白く輝く強い羽

せりもも

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short stories

ヘッドハンティング 2

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 「さ、さ、うるさいお目付け役は消えた、と」

古海と呼ばれた家令が一礼して立ち去ると、女の子……一乗寺典子は、嬉しそうに、豪太をオフィスの奥に引っ張っていった。
 そこには、ソファとローテーブルの、簡易応接セットが置かれていた。

 ……その会社、ずいぶんなブラックかもしれないな。気をつけろよ。
 前に遼が言っていた言葉が、脳裏を過る。

 しかし、こうして見る限りは、普通の会社なんだよな、と豪太は思う。
 家令、なんてものまでいる、大財閥令嬢が、趣味で作った出版社。

 電子書籍のみの出版から始め、今は、紙の本の出版はもちろん、海外展開にも手を染めている、優良企業だ。
 但し、出版しているものが、ちょっと、ニッチというか、アレなのだが……。


 「それで、その後、進展はありましたか?」
柔らかい革張りのソファに腰を下ろすと早々に、豪太は尋ねた。

「いいえ、全くです。あの、ホーンリバー社と言ったら、ほんとに強情で! 出版権者はうちだと言って、聞かないのです……。とっくの昔に絶版してるくせに、これはもう、聖典の冒涜以外の、何物でもありません!」

「聖典?」

「先生のご著書です。『アルマジロ』!」

「はあ……。それで、先生のご意思は? 内々には、了承されているんですよね?」

「もちろんです! あの作品で、日影先生が本当に意図されているのは、恋愛です! 男同士のラブなのです! わがモーリス出版社で出版したくないわけがないのです!」

 日影百草というのは、豪太でさえ知っているくらいの、著名な純文学作家である。
 その彼女が、昔出版した作品が、『アルマジロ』だ。

 文芸出版の老舗、ホーンリバー社から出版されたが、有名になる前の作品だったので、殆ど売れなかった。現在は、絶版になっている。

 これに目を付けたのが、一乗寺典子である。
 BL出版を手掛ける彼女の、琴線に触れるものがあったのだろうか。

 彼女はこの作品を、モーリス出版社から出すことを、打診した。
 だが、ホーンリバー社が、どうしても、うんと言わない。

 かくしてこの作品は、出版される見込みもないまま、いまだに絶版状態を続けている。

 この件があってから、国会図書館へ通って、豪太も読んでみた。
 何度も居眠りしてしまい、守衛さんにたたき起こされた。
 それでも頑張って読み通してみたのだが、なぜこれが、男同士のラブロマンスなのだか、どうしてもわからなかった。

 憤然と、典子は続ける。

 「だって、出版権の存続期間は3年なのでしょう? 前にいらした時、先生、そうおっしゃったじゃないですか! あの作品は、20年前の作品です。もう、とっくに賞味期限切れのはずです!」

「しょうみきげん……?」

「あ、えと、作品のではなく、ホーンリバー社が持っていると言い張っている、出版する権利? とやらの」

「著作物を複製・頒布する権利のことですね。ですが、賞味期限って……」

「確かに、黒電話とかブラウン管テレビとか出てきて、そういうのはちょっと、時代遅れかもだけど。でも、ラブは健在なのです! ポポとレオンの、麗しきロマンスは、今も色あせることなく、そこに存在するのです!」

ちなみに、ポポもレオンも男である。

 豪太は首を傾げて見せた。
「いや、でも、出版権の設定は、自動延長するのが普通ですから……」

「普通と言うことは、例外もあるはずです!」

「それは、契約書を見てみないことには、なんとも……。日影先生に、契約書は借りて頂けましたか?」

今日は、出版契約書の確認に来たのだ。

「それが……」
にわかに、典子の顔が曇った。
「何度伺っても、貸していただけず……挙句の果てに、先生、なくしてしまったとおっしゃられて……」

「なくした? 契約書を? それは困りましたね」


 「ホーンリバー社と、契約書は交わしていないそうですよ。日影先生が教えてくれました」

 その時、部屋の隅から、声がした。
 オフィスには、典子しかいないと思っていたから、豪太はびっくりした。

 大きな本棚の影から、ほっそりとした体つきの男が立ちあがった。
 逆光なのもあって、なんだか眩しい。
 誰かに似ている気がする。

「まっ、直緒さんっ! いつどこで、そんな話をっ!?」
金切り声で、典子が叫んだ。

「えと、この間、先生のお宅へ伺った時です。先生、ケーキをご馳走して下さって、実は、って」

「なぜっ! あんなにちょくちょく伺っていたのに、なぜ、わたしにはケーキを下さらないの、先生はっ! じゃなくて、そんな大事な話を、なぜ、わたしにじゃなく、直緒さんにっ!」

「それは……」
逆光でもはっきりわかるくらい、男は顔を赤らめた。
「『アルマジロ』は、BLじゃないそうです。読者さんにそう思って欲しくない、と」

「なんですって!」

「先生がおっしゃるには、『アルマジロ』には、多少は、その傾向はあるかもしれない、典子さんがあんまり熱心だから、一時は、BLとして売るのもありかと思ったけど、よく考えてみたら、あの作品は、若き日の特別な思い入れのある作品で……、あれ、典子さん?」

「BLじゃない……日影先生の『アルマジロ』が?」

 ふらり。
 典子の体がよろめいた。
 直緒と呼ばれた男が、痛まし気に彼女をみやった。

「先生のお考えでは、復刊したいのは山々だけど、モーリスから復刻出版したら、『アルマジロ』は、いよいよホンモノになってしまう……つまり、BLに。それは違う、自分が、純文学作家である以上、あの作品も純文学なのだ、と」

「……ポポとレオンの間に、ラブはなかった……と?」

「それは知りません。でも、ラブより文学だって、先生、おっしゃってました」

「BLより、文学……」
まるで夢の中のセリフのように、典子がつぶやく。

 こほん、と、豪太は咳ばらいをした。
「著者の先生のご了解が得られないのなら、モーリス出版社からの出版は、不可能ですね。この話はなかったことに……」

「いいえっ!」
典子が叫んだ。
「いいえっ!」

「でも、出版権を引き上げるにしても、肝心の先生がそれでは、到底、こちらモーリスさんに譲ってはもらえませんよ……」

「今現在、『アルマジロ』は絶版になっています。読めないことに変わりはありません。これは、ホーンリバー社の怠慢です。なんとかしなければなりません!」

「なんとか、って……」

「読めばわかる! 読めばわかるのです! あの作品が素晴らしいBLだってことが! ああ、わたしには聞こえる。喪われた素晴らしいBLの発掘に成功したわたしへの、惜しみない賞賛の声……」

 典子は胸の前で手を組み合わせた。
 目が座っている。

「石川先生! どんな手段を使っても、ホーンリバー社から、『アルマジロ』の出版権を強奪……」

「いや、その、どうでしょう。出版権を始め、著作権を持っているのは、日影先生なんですからね。その先生が同意されない限り……」

「先生の同意! それさえあればいいんですねっ!」

「ええ、まあ……」


「直緒さん!」
殆ど悲鳴のような声で、典子が叫んだ。
「わかってるわね、直緒さん!」

「ええ」
直緒が頷いた。
「僕も、日影先生は間違ってると思います。BLこそが、文学です! よって、『アルマジロ』も、当然、BLです」


 その条件式は間違ってるのではないか、と豪太は思った。
 だが、社長と社員、ふたりの気迫の前に、何も言えなかった。


「行ってくれるわね、直緒さん」

「はい。BL小説を、文学の棚に。日影先生なら大丈夫です! 先生のお作なら、確実に、書店の棚が確保できます!」

「口説いてくれるのね、先生を」

「任せてください、典子さん!」
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