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第1章 アリシアの諜報活動
10 王宮使用人の日常
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やっと改訂前の第1話です。ここから話が動いていきます。
=============
処分が下ってから早3ヶ月。
南半球に位置する魔国ティナドランでは3月に入り、季節も秋へと移りつつある。真夏の暑さが終わり、ようやく過ごしやすい季節になった頃。
「今日のお菓子は?」
アリシアがテーブルの上にお菓子を置くと同時に、いつもの言葉が耳に入ってきた。
これは平常運転だと安心して回答すべきなのか、いい加減にしろと心中で悪態をついて良いものなのか、いっそのこと「いつものです。ご存知ですよね?」と言ってしまっても良いものか。最近はアリシア自身にも分からなくなってきた。何せこれがこの3ヶ月も続いているのだから。
アリシアは今しがた置いた、皿の上に綺麗に盛り付けられたお菓子へ目をやった後、直ぐに質問の主へと笑顔を向ける。
「・・・本日のお菓子はフィナンシェとベリータルトでごさいます。フィナンシェはプレーン、チョコレート、キャラメルの3種を。ベリータルトは苺、ブルーベリー、ラズベリーをカスタードクリームの上に並べ、透明なゼリーでコーティングしております」
アリシアの視線の先にはハルシュタイン将軍とリーネルト将軍が座っている。アリシアが説明している間、ハルシュタイン将軍はニコニコと機嫌良さそうにしているが、その様を呆れ顔でリーネルト将軍が眺めていた。
「そうか。レッツェルはもう食べたか?」
「はい。職務に就く前に」
給仕中にお客にお菓子の味の説明や感想を求められる事があるので、パーラーは毎日少量ではあるが、試食をすることになっている。この事はハルシュタイン将軍も既に知っている事なので、アリシアは簡単に答えつつ、残りのベリータルトもテーブルへと運ぶ。
「君は今日のお菓子の中でどれが一番好きだった?」
「・・・どちらも甲乙付けがたい程美味しいかと。一番は決められません」
(本当はベリータルトが一番好きですけどね)
アリシアは心の中でだけ、素直に答える。
ハルシュタイン将軍はどうやらアリシアの好みを知りたいようで、王宮に来てはアリシアを指名し、毎回必ず「今日のお菓子は食べたか」「どれが一番好きか」と聞いてくる。しかしアリシアはハルシュタイン将軍とリーネルト将軍にはなるべく個人情報を出したくない。何が切っ掛けでアリシアの正体に気付かれるか分からない。危険は回避すべきだ。
なので初めのうちは「私はドが付く程の田舎出身ですので、王都に来るまではこんなに綺麗で美味しいお菓子を見たことがなく。全て気に入っております」と言っていた。最近は先程アリシアが発言した通り、適当に受け流している。
「君はいつもそれだな。お気に入りの一つや二つはあるだろう?」
「ええ、でも全て気に入っておりますので」
呆れ顔のハルシュタイン将軍にお客様向けの笑顔のままで答えると、彼は眉間に皺を寄せた。
これは不機嫌になったのではなく、考えている時のクセだと、リーネルト将軍が一人の時に教えてくれた。
そんな訳でアリシアはハルシュタイン将軍の反応を気にも留めず、カートへ戻って給仕を続ける。
(そろそろいい加減に諦めてくれないかしら。うっかり呆れた顔をしてしまいそうだわ)
いくら何でも王宮の客人に、しかも将軍という、魔王の次の階級に在る人物に、そんな失礼は出来ない。しかしこれが3カ月も続いているのだから、アリシアがうんざりとした気分になるのは仕方ない事だろう。いつか顔に出してしまいそうで怖い。まあ、多少顔に出てしまっても、目の前の二人は気にしなさそうではあるが。
アリシアが紅茶をハルシュタイン将軍の前に置くと、再びいつもの質問が飛んでくる。
「今日の紅茶は何を?」
「本日はヨース産の紅茶でごさいます。こちらは渋みが程よくあり、サッパリとした飲み心地ですので、甘いお菓子と良く合うかと。お茶の色合いは薄いですが、これはオレンジペコー等級の特徴です。紅茶本来の香りが強く、本日のベリータルトによく合うかと存じます」
「・・・・・・クラウスのお陰で、最近はお菓子だけでなく、紅茶にまで詳しくなってきたな」
アリシアの説明が終わると、ずっと呆れ顔をしていたリーネルト将軍がため息をついてそう言った。
「どんな知識でも、あって損はないだろ」
ティーカップを手に持ったハルシュタイン将軍はチラリとリーネルト将軍へと視線を向けて応えるが、リーネルト将軍は変わらず呆れた眼差しをハルシュタイン将軍へと向けている。
(リーネルト将軍・・・まさに私の代弁者)
出来ることならアリシアも呆れた目で見つめてやりたい。ツッコミを入れてやりたい。しかしアリシアの立場はお客様をもてなすパーラー。この国を代表する将軍にそんなことは出来ない。
一方、リーネルト将軍は常識人だ。彼は彼で思った事を言っているのだろうが、その言葉は毎回アリシアの気持ちを代弁していた。
(ありがとうございます)
感謝の気持ちでアリシアがリーネルト将軍の前にもティーカップを置くと、やれやれと言いたげに顔を振ってから手に取り一口飲む。
「ああ、相変わらず紅茶を淹れるのが上手だな。美味しいよ」
ふと顔をほころばせて言うリーネルト将軍に、アリシアも業務用ではない、自然な笑みが浮かんだ。
「もったいないお言葉です。ありがとうございます」
将軍という地位に在る人物に褒めてもらえるのは、とても光栄なことだ。リーネルト将軍には時々こうして褒めていただくが、毎回アリシアは嬉しく思っている。代弁者でもある彼からの言葉は素直に受け止められた。
今回もニコニコとお礼を言った。
「・・・レッツェル。いつも思うが、アレクシスにだけその反応はオカシイだろう」
アリシアはハルシュタイン将軍へと顔を向ける。彼は眉を寄せて目を細めてこちらを見ていた。
(オカシイ・・・?褒められたら嬉しいのは当然だし、嬉しい思いをしたならお礼を言うのは礼儀よね・・・)
言葉の意図が分からず、ジト目でこちらを見ているハルシュタイン将軍を見つめ返す。反応に困っていると、リーネルト将軍から呆れた声が聞こえた。
「オカシイのはクラウス、お前だ」
「・・・私は何もおかしくないだろう」
「自覚がないのか」
「・・・それを言ったらアレクシス、お前だってこの前アイツと会った時の」
「今その話はやめろ」
「自覚はあったのか」
そのまま言い合いが始まったので、アリシアは安堵してカートへと戻る。
(今日はどうしたのかしらね。まあ、リーネルト将軍のお蔭で有耶無耶に出来て助かったけど)
リーネルト将軍に褒められてお礼を言う度に、ハルシュタイン将軍は無言で不満げに見ているのがいつもの流れだったのだが。
(ま、ハルシュタイン将軍が変なのはいつもの事よね)
アリシアはたいして気にもせず、給仕を終えると、言い争っている二人の邪魔をしないように静かに礼をして、壁際へと向かった。
***
職務を終えたアリシアは、王宮の敷地内にある、使用人宿舎へと向かう。
(今日の報告は何をどう上げようかしら)
今日一日何があったのかを思い出しながら、頭の中でまとめ上げていく。その過程でハルシュタイン将軍の事が浮かんだ。
(うーん・・・あれも上げる・・・べきよね)
細かい事であっても、何かあった際に巻き戻って調べられるようにと、普段と違う事があった場合は可能な限り報告を上げるように言われている。
今日のハルシュタイン将軍の言動について報告をすること自体は何ら問題はないのだが、彼が何をしたいのかアリシアにはさっぱり分からない。個人見解の欄は空欄にするしかないのが引っ掛かる所であった。
(まあ、仕方ないか・・・人の心の中なんて分からないのが当たり前だし)
小さく肩をすくめると、アリシアは再び報告内容をまとめる為に今日の出来事を思い出しながら、足を進めた。
使用人宿舎の自室へと帰り着くと、いつも通り1階にある個室風呂でお風呂を済ませた。食事は王宮の賄いで済ませているので、あとは報告をして寝るまでの時間をのんびり過ごすだけだ。
お風呂から自室へ向かいながら、いつも通りまずは報告かな、と考えたところで、アリシアはふと思い立った。
(今日はコーヒーを飲みたい気分ね)
そうだ、そうしようと決めたアリシアは気分が上がった。紅茶も好きだが、実はそれ以上にコーヒーも好きなのだ。
アリシアは部屋に戻って着替えを置くと、キッチンに立つ。
キッチンと言っても水道設備はなく、作業台と収納棚だけだ。こうしてお茶を淹れる場所として用意されている。
アリシアは目の前にある収納棚の扉を開き、中からコーヒー豆が入った缶を取り出す。
(予想以上に高かったけど、やっぱり買っておいて良かった)
フフッとご機嫌に笑いながら、缶を作業台に置く。続いてマグカップとネル、コーヒーミルも収納棚から取り出していく。
先日、非番の日に王宮の近くでコーヒー喫茶店を見つけたアリシアは、久々にコーヒーが飲みたくなり入店した。その店は珍しく物販もしていたので、コーヒー豆とネル、コーヒーミル、コーヒーサーバーを購入しておいたのだ。
ちなみにネルとは、コーヒーを淹れる際に使用する器具で、逆三角錐型の布の中にコーヒーの粉を入れ、そこにお湯を入れてドリップする。
故郷の神聖ルアンキリ国でもネルはあるが、ペーパードリップとサイフォン式が主流だ。魔国ティナドランでもサイフォン式はあるがペーパードリップが無い。サイフォン式は店舗で使用されるのがメジャーなようだ。
アリシアは1杯分のコーヒー豆を計り、コーヒーミルへ入れてハンドルをグルグルと回す。ゴリゴリと音を立てながら粉にしていき、全て挽き終わると粉をネルへと入れる。その際にふわりと舞う香りを楽しみながら、精霊術でポットに水を必要量入れると、適温まで加熱した。1人分なので、コーヒーサーバーではなくマグカップに直接落とすことにして、お湯を少量注ぐ。20秒程蒸らして良い香りが立った後、何度かに分けてお湯を注いでコーヒーをドリップしていった。
「あー・・・いい香り」
数回ゆっくりと呼吸して部屋中に漂う香りを吸い込む。思わず漏れた独り言に、アリシアは小さく苦笑した。
マグカップを持ち上げ、一口だけ味見をする。香りはもちろん、コクと酸味、苦みが程よく出ている。アリシア好みに上手くドリップ出来たようだ。アリシアは味に満足すると、一旦マグカップを作業台の上に置いた。そして片手に持ったままのネルへ目を向ける。
(先に片付けよう)
そう決めると、アリシアは精霊術でネルを乾燥させ、サラサラになったコーヒーカスを紙袋へと捨てる。続けて精霊術で水を出すと、空中でネルを洗浄する。少し水温を上げて汚れを落とすと、水だけ小さなバケツへと入れてバケツの水を乾燥させる。バケツの底に残ったコーヒーカスも紙袋へ捨て、最後に部屋に充満しているコーヒーの良い香りも精霊術で消した。
(・・・残念だなぁ)
せっかく淹れたコーヒーなのだから、良い香りに包まれながらゆっくりと飲みたい。しかしこの香りを部屋の外に漏らすわけにはいかなかった。
アリシアがコーヒーを淹れる全ての作業を精霊術で行ったのにも理由がある。
魔術を行使すると、近くにいる感覚の鋭い魔人には魔力の動きを感知される。しかし精霊術は使用しているところを見られない限り、魔人には分からないようだ。なので気付かれたくない時は精霊術を使う事にしている。
実は魔国ティナドランではコーヒーの生産に適した場所が少ない。輸入しようにも、世界に対して宣戦布告をしているので貿易相手国自体がない。それ故魔国ティナドラン内のコーヒーは流通量が少なく、高級品だ。
人類連合側ではコーヒーは日常的に飲める価格だが、魔国ティナドランではその4倍ほどの価格設定になっている。
コーヒーが高級品であるが故に、一般市民は飲む機会が少ない。飲む機会が少ないのだから、わざわざ高いお金を出して淹れ方も分からない高級品を買う者も少ない。その悪循環の結果、魔国ティナドランではコーヒーを飲んだことが無い一般人が多く、正しい淹れ方を知っている者も少ない。
それ故に、喫茶店であっても店主以外淹れられる者がいない事が多く、そして滅多な事では淹れ方とそれに付随する知識を教えてはくれない。
そんなティナドランの王宮でも、コーヒーを淹れられる者は少ない。現在王宮でコーヒーを淹れられるのはただ一人。それはパーラーや侍女ではなく、シェフだった。厨房は特に人数がギリギリで、コーヒーを入れる余裕は無いと聞いている。
しかし魔王ギルベルトはかなりのコーヒー好きらしい。少し前までもう一人コーヒーを淹れられる使用人がいたそうだが、高齢で退職してしまった。なので王宮はコーヒーを淹れられる使用人を随時募集している。
そんな貴重な人材だからこそ、王宮ではコーヒーを淹れられるパーラーを『上級パーラー』と位置付けている。もしアリシアがコーヒーを淹れられると知られれば、強制的に上級パーラーにされるだろう。ただでさえ目立っているのに、これ以上目立つのは危険だ。
それに『ド田舎出身』であるはずのアメリア=レッツェルが何故コーヒーの知識を持っているのか。それこそ怪しまれてしまう。
(さすがに上級パーラーなんて、ねぇ・・・)
王宮使用人になってから半年も経っていない18歳の女が、先輩達を押しのけて上級パーラーになる状況を思い浮かべて、アリシアは頭を振った。
(無理無理無理。絶対無理。正体がバレる以前の問題よ)
大きくため息をつくと、今日の分の報告をすべく、コーヒーが入ったマグカップを持って机へと向かった。
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処分が下ってから早3ヶ月。
南半球に位置する魔国ティナドランでは3月に入り、季節も秋へと移りつつある。真夏の暑さが終わり、ようやく過ごしやすい季節になった頃。
「今日のお菓子は?」
アリシアがテーブルの上にお菓子を置くと同時に、いつもの言葉が耳に入ってきた。
これは平常運転だと安心して回答すべきなのか、いい加減にしろと心中で悪態をついて良いものなのか、いっそのこと「いつものです。ご存知ですよね?」と言ってしまっても良いものか。最近はアリシア自身にも分からなくなってきた。何せこれがこの3ヶ月も続いているのだから。
アリシアは今しがた置いた、皿の上に綺麗に盛り付けられたお菓子へ目をやった後、直ぐに質問の主へと笑顔を向ける。
「・・・本日のお菓子はフィナンシェとベリータルトでごさいます。フィナンシェはプレーン、チョコレート、キャラメルの3種を。ベリータルトは苺、ブルーベリー、ラズベリーをカスタードクリームの上に並べ、透明なゼリーでコーティングしております」
アリシアの視線の先にはハルシュタイン将軍とリーネルト将軍が座っている。アリシアが説明している間、ハルシュタイン将軍はニコニコと機嫌良さそうにしているが、その様を呆れ顔でリーネルト将軍が眺めていた。
「そうか。レッツェルはもう食べたか?」
「はい。職務に就く前に」
給仕中にお客にお菓子の味の説明や感想を求められる事があるので、パーラーは毎日少量ではあるが、試食をすることになっている。この事はハルシュタイン将軍も既に知っている事なので、アリシアは簡単に答えつつ、残りのベリータルトもテーブルへと運ぶ。
「君は今日のお菓子の中でどれが一番好きだった?」
「・・・どちらも甲乙付けがたい程美味しいかと。一番は決められません」
(本当はベリータルトが一番好きですけどね)
アリシアは心の中でだけ、素直に答える。
ハルシュタイン将軍はどうやらアリシアの好みを知りたいようで、王宮に来てはアリシアを指名し、毎回必ず「今日のお菓子は食べたか」「どれが一番好きか」と聞いてくる。しかしアリシアはハルシュタイン将軍とリーネルト将軍にはなるべく個人情報を出したくない。何が切っ掛けでアリシアの正体に気付かれるか分からない。危険は回避すべきだ。
なので初めのうちは「私はドが付く程の田舎出身ですので、王都に来るまではこんなに綺麗で美味しいお菓子を見たことがなく。全て気に入っております」と言っていた。最近は先程アリシアが発言した通り、適当に受け流している。
「君はいつもそれだな。お気に入りの一つや二つはあるだろう?」
「ええ、でも全て気に入っておりますので」
呆れ顔のハルシュタイン将軍にお客様向けの笑顔のままで答えると、彼は眉間に皺を寄せた。
これは不機嫌になったのではなく、考えている時のクセだと、リーネルト将軍が一人の時に教えてくれた。
そんな訳でアリシアはハルシュタイン将軍の反応を気にも留めず、カートへ戻って給仕を続ける。
(そろそろいい加減に諦めてくれないかしら。うっかり呆れた顔をしてしまいそうだわ)
いくら何でも王宮の客人に、しかも将軍という、魔王の次の階級に在る人物に、そんな失礼は出来ない。しかしこれが3カ月も続いているのだから、アリシアがうんざりとした気分になるのは仕方ない事だろう。いつか顔に出してしまいそうで怖い。まあ、多少顔に出てしまっても、目の前の二人は気にしなさそうではあるが。
アリシアが紅茶をハルシュタイン将軍の前に置くと、再びいつもの質問が飛んでくる。
「今日の紅茶は何を?」
「本日はヨース産の紅茶でごさいます。こちらは渋みが程よくあり、サッパリとした飲み心地ですので、甘いお菓子と良く合うかと。お茶の色合いは薄いですが、これはオレンジペコー等級の特徴です。紅茶本来の香りが強く、本日のベリータルトによく合うかと存じます」
「・・・・・・クラウスのお陰で、最近はお菓子だけでなく、紅茶にまで詳しくなってきたな」
アリシアの説明が終わると、ずっと呆れ顔をしていたリーネルト将軍がため息をついてそう言った。
「どんな知識でも、あって損はないだろ」
ティーカップを手に持ったハルシュタイン将軍はチラリとリーネルト将軍へと視線を向けて応えるが、リーネルト将軍は変わらず呆れた眼差しをハルシュタイン将軍へと向けている。
(リーネルト将軍・・・まさに私の代弁者)
出来ることならアリシアも呆れた目で見つめてやりたい。ツッコミを入れてやりたい。しかしアリシアの立場はお客様をもてなすパーラー。この国を代表する将軍にそんなことは出来ない。
一方、リーネルト将軍は常識人だ。彼は彼で思った事を言っているのだろうが、その言葉は毎回アリシアの気持ちを代弁していた。
(ありがとうございます)
感謝の気持ちでアリシアがリーネルト将軍の前にもティーカップを置くと、やれやれと言いたげに顔を振ってから手に取り一口飲む。
「ああ、相変わらず紅茶を淹れるのが上手だな。美味しいよ」
ふと顔をほころばせて言うリーネルト将軍に、アリシアも業務用ではない、自然な笑みが浮かんだ。
「もったいないお言葉です。ありがとうございます」
将軍という地位に在る人物に褒めてもらえるのは、とても光栄なことだ。リーネルト将軍には時々こうして褒めていただくが、毎回アリシアは嬉しく思っている。代弁者でもある彼からの言葉は素直に受け止められた。
今回もニコニコとお礼を言った。
「・・・レッツェル。いつも思うが、アレクシスにだけその反応はオカシイだろう」
アリシアはハルシュタイン将軍へと顔を向ける。彼は眉を寄せて目を細めてこちらを見ていた。
(オカシイ・・・?褒められたら嬉しいのは当然だし、嬉しい思いをしたならお礼を言うのは礼儀よね・・・)
言葉の意図が分からず、ジト目でこちらを見ているハルシュタイン将軍を見つめ返す。反応に困っていると、リーネルト将軍から呆れた声が聞こえた。
「オカシイのはクラウス、お前だ」
「・・・私は何もおかしくないだろう」
「自覚がないのか」
「・・・それを言ったらアレクシス、お前だってこの前アイツと会った時の」
「今その話はやめろ」
「自覚はあったのか」
そのまま言い合いが始まったので、アリシアは安堵してカートへと戻る。
(今日はどうしたのかしらね。まあ、リーネルト将軍のお蔭で有耶無耶に出来て助かったけど)
リーネルト将軍に褒められてお礼を言う度に、ハルシュタイン将軍は無言で不満げに見ているのがいつもの流れだったのだが。
(ま、ハルシュタイン将軍が変なのはいつもの事よね)
アリシアはたいして気にもせず、給仕を終えると、言い争っている二人の邪魔をしないように静かに礼をして、壁際へと向かった。
***
職務を終えたアリシアは、王宮の敷地内にある、使用人宿舎へと向かう。
(今日の報告は何をどう上げようかしら)
今日一日何があったのかを思い出しながら、頭の中でまとめ上げていく。その過程でハルシュタイン将軍の事が浮かんだ。
(うーん・・・あれも上げる・・・べきよね)
細かい事であっても、何かあった際に巻き戻って調べられるようにと、普段と違う事があった場合は可能な限り報告を上げるように言われている。
今日のハルシュタイン将軍の言動について報告をすること自体は何ら問題はないのだが、彼が何をしたいのかアリシアにはさっぱり分からない。個人見解の欄は空欄にするしかないのが引っ掛かる所であった。
(まあ、仕方ないか・・・人の心の中なんて分からないのが当たり前だし)
小さく肩をすくめると、アリシアは再び報告内容をまとめる為に今日の出来事を思い出しながら、足を進めた。
使用人宿舎の自室へと帰り着くと、いつも通り1階にある個室風呂でお風呂を済ませた。食事は王宮の賄いで済ませているので、あとは報告をして寝るまでの時間をのんびり過ごすだけだ。
お風呂から自室へ向かいながら、いつも通りまずは報告かな、と考えたところで、アリシアはふと思い立った。
(今日はコーヒーを飲みたい気分ね)
そうだ、そうしようと決めたアリシアは気分が上がった。紅茶も好きだが、実はそれ以上にコーヒーも好きなのだ。
アリシアは部屋に戻って着替えを置くと、キッチンに立つ。
キッチンと言っても水道設備はなく、作業台と収納棚だけだ。こうしてお茶を淹れる場所として用意されている。
アリシアは目の前にある収納棚の扉を開き、中からコーヒー豆が入った缶を取り出す。
(予想以上に高かったけど、やっぱり買っておいて良かった)
フフッとご機嫌に笑いながら、缶を作業台に置く。続いてマグカップとネル、コーヒーミルも収納棚から取り出していく。
先日、非番の日に王宮の近くでコーヒー喫茶店を見つけたアリシアは、久々にコーヒーが飲みたくなり入店した。その店は珍しく物販もしていたので、コーヒー豆とネル、コーヒーミル、コーヒーサーバーを購入しておいたのだ。
ちなみにネルとは、コーヒーを淹れる際に使用する器具で、逆三角錐型の布の中にコーヒーの粉を入れ、そこにお湯を入れてドリップする。
故郷の神聖ルアンキリ国でもネルはあるが、ペーパードリップとサイフォン式が主流だ。魔国ティナドランでもサイフォン式はあるがペーパードリップが無い。サイフォン式は店舗で使用されるのがメジャーなようだ。
アリシアは1杯分のコーヒー豆を計り、コーヒーミルへ入れてハンドルをグルグルと回す。ゴリゴリと音を立てながら粉にしていき、全て挽き終わると粉をネルへと入れる。その際にふわりと舞う香りを楽しみながら、精霊術でポットに水を必要量入れると、適温まで加熱した。1人分なので、コーヒーサーバーではなくマグカップに直接落とすことにして、お湯を少量注ぐ。20秒程蒸らして良い香りが立った後、何度かに分けてお湯を注いでコーヒーをドリップしていった。
「あー・・・いい香り」
数回ゆっくりと呼吸して部屋中に漂う香りを吸い込む。思わず漏れた独り言に、アリシアは小さく苦笑した。
マグカップを持ち上げ、一口だけ味見をする。香りはもちろん、コクと酸味、苦みが程よく出ている。アリシア好みに上手くドリップ出来たようだ。アリシアは味に満足すると、一旦マグカップを作業台の上に置いた。そして片手に持ったままのネルへ目を向ける。
(先に片付けよう)
そう決めると、アリシアは精霊術でネルを乾燥させ、サラサラになったコーヒーカスを紙袋へと捨てる。続けて精霊術で水を出すと、空中でネルを洗浄する。少し水温を上げて汚れを落とすと、水だけ小さなバケツへと入れてバケツの水を乾燥させる。バケツの底に残ったコーヒーカスも紙袋へ捨て、最後に部屋に充満しているコーヒーの良い香りも精霊術で消した。
(・・・残念だなぁ)
せっかく淹れたコーヒーなのだから、良い香りに包まれながらゆっくりと飲みたい。しかしこの香りを部屋の外に漏らすわけにはいかなかった。
アリシアがコーヒーを淹れる全ての作業を精霊術で行ったのにも理由がある。
魔術を行使すると、近くにいる感覚の鋭い魔人には魔力の動きを感知される。しかし精霊術は使用しているところを見られない限り、魔人には分からないようだ。なので気付かれたくない時は精霊術を使う事にしている。
実は魔国ティナドランではコーヒーの生産に適した場所が少ない。輸入しようにも、世界に対して宣戦布告をしているので貿易相手国自体がない。それ故魔国ティナドラン内のコーヒーは流通量が少なく、高級品だ。
人類連合側ではコーヒーは日常的に飲める価格だが、魔国ティナドランではその4倍ほどの価格設定になっている。
コーヒーが高級品であるが故に、一般市民は飲む機会が少ない。飲む機会が少ないのだから、わざわざ高いお金を出して淹れ方も分からない高級品を買う者も少ない。その悪循環の結果、魔国ティナドランではコーヒーを飲んだことが無い一般人が多く、正しい淹れ方を知っている者も少ない。
それ故に、喫茶店であっても店主以外淹れられる者がいない事が多く、そして滅多な事では淹れ方とそれに付随する知識を教えてはくれない。
そんなティナドランの王宮でも、コーヒーを淹れられる者は少ない。現在王宮でコーヒーを淹れられるのはただ一人。それはパーラーや侍女ではなく、シェフだった。厨房は特に人数がギリギリで、コーヒーを入れる余裕は無いと聞いている。
しかし魔王ギルベルトはかなりのコーヒー好きらしい。少し前までもう一人コーヒーを淹れられる使用人がいたそうだが、高齢で退職してしまった。なので王宮はコーヒーを淹れられる使用人を随時募集している。
そんな貴重な人材だからこそ、王宮ではコーヒーを淹れられるパーラーを『上級パーラー』と位置付けている。もしアリシアがコーヒーを淹れられると知られれば、強制的に上級パーラーにされるだろう。ただでさえ目立っているのに、これ以上目立つのは危険だ。
それに『ド田舎出身』であるはずのアメリア=レッツェルが何故コーヒーの知識を持っているのか。それこそ怪しまれてしまう。
(さすがに上級パーラーなんて、ねぇ・・・)
王宮使用人になってから半年も経っていない18歳の女が、先輩達を押しのけて上級パーラーになる状況を思い浮かべて、アリシアは頭を振った。
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これで生き残れる…!なんて喜んでいたら最強の騎士は女嫌いの冷徹騎士ジルヴェスターだった!イケメンだが好みじゃないし、意地悪で口が悪い彼とは仲良くなれそうにない!
「アンナ、やはり君は私の妻に一番向いている女だ」
嫌いだと言っているのに、彼は『自分を好きにならない女』を妻にしたいと契約結婚を持ちかけて来た。
私は命を守るため。
彼は偽物の妻を得るため。
お互いの利益のための婚約生活。喧嘩ばかりしていた二人だが…少しずつ距離が近付いていく。そこに健斗ことケントが現れアンナに興味を持ってしまう。
「この命に代えても絶対にアンナを守ると誓おう」
アンナは無事生き残り、幸せになれるのか。
転生した恋を知らない女子高生×女嫌いのイケメン冷徹騎士のラブストーリー!?
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