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9.救世主
しおりを挟む「お待たせ」
「あ、ああ、うん」
堪えていないと涙が出そうだなんて、気づかれたくなかった。またへたくそな笑みを浮かべる。私は今、とっても楽しくて、全然悲しくなんかないって、自己暗示をかける。
「メイクしちゃダメっていうようなお母さんだったら、このまま帰るとやばいでしょ?」
「え?」
「メイク」
そう言うミサコの手には、クレンジングシートがあった。なるほど、いろいろとってくるというのは、クレンジングのことだったんだ。
「まぁ、急いで落とす必要はないか。この家出るまではこのままでいいよね。それで、あと、コレ」
「な、なに?」
「マスカラ」
「マスカラ?」
「からっぽの」
「からっぽ……?」
「あたしから、マイコにひとつ命令をする」
「命令?」
「あたしのコスメ、使った罰」
罰、という言葉には似合わない、柔らかな微笑。
「これからマイコは、毎日このマスカラで、まつ毛をなでるふりをしなさい」
「……へ?」
「それで、もし。かわいくなりたいって気持ちが膨らんだら、お母さんにちゃんと、自分の気持ちを言いなさい」
「どういうこと?」
「マイコには、かわいくなる覚悟が足りないんだよ。本当にメイクが好きとか、かわいくなりたいとか思っていたら、お母さんにダメって言われたってするものだよ。妥協点を見つけてでも、手に入れようとあがくものだよ」
「でも、まだ中学生だし。だから、お母さんが言っていることも、わからなくもないかな、って、思うし」
「はぁ……」
ミサコが頭を抱えた。
「ほんと、少し前のあたしにそっくり」
「……へ?」
「マイコを見てると、少し前のあたしに見えてきてしょうがないんだよね。で、あたしは突如として現れた救世主によって、今のあたしにしてもらったわけなんだけど。あたしは、その救世主さんに感謝してるの。おかげで今がなんだか楽しいと思えるようになったし、未来もなんだかんだキラキラしているように思えるから。マイコが今のままでいい、変わる気ないですっていうのなら、それでいい。だけどね。もし、本当は今が窮屈だって感じているとしたら、変わったほうがいいと思うし、それに助けが必要なんだとしたら、あたしは手を差し伸べたい。あたしの直感が正しいなら、本当のマイコは月じゃなくて、太陽なんだ。すべての顔を出すのが一時しかなくて、時にかくれんぼをして、誰かの光を反射することによって光を放つんじゃなくて、マイコ自身が光を放てるはずなんだよ」
「いや、そんなはずないよ」
「自分で自分に制限かけてちゃ、もったいないよ」
「だけど……」
「だいたいね、まだ中学生だしっていうけど、中学卒業したらバイトしたりするわけでしょ? それって、社会に出るってことでしょ? 社会に出たら、女の子はメイクをするのがほとんど義務みたいになってる。絶対しなきゃならないってわけじゃないだろうけど、メイクできないやつは礼儀がなってないみたいに思う人は、まだまだたくさんいる。でもさ、中学を卒業したら、みんなメイクできるの? メイクの授業があったわけでもないのに? 一足す一だって、習わなきゃわかんないでしょ? それなのに、なんでメイクはわかることになってんの? おかしいじゃん。もう社会に出るのだって、成人だってすぐそこなんだもん。すっぴんを脱ぎ捨てるために学び始めたっていいと思わない?」
つー、と涙が零れ落ちた。
感情はぐちゃぐちゃだ。いったい何が雫と化したのかを、自分に問う。
喜びがほんの少しだけ混ざっているような気がする。怒りも少しあるかもしれない。哀しみもまた含まれているだろう。楽しさは、ないに等しい。
「ごめん。熱くなりすぎちゃった。ひいた?」
「ううん。ひいてない」
ただ、気づきはあった。とても身近な場所に、救世主はいた。
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