白く輝く強い羽

せりもも

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short stories

瑕疵物件 2

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 「遼さん! ちょっと、遼さん!」
激しく揺さぶられて、遼は目が覚めた。

「あれえ、豪太」

「あれえ、じゃないよ。キッチンの床で、何、寝てんの。風邪でも引いたら、どうするんだよ?」

「ああ? お前、出張だったんじゃ、」

「だからもう、帰ってきたの。はいこれ、みすずもち」

「あ、ありがと。てか、ゆうべ、元カノが、」

「は? 元カノって……、あいつらみんな、新しい男作って、出てったけど」

「なんだ、お前。ふられたの? 全員に?」

「どうでもいいだろ、そんな話!」

「よかねーよ。安心すんだろ、その方が」

「安心?……遼さん、そんなに僕のこと、」

「こらっ、朝っぱらから不埒な行為に及ぶな」

「うん……」
再び抱きしめようとして、豪太は顔を顰めた。
「遼さん、酒くさっ」

「あー、ごめん。ゆうべ、飲んで、」

「はあ? 僕の留守中に?」

「うん、家呑み」

「家呑み~!?」
豪太が素早く目を走らせた。
「あっ、グラスが二つ出てる! 誰と? 誰と飲んだんだよっ!」

「心配するな。女とだ」

「女、って……、ならいいか。いいや、よくないっ!」

「ああ、もう、うざい。飲んだだけだよ。俺が女に何かするわけ、ないじゃないか」

 ぶつぶつ文句を言う遼を無視して、豪太は足元に転がっていた酒瓶を拾い上げた。

「これ、僕の秘蔵のウィスキーじゃないか。大事にしまっておいたのにぃ。今度の連休にあなたを酔いつぶそうと思って! 酔っぱらったあなたって、ほんと、かっわいくて、あんなことやこんなこと、し放題……」

「お前、心の声がダダ漏れてるよ。恥ずかしいから、しっかりフタしとけ。だから、元カノと飲んだの」

「あいつら、みんな、新しいカレシとラブラブだぜ? あなたと飲むなんて、ありえないっつーの!」

「……元の住人の」

「え?」

「元の住人の元カノ。ゆうべ、その人が、間違ってこの部屋に入ってきて、」

「間違って? だって、鍵かけておいたんだろ? どうやって入ってこれたのさ」

「だから、合鍵、持ってて」

 不審そうに豪太が首を傾げた。
「鍵は、変わってる筈だよ」

「変わってる……?」

「入居の時、付け替えた。それに、あなたを保護した際にも、付け替えたし、」

「ああ、俺を拉致監禁した時な」

「……、その後、また、つけ変えた」

「? なら、どうやって入ってこれたんだ?」

「こっちが聞きたいよ。まさかそれ、変な人じゃないだろうね? 冗談じゃないよ! ゆうべ、本当にちゃんと鍵、掛けたんだろうね?」

「掛けた」

 切羽詰まった表情で、豪太がぐっと近づいてきた。
「大丈夫、遼さん? 変なイタズラとか、されてない?」

「俺に変なイタズラを仕掛けてくるのは、お前くらいのもんだ」

「そうか」
豪太は満足そうに笑った。
「なら、夢、見たんだ。無防備に酔っぱらったあなたを前にして、何もしないやつなんか、この世の中に、いっこないもん」

 だが、遼は納得がいかなかった。
「あんなリアルな夢があるもんか。彼女、確かにこの部屋の合鍵を持ってるって言ってたし。この部屋の住人が恋人で、そいつに捨てられた、って話して。もちろんそれは、豪太じゃなくて……」

「遼さん!」
びっくりするほど真剣な声を、豪太が出した。
「その女性、この部屋の前の住人の、彼女だったってこと?」

「うん。そうらしい」

 不意に豪太が立ちあがった。
 奥の部屋へ行って、何か持ってきた。
 古ぼけた写真だった。

「その彼女って、この人?」

「ああ、この人、この人。この隣のが、元カレ、つまり、この部屋の元の住人だよな。てか、どうしたんだ、この写真」

それは、ゆうべ遼が、彼女から見せられた写真だった。

「……遼さん」
珍しく、豪太の声が震えている。
「その女性ね。……死んでる」

「はあ?」

「この部屋で、自殺したんだ」

「何を、笑えない冗談を、」
「冗談じゃない、ほんとだよ」

「だってゆうべ、ここへ来たんだぜ? 元カレの愚痴や悪口を聞きながら、一緒に酒を飲んだんだ」

「なあ、遼さん。都心のマンションを、それも上下で二部屋も借りられるなんてすごい、って、前に遼さん、褒めてくれたろ?」

「いや、褒めたわけでは……」

「僕は勤めていた事務所を辞めたばかりで、迷子の猫探しとかして、生計を立ててたのに」

「ああ。ほんと、経済観念のないやつだと思ったよ」

「それはっ、どうしても、あなたのそばにいたくてっ! あなたの会社の近くで部屋を探したのっ! ……そんなことより、ここ、ほとんど無料で借りてるんだよ」

「無料? まさかお前、悪いこと、してるんじゃないだろうな。大家のどーゆー弱みをつかんだんだ?」

「違うよっ! あのね、遼さん。事故物件って知ってる?」

「ああ、自殺とか殺人とか、あった部屋のことだろ?」

「うん。心理的瑕疵といって、通常は、借主に対して、告知しなければならない。でも、そこに一度、誰か別の人間が住めば、告知義務はなくなるんだ。つまりね。僕は、頼まれて、この部屋に住んでいるのさ」

「誰から?」

「不動産屋から」

「……」

「この部屋で、人が死んだんだ。その写真の女の子が」

「!」

「この部屋の前の借主の彼女でね。自殺だった。別れ話が出ていたらしい。当時彼女は、妊娠三ヶ月だった。恐らく、正常な判断ができなくなっていたんだな……」

「うそだ……。だって、……」

「嘘なものか。僕は、上下で部屋を借りてるよね。上階が、問題の男の部屋だった。そいつが長期出張で留守した時に、彼女が合鍵で入って、自殺した。夏場、長いこと発見されなかったものだから、下の部屋までエグイことになって。おかげで僕はタダで、二部屋、借してもらえたわけ。不動産屋が次の借主に、いろいろ説明しなくて済むように」

「……」

「……」

「お前、そんなところに住んでたのか」

「そう。でもさ。そろそろ引っ越そうかなー、と思って」

「是非、そうしろ」

「それで……ね、遼さん。前にも言ったけど、」

 「嘘だね」

「は?」

「お前、何、嘘、ついてんだ? そんな、自殺とか、事故物件とか、」

「嘘じゃないよ」

「いいや、嘘だ。だって、ほら、お前のすぐ後ろに立ってるじゃないか」

「立ってる? 誰が」

「彼女」

 反射的に豪太は後ろを振り返った。
「……誰もいないよ」

 しかし、遼の目には、はっきりと、髪の長い女性の姿が見えた。
 おもしろそうにころころ笑いながら、豪太のすぐ後ろにいる。

 「あんた、二日酔いは大丈夫か?」
あんまり屈託なく笑うものだから、思わず遼は問いかけた。
「俺より飲んでたろ?」

「は? 遼さん、何言って……?」

「わりぃ、豪太。お前に無断で女性を泊めちまったのは、悪かったよ。でも、まさか夜中に放り出すわけにもいかねえだろ? 失恋して泣いてんのに」

「ちょっと遼さん、しっかりしてよ」

「う、大声出すな。俺は、しっかり二日酔いだ。……あんた、強いんだな。酒に強い女は、いいねえ」

 「誰もいないじゃないか!」
殆ど悲鳴のように、豪太は叫んだ。
「ここには誰もいないよ。僕とあなたの他に!」

「お前、それは失礼だろ……」

 女性の笑いが消えた。
 むっとしたように、豪太を睨んでいる。

「ほら、彼女、怒ってる」

「遼さん! 遼さん!」

豪太が遼の肩をつかんだ。

「ちょ、なんだ、人前で」

「だからここには、僕とあんたしかいないっ!」

「いるだろ……」

豪太がいきなり、遼の口を塞いだ。

「……っ、……っ」

 性急に舌が割り込んでくる。
 突き放そうとしても、後頭部を抱え込み、離そうとしない。
 驚きや恥ずかしさや、面目なさやなにやらで、遼は、途方に暮れてしまった。

 混乱した気持ちのまま、豪太の顔の下から、そっと女性の顔を盗み見る。
 意外なことに、彼女は微笑んでいた。
 微笑んで遼にうなずき掛けると、唇の動きだけで伝えた。

「か・え・る……」

「……っ!」

遼は、やっとのことで、豪太を引き離した。

「……ほらっ! お前が無体なことすっから、……彼女、居たたまれなくなってんぞ。もう、帰るってさ」
息を途切らせながら言った。

 「どこにいんだよ! その女はっ!」
豪太が後ろを向いて、どん、と、一歩踏み出した。

 「あっ、ぶつかるっ!」

 遼は叫んだが、少し遅かった。
 豪太と女性は正面衝突し、女性の体が、宙に舞った。

 ……宙に? 舞った?

 女性は、まるで紙のようにくるりと翻った。
 そのまま、天井近くまで舞い上がっていく。

 ……うそ。

 一回転してこちらに向けられた女性の顔は、けたけたと笑っていた。
 長い黒髪が、落ちてきて、ばさりと顔を覆った。

 ……!
 女性とぶつかった豪太は、なにごともなかったように、そのまま、部屋の奥まで歩いていく。

「ほら、誰もいないよっ!」

 豪太が言った時だった。

「! ーーーっ、!!!」

 天井から、ナイアガラの瀑布さながら、大量の水が落ちてきた。
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