聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

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5巻

5-2

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 とはいえ、思うところはあったらしい。今度はこっちが「がるる」となりそうな状況になってしまった。私が折れないでいると、イザクが溜息を吐き出した。

「どっちにしても、今から薬草の勉強っていうのは無理がありすぎる。それでも、どうしても研究施設に行きたいなら……まあ、方法がないことはない」
「えっ」

 イザク、とファルコが睨んでいるのには構わず、そのまま話を続ける。

「俺なら薬草の研究でいいが、お嬢さんは変えた方がいい。そうだな……以前ヨンナに『予防医学』とやらの話をしたことがあるだろう。身体にいい野菜があるとかどうとか。その研究だと言えば、多少薬草の知識が不足していても新たな領域の研究だからと、疑いの目は向きづらいはずだ」

 そういえばそんな会話をヨンナとしたことがあった。
 いつ、どこで聞いていたのかなんて疑問は、〝鷹の眼〟の間では無意味なんだろう、きっと。

「もちろん、基礎の基礎くらいは頭に叩き込んでもらう。専門の施設で研究しているような連中と、同じステージには上がらない方がいい」

 なるほど! と、私は大いに納得した。要はオタクに勝負を挑むような真似はするなということだ。

「それだったら、一緒に研究施設行ってくれる?」

 肩をすくめつつも私の言葉を否定しないイザク。聞こえるように舌打ちするファルコには気付かないフリ。私はニッコリ笑って、さあ説明! とばかりにもう一度机をペシペシ叩いた。

「……とりあえず、俺とお嬢さんはどういう設定で『留学』することになってるんだ」
「えーっと……私が商業ギルド発行の身分証を持ってるから、フィロメナ夫人のご実家がある領の商会の跡取り娘ってことで、薬草部門新設のために、専属薬師と二人で研修に来た――的な?」
「また、ありそうな話だなオイ……」

 いっそ感心したようにファルコが呟いている。

「本業は銀取引にしておこうかと思って。まだ使い道は決めてないけど、もしかしたらハッタリに使えるかもしれないし」
「お館様がセルヴァンに命じて押さえさせてた銀かよ……」
「そうそう。無理言ってセルヴァンに保管庫から出してもらったの。レイフ殿下が繋がっていたのって、パトリック元第一王子、現在の辺境伯でしょう? もしかしたら、エドヴァルド様に資金源を絶たれて崖っぷちかもしれない。今、それで辺境から身動きが取れないっていうなら、銀をチラつかせるだけでも、あらゆる所に牽制かけられるからね。実際に売るかどうかは、また別の話だから心配しないで」
「……まぁいいけどな。どうせアンタが公爵邸に戻ってから、お館様にこっぴどく叱られるだけだろうから」

 肩をすくめるファルコに思わず「え」と、声が洩れたけど、何を今更驚いてんだと返されてしまった。

「当たり前だろう? 一人でどんだけ無茶してると思ってんだよ。公爵邸でじっとしてた日ってあるか? 倒れなきゃなにしてもいいってモンじゃねぇだろうが」
「いや……だって……不可抗力の積み重ねというか……」
「その言い訳、お館様にも聞き入れてもらえるといいな。まぁ、俺は無理だと思うけどな」


「……そうだな」

 イザクにまで頷かれると、地味に傷つく。

「えぇ……そんなぁ……」
「なら、研究施設行くの止めるか? 俺は一人で行ってこいと言われても、いっこうに構わないが。なんだったら、アンジェスに戻ったって別に誰も責め――」
「ダメ! それはダメ! だって、私ありきで計画立ててるもの!」

 食い気味に私が反論すると、イザクはファルコと顔を見合わせて、大きな溜息をついた。

「……『懲りる』という単語、多分行方不明のまま二度と戻らないんだろうな」
「だな。アンタ、そういうところがな……残念っつーか……なぁ……」

 まったく、失礼な〝鷹の眼〟ツートップだと思う! 

「もう、いいから説明! ファルコはとりあえず、イザク以外の残りを連れて、エドヴァルド様が王宮なのか、他の貴族の館に招かれているのか含めて、今、どこにいるのかを探り出して? 迎えに行くにも、まずは居場所を突き止めないと」
「ハイハイ。ま、そりゃそうだ。だが、そう時間かからないと思うぜ? フィトとナシオ付けてるしな。ただ、居場所が分かっても、近づけるかどうかは別問題になるからな。王宮にだって似たような組織はあるだろうし」
「あー……分かった。場所が分かって、フィトとナシオに常時連絡が取れるようになったら、次の行動考えるようにする。あとシーグは……」
「ここ、王都から馬車で三十分くらいかかるんだろう? 下手に王都行く方が身バレの危険が高くなるぞ。専属っつってんだから、大人しく連れ歩け」

 言い方は悪いながら、シーグの心配もしてくれていたようだ。

「はーい。うわぁ、じゃあ私が一番薬学の知識ないじゃない。やばい、勉強しなきゃ」
「徹夜したけりゃすればいいが、その時は戻ったらお館様に報告するからな」

 ……まさかファルコの一言に、撃沈させられる日がこようとは思いもしなかった。


 シーカサーリの街は、元々は修道院とその生活を支えるための小さな集落だったという。
 ゲーム〝蘇芳戦記〟の世界はそもそも宗教色が薄い。
 修道院と言っても、例えばアンジェスでは孤児院や、DVを受けた女性や虐待を受けた子供たちの避難場所的な役割を持つだけの施設だ。ギーレンでは刑務所に近い役割となり、罪人を教導するための「教官」がいて、国の歴史や法を説き、読み書きや算術なども教えたりしているらしい。
 ちょっとした職業訓練所のイメージだろうか。
 教官となるには一定の知識や礼儀作法を知る必要があり、いきおい、街の有力者としての地位を持つようになる。そのため、住民からの依頼を受けての冠婚葬祭の執行もその業務として加わったそうだ。そんな教官の「教導授業」も、やがて学のない平民たちにも無料開放されるようになって、学問的な研究の場としても、修道院は徐々に発展していったという。
 基本は、罪人に労働と共同生活の尊さを教える場であるため、自給自足。庭では様々な植物が育てられ、食用から薬用まで、多種多様な研究が同時に行われる。薬草から治療薬を精製したり、薬草を酒に溶かし込んだ薬草酒リキュールが製造されたりするようになったのは、全て修道院がその始まりなのだとか。
 ベクレル伯爵家の祖先は、元々その「教官」であり、研究分野で国に大きく貢献したとして叙爵され、さらに現伯爵家に婿として入り……現在に至るらしい。
 翌日、シーカサーリ王立植物園に行く前、ベクレル伯爵は街と伯爵家の成り立ちを、そう説明してくれた。

「といっても研究が盛んになってくると、その研究をしたいがために、軽微な罪を犯して修道院に入ろうとする者が出てきた。それである時から、研究施設と本来の修道院とが切り離されたんだよ」
「ああ……私の国だと修道院に罪人を養う義務はなくて、専用の『刑務所』と呼ばれる所が別にあったんですけど、そこでも、捕らえられている間は最低限とはいえ衣食住が保証されるから、わざと捕まろうとする人がいるって聞いたことがあります」
「なるほど。似たようなことはどこでも起こりうる……か。なら、これ以上の説明は不要かな。ああ、もちろん修道院の規模によっては、あえてその仕組みを切り離さない所もある。あくまでシーカサーリは切り離した、ということだ。そしてシーカサーリにおいては、特に植物研究の規模がどんどんと大きくなり、やがて王命の研究施設を抱えるまでになった」

 恐らくは、王都から馬車で三十分という距離の近さも影響を与えたに違いない。
 そう思いながらも、私はベクレル伯爵の説明に対しては、頷くにとどめておく。

「ただ今でも、深夜や早朝に修道院の方から掃除や水やりのために人は来る。もちろん、もめごとを起こすような人間が来ることはない。が、さすがにゼロとも言えない。特殊な紋様を制服に縫い付けてあるから遭遇してもすぐに分かるとは思うが、気を付けるようにはしていてほしい」
「分かりました。シャーリーのお父様の家名を汚すようなことは致しません」

 食事の席で「レイナ」「シャーリー」と呼びあっていると言った時、夫妻はとても嬉しそうだった。
 自分達を実の親戚と思ってくれて構わないとまで言ってくれた。
 なのでありがたく、植物園で夫妻の話をする時には、そうさせてもらうことにした。

「もっとも修道院にしろ研究施設にしろ、シャーリーのことやこちらの伯爵家を侮辱するような振る舞いをなさる方がいらした場合には徹底的に反撃させていただきますので、そこはご承知おき下さい」

 一般的に婚約破棄は、女性の瑕疵かしと捉えられがちな世界だ。
 研究馬鹿で世俗の事情を無視するタイプか、研究に行き詰まり、伯爵家に取り入ろうとして、上から目線で婚約破棄の一件を蒸し返すか、どちらのタイプも研究施設にいるだろうと思えた。

「あまり危ないことは――」
「大丈夫です。腕力に訴えるようなことはやりません。ジワジワと家ごと干上がらせて潰します。気付いた時にはむしろこちらにすがるしか道がないように追いこんでおきますので、その時放置されるか、手を差し伸べて貸しを作るかは、状況に応じてご判断下さればいいようにしておきます」
「そ、そうか」
「ふふっ、もしもの場合ですよ、もしもの」
「あー……ただこのお嬢さん、現在進行形でとある伯爵家を干上がらせつつあるんで、そこはもう、誇張なくやると思っといて下さい」

 援護射撃になっていないファルコの物言いに、とりあえず思い切り足を踏ん付けておいた。

「なんというか……手紙を受け取った時は半信半疑だったが……確かにアンジェス国の国王陛下と娘のために交渉をしてくれてもおかしくないのだと思えてきたな……」

 ――私は聞かなかったことにしておいた。


   ❀  ❀  ❀


「ようこそ、シーカサーリ王立植物園へ。私が研究施設の室長、クノフローク・キストだ。植物園の園長は別にいるから、修道院の教官と共に、必要に応じてまた紹介しよう」

 金髪碧眼、世間的には甘いマスクと言われていそうな、意外に若手な室長サマだ。多分、イザクあたりが年齢的にも近そうな気がする。もっとも、金髪碧眼=サイコパスな某国の国王陛下を知る身としては、露ほども心を動かされない。むしろ警戒対象になりそうなくらいだ。
 私は彼を目の前に、楚々と頭を下げた。

「ユングベリ商会にて、この度新しく立ち上げます薬草部門の責任者となりました、レイナ・ユングベリと申します。この度は学びの場を与えていただき深謝致します。後ろにいますのが、当商会専属薬師イザクと、従業員のです。普段からイザクの補佐をしておりますので、いい機会かと思い同行させました」

 イオタ、と呼ばれた少女はややむすっとした表情でおさげ髪を揺らして頭を下げた。
 言うまでもなく、シーグだ。彼女には、そのままの名前だとどこでバレるか分からないということで、私の国で「春のアルビレオ」とその明るさを讃えられる二連星「蟹座のイオタ星」からとった偽名を名乗るようにと言い含めた。
 本当は、某アニメの、空から落ちて来た女の子っぽく「シータ」と名乗らせたかったけど、そちらはオリオン座の四重星が由来になるので、残念ながら没だ。そこはこだわっておきたい。
 だけど恰好くらいはいいよね? と、私の趣味で変装させました。はい。
 シーグ本人も受け入れてくれている。それ以上の苦情はどこからも受け付けません。決定です。
 齟齬に気付くのは、きっと確実にアニメを見ているだろうシャルリーヌだけだろうし。

「薬草部門ですか……」

 そんなことを思う私をよそに、キスト室長は少し怪訝そうな表情を浮かべていた。

「失礼ですが、大抵の街には医師がおり、薬屋がその近くにある現在、何故商会でその部門を新設されるのかを伺っても……?」
「もちろんです。実は商会で以前働いておりました者が、あまり聞かない遠い異国の出身でして。その者の国では〝薬食同源〟と言い、身体によい食材を日常的に食べて健康を保てば、特に薬など必要としない――という面白い考え方が根付いていると言っておりました」
「ほう」
「私が聞いただけでも、例えば『緑色の葉物野菜を毎日食べていると、記憶力と思考能力の低下を抑えられる可能性がある』とか……まあ、他にもあれこれとありまして。この王立植物園は、薬用にしろ食用にしろ、屈指の量と種類があると聞いております。ですからぜひ、こちらで植物が持つ可能性の限界を見極めさせていただきたいと思いまして」
「それは我が国でも初の試みだ……! 遠い異国とはいえ、そのような考え方がされていようとは!」

 やはり研究施設を預かるだけあって、この室長もかなり薬草オタクの部類に入る人なんだろう。
 いきなり目が爛々と輝き始めた。
 そして今更ながら、私は薬より食材としての研究が希望とした方がいいと言った、イザクの意見が全面的に正しかったことを知った。研究者と張り合うなというのも、さもありなんだ。

「イザクとイオタは、せっかくですから本職である薬用植物の研究を学ばせたいのですが、私は薬に関してはそこまで詳しくありませんし、むしろ、この新しい研究に全力を注ぎたいと思っているのです。商会の未来もかかっていますから」

 あくまで私には別の目的がある――そう前面に出せば、キスト室長も納得したように頷いていた。

「なるほど、そういうことであれば、当研究施設は貴女がたを歓迎致しますよ! ユングベリ嬢、貴女の研究には、ぜひ私も加わらせていただけませんか? 研究成果を横取りするつもりは決してありません。室長となって以降、なかなか研究の前線に立てる機会もありませんでしたので、無償でもいいくらいですから、何とぞ!」
「…………え」

 ――果たして上手く入り込めそうな事を喜ぶべきなのか、研究オタクの執念におののくべきなのか。今の私には、判断がつかなかった。


 この世界の単位を聞いても、敷地面積がよく分からないのが難点だ。とりあえず現在園内に約一万五千種の植物が生育し、およそ百万枚の乾燥標本が収蔵されている……らしい。
 園内は基本的に芝生が敷き詰められていて、一般開放されている方にも、そうでない方にも、複数のガラス製の温室が建てられ、季節を問わず見学や研究が出来るように工夫されているそうだ。
 一般開放区画だけでも見学に三時間はかかるとなれば、もう、ちょっとしたテーマパークだ。
 キスト所長に教わった、研究員用の通用口から一般開放区の方に入場させてもらう。研究施設の見学と研究員への紹介は明日にしようとのことだ。

「――イオタ、口が開いてる」

 敷地の広さと所有している植物の数に、イザクが目を丸くしてるのは分かるにしても、イオタ、もといシーグがポカンと口を開けて周りを見回しているのは、ちょっと意外だった。

「来たことなかったんだ?」
「ない。……あ、なかった、です」

 一応「商会の跡取り娘」と「使用人」設定を思い出したらしい。慌てて敬語に切り替えている。

「純粋な疑問なんだけど、じゃあ、イザクもイオタも独学で薬草の勉強をしたってこと?」
「まあ……『組織』に入った時に、おせっかいにも教えてくれたヤツがいましたね。今は年くって田舎に引っ込んだみたいですが」
「私も似たようなものだ。……です」
「へえ……ちゃんと先輩後輩があって、技術指導的なコトはするんだ」

 私が感心しているのがおかしかったのか、イザクが僅かに眉をひそめている。

「相変わらず、感心するところが他人とずれていますね、

 二人とも、ユングベリ商会従業員設定を受けての敬語ではあるけれど……なんだろう、イザクの発言の端々に、そこはかとなく厭味が含まれている気がする。

「何それ、失礼ね。知っておいて損になるコトなんてないんだからね。どこで役に立つかなんて、誰にも分からないんだから」
「まあ、それはそうだ……いえ、です」
「それにしたって、普通は領地から近い野山を駆け回るか、庭ででも自力で育てて学ぶかしか出来ない。公的費用で研究が出来るとか、相当恵まれた環境にいる連中であることは間違いないですよ。今回思いがけず機会をもらったことですし、お嬢様が二の次になっても研究はしてみたいですがね」

 護衛の本分を放り投げた発言を堂々としてのけるイザクに、意外にシーグの方も「……私も」と本音を零していた。
 どうやらここにも薬草オタクたちがいたようだ。

「ちゃんと後で公爵邸なり〝鷹の眼〟なりに還元はしてよね……」

 私が嘆息すると、シーグの方がちょっと驚いていた。

「うん? どうかした、イオタ?」
「お嬢様……怖くないんですか。もし本当に一人残されたら……」
「どうせ私、腕っぷしゼロだからね。ぎゃぁぎゃぁ言ったってしょうがないのよ。ただイザクたちは、お金貰って生業なりわいにしているプロでしょう? だから本当に危なくなったら、最低限の世話はしてくれるだろうと思ってるだけ。それでも裏切られたら、お金なり信用なり、こっちに足りない何かがあったんだろうと思うから、その時は潔く諦めるわ」
「……っ」
「まぁそうやって、良くも悪くも丸投げだから、逆に誰も裏切らない。俺らの仕事を恐れず蔑まず理解してくれる存在がいかに貴重か。おまえも裏の世界に足を突っ込んだ人間なら分かるだろう」

 シーグの動揺にイザクが追い打ちをかけるようでいて、案外良い先輩? というか、目をかけているような気がしないでもない。

「まぁまぁ。悩んで成長することは若者の特権でしょうよ、イザクさん」
「……お嬢様はおいくつで?」

 ポンポンとイザクの肩を叩いたら、物凄く冷ややかな視線を返されたけど。


   ❀  ❀  ❀


「お館様の居場所が分かったぞ」

 ファルコを筆頭とする〝鷹の眼〟の皆と、現王宮護衛騎士トーカレヴァは、なんとその日の内にエドヴァルドの居場所を突き止めてきた。
 ファルコの言葉に思わず目を丸くしてしまう。
 ここはギーレン。他国だというのに、その優秀さには恐れ入る。
 もちろん空気の読める私は「どうやって」なんてことは聞かずに、続きを促した。

「今は王宮みたいだが、明日から王都郊外のナリスヴァーラ城とやらに行くみたいだな」
「ナリスヴァーラ城」

 どんな所かとベクレル伯爵に尋ねてみたところ、以前に断罪されて家ごと取り潰された王族が住んでいたお城だと言われて、驚く。
 もしかするとそこは、かつてのオーグレーン家当主、アロルドの居城ではないだろうか……? 
 黙って聞いていると、伯爵が言葉を続けた。

「元は戦争が起きた時に王都を守る砦のような意味で作られたようだから、他の王族の城に比べるとそれほど大きくはなく、様式も石造りの重厚な物だ。一国の宰相をお泊めするようなところでもないと思うのだが……」

 なるほど、普段はあまり注目されることのない城ということか。
 ベクレル伯爵は首を傾げていたけれど、私はなんとなく、エドヴァルドが相続放棄の手続きの一環として、そこに行こうとしているように思えた。

「王都からは馬車で二十分とかからないくらいだと思うよ。すぐに迎えに行くのかい?」
「いえ。昨日も言いましたが、勝手に連れ帰ると国際問題になりますから……ただ、私たちがギーレンに入国してきているという連絡だけは、取っておきたいかなと思います。それと……」
「それと?」

 言いかけてから、一瞬、私は口もとに手をあてた。
 エドベリ王子にしろベルトルド国王にしろ、エドヴァルドをギーレンから出国させたくないはずだ。果たして素直に相続放棄の手続きをさせるのだろうか……? 
 これまでだって、本人が現地に来て書類に署名をしないといけないなどと言われて、正式な放棄が出来ずにいたと聞いている。
 さすがのエドヴァルドも、己の身に差し迫った案件として降りかかってこない間は、ギーレン国の法律などそこまで詳しく確かめなかったに違いないからだ。
 法律の専門家を探した方がいいかもしれない。

「あの、ベクレル家には、法律顧問のような方はいらっしゃるのですか?」

 とりあえず遠回しに確認してみる。
 意図が読めなかったらしい伯爵は、法律顧問? と、不思議そうに聞き返してきた。

「いや……そういった人材を抱えるようなことは、ギーレンではしないのだよ。各領主が治める土地に根付いた専門家がそれぞれにいてね。だからシーカサーリの街の方に事務所があって、そこに所属している職員を用件に応じて派遣してもらう仕組みになっている」
「なるほど……」
「必要なら紹介状は書くよ」
「そうですね。もしかしたらお願いするかも知れません。そのあたりは、宰相閣下との連絡が取れるようになってから、考えたいと思います」

 王家に楯突く可能性があると分かった際に及び腰になられてしまう可能性もある。
 とりあえず今は、焦って話は持ち込まない方がいい気がした。

「キスト室長の懐に思ったよりも入り込めそうなので。まずは目の前のことからこなしていきます」

 私の言葉に、ベクレル伯爵が微妙な顔になる。

「キスト室長か……」
「お親しいですか?」
「まぁ、今は誰にしろ没交渉の状態だからなんとも言えないがね。ただあの年齢で室長になるからには、清廉潔白なだけでは難しいだろうとも思うよ。見た目に惑わされた人間が何人か失脚したことなら、私でさえ知っているくらいだからね」

 ベクレル伯爵は、私が室長に好意を持ったとでも思ったのか、父親目線で心配してくれたみたいだ。だけど断言してもいい。それは「杞憂」以外のなにものでもない。

「大丈夫です。私もともと、金髪碧眼の美形をこの世で一番信用していませんので」

 ――そんな、鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔をしないで下さい、伯爵。


 翌日、王立植物園の研究施設で、キスト室長から短期留学生として、私とイザクとイオタが紹介された時の研究員たちの反応は、ある意味予想通りだった。
 無関心か敵視。視線どころか、敵意のこもった声まで聞こえてくる始末だ。

『チッ……どうせ室長目当てのお遊びで来たんだろうが。こっちはヒマじゃないってのに』

 うん、まあ、初日くらいネコかぶっても良かったんだけど、これはちょっと無理かな。
 聞こえるような小声なら、言わないか、もう普通に話せばいいと思う。
 よりによって室長の名前を出しての、この発言。私自身のためにも、一研究員としての室長への態度としても、無視しておいていい話ではない。
 私は、そんなセリフを吐いた男性の前に歩み寄るとにっこりと微笑んだ。

『テルン・スヴェンソン研究員――自分の容姿が人並み以下な八つ当たりを、こちらに向けるのは筋違いではありません? 私は家業のためにここに来ております。まあ、室長のアタマの中身を目当てにさせていただいている点は否定しませんし、アナタの器がとても小さくて、アタマの中身さえ目当てに出来ないということは充分に理解しましたけれど』

 というか、室長の取柄が、頭よりも「顔」だと言っていることに気付いた方がいい。
 それって私を下げているようで、室長も下げているというのに。

『文句がおありなら、ユングベリ商会までどうぞ。まあご実家で、嗜好品が取引中止の憂き目にあってもよろしければ――ですけど』

 胸元のネームプレートを見せながら、ふふふ……と笑うと、何故か部屋全体がどよめいた。
 小娘が言い返したのがそれほど意外なのかと思ったら、理由はまるで違うところにあった。

「ユングベリ嬢は……ヴェサール語が話せるのかい?」
「えっ?」

 キスト室長の言葉から敬語が外れている。ハッと周囲を見渡すと、色々な方向から驚愕の視線が向けられていた。

「ヴェサールは、王都から遠く離れた海上の島国で、島民の中には共通語を話せない人も多い。彼らが王宮に来る際には、通訳の日程を確保するのも毎回一苦労で、一度は島出身の、そこのスヴェンソンすら呼ばれたことがある難しい言語なんだが……」

 しまった。どうやら異世界での「言語補正」に気付かず相手の言葉に言い返した結果、自爆ぎみに注目を浴びる結果になったらしい。聞こえない、あるいは理解出来ないだろうと思って母国語で悪口を言うとか、どれだけ器が小さいんだと、思わず舌打ちしそうになった。

「……これでも商会の跡取りですから。読み書きに関しては、まだ勉強中の国も多いですけれど、話すことに関しては、ほぼ不自由がないようにしています。契約とて、まずは話をしなければ成り立たないことでしょう?」

 果たして「商会の跡取りですから」で、いつまでどこまで押し切れるか。
 なるほどと呟くキスト室長の表情からは、何も読み取れない。

「ユングベリ嬢の前では、うっかり内緒話も出来ないということか」
「いえいえ。男性同士の恋愛話くらいでしたら、ちゃんと聞かなかったことにしますよ?」

 私がそう言ってニコリと笑えば、一瞬、虚を突かれた表情を見せたものの、キスト室長もすぐに可笑おかしそうに笑い声をあげた。


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