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06.今夜、閨に来い
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アイリスは一人、王太子宮に向かっていた。
王妃から預かった手紙を王太子に渡すためである。
王太子に会うことができるようにと、王妃付き侍女の立場を与えられたのだ。
直接渡すようにと言いつかった手紙を大切に持ちながら、あっけなく機会が訪れたことに、アイリスはいささか拍子抜けしていた。
今度こそ、感情を抑えてじっくりと好機を探るのだ。
隙を見て命を奪えばよいというものではない。姉への行いを謝罪させ、跪いて命乞いをしたところで、希望を刈り取るのが理想だ。
また、できることならばヘイズ子爵家に累が及ばぬようにしたい。
気が小さく、見た目もぱっとしない義父ではあるが、憎めないところがある。
新しく雇ったメイドのこともあり、アイリスの生家のように取り潰しになってしまうような事態は避けたかった。
「おや、このあたりでは見ない顔ですね。ええと……王妃殿下の侍女、ですか」
物思いにふけっていたところ、声をかけられてアイリスははっとする。
声の主を見ると、四十代後半くらいの長身の男性だった。短い銀色の髪に、鋭い光を放つ青色の瞳の持ち主だ。初めて見る顔のはずだが、アイリスは既視感を覚える。
この感覚は何だろうと戸惑っていると、男性は目を細めた。
「甥のご機嫌伺いに行った帰り、あまり見かけないものを見たものでしてね。少々気になり、声をかけてみたのですよ」
この言葉を聞き、アイリスは彼が誰であるかを察した。
宰相である、ブラックバーン公爵だろう。前王妃の兄であり、王太子にとっては伯父にあたる人物だ。
遠くから見たことはあったので、既視感はそのためかと、アイリスは納得する。
「失礼いたしました、宰相閣下。王太子殿下に、王妃殿下からの預かりものをお届けするところでございます」
「そうでしたか、王妃殿下から……その色のブローチということは、かなりお気に入りのようですね」
ブラックバーン公爵は、アイリスのドレスを飾る、百合をかたどったブローチに視線を向ける。銀製で、蒼玉が埋め込まれたものだ。
王妃付き侍女の証だと授けられたが、色によって違いがあるとは知らなかった。
「ただ……いつも思うのですが、そのブローチはバランスが少々いびつに見えるのですよね。宝石を中心として、左右が非対称なのがどうしても……ああ、つまらぬことを申しましたね。他意はないのですよ」
独白するブラックバーン公爵だが、途中でアイリスが目の前にいることを思い出したのか、取りやめて微笑む。
本当に他意がないとは思えず、アイリスは表情が歪んでしまいそうになるのを、必死に抑える。
「甥は慎みのない女性に、うんざりしているようでしてね。あなたもわきまえておくことを、おすすめいたしますよ」
そう言い残して、ブラックバーン公爵は去っていった。
残されたアイリスは、今のは警告や牽制といったものなのだろうと考え込む。
ブラックバーン公爵は王太子の伯父なのだから、もちろん王太子派だろう。王妃付き侍女であるアイリスを警戒するのは、当然のことに思えた。
今の言葉も、王妃との敵対関係を匂わせているようでもある。
だが、ブラックバーン公爵にどのような思惑があろうとも、アイリスのするべきことは変わらない。
今の出来事は心の片隅に留めておくだけにして、アイリスは再び歩き出した。
王太子が椅子に座って手紙を読むのを、アイリスは立ちながら静かに見守る。
最初は侍従が手紙を受取ろうとしたのだが、直接お渡ししてお返事をいただくように言いつかっていると言えば、すんなりと執務室に通されたのだ。
つまらなさそうな顔で手紙を受け取った王太子だが、すぐに読み始めた。手紙を持ってきたアイリスのことは、動く人形くらいに思っているのか、気に留めていないようだ。
先日の夜会で、王太子にはとんでもない場面を見られていたはずだが、それを指摘されることはなかった。もう忘れているのかもしれない。
安堵しながら、アイリスは王太子の様子をこっそり観察する。
もう憎しみで我を忘れることがないようにと、心の一部に鍵をかけて封じた。今は、冷静な目で見ることができる。
手紙に視線を落とす姿は気だるげでありながら、どことなく風格を感じさせる。
便箋をめくる手の動きは優雅で、何気ない仕草にも品が漂う。
見目も良く、その場にただいるだけで、惹き付けられるような華がある存在だ。
先日もメイドを斬り捨ててしまったというが、こうして見ている分には、そのような狂気をはらんでいるとは思えなかった。
「……ふん」
やがて、王太子が手紙を机の上に放り投げる。読み終わったらしい。
くだらないとでも言うように息を吐くと、アイリスに視線を向けてくる。
その目は冷ややかで、嘲りを含んでいるようだった。値踏みするようにしばし見つめた後、王太子は冷淡な笑みを浮かべる。
「いいだろう、了承した。今夜、閨に来い」
淡々と告げられた内容をすぐに理解できず、アイリスは固まった。
これは、夜の相手をしろということだろう。今までにそういった類いの誘いを受けたことは幾度となくあったが、今の状況から出てくるような内容ではないはずだ。
見た目からは狂気がうかがえないと思ったが、それは間違いだったとアイリスは思い知らされる。
「……お手紙のお返事をいただけますか?」
努めて冷静に、アイリスは問いかける。
手紙の内容は知らないが、王妃からは返事をもらうように言われているのだ。
「これが返事だ。もう下がっていいぞ。……誰か、案内してやれ」
王太子はあっさりとそう答えると、侍従に向けて命じた。そして、もう興味を失ったようにアイリスから視線をはずし、執務に戻る。
それ以上何か尋ねることも許されず、アイリスは執務室から追い出された。
王妃から預かった手紙を王太子に渡すためである。
王太子に会うことができるようにと、王妃付き侍女の立場を与えられたのだ。
直接渡すようにと言いつかった手紙を大切に持ちながら、あっけなく機会が訪れたことに、アイリスはいささか拍子抜けしていた。
今度こそ、感情を抑えてじっくりと好機を探るのだ。
隙を見て命を奪えばよいというものではない。姉への行いを謝罪させ、跪いて命乞いをしたところで、希望を刈り取るのが理想だ。
また、できることならばヘイズ子爵家に累が及ばぬようにしたい。
気が小さく、見た目もぱっとしない義父ではあるが、憎めないところがある。
新しく雇ったメイドのこともあり、アイリスの生家のように取り潰しになってしまうような事態は避けたかった。
「おや、このあたりでは見ない顔ですね。ええと……王妃殿下の侍女、ですか」
物思いにふけっていたところ、声をかけられてアイリスははっとする。
声の主を見ると、四十代後半くらいの長身の男性だった。短い銀色の髪に、鋭い光を放つ青色の瞳の持ち主だ。初めて見る顔のはずだが、アイリスは既視感を覚える。
この感覚は何だろうと戸惑っていると、男性は目を細めた。
「甥のご機嫌伺いに行った帰り、あまり見かけないものを見たものでしてね。少々気になり、声をかけてみたのですよ」
この言葉を聞き、アイリスは彼が誰であるかを察した。
宰相である、ブラックバーン公爵だろう。前王妃の兄であり、王太子にとっては伯父にあたる人物だ。
遠くから見たことはあったので、既視感はそのためかと、アイリスは納得する。
「失礼いたしました、宰相閣下。王太子殿下に、王妃殿下からの預かりものをお届けするところでございます」
「そうでしたか、王妃殿下から……その色のブローチということは、かなりお気に入りのようですね」
ブラックバーン公爵は、アイリスのドレスを飾る、百合をかたどったブローチに視線を向ける。銀製で、蒼玉が埋め込まれたものだ。
王妃付き侍女の証だと授けられたが、色によって違いがあるとは知らなかった。
「ただ……いつも思うのですが、そのブローチはバランスが少々いびつに見えるのですよね。宝石を中心として、左右が非対称なのがどうしても……ああ、つまらぬことを申しましたね。他意はないのですよ」
独白するブラックバーン公爵だが、途中でアイリスが目の前にいることを思い出したのか、取りやめて微笑む。
本当に他意がないとは思えず、アイリスは表情が歪んでしまいそうになるのを、必死に抑える。
「甥は慎みのない女性に、うんざりしているようでしてね。あなたもわきまえておくことを、おすすめいたしますよ」
そう言い残して、ブラックバーン公爵は去っていった。
残されたアイリスは、今のは警告や牽制といったものなのだろうと考え込む。
ブラックバーン公爵は王太子の伯父なのだから、もちろん王太子派だろう。王妃付き侍女であるアイリスを警戒するのは、当然のことに思えた。
今の言葉も、王妃との敵対関係を匂わせているようでもある。
だが、ブラックバーン公爵にどのような思惑があろうとも、アイリスのするべきことは変わらない。
今の出来事は心の片隅に留めておくだけにして、アイリスは再び歩き出した。
王太子が椅子に座って手紙を読むのを、アイリスは立ちながら静かに見守る。
最初は侍従が手紙を受取ろうとしたのだが、直接お渡ししてお返事をいただくように言いつかっていると言えば、すんなりと執務室に通されたのだ。
つまらなさそうな顔で手紙を受け取った王太子だが、すぐに読み始めた。手紙を持ってきたアイリスのことは、動く人形くらいに思っているのか、気に留めていないようだ。
先日の夜会で、王太子にはとんでもない場面を見られていたはずだが、それを指摘されることはなかった。もう忘れているのかもしれない。
安堵しながら、アイリスは王太子の様子をこっそり観察する。
もう憎しみで我を忘れることがないようにと、心の一部に鍵をかけて封じた。今は、冷静な目で見ることができる。
手紙に視線を落とす姿は気だるげでありながら、どことなく風格を感じさせる。
便箋をめくる手の動きは優雅で、何気ない仕草にも品が漂う。
見目も良く、その場にただいるだけで、惹き付けられるような華がある存在だ。
先日もメイドを斬り捨ててしまったというが、こうして見ている分には、そのような狂気をはらんでいるとは思えなかった。
「……ふん」
やがて、王太子が手紙を机の上に放り投げる。読み終わったらしい。
くだらないとでも言うように息を吐くと、アイリスに視線を向けてくる。
その目は冷ややかで、嘲りを含んでいるようだった。値踏みするようにしばし見つめた後、王太子は冷淡な笑みを浮かべる。
「いいだろう、了承した。今夜、閨に来い」
淡々と告げられた内容をすぐに理解できず、アイリスは固まった。
これは、夜の相手をしろということだろう。今までにそういった類いの誘いを受けたことは幾度となくあったが、今の状況から出てくるような内容ではないはずだ。
見た目からは狂気がうかがえないと思ったが、それは間違いだったとアイリスは思い知らされる。
「……お手紙のお返事をいただけますか?」
努めて冷静に、アイリスは問いかける。
手紙の内容は知らないが、王妃からは返事をもらうように言われているのだ。
「これが返事だ。もう下がっていいぞ。……誰か、案内してやれ」
王太子はあっさりとそう答えると、侍従に向けて命じた。そして、もう興味を失ったようにアイリスから視線をはずし、執務に戻る。
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