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第1章
誰もいないカフェ
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濡れた髪をタオルで拭きながら、古そうなイスに腰を落ち着ける。
ギシギシと音を立てる木製のイスは、今にも私の体重でつぶれてしまいそうだった。
ほどなくして、テーブルの上には紅茶とケーキとが運ばれてきた。
「はい、どうぞ。味に自信はないけど、よかったら召し上がれ」
どうやら彼の手作りらしい。
チーズケーキだろうか?
少し焦げ目が目立つような気もするけれど、こんがりと焼きあがっていて香ばしい匂いがする。
「な、なんだかすみません。雨宿りをさせてもらった上に、お茶とケーキまで」
「気にしなくていいよ。これは僕が勝手にやっているだけなんだから」
そう言って微笑んだ彼の顔は、とても優しげだった。
そのやわらかな雰囲気に触れて、それまで荒んでいた私の心は少しずつ落ち着きを取り戻し始める。
(良い人だなあ)
お店の見た目はちょっと怖いけれど、店主である彼自身はとても優しい人なのかもしれない。
「それで、さっきはどうして泣いていたの?」
聞かれて、私は例のストラップのことを思い出した。
「その、私……ストラップを探しているんです。学校の帰りにどこかで落としちゃったみたいで」
「ストラップ?」
「はい。小さなテディベアのストラップで、友達から貰ったものなんですけど」
私が説明している間、彼は私の向かいに座って真剣な眼差しをこちらに向けていた。
私の話を真面目に聞いてくれているのだと一目でわかる。
やがて私が説明を終えると、彼は私から視線を逸らさずに、
「大事なものなんだね。大切な友達から貰ったものだから」
そう、静かな声で理解を示してくれた。
そんな彼の優しげな声を聞いたとき、私は心のどこかで安堵を覚えた。
それまで一人で悩んでいた私の心を、理解してくれる人がいた――そう思ったとき、一度は引っ込んだはずの悲しい思いが再び溢れそうになって。
気づけば私は、また泣いてしまっていた。
「ごめん。何か気に障ったかな?」
彼は慌てた様子で私の顔を覗き込む。
「いえ、ごめんなさい。……もう、大丈夫ですから」
私はタオルを顔に押し当て、必死に嗚咽を噛み殺した。
なんとか気を落ち着けようと、すかさず紅茶へ手を伸ばす。
年季の入ったティーカップに注がれた、きれいな色の紅茶。
それをぐっと一気飲みするように口へ含んだとき、
(……まっず!?)
あまりの苦味に、思わず噴き出した。
「あっ……。大丈夫?」
たまらず咳き込んだ私に、彼はそれほど驚いた様子もなく、すぐさま私の隣に立って背中をさすってくれた。
「ごめんね。やっぱり美味しくなかった?」
「……やっぱり……って、どういうことですか……?」
涙目になりながら、私は掠れた声で尋ねた。
「うん……。実は僕のお茶、美味しいって言われたことがなくて」
そう言って、彼は困ったように苦笑した。
美味しいと言われたことがない。
それって、カフェを営む者としてはかなり致命的では?
「そ、そうなんですか」
あ、あはは、と私も苦笑する。
確かにこの味ではフォローのしようがない。
まるで茶葉をそのまま食したときのような、とんでもない苦味が凝縮されている。
一体何をどうすればここまで不味いお茶が出来上がるのか。
(でも、実はすっごく身体に良いお茶なのかもしれないし)
そう、ポジティブに考えることにした。
良薬は口に苦しって言うし。
けれど、あまりの苦さに舌はビリビリと痺れている。
せめて口直しをと、今度はケーキに手を伸ばす。
しかし。
(あっま……!?)
反射的にリバースしかけたそれを、両手で必死に抑え込んだ。
超絶、甘い。
砂糖の入れ過ぎだろうか。
これは百パーセント、身体に悪い。
「ごめんね。やっぱりケーキもだめだった?」
わかっていたと言わんばかりの彼の反応に、私もさすがに疑いの目を向ける。
「あの。失礼ですが、もしかして、お料理はあまり得意じゃないとか……?」
無礼を承知で聞くと、彼は気まずそうに頬をかきながら、
「うん……。実は料理だけといわず、家事全般が壊滅的にダメで」
ごめんね、と、何に対してかわからない謝罪を彼は口にする。
確かに彼の言う通り、家事は全く出来ないらしい。
料理もダメなら掃除もダメ。
それによくよく見てみると、彼の着ている白いシャツも襟元はヨレヨレで、全体的にシワがよっている。
おそらくは洗濯やアイロンがけも下手なのだろう。
なまじ顔が良いだけに最初は気づかなかったけれど、彼の身なりはどことなくみすぼらしかった。
「変だって思われるかもしれないね。料理も出来ないのに、カフェをやってるなんて」
「え。あ、いえっ。そんなこと」
正直、否定はできない。
「でも、あの……もう少しお掃除をした方が、お客さんも入りやすいんじゃないですか? この建物、結構古いですし。ぱっと見た感じじゃ、ちょっと入りにくいっていうか」
差し出がましいとは思ったけれど、少しだけ助言してみる。
さすがにこの有様では、ここに店があること自体、誰にも気づいてもらえないかもしれないから。
「入りにくい?」
と、なぜかそこだけびっくりしたように彼は聞き返した。
「えっ? あ、はい……」
予想外の反応に、私も思わず身構える。
それまで当たり前のように全てを受け止めていた彼が、急に意外そうな顔をしたので、
「す、すみません。言い過ぎました……」
私は慌てて頭を下げた。
「いや、謝ることじゃないよ。教えてくれてありがとう。入りにくい雰囲気があるのなら、あの人もきっと、ここに来てはくれないだろうから」
「え?」
最後の方は、ほとんど独り言のようだった。
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