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第1章「夏」

3.積乱雲キューピッド(2)

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 大地に教えてもらった通り、管理棟で自転車を借りると一路山麓のコンビニを目指す。遠くの空には巨大な雷雲が垂れ込めているが、今のところこちらまで迫る様子はない。ま、どうにかなるでしょ。携帯だってあるし、ここは日本の山の中だもの。

 勢い任せに飛び出したものの、予想通りすぐに道に迷ってしまう。さすが私。それでも、畑仕事中のおばちゃんに道を聞いたり、通りすがりの車を止めて訊ねたりしながら、何とか麓のコンビニまでたどり着くことが出来た。

 無事に目当てのチョコレートを購入すると、駐車場のベンチで一休み。潤んだ風に吹かれながら、いつものお気に入りフルーツティーで喉を潤す。
 ふとペットボトルから顔を上げると、空には濃い灰色の積乱雲が広がっていた。先ほどよりもずっと近くに迫っている。ほこりっぽい独特の匂いを感じ、吹きつける風の冷たさが増した。

(あー……これはもうすぐ、ひと雨くるかな……)

 急いでリュックを背負うと、勢いよくペダルを漕ぎ出す。大丈夫、来た道を戻るだけだ。
 キャンプ場への分岐を曲がり山道に入ると、ぽつりぽつりと雨が落ちてきた。

「ま、こんな雨ならへっちゃらよね」

 車の通らない山道は木々が覆い茂り、日没を迎えていないというのに真っ暗だ。自転車のライトが自動で灯りを灯す。
 冷たい風が心地良いと感じていたのもつかの間、雨脚は徐々に強くなっていく。まるでバケツの水をぶちまけたような土砂降りになると、木々の隙間から容赦ない横殴りの雨が打ちつけ、視界は最悪だ。

「あーあ、やっちゃった……」

 とにかく急いでキャンプ場に戻ろう。ずぶ濡れは避けられない。寒くはないし、帰ったら着替えればいいだけ。むしろ、熱くなった体に降りかかる冷たい雨は、意外と心地良かったりする。

(もう、全部先生のせい! チョコさえ分けてくれてれば、こんな目に遭わずに済んだのに!)

 ずぶ濡れになりながらもひたすらペダルを漕ぎ続ける。上り坂だろうがお構いなし。電動アシストのお陰で本当に助かった。自転車を選んでくれた大地に感謝。それに引き換え、先生ときたら一体何なのよ?

 ゴロゴロと雷鳴が轟き、徐々に恐怖が募ってくる。けれど、前に進むしかない。雨に濡れたせいか、ブレーキの利きが悪い。激しい雨が跳ね返り、白く濁った路面が視界から消えそうだ。
 そんな時、突如として茶色い物体が視界に飛び込んできた。

「きゃあっ!」

 咄嗟にハンドルを切って正面衝突は免れたが、スピードは衰えない。あっという間に自転車の制御を失ってしまう。

「キャアアアーーッ!」

 路面が滑る。ブレーキが利かない。電動自転車の重い車体も災いした。倒れた木なのか、狸なのか。確認する暇もなく、私は自転車もろとも道路に倒れ込んだ。

 ーーガシャーン!

 大きな衝撃音が響いたが、すぐに土砂降りの雨音に呑み込まれてしまう。
 横倒しになったままの自転車はそのままに、「いったぁ……」と声を上げて立ち上がる。

 肘を見ると、擦り剥けて血が滲んでいる。ズキズキと痛みが走る。頬に触れ、背中も確かめてみて、他には怪我がない事を確認すると一息ついた。丈夫な身体に生んでくれてよかった、と母に感謝の気持ちを馳せる。
 しかし歩き出してみると、足首を捻挫したのか激痛が走る。こりゃ自転車で走るのは無理だ。そもそも、チェーンに小枝が絡まって動かないし。何とか自転車を路肩まで運ぶと、痛む左足をかばいながらゆっくりと歩き始めた。

 やがて道端に、古ぼけたバス停の待合小屋を見つけた。バスが来るのかどうかわからない。とにかく雨宿りだ! と、まるで逃げ込むようにその中に入る。窓もドアもついていないが、ログハウス風の造りが何だか趣深い。

(この雨、もうすぐ上がるかな……)

 びしょ濡れの髪を絞りながら、軒下から空を見上げた。肌寒さが増している。
 せめて天気予報でもチェックしようと、スマホを取り出した時だ。画面がびしゃりと割れている。

「あー、もう……また修理代かかっちゃう。痛いなぁ……」

 独り言を呟いて、不安を紛らわせる。陽菜に連絡を取ろうと思い立つが、割れた画面を見て愕然とする。
 仕方ないと諦め、今度はずぶ濡れのリュックの中をごそごそと探る。すると、さっきコンビニで買ったチョコレートが出てきた。途端に、羽合先生の顔が脳裏をよぎる。

(先生……今頃、私の心配なんてしてないよね)

 バスが来る様子はない。バス停の割には客も少ないし。ベンチに座って膝を抱え、時折、道路の方を見やる。やっぱりバスは来ない。相変わらず土砂降りだ。

 その時、一台の軽トラックが急ブレーキをかけて小屋の前で停車した。荷台にはキャンプ場の名前が書かれている。一体誰だろう……?
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