聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

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5巻

5-1

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   プロローグ いざ、ギーレンへ


 乙女ゲーム兼、戦略シミュレーションゲーム〝蘇芳戦記すおうせんき〟に登場する国は、アンジェス、ギーレン、バリエンダール、サレステーデ、ベルィフの五つ。
 国ごとに主人公となるプレイヤーがいて、各国を繋ぐ〝転移扉てんいとびら〟を奪われないようにすることが、ゲームの根幹。
 それだけだとソフトとして売るには弱いとの考えが運営にあったのか、プレイヤーが攻略すべきキャラクターはことごとく美形であり、シナリオの中には恋愛要素満載のエンディングも存在していた。
 故にこのゲームは乙女ゲームとしての側面も保持していて、攻略本だかキャラクター本だかが公式に発売されるほどには人気だったのだ。


 ――まさか自分が、そのゲームに酷似した世界に召喚されることになろうとは、思いもしなかったけど。


 それもこれも、先に異世界召喚された双子の妹が、自分が楽をするために姉をも召喚させるという、馬鹿なことをしでかしてくれたせいだ。日本最高峰の大学で自由な大学生活を満喫するはずが、ある日いきなりびつけられた先は、アンジェス国。しかも現状片道切符。
 このままいけば、異世界に来てまで妹の踏み台。そんなことは許容出来ないと、召喚に関わった一人である宰相エドヴァルド・イデオンに直談判し、王宮住まいの妹と距離を置く苦肉の策として、イデオン公爵邸に落ち着くことになった。
 とはいえゲームのシナリオ通りならば、エドヴァルドには常に断罪や暗殺の危険が付きまとう。未来のことは不透明ながら、一宿一飯の恩は返しておかねばと、私はフラグを折るべく動き回った。
 結果、国家機密漏洩による断罪劇は起きなかったし、エドベリ王子暗殺も起きなかったし、当然その責任を負ってエドヴァルドが国外追放されることもなかった。
 ……そう、国外追放のフラグも折れたはずだったのだ。
 けれど、シナリオの強制力が働いたのだろうか。
 各国を繋ぐ〝転移扉〟を維持する者。アンジェス国の当代女性であり「聖女せいじょ」と呼ばれる者――妹の舞菜まなのことだけど――による、隣国ギーレンの〝転移扉〟視察という外交業務が急遽生じ、お目付け役としてエドヴァルドが共に行くことになった。
 追放ではないにせよ、彼は「国外に出る」ことになったのだ。
 しかもこの視察、裏ではギーレンの第二王子エドベリと、アンジェス国の国王フィルバートによる「賭け」が絡んでいる。
 ギーレンから亡命してきた、ギーレンサイドのヒロイン、シャルリーヌを取り戻したうえで、エドヴァルドも「アンジェス国の聖女」も取り込みたいエドベリ王子と、少なくともエドヴァルドは手元に残したいアンジェス国の国王陛下。
 現在イデオン公爵邸住まいの私としては、エドヴァルドにギーレンにとどまられては困るし、今では気の置けない友となったシャルリーヌも、アンジェスにいてほしい。
 妹は――「聖女」の肩書がある内は、どこにいても無下にされはしないだろう。
 喫緊の課題は、旅立ったエドヴァルドと妹が、ギーレン国に着いた途端の〝転移扉〟の故障で、アンジェス国に戻れなくなっていること。
 故障なんて恐らくはでたらめで、今頃はエドヴァルドと妹をギーレンに引き抜こうと、あれやこれやと策がろうされているはず。
 一往復可能な『簡易型転移装置』を貸し出すというフィルバートの意図は、外交問題にならず、ギーレンに付け入る隙を与えず二人を帰国させることだろう。いや、本当に「二人」と思っているかどうかは、怪しいところだろうと私は思う。
 サイコパスな国王サマの思惑など、考えるだけで背筋が寒くなる。
 王と王子の「賭け」は動き出し、私の手元には今『簡易型転移装置』がある。
 このまま日がったとて、故障は絶対直らない。
 ――だから私はギーレンに向かうのだ。
 ギーレン側の思惑を壊し、シナリオの強制力に抗うために。



   第一章 シーカサーリ王立植物園へ


 いきなり部屋の中への転移は、不法侵入扱いになるからやめようね――と、シャルリーヌに言ったものの『簡易型転移装置』の性質上、どこかの扉同士を繋げる必要はあるらしい。
 なのでとりあえずシャルリーヌには、ベクレル伯爵家の玄関ホールをイメージしてもらい、イデオン公爵邸の玄関ホールと繋ぐ形で、転移を行うことにした。
 とはいえ魔力ナシの私では起動すら不可能なので、ここは大人しく、同行してくれる公爵邸の護衛〝鷹の眼〟のおさ・ファルコに起動を頼んで、先導も兼ねて先に扉の向こうに行ってもらうことにしたのである。
 私がちょっと及び腰になっているのを察した〝鷹の眼〟ナンバー2、イザクが背中を押してくれる形で、セルヴァンやヨンナといった使用人たちのすがるような視線を背に、私はギーレン国への扉をくぐった。

「とりあえず今、侍女に先触れの手紙が行ったはずだってコトを伝えて、伯爵か夫人か――って形で取次ぎを頼んだから」

 暗闇の視界は、あっという間に見慣れない建物の玄関ホールに変わる。そうして一歩足を踏み出した先に、ファルコの背中があり、そんな声も耳に届いた。

「しっかしホントに、扉を抜けたらギーレンでした――とはな」
「え、ファルコも〝転移扉〟使うの初めてなの?」
「小型の装置で手紙やら氷やらを移動させるのは見たことあるが、人の移動となると、簡易だろうと煩雑だろうと、王宮の管轄だぞ。お館様の部屋にあるのだって、定例報告の時期だけってことで許可されてる装置だから、基本的にお館様以外は使わねぇよ」
「あ、そうなんだ……」

 言われてみれば、それもそうだ。
 一般市民が気軽に転移による移動が出来るなら〝転移扉〟や〝扉の守護者ゲートキーパー〟を巡って争いなど起きない。うっかり〝蘇芳戦記〟の根幹部分を失念していた。

「失礼、娘の……シャルリーヌの友人のご令嬢というのは――」

 そうこうしていると玄関ホールの奥がやや騒がしくなり、少しして壮年の男性と女性とが、連れ立って現れた。
 私はファルコの前へと一歩進んで、カーテシーをする。

わたくしが手紙を差し上げました、レイナ・ソガワです。正式な礼儀作法には程遠い急な訪問となりました点については、幾重にもお詫び申し上げたく――」

 私の言葉に、壮年の男性は目を見開くと優しい笑顔とともに首を横に振った。

「ああ、いや、堅苦しい挨拶は抜きにしてもらって結構だ。まごうかたなきシャルリーヌの筆跡で、くれぐれも貴女のことをよろしく頼むと……ボードリエ伯爵からの口添えまである。レイナ嬢、ベクレル家は貴女を歓迎しよう。私が当主のロドルフォ・ベクレルだ。隣にいるのが、妻のフィロメナ、シャルリーヌの継母ははだ」
「ええ、そうですよレイナ嬢。聞けばあの子と、とても仲良くして下さっているとか。どうぞお入りになって。最近のシャルリーヌのことをぜひ聞かせて下さいな」

 ベクレル伯爵夫妻はそう言うと、心からシャルリーヌを心配していたと分かる表情で、私を邸宅の奥へと案内してくれた。
 私の後ろには、結局ファルコやイザク、王宮護衛騎士のトーカレヴァにシーグを含め、計七人が同行している。あらかじめシーグには、女の子の恰好をして、私の専属侍女見習いを装うように言い聞かせてあった。
 いや、シーグはもともと少女だからその言い方もおかしいのだけど、双子の兄リックと、エドベリ王子の侍従「シーグリック・アルビレオ」を交代で演じている訳だから、普段の恰好だと身バレの危険が跳ね上がるのだ。だから今は、専属侍女見習い。本人も渋々それを受け入れていた。

「じゃあ、俺は――」

 ファルコが「宿を探してくる」と言って席を外そうとしたものの、それを耳にしたベクレル伯爵が、屋敷への滞在を勧めてくれた。ある程度予想していたとはいえ、ファルコたちはむしろ、いざという時に動きづらくなるからと、滞在を固辞。私とシーグだけをベクレル伯爵邸に残す形で、最終的には折り合いがついた。
 シーグは最初ちょっと渋っていた。けれど私が「侍女の仕事を勉強することは、将来の潜入捜査には確実に役に立つ」と言ったところで、名を捨てて実を取ったようだった。

「そういえばファルコ、ギーレンの言葉話せるんだ」

 ベクレル伯爵と言葉を交わす姿に驚いていると、ファルコの眉間に皺が寄った。

「……これでも一応〝鷹の眼〟預かってんだが。アンタの中の俺は、どういう立ち位置なんだ」

 曰く、エドヴァルドの密命で色々な所に探りを入れる関係上、〝鷹の眼〟の皆は、アンジェスの言葉以外にも、最低一つは外国語が話せるらしい。

「えっと……ベルセリウス将軍の親友?」
「俺も『脳筋』枠なのかよ、おい!」

 そもそもこちらに「脳筋」の概念はなかったらしい。だけど私が将軍に会った当初、もちろん将軍のいないところでポツリと「脳ミソまで筋肉で出来ていそうな人種」と呟いたところ、主にファルコとウルリック副長に大ウケしたのだ。
 アンジェスに新語が受け入れられた瞬間だった。

「口より手が先な事は間違いないからな」

 淡々とそう言って、私に賛同してくれるのはイザクだ。
 イザク含め〝鷹の眼〟の他の皆も、ギーレンの言葉に不自由しない者の中から選ばれたようだ。
 元特殊部隊所属、現王宮護衛騎士でもあるトーカレヴァ・サタノフ青年に関しては、実家が子爵家なため、貴族教育の一環として、ギーレンの言葉は習得していたらしかった。
 これじゃ連れて行くのを拒否する理由がないと、ファルコが愚痴っていたのだ。

「じゃあ、まあ……コレは貴女に、まずは預けますよ。私あるいは〝鷹の眼〟と連絡を取りたい時には、この子を飛ばして下さい」

 そして、トーカレヴァが来たなら――

「……リファちゃん!」
「いいですか、預けるんですからね? 飼っていいってコトじゃないですから、くれぐれもお願いしますね!?」

 異世界版シマエナガ、もといヘリファルテのリファちゃんをてのひらに乗せられた私は、人差し指でリファちゃんをそっと撫でる。
 かわいい……と、すぐ傍でシーグさえも呟く愛らしさである。

「でしょ!? こちらでお世話になる間は、アナタにもこの子のお世話を手伝ってもらうから、お願いね?」

 そう言うと、シーグはコクコクと首を縦に振った。
 護衛の宿ならば、信頼出来る所を何軒か紹介するからと、執事と思しき男性に声をかけられたファルコたちが別室へと消え、私とシーグは、伯爵夫妻と共に応接室へと場所を移した。
 ソファに腰を下ろしたベクレル伯爵が口を開く。

「レイナ嬢。私たちは本当に、貴女に感謝している。この国に居た間も、娘は将来の王妃としての教育に振り回されていた。友人という言葉さえ、娘から聞くことはなかったのだ」

 伯爵の表情からは、当時を思い返しての辛さ、後悔が窺える。
 貴族社会では、第一王子の婚約者に選ばれるのは、普通、とてつもない栄誉ステイタスだし、伯爵家の側からおいそれと異を唱えられるものでもない。
 ただ、シャルリーヌが孤軍奮闘していたことには気が付いていて、実父の目からは、娘に負担をいたと映っているようだった。

「それが、貴女を『初めて出来た、ただ一人の親友』だと言っていた。アンジェス国の社交の場では、エドベリ殿下と遭遇しないようにと、国王陛下と交渉までして下さったと。その親友が困っているのだから、今度は自分が手を貸すのだと……私たちが、それに『否』と言うことなどありえない。レイナ嬢、どうかここを第二の実家とでも思ってなんでも相談してほしい。出来る限りのことはさせてもらう」

 そう言った伯爵の隣で、フィロメナ夫人も頷いた。

「シャルリーヌは、そもそものパトリック殿下とのご縁を繋いだのが私であると分かっていても、最後まで一言も責めませんでしたの。ギーレンを発つ直前にも『お義母かあ様は、私のためによかれと思って動いて下さったのだと分かっていますから。ただただ、こうなる未来を崩せなかった自分の力不足だ』と、そう言ってくれましたの」

 そういえばシャルリーヌは、実母が亡くなって、父親が再婚したのを機に前世の記憶を取り戻したように思うと言っていた。つまりフィロメナ夫人は、ベクレル伯爵の後添いということだ。
 けれど二人は、心から娘の心配をしているといった感じだった。

「婚約破棄騒動の後『もう、王族関係者には近づきたくない』と言われた時には、たとえエドベリ殿下から内々にほのめかされようとも、もう娘を王族の犠牲にはすまいと、そう思ったのですよ。国内の修道院では、権力にモノを言わせて連れ戻されかねないから、国外に出させてくれと言われて、親戚が以前嫁いだアンジェス国のボードリエ伯爵家と連絡をとった」
「あちらは何年か前の政治的な争いで唯一のお子様だったご長男を失くされて、その奥様とお子様は、奥様のご実家に返される形になって……今はご夫婦のみでお暮らしですから、二つ返事で承諾していただきましたのよ」

 ――どうやらここにも、フィルバートの即位に際して、第一王子派や第二王子派に粛清がかかった話の犠牲者がいたらしい。
 言われてみれば王都のボードリエ伯爵邸には、伯爵夫妻とシャルリーヌ以外の家族の姿がなかった。
 実際の領地の方に、家族なり一族なりいるのだろうと、勝手に思ってはいたけれど。
 そこまではゲーム設定になく、ボードリエ伯爵からもシャルリーヌからもまだ話を聞いていなかった私は、気取られない範囲で目をみはりつつ、答えた。

「……王都学園理事長を務めておられるだけあって、ボードリエ伯爵は、大変な人格者でいらっしゃると拝察しております。彼女が養女となった先があの方で良かったと、私も思います」

 ボードリエ伯爵家全体がシャルリーヌを実の娘と思い、接しているのだということは、私の短い滞在時間からでも読み取れる。
 そんな私の言葉に、ベクレル伯爵夫妻は何度も大きく頷いていた。
 シャルリーヌの「前世」の話をこの夫婦が知っているのか、あらかじめ聞く時間はなかった。だから向こうから話が出るまでは、こちらからは口にしない方向でいく。

「レイナ嬢、その……ボードリエ伯爵からの手紙には、エドベリ殿下はまだ、娘のことを諦めていないとあって……いや、そこまでは分からなくもないが、それ故に、アンジェス国の国王陛下が今、楯となって下さっているとあったのは、一体……」

 ボードリエ伯爵は私のこと以外にも、現時点で娘が置かれている状況を、どうやら正しく手紙に書き記していたらしい。
 書かれた文面をそのまま受け取ると、フィルバートがシャルリーヌを気に入って囲い込んでいる風に受け取られかねないので、私は慌てて両手を振って否定した。

「変な意味にとって下さらなくとも大丈夫ですよ、伯爵。本当に、文字通りの『楯』ですから」
「しかし……」
「今、アンジェス国の宰相閣下と〝扉の守護者ゲートキーパー〟である聖女が、外交名目でギーレンの王宮に滞在しています。ギーレンの上層部は、彼ら両名を国のためにギーレンに取り込みたいと、今現在、事実上の軟禁に追い込んでいるんです」
「なっ!?」

 伯爵夫妻が目を見開く。私はそれを見て苦笑した。

「……すみません、一応『外交』という名目なので、ギーレン王家側も正面からそんなことは認めないと思いますけど、実際はそういう状況なんです」

 困ったように微笑む私に、ベクレル伯爵夫妻は言葉を失っている。

「だから国王陛下は、とっさにシャルリーヌ嬢をアンジェスの王宮に留めたんです。ああ、物理的な話ではないですから、御心配なく。私が、エドベリ殿下がシャルリーヌ嬢に執着していることを陛下に伝えたので、陛下がシャルリーヌ嬢の名前を使って、エドベリ殿下を牽制したんです。宰相と聖女の状況次第では、こちらにも考えがある――という形で」
「だから……『楯』……」
「宰相を帰してほしい陛下と、ギーレン王家に強制送還されたくないシャルリーヌ嬢とが、一時的に手を組んでいる形ですね。彼女はアンジェス国でも、自分の意志を貫いて頑張っていますよ、伯爵。私にとっても、大事な、誇れる親友です」

 あえて「宰相」としか言わないのは、私の稚気のようなものだ。『賭け』の話など、実父に出来ようはずもない。アンジェス国でも自分らしく頑張っている――そう言った私の言葉に、伯爵は大きく反応していた。

「では貴女がギーレンに入国して、娘が『手を貸したい』と言ったのは……貴女の言うように、宰相殿と聖女殿が軟禁状態にあるからということなのか……」
「伯爵にご迷惑をおかけするつもりはありません。こうやって、一時の宿をお借り出来ただけで充分です。もしかしたら帰国の際にもまた、こちらを訪ねさせていただくかもしれませんが――」
「いや。こちらは婚約破棄以降、王家とは距離を置いているし、エドベリ殿下が娘を望んでいることは、まだおおやけにはされていない。外野から見れば主流を外れた斜陽の貴族になる訳だから、以前のように我が家に取り入ることを目的とした家の関係者が押しかけて来ることもない。これから何かしら動くことを考えているのなら、気にせず拠点としてくれて構わない」

 気にしなくていいと、ベクレル伯爵は片手を上げた。

「そもそもこの邸宅自体が、王都から馬車で三十分程の距離にあるから、私たちは王都に住んではいない。色々動いたとしても、露見はしにくい所にあると思うが、どうだろう」

 ギーレン王都から馬車で三十分ほどの所にシーカサーリという街がある。
 そこにある国家最大規模の王立植物園の管理が、ベクレル伯爵家代々の責務らしい。大規模な植物研究施設も併設されていて、いざという時にはそこの研究員や、他国からの研究施設への留学生を装うことも可能だと、ベクレル伯爵は提案してくれた。
 思いがけない申し出に、私は小さく頷いた。

「それは……助かります」
「これが王族の暗殺を仕掛けるとかだったら話は別だが、貴女はただ、だ。私はそんな娘の友人に、部屋を貸す。それで良くはないかな」

 答えに困る私を、ベクレル伯爵夫妻は生温かい目で見ている気がした。

(……手紙に何をどこまで書いたの、シャーリー)

 よろしくお願いします、以外に言いようがないじゃないかと、内心で八つ当たりしそうになる。

「他にこちらが手伝えることはあるだろうか? 本当に、遠慮は不要だ」

 重ねて問いかけてくれたベクレル伯爵に、私は少しの間、小首を傾げて考える仕種を見せた。

「王立植物園があって、研究施設が併設されているということでしたら……」
「うん?」
「お言葉に甘えて、二人ほど『留学』させていただいても構いませんか。あと、研究誌の製本なり出版なりに携わっておられる関係者の方がいらっしゃったら、ご紹介いただいてもいいですか」

 私の言葉に、今度はベクレル伯爵の方が首を傾げた。

「留学の話をしたのはこちらだから、それはもちろん構わない。が、出版関係者というのは……?」
「ちょっと、出版して広めたい記事というか……物語が、ありまして」
「物語?」
恋愛小説です。事実か想像かは、読み手に任せて、じわじわと広げていきたい――まあ、情報戦の一環と認識していただければ」

 とある国の大臣が、外交先で王の庶子との縁談を持ち掛けられたが、彼には平民の恋人がいたため、それを拒否。隣国の王族と縁を結ぶことより国に戻ることを望むも、優秀な彼を手元に置きたい隣国は、あの手この手で彼を引き留めようとする。
 その策の一つが、平民の恋人の暗殺。
 平民の恋人は、自らの身が危うくなるのも顧みず、彼を取り戻そうと隣国へ――
 登場人物の名前はフィクションだ。それ一冊なら、ただの恋愛小説だ。
 ところがそこに「何故、王の庶子を隣国の大臣に嫁がせなければならないのか?」という疑問とその答えとして〝失われた一族オーグレーンの血胤〟をほのめかすことで、状況は一変する。
 この本に書かれていることは事実なのか? 
 いっこうにアンジェス国に宰相が帰国しないのは、この本の通りに、彼こそが失われた血――すなわちオーグレーン家の血を持っているからなのか? 
 だとしたら、国で待つ「愛妾」とは引き裂かれてしまうのか? 
 登場人物である「平民の恋人」は、物語通りに決死の思いでギーレンに入国して、国に残ることを強要されている「彼」と、手に手をとって駆け落ちするのか? 
 噂が広まれば広まるほど王家の動向が注視されることになり、国内、諸外国からの評判を気にするならば、無理を通せなくなる。
 それが私の狙いだった。

「いくら軟禁状態だからと言っても、イデオン宰相を勝手に連れて帰ったら、さすがに国家間で問題になりますから。途中で帰国させる気になってくれれば良し、それがダメでも、ある程度この話が広がれば、仮に勝手に出国したとて、ギーレン王家からは強く出られないはず……と、思っていまして」
「レイナ嬢……その話は……」

 事実なのか。
 そう言いかけたベクレル伯爵に、私はニッコリと微笑わらってみせた。

「伯爵、実際には、ギーレン王家がオーグレーン家を再度おこそうとしていることと、アンジェス国の宰相閣下が国内に留め置かれたままだという事実があるだけですよ?」
「そうか……イデオン宰相が、オーグレーン家の血を引く証拠などどこにもない……むしろ、ありがちなゴシップの一つとしか誰も思わない……」
「そうですよ。血を引いていようと引いていまいと、それ自体はどうでもいいんです。人は所詮、信じたい方を信じる訳ですから。だから私は、ちょっとそれを誘導しようとしているだけです。私の住んでいた国では『脳内補完』って言うんですけど」

 そう言って、私は半ば呆然としているベクレル伯爵に、自分の頭を指差してみせた。

「足りない情報を頭の中で勝手に想像して補完する――っていう意味なんですけど。一部であれ真実が混じる分、その物語を広めれば、足りない情報こそが真実なんだと、認識する人は絶対に一定数出てきます。王家の権威を楯に否定にかかれば、尚更真実味が増してくる。そうやってじわじわと、王家の動きを制限していくのが狙いです」
「だから……出版?」
「本でも大衆紙でも。刊行の形式にはそれほど拘ってはいません。より多くの人に行き渡る形であればいいかなと。植物研究施設があるなら、研究成果を残しておくための本を出版されてるかなと思ってのお願いです。ご紹介下さる方が私の考える『出版』と方向性が違うようなら、話をしてみて、それに即した方をご紹介いただけないか、その方に尋ねてみますし」
「あ、ああ」
「御心配なく。私が誘導したいのは、あくまで王家です。一般には『よくできた恋愛小説』として、広まるだけです」

 私は、エドヴァルド・イデオンの実父がギーレンの元王族アロルド・オーグレーンだなどと、誰にも、一言だって話してはいない。
 ただ表に出ている事実に多少の脚色をして、どこまでが真実なのかを有耶無耶にしたフィクション小説を広める。それだけだ。
 グレーゾーン? もともとそれをしてきたのは、ギーレン側だ。

「王立植物園の研究施設に『留学』させて下さいますか、伯爵」

 言わなきゃよかったかも――なんて、もう言わせませんからね、ベクレル伯爵。


   ❀  ❀  ❀


「さぁさぁイザク、薬草の事を色々教えて? 王立植物園の研究施設に留学するのに、何も知らないのはマズいでしょ?」

 夜。
 夕食を伯爵夫妻と共にいただいた後で書斎を借り、そこでペシペシと机を叩いた私に、イザクは無言で眉をひそめた。様子を見に一緒に来たファルコの方が、柳眉を逆立てて声をあげる。

「アンタこの前、俺とセルヴァンが調合の様子見せるのを却下したコト、何気に根に持ってたな!?ドサクサ紛れに、黙って見てるより物騒なコトしようとしてんじゃねぇよ!」
「失礼ね! なんだって、知らないよりは知っていた方がいいでしょう!? なんで私が勉強したからって、物騒な用途限定だと思うのよ!」
「テメェの胸に手を当てて考えやがれ! 逆に聞くが、物騒なことに使わないって言えんのか!?」
「エドヴァルド様のため限定だったら、ファルコだって使うでしょう!? ご不満!?」
「あのなぁ……!」

 どこの下町オカンだ! と言いたくなるような、公爵家の裏方をになっているとは思えない心配ぶりである。そのうちお互い「がるる」とでも言いそうな勢いだったけど、さすがにイザクが割って入ってきた。
 熱血型のファルコとは対照的に、冷静沈着なのがイザクだ。トップとナンバー2は、なんだかんだ言っていいコンビネーションなのだ。

「そもそも、薬草の知識と言っても幅広過ぎる。一朝一夕でどうにかなるものじゃない。王立の研究機関ともなれば尚更だろう。俺はともかく、潜入するには無理があるぞ」
「潜入じゃなく、留学だよ?」
「俺らは屁理屈を聞きたい訳じゃない」
「出版関係の人を紹介してもらうため、っていうのはダメなの?」
「それならトーカレヴァでもいいはずだ」


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