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09.王弟殿下

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 ケイティが謹慎処分になって数日、学園はいつもの平穏を取り戻していた。
 王太子であるグリフィンも、表向きは普段と変わらない。
 レイチェルはいつものように、学園の食堂で昼食をとる。

「レイチェル……その、ケイティの様子はどうだ? 何か変わったことはないか?」

 食事を終えて食堂を去ろうとしたところ、グリフィンがレイチェルに声をかけてきた。

「いえ、特に何もございませんわ」

 レイチェルはにっこりと微笑んで答える。

「そうか……それならよいのだが……まさかと思うが、いじめたりしていないだろうな?」

 やや声を潜め、グリフィンは疑わしそうな目を向けてくる。

「めっそうもごさいませんわ、殿下。そもそも私はいじめなどいたしませんわ」

 レイチェルはグリフィンの目を真っ直ぐに見ながら告げる。

「そ……そうか」

 グリフィンは少しだけ目を泳がせた。

「その……そうだな、お前もケイティの減刑を願ってくれたのだったな。僕の気を引くためとはいえ、立派な行為だと褒めてやろう。どうだ、嬉しいだろう?」

 グリフィンは尊大な態度で告げる。
 苛立ちそうになるが、レイチェルは心を落ち着けようと深呼吸した。
 魅了の効果は切れたはずだが、どうもまだケイティを特別視しているようだ。
 やはり、もともとケイティに好意を抱いていたのだろうか。

「……殿下は、魅了の効果でケイティにお心を向けていたのではないのですか?」

「何を言い出すのだ、お前は」

 不快そうな表情を浮かべ、グリフィンは低い声を出す。

「王家の血を引く者が、魅了などに惑わされるはずはない。僕は尊き王家の人間だ。生まれながらに特別な存在なのだ」

 グリフィンは胸を張って言い切る。
 その堂々とした態度に、レイチェルは苦笑するしかなかった。

「……そうですわね。失礼しましたわ」

「わかればよいのだ。僕は最も高貴な血を持つ王太子だ。いずれ、この王国における至高の座に就くのだ」

 グリフィンは誇らしげに胸を張る。
 そんなグリフィンの表情を見て、レイチェルは内心でため息をつく。
 彼が本当に王家の血を引いていれば、問題はなかった。
 婚約者の座など、ケイティに譲ってもよかったのだ。
 しかし、それでは結界を強化する儀式に失敗して、王国に災いが降りかかってしまう。

 国王夫妻には、彼以外の子がいない。
 四大公爵家にも、年頃の女子はレイチェルとケイティしかいない。しかし、ケイティは正当な血筋とは言えないのだ。
 正当な四大公爵家の血を引くレイチェルが王太子妃となるしか、儀式を成功に導く手段がなかった。

「では、殿下。私はそろそろ行きますわ」

「ああ、下がれ」

 レイチェルはグリフィンに一礼すると、彼の前から立ち去る。

「どうすればいいのかしら……」

 ため息をつきながら、レイチェルは考える。
 儀式のためには、レイチェルが王太子妃になるしかない。
 しかし、あのような浮気者と結婚などしたくはない。
 かといって、王国に災いをもたらしたくもなかった。

「……王家や四大公爵家以外でも、儀式を行える人間がいれば」

 ふと、レイチェルは呟く。
 しかし、すぐに首を横に振った。

 小説の設定では、王国の結界を強化できる人間は、王家の血を引く者だけだ。
 四大公爵家も王家の分家筋ではあるので、強化儀式の能力を持つ血筋ではある。
 しかし、本筋の王家と比べるとその力は弱いとされている。
 それでも、レイチェルが儀式に臨めば、成功する確率は高いはずだ。

「……いっそ、別の四大公爵家の令息と結婚して子をもうけて……いえ、王太子という存在がいるのにそれは、下手をすれば反逆……でも、他に方法が……」

 レイチェルは考え込みながら、廊下を歩く。
 やがて図書室の近くを通りかかった。
 ここのところ結界や儀式について手がかりを得られないだろうかと、資料を漁っているが、芳しい結果は得られていない。

「あら、あれは……」

 図書室から出てきた人影を見て、レイチェルは小さく声を上げる。
 人影は、カーティスとハロルドだった。
 二人は楽しそうに会話しながら、並んで歩いている。
 思わず身を隠しながら、レイチェルは二人の様子をうかがった。
 何を話しているかはよくわからないが、二人は仲良く談笑しているようだ。

「どういうこと……?」

 レイチェルは眉を寄せた。
 小説にも出てこなかった謎の青年カーティスは、ハロルドと仲が良いようだ。

 実はハロルドは、隣国の密偵である。
 先日は、ケイティが証拠もなしに糾弾を始めてしまったために、魅了の腕輪の効果でおかしくなってしまったための戯言として片付けられた。
 だが、実際には彼女の言ったことは間違っていないのだ。
 留学生として学園に潜り込んだハロルドは、王国の動向を探り、隣国に報告するのが任務である。
 ということは、カーティスも隣国の密偵、あるいは協力者なのだろうか。

「……怪しいわね」

 レイチェルはカーティスを眺めながら、ぼそりと呟く。
 そんな時、背後から声をかけられた。

「レイチェル? こんなところで何をしているんだ?」

 驚いて振り返ると、兄ジェイクが立っていた。

「お兄さま……いえ、何でもありませんわ。図書室に行こうかと思っていただけですわ」

 レイチェルは微笑みを浮かべながら、ごまかす。

「そうか。……おや? あれは……」

 ジェイクはカーティスとハロルドの姿を見つけ、首を傾げる。

「カーティス殿下じゃないか。久しぶりにお見かけしたような気がするなあ」

 ジェイクは感慨深そうに言った。

「殿下?」

 ジェイクの言葉に、レイチェルは首を傾げる。
 すると、ジェイクが怪訝そうな顔でレイチェルを見つめ返した。

「どうしたんだ、レイチェル? 殿下を覚えていないのか?」

「え……?」

 ジェイクの言葉に、レイチェルは戸惑った。
 小説の中にも彼は出てこなかったはずだ。現在のレイチェルの記憶としても、彼に心当たりはない。

「そうか……引き離されたことが、よほどショックだったんだな。お前は幼い頃、殿下にとても懐いていたからな。それで、心を守るために殿下のことを忘れてしまったのだろう」

 ジェイクは悲しげな表情を浮かべると、レイチェルの頭を撫でた。

「え……いえ、私は……」

 レイチェルは困惑するしかなかった。

「あの方は、カーティス王弟殿下。国王陛下の腹違いの弟で……これは大きな声では言えないが、母君は正嫡のスーノン公爵令嬢……つまり、現在の国王陛下よりも正当なお血筋のお方なのさ」

 ジェイクは声を潜めて、告げる。

「お……王弟殿下!?」

 レイチェルは驚愕に目を見開く。
 兄の言うことが本当ならば、完全に儀式を成功に導ける人物ではないか。カーティスが国王となれば、これまでの悩みが全て解決してしまう。

「そ……そんな……だって、そんなことは……」

 レイチェルは動揺を隠せず、口元を手で覆いながらよろめく。

「……怪しすぎる」

 誰にも聞こえないほどの小さな声で、レイチェルは呟いた。
 小説には登場しなかったはずのカーティスが、まるでレイチェルの悩みを見透かしたように現れたのだ。
 あまりも都合が良すぎて、かえって怪しい。
 まるで、小説の筋書きを変えるために用意されたかのような彼の存在に、レイチェルは不信感を覚えずにはいられなかった。
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