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なんでもいうことをきくけん ~黒歴史を添えて~

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 小さな紙に色鉛筆で書かれた拙い文字。

 “なんでもいうことをきくけん”

 この悪魔の券を私がこの世に生み落としたのは、小学校1年生の時だった。私は初恋相手の秀ちゃんに自分の作った『なんでもいうことをきくけん』を無理矢理に押しつけ、代わりに秀ちゃんにも無理矢理『なんでも言う事をきく券』を作らせた。そして、ちゅーを迫った。
 ごねて、ごねて、ごねまくり、最終的に泣き脅して秀ちゃんに、無理矢理ちゅーをさせた。初恋のカッコいいお兄さんにしてもらって、すごくドキドキした幼き日々の1ページを飾る素敵な思い出は、同時にパワハラ、セクハラ、痴女行為の3コンボを決めた最悪の黒歴史でもある。

「……っ」

 枕に顔を押し付けて悶絶する。
 黒歴史というものはどうしてこんなにも的確に自分の心に深手を負わすのだろう。どうして人は後に自分を苦しめると気がつかずに黒歴史という大怪我を作り、自分で自分を痛めつけるのだろう。ジーザス。

『居候の件、よろしく』

 完璧に整った顔にニヤニヤとドSな笑みを浮かべた従兄の姿がありありと目に浮かんで――格好良過ぎて死にそうになった。自分の記憶が作り出した幻影なのにどういうこと。ってそれよりも!

「こんな物騒なものをどうしていまだに持ってるのーっ!」

 っていうか、まさかとは思うけど、こんな物騒なものをアメリカにまで持って行ってたの!? そんなにあの時の事を根に持っているの? だとしたらかなりヤバい……。

「でも、まだ持っててくれて嬉しいと思ってしまうおバカな恋心」

 でも秀ちゃんは思い出とか恨みとかじゃなくて、『いつか使える』と思って今まで持っていたんだろうけどね。そういう人だから。でも、根はすごく温かくて面倒見がよくて優しいんだよね。
 ゴロンと寝返りをうって、目を閉じて、ふぅ、と深くため息を吐き出す。

 ――私の両親はとても仲が良かった。

 二人でよくデートや旅行に行ったり、私の学校行事にも二人で参加するオシドリ夫婦で、近所の人達も、家に遊びに来た友達も、家庭訪問に来た先生も、誰もがうちの家族を見て「素敵な家族だね」と異口同音に評していた。
 でも、私は、お父さんとお母さんの旅行やお出かけに、一度も連れて行ってもらったことがない。
 いつだって、私は祖父母の家でお留守番だった。
 両親はお互いをすごく愛し合っていて、二人の世界が昔から確立していた。だから、私への愛情と関心は割と希薄だったのだ。

『お母さんたち旅行に行ってくるから、迎えに来るまでいい子で待ってるのよ』

 いつも「おいていかないで」とも、「いっしょにいきたい」とも言わなかった。
 私のその一言がおばあちゃんとお母さんの間で酷いケンカを招くことも、結局は両親が私を連れて行ってくれないこともよく分かっていたから。

『わがままを言って、おばあちゃんたちを困らせたらだめだからね』

 うん、と頷く。

『真白はいい子だから、できるよね?』

 うん、ともう一度頷く。

『じゃあ、行ってくるから』

『ましろ、いいこでまってるから』

 ――だから、ぜったいに、迎えにきてね。
 遠ざかっていく両親の後ろ姿と、小さくなっていく車の姿をいつも涙を堪えてじっと見送っていた。
 泣いたら、おばあちゃん達が私の為にお母さん達とケンカするから。両手を握りしめて、絶対に泣かないように堪えて笑顔で手を振っていた。
 わがままを言わないように、手がかからないように、自分なりに一所懸命にいい子で待っていた。
 でも、いい子で待っていても、結局、お母さんとお父さんは約束した日に帰ってこないことも多かった。そういう時はいつも本当に怖かった。
 両親がお互いを想いあうようには自分が愛されていないことを幼いながらに分かっていた。もしかして、自分は二人にとって邪魔な存在なのかもしれないとさえ思う時も多々あった。だからこそ、両親が帰ってこないと、もう迎えに来てもらえないんじゃないか、ついに捨てられてしまったんじゃ無いかっていう考えが現実味を帯びてきて、ひとり恐怖に蹲って怯えていた。

 今になって思えば、そんな私の思いをおじいちゃんとおばあちゃんも分かってくれていたから、私が懐いている従兄の秀ちゃんを家によく呼んでくれていたんだと思う。
 ひとり隅っこで蹲る私を、秀ちゃんはいつも見つけだしてくれて、優しく頭を撫でてくれた。
 心細くて不安で寂しくってしょうがない時に、超絶格好いいお兄ちゃんに甘やかしてもらって、優しくしてもらって……、私は当然のように恋に落ちた。
 物心ついたときには好きだった。いつも優しく手を引いて歩いてくれて。親には言えないわがままも聞いてくれて。一緒に遊んでくれて。勉強を教えてくれて。格好いい秀ちゃんは子供の頃の私にとっては完璧な王子様だった。

 秀ちゃんがいたから、私の子供の頃の思い出は色鮮やかなものになった。秀ちゃんが隣にいてくれたから、寂しいとは思わなくなった。笑っていられた。生きていられた。いい子になりたい、素敵な女性ヒトになりたいって思えて頑張れた。

「2年ぶりか……また格好良くなってるんだろうな」

 同居なんてびっくりしたし、恥ずかしいけど、それ以上に嬉しいのも事実で。ベッドの上で顔をだらしくなく緩ませながら、ごろごろと幸せにのたうち回った。
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