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11・母さんが壊れた⁉
しおりを挟む「マコト、ご飯できたよ」と、タカコの声が聞こえて、
「はーい! 今行くー!」と、マコトは叫んだ。
「ばあちゃん、何度も言ったけど」
『はいはい。マコちゃんの何倍も長い間生きているんだから大丈夫。分かっているってば』
「もう死んでるけどね」
『プンだ』
マコトはアヤコを強引に追い出してしまわないよう、注意をしながら深呼吸をした。
「さぁ、行こう!」
こんなに気合を入れて夕食の席に着くのは、おそらくは初めてだ。そして、ダイニングにこんなにも緊張感が漂っているのも。
まるで、ティーシャツでは入れないような、すごいレストランにでも来たような気分。とはいえ、ダイニングテーブルの上はいつもと大差ない。今日のメニューは、おおきめの具がゴロゴロしていておいしそうなカレーとサラダ。それに、スープもある。
「お、おいしそう! いただきまーす!」
「召し上がれ」
『い、いただきましょうね』
「ちょっと! ばあちゃん! 一口目はオレが……!」
パクリ。
『ちゃんと挨拶したわよ? ふん。悪くないわね。ちょっとシャバシャバしてるけど』
「バカばあちゃん! 勝手にステップに進まないでよ! っていうか、ステップに進むならもっと言葉選び考えてよね! それに――」
『ステップってなんだっけ?』
「計画の話だよ! ああ、もう! オレが生きてきた時間よりも何倍も長い時間生きたんじゃないのかよ! ガキか! このクソババア!」
その時、ガチャン、と金属がぶつかる音がした。音がしたほうを見てみると、タカコが呆然と立ち尽くしていた。右手には泡でもこもこになったスポンジ。左手は空っぽだけれど、何かを掴んでいるように見える。その状況からマコトは、目や耳の届く場所でアヤコと言い合いをしたせいで、スプーンか何かを落としてフリーズしたのだろうと察した。
このままじゃいけない。母さんから離れないと――。
「母さん、ごめん。オレ、ここじゃなくてあっちで食べるわ」
言いながらマコトはリビングテーブルを指さし、立ち上がった。
「はは、はははは……」
タカコはマコトがいるほうをぼんやりと見つめながら笑い始めた。
「……母さん?」
「はは、はははは……」
壊れた。母さんが壊れた。まるで、ホラー映画から飛び出してきたか、何かに感染してしまったかのようだ。
「ごめん、母さん。オレ、やっぱ部屋で――」
「……ガキか、このクソババア。クソババア!」
「……母さん?」
「ははははは! クソババア! クソババア!」
「母さん、ちょっと、落ち着いて? オレ、マコト。マコト!」
『タカコ、失礼なこと言って笑ってんじゃないわよ! わたし、アヤコ。お母さん!』
バチン!
「お前は黙ってろ!」
『ひどい! わたし、もうマコちゃんの言うこと聞いてあげない!』
バチン!
「こっちの言うことをちゃんと聞いたことなんてないくせに!」
『そんな! ちゃんと聞いたじゃない! 学校では勝手に出て行かなかったし』
「はいはい。そこのところはよく頑張りましたね、って、孫に言われてうれしいかよ!」
バチン!
『もう、叩いたら痛いでしょ? マコちゃんが』
バチン!
『それで、なんだったかしら? ああ、そうそう。そりゃあもちろん、頑張ったねって言われたらうれしいわよ♡』
「本当にガキだな!」
バチン!
「マコト?」
マコトは頬を叩こうと手を構えた。しかし、自分の名前を呼んだのがアヤコではないことに気づいて、頬を叩くのをやめた。いつの間にやら、タカコが目の前に来ていた。ついさっきまで狂っているかのように笑っていたはずのタカコが、今は怯えを見せることもなく、ふんわりと優しく微笑んでいる。
「な、なに? 母さん」
「マコト。ごめんね、ありがとう」
「……え?」
「お母さんに優しくしてくれて、ありがとう」
「ああ、まぁ、うん。どういたしまして?」
『かーっ! わたしにはそんなこと、一回たりとも言ってくれたことないのにぃ』
「こら! ばあちゃん!」
メラ、と優しい笑みの向こうに怒りの炎が揺らめいたのが、マコトには見えた。
「ははははは。あんたからいつ優しくされたっていうんですか! 怒りに任せて人のことぶっ叩いて服従させていただけでしょうが! あなたのどこに母親を、愛情を感じられたと? このガキが! クソババアが!」
バチン!
「待って? 母さん、オレ。オレ、マコト!」
『いーけないんだ! いけないんだ! トオルちゃんにぃいっちゃ~おっ!』
バチン!
『だいたい、あんただってマコちゃんのことを怒りに任せて叩いているじゃないの! そんな人に、わたしに文句を言う権利があるのかしら』
バチン!
「えっと、おふたりさん?」
バチン!
喧嘩するほど仲がいい、という言葉がある。そんなはずはないだろう、と、マコトはこの瞬間まで思っていた。けれど、実際にそれを体感してみると、なるほど確かに、仲が良くなければ喧嘩なんてやっていられない気がした。離れればいいものを、どうしてこうも近づいて、なんなら叩く、という行為によって触れようとするのか。
「おい! 何やってんだ!」
トオルが声を張り上げた。マコトを蚊帳の外にした言い合いとビンタが繰り返されている間に帰ってきていたらしい。
『あ、トオルさん! おかえりなさい! もう、ごめんなさいね。うちの子がマコちゃんのこと、叩くのよ! 何回も、何回も、バチンバチンって!』
「クソババアのせいだろうが!」
バチン!
「え、ええっと? 説明してもらってもいい? マコト」
「え? ああ、うん。簡単に説明すると……」
『タカコが壊れたのぉ』
「そうそう。母さんが壊れた」
「私は壊れてなんかないですけど⁉」
「オッケー、分かった。それで……」
「それで、なに⁉」
「マコト、頬っぺた冷やそうか」
「……え?」
トオルの一言は、タカコの頭を冷やしたようだった。取り戻した冷静な目で息子の頬を見てみれば、真っ赤に色づいているのが分かる。
「ごめん、すぐ保冷剤取ってくる!」
タカコは慌てた様子で、冷蔵庫へ向かって走っていった。
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