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東郷という男
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キャンパスの中庭にあるベンチで門叶は一人、文豪のような溜息を手帳に吹き付けていた。
丸で囲った名前をペン先で突っつきながら、生方の言動を思い返していると、いきなり背中を叩かれ、「うわあ!」と、尋常じゃない大声を出してしまった。
「そんなに驚く? ってか刑事さん犯人って見つかった?」
取り乱す門叶の前に、見覚えのある女生徒がカラカラと笑いながら立っていた。
「き、君は──」
「刑事さん大丈夫? 死にそうな顔してるよ」
愉快そうに門叶を見下ろしてくるのは、以前、千歳が泣いていたことを教えてくれた女生徒だった。
「あ、ああ、ちょっと考え事してたから」と、門叶は慌てて誤魔化した。
「刑事さんってさ、よく見ると男前だよね」
無邪気な顔で、女生徒が隣に遠慮なく腰を下ろしてきた。
「『よく見ると』なんだね」
「だって、この学校には超イケメンがいるんだもん」
「東郷先生だったっけ」
「そうそう。特にあの子、糸峰さんが東郷先生にご執心なのよねー。湊君を好きなくせに」
面白くなさそうな顔で、ちょっと美人だからってさ、と女生徒が反感を口にした。
千歳との電話で口論したと言う、糸峰。今日、大学へ来たのも彼女の話を聞くことが目的だった。
「この春に先生が講師で学校に来てからずーっと親しげなの。二人で頻繁に会ってるし」
「え、東郷先生は新任だったんだ。あ、じゃあ、もしかして糸峰さんも東郷先生の部屋に行ってたりとか?」
「さあ。裏庭で糸峰さんが先生といたってのは、噂で聞いたけど。しかも夜とかにだよー」
裏庭で生徒と夜に二人っきり……。そんな話しを湊も言っていた。
「でも噂だしね。それに糸峰さんの本命は湊君だから、単に媚を売ってただけかもねー」
興味なさげな顔で、女生徒は弾みをつけてベンチから腰を上げた。
「湊って、鷹屋敷湊君の事だよね?」
「そうそう。だから糸峰さんは此本さんに嫉妬してたもん。二人が付き合ってるって噂になってたし」
噂、噂って、老いも若きも、男も女も、人間は噂好きだなと、門叶は苦笑を浮かべた。
肩を竦めて呆れ顔で言う女生徒の言葉と同時に、門叶のスマホが鳴った。
「はい、今? キャンパスにいます、キドさんは?」
錦戸との通話中、女生徒は暇潰しに飽きたのか、手を振りながら去って行った。
「分かりました、今からそっちに向かいます」
電話を切った門叶は、肩越しに自分の背中を気にしながら、錦戸が待つ喫煙所へと向かった。
二本目の煙草に火をつけようとした錦戸に声をかけ、門叶は女生徒に聞いたばかりの話を報告すると、まずは東郷を訪ね、それから糸峰の話しを聞くことにした。
空の果てから夜が忍び寄る気配を背に、二人は東郷の部屋まで来ると扉をノックした。
「返事ありませんね、もしかしてもう帰ったのかな」
言いながら、門叶がノブに手をかけると扉は抵抗なく開いた。だが、部屋に人の気配は感じない。
「東郷先生、いらっしゃいますか?」
部屋に一歩足を踏み入れた途端、ダンボールに躓き、咄嗟に側にあった棚に縋ろうとした門叶は、無造作に突っ込まれていた書類に手が当たってそれらを床にぶちまけてしまった。
「──何をしてるんです?」
慌てて書類を拾う背中に声が刺さり、総毛立つ記憶が門叶の脳にフラッシュバックした。
心臓を激しく収縮させながら振り返ると、東郷が腕を組んでこちらを凝視している。
「す、すいません!」
額に薄っすら汗を滲ませた門叶は、慌てて東郷に頭を下げた。
「申し訳ないです、先生。勝手に入るつもりはなかったんですが……」
錦戸がフォローしてくれる間に、門叶は急いで書類をかき集めた。その中にあった冊子のページが開かれていて、見覚えのある名前に自然と目が奪われた。
「もういいですよ。自分でやるんで置いといて下さい」
溜息と共に荒々しい足音で二人をやり過ごすと、東郷が椅子に座った。
冷めた目で見据えてくる視線は前とは別人に見え、門叶はもう一度、すいませんと詫び、顔を上げる流れで部屋の中を観察してみる。
殺風景な机に、小さなシンク。そこに置かれたドリップ珈琲が芳醇な香りを漂わせていた。
見入っていると、「要件は」と、抑揚のない声で問われた。
「あ、ああ、失礼しました。実は先生に糸峰佳乃子さんって生徒のことをお聞きしたくて」
「糸峰? ああ、あの生徒か」
「ご存知ですか?」
「まあ……。たまに声をかけられますんで」
どんなことで? と門叶が付け足すと、たわいもない雑談ですよと、疎ましそうに一蹴されてしまった。
糸峰に親しい人がいるのかの質問にも、「さあ」と一言だけで済まされる始末だ。
「先生はこの大学に赴任されたのはこの春からですよね。それまではどちらで?」
「何ですか、藪から棒に」
「いえ、そんな話しを耳にしたものですから」
切り口を変えた門叶の問いかけに、飲みかけた珈琲を置いて東郷がわざとらしく息を吐いている。
「専門学校の講師でした。契約更新の時にこの大学の求人に巡り合ったんで、向こうは辞めました」
どこの専門学校だったのか、聞こうとしたが錦戸に視線で止められ、その後、小さく首を左右に振っていた。
ここまでにしろってことか……。
東郷の態度から今の時点でこれ以上、彼の機嫌を損ねることはしない方がいい。きっと錦戸はそう判断したのだろう。
門叶はわざと手帳を閉じる音を大きくさせ、ありがとうございましたと、質問を終了させることを伝えた。
門叶は自分が床に落としてしまった書類達に再び視線を落とすと、その中に埋もれていた冊子のページを見つめながら会釈し、何事もなく部屋を後にした。
丸で囲った名前をペン先で突っつきながら、生方の言動を思い返していると、いきなり背中を叩かれ、「うわあ!」と、尋常じゃない大声を出してしまった。
「そんなに驚く? ってか刑事さん犯人って見つかった?」
取り乱す門叶の前に、見覚えのある女生徒がカラカラと笑いながら立っていた。
「き、君は──」
「刑事さん大丈夫? 死にそうな顔してるよ」
愉快そうに門叶を見下ろしてくるのは、以前、千歳が泣いていたことを教えてくれた女生徒だった。
「あ、ああ、ちょっと考え事してたから」と、門叶は慌てて誤魔化した。
「刑事さんってさ、よく見ると男前だよね」
無邪気な顔で、女生徒が隣に遠慮なく腰を下ろしてきた。
「『よく見ると』なんだね」
「だって、この学校には超イケメンがいるんだもん」
「東郷先生だったっけ」
「そうそう。特にあの子、糸峰さんが東郷先生にご執心なのよねー。湊君を好きなくせに」
面白くなさそうな顔で、ちょっと美人だからってさ、と女生徒が反感を口にした。
千歳との電話で口論したと言う、糸峰。今日、大学へ来たのも彼女の話を聞くことが目的だった。
「この春に先生が講師で学校に来てからずーっと親しげなの。二人で頻繁に会ってるし」
「え、東郷先生は新任だったんだ。あ、じゃあ、もしかして糸峰さんも東郷先生の部屋に行ってたりとか?」
「さあ。裏庭で糸峰さんが先生といたってのは、噂で聞いたけど。しかも夜とかにだよー」
裏庭で生徒と夜に二人っきり……。そんな話しを湊も言っていた。
「でも噂だしね。それに糸峰さんの本命は湊君だから、単に媚を売ってただけかもねー」
興味なさげな顔で、女生徒は弾みをつけてベンチから腰を上げた。
「湊って、鷹屋敷湊君の事だよね?」
「そうそう。だから糸峰さんは此本さんに嫉妬してたもん。二人が付き合ってるって噂になってたし」
噂、噂って、老いも若きも、男も女も、人間は噂好きだなと、門叶は苦笑を浮かべた。
肩を竦めて呆れ顔で言う女生徒の言葉と同時に、門叶のスマホが鳴った。
「はい、今? キャンパスにいます、キドさんは?」
錦戸との通話中、女生徒は暇潰しに飽きたのか、手を振りながら去って行った。
「分かりました、今からそっちに向かいます」
電話を切った門叶は、肩越しに自分の背中を気にしながら、錦戸が待つ喫煙所へと向かった。
二本目の煙草に火をつけようとした錦戸に声をかけ、門叶は女生徒に聞いたばかりの話を報告すると、まずは東郷を訪ね、それから糸峰の話しを聞くことにした。
空の果てから夜が忍び寄る気配を背に、二人は東郷の部屋まで来ると扉をノックした。
「返事ありませんね、もしかしてもう帰ったのかな」
言いながら、門叶がノブに手をかけると扉は抵抗なく開いた。だが、部屋に人の気配は感じない。
「東郷先生、いらっしゃいますか?」
部屋に一歩足を踏み入れた途端、ダンボールに躓き、咄嗟に側にあった棚に縋ろうとした門叶は、無造作に突っ込まれていた書類に手が当たってそれらを床にぶちまけてしまった。
「──何をしてるんです?」
慌てて書類を拾う背中に声が刺さり、総毛立つ記憶が門叶の脳にフラッシュバックした。
心臓を激しく収縮させながら振り返ると、東郷が腕を組んでこちらを凝視している。
「す、すいません!」
額に薄っすら汗を滲ませた門叶は、慌てて東郷に頭を下げた。
「申し訳ないです、先生。勝手に入るつもりはなかったんですが……」
錦戸がフォローしてくれる間に、門叶は急いで書類をかき集めた。その中にあった冊子のページが開かれていて、見覚えのある名前に自然と目が奪われた。
「もういいですよ。自分でやるんで置いといて下さい」
溜息と共に荒々しい足音で二人をやり過ごすと、東郷が椅子に座った。
冷めた目で見据えてくる視線は前とは別人に見え、門叶はもう一度、すいませんと詫び、顔を上げる流れで部屋の中を観察してみる。
殺風景な机に、小さなシンク。そこに置かれたドリップ珈琲が芳醇な香りを漂わせていた。
見入っていると、「要件は」と、抑揚のない声で問われた。
「あ、ああ、失礼しました。実は先生に糸峰佳乃子さんって生徒のことをお聞きしたくて」
「糸峰? ああ、あの生徒か」
「ご存知ですか?」
「まあ……。たまに声をかけられますんで」
どんなことで? と門叶が付け足すと、たわいもない雑談ですよと、疎ましそうに一蹴されてしまった。
糸峰に親しい人がいるのかの質問にも、「さあ」と一言だけで済まされる始末だ。
「先生はこの大学に赴任されたのはこの春からですよね。それまではどちらで?」
「何ですか、藪から棒に」
「いえ、そんな話しを耳にしたものですから」
切り口を変えた門叶の問いかけに、飲みかけた珈琲を置いて東郷がわざとらしく息を吐いている。
「専門学校の講師でした。契約更新の時にこの大学の求人に巡り合ったんで、向こうは辞めました」
どこの専門学校だったのか、聞こうとしたが錦戸に視線で止められ、その後、小さく首を左右に振っていた。
ここまでにしろってことか……。
東郷の態度から今の時点でこれ以上、彼の機嫌を損ねることはしない方がいい。きっと錦戸はそう判断したのだろう。
門叶はわざと手帳を閉じる音を大きくさせ、ありがとうございましたと、質問を終了させることを伝えた。
門叶は自分が床に落としてしまった書類達に再び視線を落とすと、その中に埋もれていた冊子のページを見つめながら会釈し、何事もなく部屋を後にした。
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