暗殺令嬢は標的の王太子に溺愛される~欲しいのは愛ではなく、あなたのお命です~

葵 すみれ

文字の大きさ
24 / 41

24.ジョナスの誘い

しおりを挟む
「やあ、よく来てくれたね」

 王子宮を訪れたアイリスを、第二王子ジョナスはにこやかに迎えた。
 アイリスが滞在している王太子宮と比べると、簡素といえる部屋だ。
 誘いを受けることによる後ろめたさはあったが、それよりも彼から何かを聞き出せるかもしれないという期待が勝った。
 レオナルドに尋ねたところで、まともに答えてくれないような気がしたのだ。また、今は顔を合わせること自体に戸惑いがある。
 まだ昼過ぎの明るい時間のため、おかしなことにはならないだろうという思いもあった。

「僕のことは気軽にジョナスと呼んでくれ。月雫花の酒を用意してある」

 にこやかなジョナスの言葉に、アイリスは己の思いが浅はかであったことを知る。
 媚薬の原料となる月雫花を使った酒など、用途は明らかだ。

「……お酒は遠慮いたしますわ」

 アイリスが率直に断ると、ジョナスは首を傾げた。

「そのつもりで来たのではないのかい?」

 不思議そうに問いかけてくるジョナスに不快感といったものはうかがえず、本気でわからないといった様子だ。

「……はい?」

「今後の身の振り方を考えてのことだろう? 今は兄上の寵愛があるとはいえ、かりそめのものだ。兄上はいずれ王位を継ぐ身、王妃になれるなど思っていないだろう?」

 問いかけられ、アイリスは唖然とする。
 もともと王妃の座など望んでいない。寵愛がかりそめのものであることも、知っている。
 それなのに、少しだけ胸が疼く。
 だが、すぐにアイリスは思いを振り払う。それよりも、今後の身の振り方とやらに繋がるのは何故かと疑問を抱く。

「正妃どころか、側妃だって無理だろう。でも、僕は兄上よりは自由がきく。僕ならきみを側妃にすることだってできるんだよ」

 さわやかな笑顔のジョナスを見つめながら、そういうことかとアイリスは納得する。
 良い条件の男を渡り歩く女だと思われているのだろう。
 社交界でのアイリスのイメージそのものだ。今さら腹を立てるようなことではない。
 ただ、レオナルドはそういった目で見てきたことはなかったと、ふと思う。

「ジョナス殿下は、本当に私を側妃にする気がおありですの?」

「もちろん、その可能性もある」

 にこやかに答えるジョナスの顔を見て、これは口先だけだとアイリスは直感する。
 甘い言葉で釣り上げて味見をしたら、その後はうやむやにして逃げるつもりだろう。
 最初から側妃の誘いなど受けるつもりはないが、ここに来た目的は彼から何かを聞き出すことなのだ。
 ここはどう振る舞うべきかと、アイリスは悩む。

「このまま兄上のもとにいたところで、せいぜい愛妾止まりだろう。側妃から正妃になった母上のようにはなれないよ。母上はもともと、下位とはいえ貴族の出身だ。きみとは違う」

 アイリスが悩んでいるのを、レオナルドとジョナスを天秤にかけているとでも思ったのか、ジョナスは畳みかけてくる。
 この言葉からすると、アイリスが平民から貴族の養女になったという噂を信じているようだ。

「その母上だって正妃昇格には、反乱を未然に防いだという功績あってのことだよ。義理の姉が牢獄で毒杯を仰ぐ事態を招き、母上は泣いていた。己の感情よりも、国のことを優先したんだ」

「義理の姉?」

 初めて聞く話だった。アイリスは思わず、言葉をなぞる。

「母上が養女となった家の、実の娘だよ。もっとも、母上が養女となったときは、すでに嫁に出てフォーサイス侯爵夫人となっていたらしいけれど」

「フォーサイス侯爵夫人……!?」

 アイリスは目を見開き、前のめりになる。
 まさかその名を聞くとは思わなかった。かつてアイリスの存在を無視し、フォーサイス家の血を引かぬ卑しい孤児と言い放ったのがフォーサイス侯爵夫人だ。
 彼女が王妃と縁戚だとは知らなかった。

「おや、もしかして知っているのかい? そう、ジゼル嬢の母君だよ。反乱未遂事件がなければ……いや、まあそれはいいや。あの事件以来、母上に遠慮しているのか、フォーサイス家のことは誰も触れようとしないね」

 どうやら、王妃はフォーサイス家の事件に関わっていたらしい。それも、それ以来腫れ物扱いになっているようだ。
 何かが引っかかる。アイリスは得体のしれない不安がこみあげてきた。

「……その、王妃殿下が反乱を未然に防いだというのは、いったい……」

「興味があるのかい?」

 問いかけようとするアイリスを眺め、ジョナスは唇の端をつり上げる。
 その笑みは、獲物を捕らえようとする獣のようだった。レオナルドと似たものを感じて、アイリスはぞくりと背筋に冷たいものが走る。

「それなら寝台の上で、じっくり話してあげよう」

 熱を帯びた眼差しを向けられ、アイリスは唇を噛む。
 ジョナスは口の軽いところがあるというのは目論見どおりだったようだが、狡猾さも持ち合わせていたようだ。
 誘いに乗らなければ、話してはくれないだろう。

 王妃とフォーサイス家の事件の関わり、そしてジゼルが薬で錯乱したということ。
 とても気になる情報だ。
 身を差し出すだけの価値はあると、以前のアイリスならばためらわなかっただろう。
 しかし、今はレオナルドの顔が頭にちらついてしまう。

「もちろん兄上には内緒にしておくよ。きみが黙っていれば、誰もわからない」

 ジョナスは甘く囁きながら、アイリスの頬に手を伸ばして触れる。
 その途端、アイリスは嫌悪感に襲われた。全身がぞわぞわとして、気持ちが悪い。
 以前に出席していた夜会などでも、この程度の接触はあった。そのときは、このような不快感はなかったはずだ。
 だからといって、ジョナスがそのときの男たちと比べて低劣というわけではない。
 軽率さはあっても、さすが王族だけあって品がある。見目も良い。むしろ、彼らよりも上等といえるだろう。

 それなのに何故と、アイリスは戸惑う。
 最近ではレオナルドしか触れてこないが、そのときは不快感などなかった。
 驚いて身をすくませたことはあったものの、嫌だとは一度も思わなかったのだ。
 今も、この手がもしレオナルドのものであれば、きっと嫌悪感などなかっただろう。

「兄上とは毎晩楽しんでいるんだろう? 何だったら、僕を兄上と思ってくれてもいいよ。兄弟なのだし、似ているところはあるだろう?」

 顔を寄せながら囁いてくるジョナスの言葉で、アイリスは耐え切れなくなった。
 激情が心の奥底からわき上がり、理性を保てない。
 アイリスは勢い任せに、近付いてきたジョナスの顔面を平手で押し返す。

「ぶほぉ……っ!」

 間抜けな声を漏らすジョナスの足下に向け、アイリスは素早く己の足を横に払う。
 顔への衝撃で怯んでいたジョナスは、あっさりと引っかかり、その場に転んだ。

「あなたはレオナルドさまではありません! 失礼いたします!」

 アイリスは言い捨てると、床に尻もちをつくジョナスに背を向けて立ち去った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

転生したら悪役令嬢だった婚約者様の溺愛に気づいたようですが、実は私も無関心でした

ハリネズミの肉球
恋愛
気づけば私は、“悪役令嬢”として断罪寸前――しかも、乙女ゲームのクライマックス目前!? 容赦ないヒロインと取り巻きたちに追いつめられ、開き直った私はこう言い放った。 「……まぁ、別に婚約者様にも未練ないし?」 ところが。 ずっと私に冷たかった“婚約者様”こと第一王子アレクシスが、まさかの豹変。 無関心だったはずの彼が、なぜか私にだけやたらと優しい。甘い。距離が近い……って、え、なにこれ、溺愛モード突入!?今さらどういうつもり!? でも、よく考えたら―― 私だって最初からアレクシスに興味なんてなかったんですけど?(ほんとに) お互いに「どうでもいい」と思っていたはずの関係が、“転生”という非常識な出来事をきっかけに、静かに、でも確実に動き始める。 これは、すれ違いと誤解の果てに生まれる、ちょっとズレたふたりの再恋(?)物語。 じれじれで不器用な“無自覚すれ違いラブ”、ここに開幕――! 本作は、アルファポリス様、小説家になろう様、カクヨム様にて掲載させていただいております。 アイデア提供者:ゆう(YuFidi) URL:https://note.com/yufidi88/n/n8caa44812464

悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜

咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。 もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。 一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…? ※これはかなり人を選ぶ作品です。 感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。 それでも大丈夫って方は、ぜひ。

ヒロインしか愛さないはずの公爵様が、なぜか悪女の私を手放さない

魚谷
恋愛
伯爵令嬢イザベラは多くの男性と浮名を流す悪女。 そんな彼女に公爵家当主のジークベルトとの縁談が持ち上がった。 ジークベルトと対面した瞬間、前世の記憶がよみがえり、この世界が乙女ゲームであることを自覚する。 イザベラは、主要攻略キャラのジークベルトの裏の顔を知ってしまったがために、冒頭で殺されてしまうモブキャラ。 ゲーム知識を頼りに、どうにか冒頭死を回避したイザベラは最弱魔法と言われる付与魔法と前世の知識を頼りに便利グッズを発明し、離婚にそなえて資金を確保する。 いよいよジークベルトが、乙女ゲームのヒロインと出会う。 離婚を切り出されることを待っていたイザベラだったが、ジークベルトは平然としていて。 「どうして俺がお前以外の女を愛さなければならないんだ?」 予想外の溺愛が始まってしまう! (世界の平和のためにも)ヒロインに惚れてください、公爵様!!

無事にバッドエンドは回避できたので、これからは自由に楽しく生きていきます。

木山楽斗
恋愛
悪役令嬢ラナトゥーリ・ウェルリグルに転生した私は、無事にゲームのエンディングである魔法学校の卒業式の日を迎えていた。 本来であれば、ラナトゥーリはこの時点で断罪されており、良くて国外追放になっているのだが、私は大人しく生活を送ったおかげでそれを回避することができていた。 しかしながら、思い返してみると私の今までの人生というものは、それ程面白いものではなかったように感じられる。 特に友達も作らず勉強ばかりしてきたこの人生は、悪いとは言えないが少々彩りに欠けているような気がしたのだ。 せっかく掴んだ二度目の人生を、このまま終わらせていいはずはない。 そう思った私は、これからの人生を楽しいものにすることを決意した。 幸いにも、私はそれ程貴族としてのしがらみに縛られている訳でもない。多少のわがままも許してもらえるはずだ。 こうして私は、改めてゲームの世界で新たな人生を送る決意をするのだった。 ※一部キャラクターの名前を変更しました。(リウェルド→リベルト)

逃げたい悪役令嬢と、逃がさない王子

ねむたん
恋愛
セレスティーナ・エヴァンジェリンは今日も王宮の廊下を静かに歩きながら、ちらりと視線を横に流した。白いドレスを揺らし、愛らしく微笑むアリシア・ローゼンベルクの姿を目にするたび、彼女の胸はわずかに弾む。 (その調子よ、アリシア。もっと頑張って! あなたがしっかり王子を誘惑してくれれば、私は自由になれるのだから!) 期待に満ちた瞳で、影からこっそり彼女の奮闘を見守る。今日こそレオナルトがアリシアの魅力に落ちるかもしれない——いや、落ちてほしい。

勘違いで嫁ぎましたが、相手が理想の筋肉でした!

エス
恋愛
「男性の魅力は筋肉ですわっ!!」 華奢な男がもてはやされるこの国で、そう豪語する侯爵令嬢テレーゼ。 縁談はことごとく破談し、兄アルベルトも王太子ユリウスも頭を抱えていた。 そんな折、騎士団長ヴォルフがユリウスの元に「若い女性を紹介してほしい」と相談に現れる。 よく見ればこの男──家柄よし、部下からの信頼厚し、そして何より、圧巻の筋肉!! 「この男しかいない!」とユリウスは即断し、テレーゼとの結婚話を進める。 ところがテレーゼが嫁いだ先で、当のヴォルフは、 「俺は……メイドを紹介してほしかったんだが!?」 と何やら焦っていて。 ……まあ細かいことはいいでしょう。 なにせ、その腕、その太もも、その背中。 最高の筋肉ですもの! この結婚、全力で続行させていただきますわ!! 女性不慣れな不器用騎士団長 × 筋肉フェチ令嬢。 誤解から始まる、すれ違いだらけの新婚生活、いざスタート! ※他サイトに投稿したものを、改稿しています。

処理中です...