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24.ジョナスの誘い

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「やあ、よく来てくれたね」

 王子宮を訪れたアイリスを、第二王子ジョナスはにこやかに迎えた。
 アイリスが滞在している王太子宮と比べると、簡素といえる部屋だ。
 誘いを受けることによる後ろめたさはあったが、それよりも彼から何かを聞き出せるかもしれないという期待が勝った。
 レオナルドに尋ねたところで、まともに答えてくれないような気がしたのだ。また、今は顔を合わせること自体に戸惑いがある。
 まだ昼過ぎの明るい時間のため、おかしなことにはならないだろうという思いもあった。

「僕のことは気軽にジョナスと呼んでくれ。月雫花の酒を用意してある」

 にこやかなジョナスの言葉に、アイリスは己の思いが浅はかであったことを知る。
 媚薬の原料となる月雫花を使った酒など、用途は明らかだ。

「……お酒は遠慮いたしますわ」

 アイリスが率直に断ると、ジョナスは首を傾げた。

「そのつもりで来たのではないのかい?」

 不思議そうに問いかけてくるジョナスに不快感といったものはうかがえず、本気でわからないといった様子だ。

「……はい?」

「今後の身の振り方を考えてのことだろう? 今は兄上の寵愛があるとはいえ、かりそめのものだ。兄上はいずれ王位を継ぐ身、王妃になれるなど思っていないだろう?」

 問いかけられ、アイリスは唖然とする。
 もともと王妃の座など望んでいない。寵愛がかりそめのものであることも、知っている。
 それなのに、少しだけ胸が疼く。
 だが、すぐにアイリスは思いを振り払う。それよりも、今後の身の振り方とやらに繋がるのは何故かと疑問を抱く。

「正妃どころか、側妃だって無理だろう。でも、僕は兄上よりは自由がきく。僕ならきみを側妃にすることだってできるんだよ」

 さわやかな笑顔のジョナスを見つめながら、そういうことかとアイリスは納得する。
 良い条件の男を渡り歩く女だと思われているのだろう。
 社交界でのアイリスのイメージそのものだ。今さら腹を立てるようなことではない。
 ただ、レオナルドはそういった目で見てきたことはなかったと、ふと思う。

「ジョナス殿下は、本当に私を側妃にする気がおありですの?」

「もちろん、その可能性もある」

 にこやかに答えるジョナスの顔を見て、これは口先だけだとアイリスは直感する。
 甘い言葉で釣り上げて味見をしたら、その後はうやむやにして逃げるつもりだろう。
 最初から側妃の誘いなど受けるつもりはないが、ここに来た目的は彼から何かを聞き出すことなのだ。
 ここはどう振る舞うべきかと、アイリスは悩む。

「このまま兄上のもとにいたところで、せいぜい愛妾止まりだろう。側妃から正妃になった母上のようにはなれないよ。母上はもともと、下位とはいえ貴族の出身だ。きみとは違う」

 アイリスが悩んでいるのを、レオナルドとジョナスを天秤にかけているとでも思ったのか、ジョナスは畳みかけてくる。
 この言葉からすると、アイリスが平民から貴族の養女になったという噂を信じているようだ。

「その母上だって正妃昇格には、反乱を未然に防いだという功績あってのことだよ。義理の姉が牢獄で毒杯を仰ぐ事態を招き、母上は泣いていた。己の感情よりも、国のことを優先したんだ」

「義理の姉?」

 初めて聞く話だった。アイリスは思わず、言葉をなぞる。

「母上が養女となった家の、実の娘だよ。もっとも、母上が養女となったときは、すでに嫁に出てフォーサイス侯爵夫人となっていたらしいけれど」

「フォーサイス侯爵夫人……!?」

 アイリスは目を見開き、前のめりになる。
 まさかその名を聞くとは思わなかった。かつてアイリスの存在を無視し、フォーサイス家の血を引かぬ卑しい孤児と言い放ったのがフォーサイス侯爵夫人だ。
 彼女が王妃と縁戚だとは知らなかった。

「おや、もしかして知っているのかい? そう、ジゼル嬢の母君だよ。反乱未遂事件がなければ……いや、まあそれはいいや。あの事件以来、母上に遠慮しているのか、フォーサイス家のことは誰も触れようとしないね」

 どうやら、王妃はフォーサイス家の事件に関わっていたらしい。それも、それ以来腫れ物扱いになっているようだ。
 何かが引っかかる。アイリスは得体のしれない不安がこみあげてきた。

「……その、王妃殿下が反乱を未然に防いだというのは、いったい……」

「興味があるのかい?」

 問いかけようとするアイリスを眺め、ジョナスは唇の端をつり上げる。
 その笑みは、獲物を捕らえようとする獣のようだった。レオナルドと似たものを感じて、アイリスはぞくりと背筋に冷たいものが走る。

「それなら寝台の上で、じっくり話してあげよう」

 熱を帯びた眼差しを向けられ、アイリスは唇を噛む。
 ジョナスは口の軽いところがあるというのは目論見どおりだったようだが、狡猾さも持ち合わせていたようだ。
 誘いに乗らなければ、話してはくれないだろう。

 王妃とフォーサイス家の事件の関わり、そしてジゼルが薬で錯乱したということ。
 とても気になる情報だ。
 身を差し出すだけの価値はあると、以前のアイリスならばためらわなかっただろう。
 しかし、今はレオナルドの顔が頭にちらついてしまう。

「もちろん兄上には内緒にしておくよ。きみが黙っていれば、誰もわからない」

 ジョナスは甘く囁きながら、アイリスの頬に手を伸ばして触れる。
 その途端、アイリスは嫌悪感に襲われた。全身がぞわぞわとして、気持ちが悪い。
 以前に出席していた夜会などでも、この程度の接触はあった。そのときは、このような不快感はなかったはずだ。
 だからといって、ジョナスがそのときの男たちと比べて低劣というわけではない。
 軽率さはあっても、さすが王族だけあって品がある。見目も良い。むしろ、彼らよりも上等といえるだろう。

 それなのに何故と、アイリスは戸惑う。
 最近ではレオナルドしか触れてこないが、そのときは不快感などなかった。
 驚いて身をすくませたことはあったものの、嫌だとは一度も思わなかったのだ。
 今も、この手がもしレオナルドのものであれば、きっと嫌悪感などなかっただろう。

「兄上とは毎晩楽しんでいるんだろう? 何だったら、僕を兄上と思ってくれてもいいよ。兄弟なのだし、似ているところはあるだろう?」

 顔を寄せながら囁いてくるジョナスの言葉で、アイリスは耐え切れなくなった。
 激情が心の奥底からわき上がり、理性を保てない。
 アイリスは勢い任せに、近付いてきたジョナスの顔面を平手で押し返す。

「ぶほぉ……っ!」

 間抜けな声を漏らすジョナスの足下に向け、アイリスは素早く己の足を横に払う。
 顔への衝撃で怯んでいたジョナスは、あっさりと引っかかり、その場に転んだ。

「あなたはレオナルドさまではありません! 失礼いたします!」

 アイリスは言い捨てると、床に尻もちをつくジョナスに背を向けて立ち去った。
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