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第1章
最悪の出会い 4
しおりを挟むなんだ、あれは。
翌日は、朝から不愉快だった。
男にキスされるなんて。
男に尻を触られるなんて。
あの男……、
自分が女だったら、あいつは犯罪者だ。
なぜ、男というだけで、泣き寝入りしなければならないのか。
それに……。
遼を痴漢ときめつけた女性がストーカーだったというのは、本当だろうか。
会社の行き帰りや、家の周辺までつけられていたのだとすると……。
怖い。
けど、そもそも、あんなやつの言うことを信じていいのか?
あいつこそ、立派な痴漢じゃないか。
ぐるぐる考えが巡って、混乱する。
気持ちが妙に浮ついて、仕事に集中できない。
つまらないミスを繰り返し、また、深夜まで仕事が残ってしまった。
客先から帰って、自社のデスクで、遼は、ちらちらと痛む目をこすった。
ため息をついて、コーヒーを取りに行こうとしたら、同じく隣の席から、盛大なため息が聞こえた。
隣席の田村さんが、赤い眼鏡を押し上げて、また、ため息をついた。
「どうしたんですか?」
思わず遼は尋ねた。
「バイト君がミスしてね。フラグがズレてるのよ。直すのに、手作業しかなくて。来週納品なのに」
「田村さんがやるんですか? バイトのミスなら、バイトに直させればいいじゃないですか」
「だめよ。コロナ社の仕事は、ぎりぎりの値段で請け負ってるの。バイトは時給制だから、これ以上、人件費はかけられない」
遼の勤めるパワーネット・コンサルティングは、小さな会社だ。
バイトの尻拭いは、正社員の仕事になる。
再び、田村さんはため息をついた。
「修正だけで今週いっぱいかかりそう。明日、若菜の小学校の卒業式だってのに、ああ、あ……」
田村さんはシングルマザーだ。
駆け落ち結婚して、離婚した。
実家とも疎遠になっていると聞く。
「田村さん、ちょうど僕、ひと山越えたとこなんですよ。バイトの穴埋めなら、豪華なディナーは我慢してあげます。たこ焼きでどうです?」
自分の仕事と合せても、週末頑張れば、何とかなる気がした。
「え? いいの? だって、柳ヶ瀬君だって、大変なんじゃ……。ゆうべも遅くまで、会社に残ってたじゃない」
「だいじょうぶですよ。ヤマは越えましたら。あ、たこ焼き、腹いっぱい食わせて下さいね」
「でも、さっき、ため息ついてたよ?」
「それ、仕事のことじゃなくてね」
少しためらったが、誰かに話を聞いてほしかった。
「実は僕、ゆうべ、痴漢に間違われちゃって」
「痴漢に? 間違われた! 柳ヶ瀬君が痴漢されたんじゃなくて?」
「違います!」
きっぱりと否定した。
あの男のことを話したら、負けな気がした。
「僕が、痴漢だと思われたんです。でね。その被害者のフリした女性ね。僕のストーカーだっていうんです」
「す、すとーかー!?」
田村さんの目が一瞬泳ぎ、すぐに、遼の顔面にしかと据えられた。
「たぶん私、その女、知ってる! よく、会社の周りで見かけるコだよ! 柳ヶ瀬君の後ろを、こそこそ歩いてるとこも見たこともある。そういえば、ゆうべもいたわ」
「え!?」
ゆうべ田村さんは、遼より一時間ほど早くあがったはずだ。
そうするとあの女は、寒い中で、少なくとも一時間、遼を待ち伏せていたことになる。
「で、でも、僕なんかストーキングしたって……」
「何言ってんの! 柳ヶ瀬君って、すごくきれいじゃない。あなたのようなイケメン、私、見たことがないわ」
「……今まで、女性にもてたことがないのですが」
「そりゃ、そうでしょ。近寄りがたい美しさ? うーん、うまく言えないけど。私も、柳ヶ瀬君とどうこうなりたいとは思わない。でも、若菜の恋人になってくれたら、嬉しい気がする」
若菜というのは、田村さんの娘さんである。
「若菜ちゃんって、僕より一六も年下じゃないですかっ! つーか、十二歳の女の子となんて、もはや犯罪レベル……」
「馬鹿ね。そう言っちゃうところがダメよね、柳ヶ瀬君って」
「はあ」
「そういう時はね、嬉しいな~、大人になるのが楽しみですぅ~、っていうのよ、普通の男は」
「あ……」
普通の男は。
その言葉が、すとんと胸に落ちた。
眉を顰め、田村さんは尋ねた。
「で、誰が柳ヶ瀬君の冤罪を晴らしてくれたの? その女性がストーカーだと見抜いて」
「それは……」
危険な話題だった。
慎重に言葉を選んで、遼は言った。
「その場に居合わせた男性です」
田村さんは大きく頷いた。
「つまり、その男の人も、柳ヶ瀬君の後をつけてきたってことよね。それどころか、日常的に柳ヶ瀬君の身の周りを見張ってたんじゃない? だってそうじゃなきゃ、彼女のこと、ストーカーだって見抜けないし、そうそう都合よく柳ヶ瀬君の前に現れることだってできない」
「……」
その可能性は、考えたことがなかった。
遼が言葉に詰まっていると、田村さんはダメ押しをした。
「怪しいわよね、その男。どっちがストーカーだか、わかったもんじゃない」
その上、キスされて尻を触られたわけだ。
口ごもりつつ、遼は最後の抵抗を試みた。
「だ、だ、だって、僕は男ですよ?」
「とてもきれいな男よ」
すかさず、田村さんは付け加えた。
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