あばらやカフェの魔法使い

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第4章

虹の麓の宝物

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 雨上がりの空に浮かび上がる虹は、まるで蜃気楼しんきろうのようで、少しでも目を離せばすぐにでも消えてしまいそうだった。

(急がなきゃ!)

 あの虹が見えなくなってしまう前に、まもりさんを見つけなければ。

 心の奥に眠っていた、彼に会いたいという確かな思いに突き動かされて。
 私は、弾かれたようにその場から駆け出した。

 雨でずぶ濡れになった服は鉛のように重く、私の肌にまとわりついている。
 もつれそうになる脚を必死に動かしながら、私は脳裏でまもりさんのことを思い出す。

 彼の笑った顔。
 困った顔。
 喜んだ顔。
 寂しそうな顔。

 その優しげなすべての表情が、私の中で大切な記憶として蘇る。

 といっても、私はきっとまだすべてを思い出したわけじゃない。
 おぼろげな記憶はあちこちが穴だらけで、ともすれば、またすぐにでも忘れてしまいそうな危うさを帯びている。

 あの人のことを、私はきっとたくさん忘れている。

 それでも。
 曖昧な記憶の中で、たった一つだけ確かなことがある。

 私はいま、『まもりさんに会いたい』――。





       〇





 やがて、空の彼方へ虹が消えようとした頃。
 私がたどり着いたのは、ひと気のない広い公園だった。

 テニスコートが併設されているそこは、広々とした敷地の周りをぐるりとランニングコースが取り囲んでいる。
 いつもなら親子連れの一組や二組くらいは見かけるのだけれど、さっきまで雨が降っていたせいか、今は誰もいない。

 日没を目前にした空は燃えるような赤色だった。

「まもりさん……」

 私はその名を呼びながら、彼を捜して園内を走った。

 虹はすでに消えてしまったけれど、その麓となっていた場所は大方この辺りだった。
 この近くに、まもりさんがいるかもしれない。

 次第に荒くなっていく自分の呼吸音と足音だけを耳にしながら、テニスコートの横を通り過ぎる。
 すると今度は大きな池が見えてきた。

 そして、そのさらに先に遊具広場が見えてきた、そのとき。

「!」

 あるものに気づいて、私はハッとした。

 道の脇にぽつんとあるベンチに、誰かが座っている。

 男の人だった。
 細い身体をベンチの背に委ね、まるで眠っているかのように顔を俯かせている。
 その華奢な身に纏った白いシャツはずぶ濡れで、肌の色が透けていた。

「まもり、さん?」

 私はベンチの数メートル手前で立ち止まると、恐る恐るその名を呼んだ。

 途端、その人はぴくりと肩を震わせた。
 そうしてゆっくりとこちらを見上げる。

 その顔は、私の予想した通り――私の捜し求めていた彼のものだった。

 まもりさんだ。

 彼は私の方を見つめたまま、その垂れ目がちな瞳を不思議そうに瞬いている。
 そして、雨に濡れたその赤い唇を動かして、

「君は……?」

 と、消え入りそうな声で言った。

 その反応に、私は胸が締め付けられるような感じがした。
 この様子だと、彼はやはり私のことを忘れている。

「私のこと、覚えていませんか?」

 そう、尋ねずにはいられなかった。

 彼が私を忘れていることは、誰の目にも明らかだった。
 けれど私は、その事実を素直に受け入れることができなかった。

 わかっていたはずなのに。
 いざそれを目の前にすると、私はやるせない気持ちでいっぱいになった。

 認めたくない現実が、そこにあった。

 まもりさんはしばらくの間、黙って私の顔を見つめていた。
 きっと、私が傷つかないように次の言葉を選んでくれているのだろう。

 彼はいつだって、相手のことを大切にする。
 そうして何度も、自分自身を傷つけてきたのだ。

「……ごめんね。僕、忘れっぽいから」

 彼はそれだけ言うと、困ったようにはにかんだ。
 寂しげな笑みだった。

 そうだ。
 彼はよく、こんな顔をしていた。
 どれだけつらいことがあっても、彼はいつも、こんな風に寂しげに笑うだけだった。

「……やっぱり、覚えていませんよね」

 私は力なく言った。

 一度失ってしまったものは、そう簡単に取り戻すことはできない。
 私がこうして彼を思い出すことができたのも、やはり運が良かっただけなのだ。

 彼はもう、私を思い出すことはできない。

 でも。

「たとえ、あなたが忘れても……。私は、あなたのことを覚えています。あなたに何度も助けてもらったから」

 私の中に、彼との思い出が残っている。

 肝試しの日に、彼に助けてもらったこと。
 いのりちゃんの家で、三人で一緒に遊んだこと。
 流星さんのお店にも行ったこと。
 それから――。

 
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