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四皿目 絵画王子
34(sideアゼル)
しおりを挟む「返ってきた……俺の愛する人は……アゼル……この気持ちだけは俺の、真実……」
「シャルッ!」
そう言って意識を失ったシャルに、俺は僅かに届かなかった距離を埋めた。
血だるまの体を抱き上げ、どんどんと血の気を失っていく愛おしい顔ばせに、震える手を添える。
誰もが恋する絵画によって、心変わりしたようにしか見えなかったシャルの今際の際の声は、とびきりに穏やかだった。
不安なことなんて一切ないような、安らかな声だ。
そして安らかに、真っ白になっていくシャル。
まるで──死んでしまうかの、ように。
「シャル、シャルっ、な、なんで、どうしてだ……ッ!? ああ、ああ、ああ……っ」
大量の出血で急速に意識を刈り取られ、色をなくしていく最愛の人に、俺の全てがかき乱される。
懸命に回復魔法を使おうと闇の魔力を纏わせて治療するが、治癒に向かない闇魔法では出血を止めることしかできない。
シャルの分けられた体を元に戻してやることは、叶わないのだ。
一度放った魔法は制御から離れるので、シャルごと切り刻む刃を、俺は止められなかった。
呼吸も、言葉も、ままならない。
だって、だって、俺の、俺の唯一の人が、愛おしい人が、手も、足も、バラバラだ。
心変わりしたお前の呟きを俺は勝手に解釈して、勝手に魔法を放って、バスタオルの山を刻めば絵画があり、それが刻まれ、結果、シャルが刻まれた。
俺に。
(あれ、あれ。どうしよう? どうすればいいんだ?)
「シャル、あああ……シャル……どうしよう、シャルが動かない、元に戻らない……どうしよう、シャル、起きてくれ……助けてくれ、たすけて……」
いつも俺に優しく触れる手が、あんなところに転がっている。
洗面所の隅で一体なにをしているんだ?
そんなところじゃ、俺から遠くて手が繋げない。
結婚指輪の嵌った指が、どうして左手にないんだろう。
左手に薬指がなければ、在るべきところに帰れないじゃねえか。
お前が俺に歩み寄るたびに、俺は嬉しくて笑ってしまいそうになるんだ。
なのにお前、足を片方どこへやったんだよ。
「シャル……シャル……シャル……」
お前の血で赤く染まった手で、雪のように白くなったお前の頬をなでる。
いくら名前を呼んでも、お前は目を覚ましてくれない。
胸の鼓動が少しずつ弱くなっていく。
俺の鼓動を分けてやりたい。俺の命を削ってなすりつけて。
きっと、誰かの報いがやってきたのだ。
俺があまりに簡単に人を殺したものだから、俺の愛する人は、こうして透明になっていくのだ。
俺の体をしとどに濡らすシャルの血は、とても暖かかった。
芳醇で甘い香り。美味しそうなお前の香り。ああ、くらくらする。頭が奥のほうから、ドロリと腐り落ちていくようだ。
こんなに温かいのだから、冷たくなったりしないよな。
だって、だって、シャル。
俺は、俺はお前が好きだ。
お前がとてもとても好きだ。
離してやれないくらい好きだ。
大好きだ。愛している。
「シャル、絵画は壊した。お前の言いたいことは、あれで合ってたのか? 間違ってたのか? ……シャル? ……ちゃんと聞けよ……。なあ、お前の好きな人を、俺は壊してしまった。だから、怒ってんのか……? わかった……我慢、する……わがまま言わねえから。……早く起きろ……? ……シャル……シャルー……?」
ぐったりとしたまま動かないシャルに、俺は語りかけ続けた。
自分がなにを言っているのかは、とっくにわからなくなっていた。
暴走する魔力はもう歯止めがきかなくなり、俺とお前の部屋がドンドン崩れていく。
俺とお前の二人で過ごした大切な部屋の筈なのに、俺が壊してしまうのだ。
俺がシャルを離してやれなかったからお前が目を覚まさないなら、お前をちゃんと解放するから……だから、お願いだ。
もう一度目を覚ましてくれ。
シャル、俺は、お前が、いない、と。
「あ、ああ、あああ、ああああああああ」
目の前が真っ暗になっていく感覚に抗えず、俺は闇に身を委ねる。
言葉とは裏腹に、俺は死に向かって逝くシャルの体を、離すことはできなかった。
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