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04.華麗な栄光
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リュシーが側妃となってから二年が過ぎた。
クロエはジュストと結婚し、それを機に父である男爵は爵位を譲って隠居することとなった。
華やかさはないが、穏やかで幸福な日々を過ごしているところ、クロエに王太子から招待状が届いたのだ。
リュシーが会いたがっているとのことで、クロエは招待を受けることにして、王都へと旅立った。
「よく来てくれた、クロエ嬢……ではなく、今は男爵夫人だったな」
王太子宮の一室にて、王太子エミリアンがにこやかに口を開く。
クロエは緊張しながら、淑女の礼を取った。
「そうかしこまらなくてもよい。いわば、身内の集まりだ。妹と会うのは久しぶりだろう」
エミリアンは鷹揚に笑う。
「わたくしも、リュシーの姉であるあなたにお会いできるのを楽しみにしておりましたのよ。いらしてくださって、嬉しいわ」
エミリアンの隣でしとやかに微笑むのは、王太子妃であるアドリーヌだ。
彼女は公爵家の出身で、将来の王妃となるべく教育を受けた正妃である。
クロエは体が強張り、足下がおぼつかなくなっていく。
正妃であるアドリーヌにとって、側妃のリュシーなど邪魔者ではないのだろうか。
「どうぞ楽になさって。リュシーの愛らしさには、わたくしも心を慰められていますの。本当の妹のように思っていますわ。重責を担う殿下を支えるのが、わたくしたちの役目。リュシーの働きには、わたくしも頭の下がる思いですわ」
艶やかな美貌をやわらかくほころばせ、アドリーヌはリュシーを褒め称える。
王都の上位貴族として生まれ育った彼女のこと、どこまでが本心かはわからない。だが、クロエの目から見た姿には嘘偽りは一切感じられず、何という度量の深い方だろうと感銘を受ける。
「ときには私を差し置いて、二人で仲良くしていることもあってね。まあ、妃たちの仲が良いのは結構なことだが……少々妬けてしまうこともあるくらいだ」
「まあ、殿下」
冗談交じりに笑い合う二人を見ると、どうやらリュシーは可愛がられているようだ。だが、肝心のリュシーの姿が見当たらず、クロエは内心首を傾げる。
「実はリュシーなのだが、風邪をこじらせてしまってね。やっと良くなってきたのだが、まだ声が出ないのだ。せっかく姉のあなたに会えるのを楽しみにしていたというのに……」
「まだ長い時間起きてはいられないのだけれど、どうしてもあなたに会いたいというので、準備していますわ。そろそろ来る頃でしょう」
二人の言葉を裏付けるように、侍女に連れられてリュシーが現れた。
幾重にもフリルを重ねた豪奢なドレスを纏い、白い絹とレースの繊細な手袋で肘まで覆われている。
顔は美しく化粧が施されていたが、少しやつれているようだ。風邪をこじらせたのが、まだ治りきっていないのだろう。
リュシーはクロエの姿を見ると、顔を輝かせた。
「……ぁ」
嬉しそうに手を伸ばしてくるリュシーだが、声はかすれていて聞き取れない。
透けて見えるほど繊細な手袋を眺め、クロエは微笑みを浮かべる。
「労働なんて必要ない、本当の貴族の証である綺麗な手袋を手に入れたのね……いいえ、手に入れましたのね。お喜び申し上げますわ、側妃さま」
「……っ!」
他人行儀にクロエが述べると、リュシーは驚愕の表情を浮かべる。その目が絶望に染まっていった。
「おや……」
「まあ……」
姉妹の再会を見守るエミリアンとアドリーヌも、意外だといった声を漏らす。
「いくら姉妹といえども、礼儀はわきまえないといけませんわ。本日は、側妃さまに献上いたしたく、新しく誕生したお酒をお持ちいたしましたの」
クロエは穏やかに微笑むと、籠を差し出した。
優美な曲線を描くボトルが二本、中に入っている。
「私どもの領地で新たに採れるようになった果実を使用したお酒ですわ。最上の紅月酒を超える味わいと自負しております」
『素朴な幸福』の箱から出てきた種が育ち、採れた実から作ったのがこの酒だ。
凄まじい速度で成長した木だったが、まだ採れる量には限りがあり、わずかしか作れない。
「最上の紅月酒を超える味わいか……それは興味深い。リュシー、せっかくだからここでいただいてはどうだろうか」
エミリアンの声に、リュシーはどことなく呆然としながら、首を縦に振る。
侍女たちによってグラスが用意され、ボトルが一本開けられた。
まずはクロエが毒味とばかりに一口飲むと、エミリアンとアドリーヌもグラスを口に運んだ。
「……素晴らしい。これほどの味わい、初めてだ」
「まあ……心が幸福に包まれるようですわ。素朴な味わいから、徐々に深みが……」
エミリアンとアドリーヌは絶賛する。
「まだこのお酒には、名前がございません。もしよろしければ、王太子殿下に名前を賜ることができれば光栄に存じます」
「そうか……何がよいだろうか……」
クロエの申し出に対し、エミリアンは考え込む。
名前を考えているようなので、名付け親になってくれるようだ。
「来年もこのお酒を献上したいと存じます。私はこれから領地に戻り、さらに良い味わいを得られるよう、精進してまいります」
クロエが決意を述べると、エミリアンとアドリーヌは一瞬だけ驚いたような顔をした。だが、すぐに元通りの穏やかな表情に戻る。
「……っ……っ……」
侍女に一口飲ませてもらったリュシーが、すすり泣いていた。
かすれた呻き声が、部屋に響く。
「そうだ、名前は『リュシーの涙』にしよう。愛妃リュシーが感動のあまり、涙を流したことからだ」
「まあ、この透き通るような味わいによく似合っていますわ」
エミリアンが名前を決めると、アドリーヌも同意する。
「素晴らしい名前をありがとうございます。これでこのお酒が広まっていけば、側妃リュシーさまの名も、ますます華麗な栄光に包まれることでしょう」
クロエが礼を述べると、エミリアンとアドリーヌはにっこりと笑う。
穏やかに微笑み合う三人を横目に、リュシーは涙を流し続けていた。
クロエはジュストと結婚し、それを機に父である男爵は爵位を譲って隠居することとなった。
華やかさはないが、穏やかで幸福な日々を過ごしているところ、クロエに王太子から招待状が届いたのだ。
リュシーが会いたがっているとのことで、クロエは招待を受けることにして、王都へと旅立った。
「よく来てくれた、クロエ嬢……ではなく、今は男爵夫人だったな」
王太子宮の一室にて、王太子エミリアンがにこやかに口を開く。
クロエは緊張しながら、淑女の礼を取った。
「そうかしこまらなくてもよい。いわば、身内の集まりだ。妹と会うのは久しぶりだろう」
エミリアンは鷹揚に笑う。
「わたくしも、リュシーの姉であるあなたにお会いできるのを楽しみにしておりましたのよ。いらしてくださって、嬉しいわ」
エミリアンの隣でしとやかに微笑むのは、王太子妃であるアドリーヌだ。
彼女は公爵家の出身で、将来の王妃となるべく教育を受けた正妃である。
クロエは体が強張り、足下がおぼつかなくなっていく。
正妃であるアドリーヌにとって、側妃のリュシーなど邪魔者ではないのだろうか。
「どうぞ楽になさって。リュシーの愛らしさには、わたくしも心を慰められていますの。本当の妹のように思っていますわ。重責を担う殿下を支えるのが、わたくしたちの役目。リュシーの働きには、わたくしも頭の下がる思いですわ」
艶やかな美貌をやわらかくほころばせ、アドリーヌはリュシーを褒め称える。
王都の上位貴族として生まれ育った彼女のこと、どこまでが本心かはわからない。だが、クロエの目から見た姿には嘘偽りは一切感じられず、何という度量の深い方だろうと感銘を受ける。
「ときには私を差し置いて、二人で仲良くしていることもあってね。まあ、妃たちの仲が良いのは結構なことだが……少々妬けてしまうこともあるくらいだ」
「まあ、殿下」
冗談交じりに笑い合う二人を見ると、どうやらリュシーは可愛がられているようだ。だが、肝心のリュシーの姿が見当たらず、クロエは内心首を傾げる。
「実はリュシーなのだが、風邪をこじらせてしまってね。やっと良くなってきたのだが、まだ声が出ないのだ。せっかく姉のあなたに会えるのを楽しみにしていたというのに……」
「まだ長い時間起きてはいられないのだけれど、どうしてもあなたに会いたいというので、準備していますわ。そろそろ来る頃でしょう」
二人の言葉を裏付けるように、侍女に連れられてリュシーが現れた。
幾重にもフリルを重ねた豪奢なドレスを纏い、白い絹とレースの繊細な手袋で肘まで覆われている。
顔は美しく化粧が施されていたが、少しやつれているようだ。風邪をこじらせたのが、まだ治りきっていないのだろう。
リュシーはクロエの姿を見ると、顔を輝かせた。
「……ぁ」
嬉しそうに手を伸ばしてくるリュシーだが、声はかすれていて聞き取れない。
透けて見えるほど繊細な手袋を眺め、クロエは微笑みを浮かべる。
「労働なんて必要ない、本当の貴族の証である綺麗な手袋を手に入れたのね……いいえ、手に入れましたのね。お喜び申し上げますわ、側妃さま」
「……っ!」
他人行儀にクロエが述べると、リュシーは驚愕の表情を浮かべる。その目が絶望に染まっていった。
「おや……」
「まあ……」
姉妹の再会を見守るエミリアンとアドリーヌも、意外だといった声を漏らす。
「いくら姉妹といえども、礼儀はわきまえないといけませんわ。本日は、側妃さまに献上いたしたく、新しく誕生したお酒をお持ちいたしましたの」
クロエは穏やかに微笑むと、籠を差し出した。
優美な曲線を描くボトルが二本、中に入っている。
「私どもの領地で新たに採れるようになった果実を使用したお酒ですわ。最上の紅月酒を超える味わいと自負しております」
『素朴な幸福』の箱から出てきた種が育ち、採れた実から作ったのがこの酒だ。
凄まじい速度で成長した木だったが、まだ採れる量には限りがあり、わずかしか作れない。
「最上の紅月酒を超える味わいか……それは興味深い。リュシー、せっかくだからここでいただいてはどうだろうか」
エミリアンの声に、リュシーはどことなく呆然としながら、首を縦に振る。
侍女たちによってグラスが用意され、ボトルが一本開けられた。
まずはクロエが毒味とばかりに一口飲むと、エミリアンとアドリーヌもグラスを口に運んだ。
「……素晴らしい。これほどの味わい、初めてだ」
「まあ……心が幸福に包まれるようですわ。素朴な味わいから、徐々に深みが……」
エミリアンとアドリーヌは絶賛する。
「まだこのお酒には、名前がございません。もしよろしければ、王太子殿下に名前を賜ることができれば光栄に存じます」
「そうか……何がよいだろうか……」
クロエの申し出に対し、エミリアンは考え込む。
名前を考えているようなので、名付け親になってくれるようだ。
「来年もこのお酒を献上したいと存じます。私はこれから領地に戻り、さらに良い味わいを得られるよう、精進してまいります」
クロエが決意を述べると、エミリアンとアドリーヌは一瞬だけ驚いたような顔をした。だが、すぐに元通りの穏やかな表情に戻る。
「……っ……っ……」
侍女に一口飲ませてもらったリュシーが、すすり泣いていた。
かすれた呻き声が、部屋に響く。
「そうだ、名前は『リュシーの涙』にしよう。愛妃リュシーが感動のあまり、涙を流したことからだ」
「まあ、この透き通るような味わいによく似合っていますわ」
エミリアンが名前を決めると、アドリーヌも同意する。
「素晴らしい名前をありがとうございます。これでこのお酒が広まっていけば、側妃リュシーさまの名も、ますます華麗な栄光に包まれることでしょう」
クロエが礼を述べると、エミリアンとアドリーヌはにっこりと笑う。
穏やかに微笑み合う三人を横目に、リュシーは涙を流し続けていた。
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