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第1章 アリシアの諜報活動

11 招かれざる来訪者

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 今日も仕事を終えてお風呂を済ませたアリシアは、報告の為に机に着いたものの、日中の事を振り返って机の上に突っ伏した。

「・・・今日は何だったの」

 本日もいつも通りハルシュタイン将軍とリーネルト将軍から指名を受けて給仕を行った。またいつもの質問を受けるのかと思うと、どうしても面倒臭いという思いが頭の中に浮かぶ。
 しかしその予想は外れたのだった。

 アリシアは大きくため息をつくと体を起こす。机に肘をついた手で頭を支えながら、給仕中の出来事を思い返した。



* * *



「レッツェル。君が王宮使用人になってから4カ月くらい経ったか?」
「そうですね。先週で4ヶ月になりました」
「王宮での生活にはもう慣れた?」
「・・・?はい。使用人の皆さんは優秀で優しい方が多いので、馴染みやすくて。まだ4ヶ月しか経っていないのか、という感覚です」
「そうか」

 いつもと違う質問に少しだけ困惑しつつも、ハルシュタイン将軍に答えると、彼は考え込む仕草をした。

 何かしら、と思いながらも給仕を進める。いつもなら質問が飛んで来るタイミングでも、ハルシュタイン将軍はただ考え込んでいて、時折アリシアをチラリと見ていた。

 これはこれで調子が狂う。なんとなくモヤモヤした気分で給仕を終え、壁際へ行く前に礼をしようとしたところで、再びハルシュタイン将軍から質問が来た。

「レッツェル」
「はい」
「もし君の同僚が仕事中に理不尽な目に合っていたら、君はどうする?」
「え・・・?」
「しかもその場に君しかいなかったら?」

 唐突な質問に戸惑い、チラリとリーネルト将軍を見るが、彼もアリシアがどう答えるのか伺っている様子だ。いつもならフォローをしてくれるのに、と不可解に思いながらも、何か答えなければと頭の中を巡らせる。

「そうですね・・・。その理不尽の内容にもよりますが、まずは様子見します。一度だけで済みそうでしたら、その時だけ我慢すればそれで穏便に終わりますから。ですがそれが続きそうであれば、もしくはあまりにも酷い事を受けているようであれば、その場を宥めてから被害者を連れ出して、落ち着ける場所で話を聞きます」
「話を聞いて、その後どうする?」
「自力で対処出来るのであれば見守りますし、手伝いが必要なら、私に出来る事なら手伝うかもしれません。私の手に負えない状況でしたら、上司に相談するかもしれませんね」
「・・・もし上司にも手に負えない状況であれば?」

 ハルシュタイン将軍の言葉に、アリシアは考え込んだ。
 大抵の事なら上司であるエルゼか、更にその上のロットナーに相談すれば何とかなる。しかしそれでも手に負えない状況なら。

「・・・王宮使用人を辞める事を勧めます。王宮使用人の経験があればが何処に行っても引く手数多だと思いますし、わざわざ危険を冒してまで王宮にこだわる必要はないと思います」

 答えてみたものの、どういった意図での質問なのか全く分からない。内心首を傾げつつハルシュタイン将軍の様子を伺うと、彼はアリシアを眺めながら考えているようだ。そうして少し考えた後、彼は再び口を開いた。

「もし、地位の高い者が王宮使用人に手ひどい事をしたとしよう。その事に対して使用人達が皆怒りを抱いている状況になったとする。そんな状況の中で、君ならどうする?」
「・・・例え私も怒りを抱いたとしても、何もしません。王宮使用人なら皆そうするでしょう」
「まあ、そうだな。・・・じゃあ、君はその地位の高い者に対してどう思う?」
「・・・・・・何をされたか内容にもよります。もしかしたら私達では気付かない深い事情があるかもしれません。なので一つの物事だけに捕らわれず、広い視野でその方を見て、長期的に判断したいと思います。しかしどう考えてもそうではない場合なら、同じことをされないように、ただ個人的に警戒するに留めます。使用人という地位では太刀打ち出来ませんから、事前に防ぐ事が身を守る事に繋がるかと」
「なるほど?」

 何故かハルシュタイン将軍はニヤリとアリシアを眺める。
 いまだ意図が分からないアリシアは、もう一度リーネルト将軍へ視線を向けるが、彼は興味深そうにアリシアを眺めていた。

(・・・本当に何・・・?)

 戸惑いながら目の前の二人の様子を眺めるが、二人とも時折互いの顔を見るだけで、考え込んでいるようだ。

 その後も「この場合はどう対応するか」「どのように考察するか」など、突拍子のない質問を受けては答えてを繰り返しているうちに、扉がノックされた。魔王ギルベルトの執務室へ案内するパーラーが来たのだ。
 彼らは珍しく慌てて紅茶だけを飲むと、応接室を後にしたのだった。



* * *



(今改めて思い返しても意味が分からないわ)

 変な回答はしていない・・・とは思うが、意図が不明の質問への返答は、どうしても不安が残る。

(私の正体がバレた訳ではなさそうだけど。でも面接みたいに質問攻めにされる理由も分からないし・・・)

 しばらく眉を寄せて目をつぶって考えていたが、肘をついていた手を頭から離して、顔を左右に振った。

(考えても分からないなら、もう止めた方がいい。それより報告しないと)

 考えすぎて頭痛を感じたアリシアは、姿勢を正してごちゃついている頭の中を落ち着かせる。そうして頭痛が落ち着き始めた所で、改めて今日1日を思い出して報告することにした。

 机に両肘をついて手を組み、その手を額につけて呪文を唱える。この体勢は創世神、人類神、そして精霊神への祈りのポーズと同じなのだが、なんだかんだで集中できるし、精霊神への報告でもあるので、アリシアとしては相応しいポーズだと思っている。
 今は一人部屋なので人目を気にする必要もなく、王宮に来てからは毎日このポーズだ。もうすぐ4カ月となる今となっては、もはやこのポーズでの報告が一番しっくりする。

 アリシアは今日の出来事を一つ一つ報告していく。もちろんハルシュタイン将軍から質問された事も入力する。
 一日分の報告を済ませると、他の諜報員から上がった今日の分の報告を眺める。
 情報は常に更新しないと、何かあった時に柔軟に対応出来ない。知っている事を知らないフリは出来るが、知らない事に対応することは不可能だ。王宮で諜報活動をするアリシアは、常に慎重に行動しなければならない。情報は何にも勝る、身を守る為の盾だ。

 さっと目を通して一人分を読み終え、次の人の報告を表示する呪文を唱えようとした瞬間。

「レッツェル」

 思わず体がビクリと震えた後、そのまま硬直する。

(・・・え?今の何?)

 気のせいだろうか。いや、気のせいだと思いたい。しかしハッキリと自分を呼ぶ声が聞こえた。部屋の外からではなく、間違いなく室内で発された、クリアな声音だった。

 もしかして幻聴だろうか、と頭に浮かんだが、アリシアはすぐに否定した。こんなハッキリと聞こえた声が幻聴とは思えない。幻聴が聞こえるほど何かに思い詰めてもいない。

 しかしそれならば、今の声はなんだったのか。

「レッツェル」

 再びアリシアを呼ぶ声が聞こえた。後方から聞こえた声に、今度は思いきって勢い良く後ろを振り向く。

「・・・は?」

 目の前のものが信じられず、思わず声をあげる。何故か廊下へと繋がる扉の前、つまり玄関に、声の主であろうハルシュタイン将軍が立っていた。

 部屋に帰ったら鍵は必ず掛けているし、ちゃんとドアが開かない事を毎回確認している。先程お風呂から戻ってきた時も確認したので、間違いなく鍵は掛かっていた。

 では何故彼がここにいるのか。

 その疑問が頭に浮かぶと同時に、アリシアは勢い良く立ち上がった。同時に『データベース』とのリンクを切って、目の前に表示されていた報告画面を消す。よりクリアに見える視界には、間違いなくハルシュタイン将軍が立っている。

(まさか・・・!私の正体に気付かれた!?)

 彼は将軍だ。鍵が掛かった部屋に音もなく侵入する事も可能なのではないか。

(どうしよう。今すぐ帰還の術を使うべき?)

 緊張から握りしめた手に汗を感じる。心臓がバクバクと激しく脈打ち、頭から血の気が引く感覚に襲われる。

(ダメ。こんな時程冷静になれ!)

 こちらを見つめてその場に佇むハルシュタイン将軍を見つめながら、気付かれないように深呼吸をゆっくりと行う。冷静に、冷静にと自分に言い聞かせながら考えを巡らせる。

 もしアリシアの正体に気付いて内密に拘束しに来たのなら、今この瞬間にも尋問を開始するだろう。なんなら問答無用で拘束しに来るかもしれない。
 しかしハルシュタイン将軍はアリシアの様子を伺うだけで、その瞳に敵を見るような鋭さはない。

(帰還の術を使うのは、状況を確認してからでも遅くないわ)

 もし精霊術を抑制する魔術を使われても問題ない。帰還の術は報告に使う『データベース』術同様、精霊術とは別系統だ。授けてくれた精霊神ハヤトご本人から教わったのだから、万が一拘束されても問題なく使えるはずだ。

 アリシアが頭の中で安心要素を引き出した所で、ハルシュタイン将軍が動いた。足音も立てず、衣擦れの音さえもなくゆっくりとこちらに近寄ってくる。

(・・・ちょっと待って。何で一言もなく近寄ってくるの?)

 ここはアリシアに割り当てられた使用人宿舎内の部屋。いくら使用人と言えども、夜に女性の部屋に忍び込んだのだ。夜這いでなければ、まずは用件を言うべきではないだろうか。

(何?何なの?)

 ハルシュタイン将軍は歩きながらも、じっとアリシアの目を見つめている。

(まさか本当に夜這い?・・・いえ、ハルシュタイン将軍はそんな下卑た考えをお持ちの方ではないはず。それに彼程の手練れなら、騒ぎにしないように、声も掛けずに私をベッドに押し倒してるはず。でも彼は私に呼びかけた)

 であれば、ハルシュタイン将軍はアリシアに自分を認識させるために名前を呼んだはずだ。しかしその理由が分からない。

 瞬間的にあれこれ頭を過るうちに、ふと小さい頃に聞いた話を思い出した。半神半人のエルフの中には精霊だけではなく、死霊や生き霊が見えるエルフもいるのだと。

 アリシアは再び激しくなる己の心音を感じながら、部屋の半分まで来ているハルシュタイン将軍の全身を観察する。

 彼は生きているのだから、もし目の前の存在が霊ならば、それは生き霊だろう。
 いつもの将軍服ではなく、シャツにスラックスだけというラフな格好をしている。将軍服よりも衣服の擦れる音がしそうなものだが、全くの無音だ。

(・・・まさか本当にそうだったりして)

 違う悪寒がアリシアの背中を襲う。再び手に汗を感じた。

 アリシアは小さい頃からそういった話が怖くて苦手だった。そしてそれは今もだ。
 恐怖がせり上がり、冷静さを欠いたアリシアには、もう目の前のハルシュタイン将軍が霊だとしか思えなくなっていた。

 アリシアが恐怖で硬直している間に、ハルシュタイン将軍は目前まで迫っていた。

「レッツェル」

 再びアリシアの名を呼ぶと、立ち止まってアリシアへと手を伸ばした。やはり声以外の音はしない。

 ハルシュタイン将軍の手がアリシアの肩に触れそうになった瞬間。

「きゃああああああああ!!!」

 アリシアは堪らず悲鳴を上げた。

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