。

「ぐっっ!!!」
「ミ、ミルミっ!?」

どうやら一番疲労した右腕に未だ残っていたみたいだ。

「だだだだだだだだだだだだだだだだつ、」

痛みは嘘かのように一瞬にして消え失せた。しかし痛みが治まってもハルの感情は暴走しているようだ。

「ハル、僕はもう大丈夫だよ?」
「…ほ、本当ですか?」

涙によって流れた雫がハルの頬を撫で、未だ残る涙の粒がハルの上目遣いをより一層可愛く…って、僕は一体何を考えているんだ!

「う、うん。本当にもう大丈夫だよ。痛みももう無いし、あの戦いから受けた傷なんて大したことなかったからね」
「そ、そうですか。それなら良かったかも…です。」

ふぅ、ようやく安心してくれたみたいだ。
それにしても周りからの視線のおかげでまだ僕は安心できないんだけどねっ!何でみんなこっち見てるの!

「そういえば僕はどれくらい気を失っていたの?」
「ほんの数秒かも…です。ミルミが言った通り外傷は殆ど無かったですけどやっぱり心配で…」

やばい、またハルが泣きそうになってる。
ヒクッ、ヒクッって言いながら目尻に涙が溜まっているよ!

「な、泣かなくてもいいんじゃないかな?うん、僕は無事五体満足しているし、もう泣くことなんて────」


「ではでは~これから入学式を行うので、勝者ちゃんたちは集まってくださ~いっ!!」


子供のような幼い声が僕らの前方に大きく響き渡った。
ハルも聞き入ったのか、腕で目元を擦ると声のした方に顔を向けた。

「さあ~集まってくださ~い!!!」

正方形の木でできた大きな箱状の物の上で、目のクリクリした女の子が小さな手を大きく左右に振って集合を呼びかけていた。

その見た目は無邪気な子供にしか見えず可愛らしいその様子に、入学希望者の中に微笑ましい表情をする者がいた。

「あの先生が担任だったら少しは気が楽になるかも…です。」
「…そ、そう…だね」

自然と背中の筋に冷や汗がすーっとした垂れ落ちる。

ハルは優しい顔であの少女を眺めているが、僕の心には一切可愛らしいだなんて可愛げのある感情など宿っていなかった・・・・・・

おじいちゃんの元で死に物狂いで教えを受け、幾多の苦難を乗り越え剣聖の剣を使えるほどに力をつけた僕には分かる。


───あの子供の容姿した少女が、紛れも無い人外をさらに超えた化け物だということを───


「ミルミ?」

手が、身体が小刻みに震える。それほどまでに僕は恐怖・・しているのだ。
おそらく真っ正面から戦えば今の僕ではあの人の足元にも及ばないだろう。
今まで培ってきた剣士の〝勘〟がそう言っている。

そんな僕を不思議に思ったのか、ハルが首を傾げながら僕の名前を呼んだ。

「…いや、何でもないよ。さあ、僕たちも行こうか」
「わかったかも…です?」

ハルは未だ不思議そうに僕を顔を見詰める。
僕は緊張で震えながら何とか抑え、少し重たい身体を起こしてあのバケモノ・・・・の元へ向かった。

「は~や~く~してくださ~いっ!!」

見た目に騙されてはいけないとはまさにこのこと。子供の容姿とは相反してただならぬオーラを感じる。
そう、激戦という激戦を生き抜いた猛者の風格。

「ミルミ、本当にどうしたかも…です?」

「いや、何でも無いよ。うん、何でも無い」

きっと今の僕の顔は冷静を保てていないだろう。ハルもきっと気づいている。
ハルは渋々といった感じで引き下がり、少女の元へと歩み寄った。








「ようやく集まったですね~。もう、先生疲れちゃったですよ。先生を疲労させるなんて勝者ちゃんたちにお仕置きをしなければと思いましたがっ、先生は寛大です。だから許しちゃうですよ」

小さな手をグーにして横っ腹につけながら喜怒哀楽激しく顔を一変させた。
すぐに自己解決するあたりもしかするとこの人は人の話をあまり聞かない人なのかもしれない。

「今年の合格者ちゃんたちは総勢261人ですか。去年より少し少ないですよ」

心なしか寂しそうな表情を見せる先生。こんな表情を見てしまうと僕の勘を疑ってしまいたくなる。

「まあでもそこは勝者ちゃんたちに頑張ってもらって去年より活気のある学院生活を送ってもらえばいいです!」

またもや自己解決をすると、寂しそうなまた難しそうな表情から一変子供らしい無邪気な様子なる。

その先生(?)の様子に、僕の周りにいた入学が確定している男女たちはこれから勇英第一学院に入学する緊張など一つもなく、逆に謎の余裕を浮かべる者もいた。

おそらくというか、浮かれている原因はこの人だと思うけど。

「それでは~勝者ちゃんたちぃ!私とともにレッツゴーですよ!!」

片腕を大きく腕にあげて満面の笑みを浮かべる先生。
この人がどれほどの人物なのか気づいている者は殆どいない。いや、もしかしたら僕の勘違いの可能性もある。

「さあ~たっのしいたっのしい学院ライフの始まりで~すっ!!」

僕は勘違いをしていると思い込み・・・・、ハル、そしてこれからともに生活していくであろう仲間とともに先生の後に続いたのだった。
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