聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

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5巻

5-3

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「だ、そうだ。皆よかったな。それとスヴェンソン、まあこの研究施設に、研究目的以外の女性が度々押しかけてきている事は確かだが、そんな人種はそもそも『留学生』と認めてはいないのだから、一括りにして考えるのは、私にも彼女にも失礼だよ。もう少し視野を広くした方がいい。――本業に支障をきたす前に」

 ただし最後の一言でその笑みは消え失せて、言われた方はすっかり顔色が変わっていた。

「……あの、難しい言語と仰いましたけど、何気に室長も理解されていらっしゃるのでは?」

 別に当の研究員を庇うつもりはなかったけれど、ふと気になったことを聞いてみる。
 答えの代わりに向けられた、キラキラと言う形容詞が当てはまりそうな笑顔は、ヤバいという部類に区分される気がした。

「研究の邪魔をされるのが嫌で、今までは知らないフリをして、王宮が通訳を探している時にもとぼけてきたのに……ユングベリ嬢のおかげで、隠し通せなくなってしまったよ」
「え」
「そうだ、次に機会があったら、私からユングベリ嬢を推薦するから、留学が終わってからもぜひ交流は続けさせてもらいたいな」
「……っ」

 墓穴掘ってるな……という表情のイザクと、私がそのヴェサール語とやらを話した驚きに目を見開いているシーグは、どうにも助けにならなそうだ。いや、次なんてない。その頃には私はアンジェスに戻っているはず――と、内心で言い聞かせておく。

「まあ、ここはこのくらいにして……ユングベリ嬢は新しい研究、あとの二人は既存のところを学びたいということで間違いないな? そっちの二人はサンダールにしばらくは付いてもらおうか。彼はこの施設の次席研究員だから、聞けば大抵のことは答えてくれるはずだ」

 別に「何故首席じゃないのか」とケチをつけたい訳じゃないけど、純粋な疑問はあった。
 そんな私の微妙な表情を読み取ったのか、キスト室長は端的で的を射た回答を投げてきた。

「別に君たちに含むところがある訳ではないんだ。単にウチの首席研究員は天才肌なものだから、誰かにモノを教えるということが壊滅的に出来ないだけでね。だから次席のサンダールにした」

 ……よく分かりました。たまにいますね、そんな人。
 そうして私たちはそれぞれ、別の部屋に案内される形となった。私も、室長と一対一でべったりという訳ではないようだったので、じゃあいいか、となったのだ。

「ちなみに、あの廊下の奥が書庫だ。ネームプレートは入館証も兼ねているから、それを見えるところに付けて、書庫に入る時と出る時に名前と時間を書き記すようになっている。まあそっちも、ちょっとした蔵書量は誇っていると思う」

 その言葉にハッとして、私はキスト室長に視線を向けた。

「あの……こちらでは、本の作製や印刷ってどうされているんですか? それだけの蔵書量だと、書き写すのも大変ですよね?」

 さりげなく探りを入れてみれば「さすが商会のお嬢さんは、面白いところに着目する」と、キスト室長が柔らかい微笑と共に振り返った。

「私はあまり詳しくないが、鉛で出来た文字を一文字ずつ拾って組み合わせ、その版の出っ張っている部分にインクを付けて、紙に転写する――とかなんとか、業者が前に言っていたかな? 気になるなら、週に何度か納品に来る本の業者に聞いてみるといい」

 どうやらギーレン国内では、じわじわと活版印刷が広がりつつあるらしい。
 そういうことなら、思ったより早く小説をばら撒けそうだと、つい口元がほころぶ。

「そうさせて下さい」

 どうにも見た目通りじゃなさそうな室長ながら、やはり懐に入り込むだけの価値はありそうだった。


「一般開放されていない区画の畑と花壇だけでもこんなにあるんですねー……」

 キスト室長から、これから机を並べる研究員の紹介を一通り受けた後は、とりあえずこの植物園で育てられている実験用の畑や花壇を、頼んで見せてもらうことにした。
 知っている野菜の名前とまるで一致しないのは〝スヴァレーフじゃがいも〟で学習済みだ。
 もうこれは、実物をこの目で見た方が早いだろう。

「それで、調理もしてみたいと?」
「その遠い異国出身の者が持っていた葉物野菜や香草は、ここにあるものとことごとく名前が違うんです。どう見てもそっくりなものが多々あるので、あとは味をみて共通しそうな点を確かめるしかないな、と。共通性が分かれば、私以外の方でも実験は出来ますよね?」
「確かに……」
「とりあえず収穫可能な範囲を教えて下さいますか? その後で食堂の厨房を使わせていただけたら有難いです。室長もお忙しいでしょうから、厨房のどなたかに話だけ通しておいていただければ、後は試食して、薬食同源に該当する植物があればそれだけを持ち帰るようにしますので」
「あ、ああ」

 私がそう言うと、キスト室長は一瞬不思議そうな表情を見せたものの、そのあとすぐに「ああ!」と、一人で得心したみたいに頷いた。

「ユングベリ嬢には、恋人かあるいは婚約者がいるのか」
「え?」

 キョトンとなった私に向け、キスト室長は自分の首元をトントンと叩いた。真面目に学ぶ気があるとさっきの騒動で知れたからか、口調から丁寧さが取れ、上役としてのそれに変わっている。

「私はそれほど宝石に詳しくないが、それが安い石ではないということくらいは分かる。それ、贈り物だろう? 自分で言うのもなんだが、私のこの顔は女性受けしやすい。貴女がまるで私に興味を持っていないことを考えても、既に慕っている誰かがいるのだろう、と」
「!?」

 私は思わず自分の胸元を飾るネックレスに手をあてていた。
 そうか。通常のタイプよりチェーンが短いと言っていたから、何を着ても見えるんだ。

「こ……れは、常に身につけていないと怒られるというか……会えない間はつけなくてもいいだろうと言われると、そうでもなく……きっとどこからか、そういう横着はバレて後で怒られるというか……いや、そんなことはいいんです! 室長、世の女性のほとんどが自分を振り返るとか、そもそもだいぶ自意識過剰ですよ!?」

 ビシリと室長を指差して言う。けれど、何故かキスト室長はいつまでも笑っていた。

「分かった、分かった。貴女は私を籠絡しに来た訳でも、研究資料を盗みに来た訳でもない。それが分かれば、こちらはいいし、皆の態度とて、もう少し柔らかくはなるだろう。何しろここには前例が多すぎるんだ。一応、私にも相応の言い分はあるつもりだ」
「……はあ」

 幾分、淡白な答えにはなっていたと思う。
 金髪碧眼のイケメンを、簡単に信用しようとは、私も思ってはいない。
 多分、きっと、信用しきれていないのはお互い様だ。

「では私は、少し通常業務を片付けてこよう。厨房には話を通しておく。貴女なりのキリが付いたら、声をかけに来てくれ。定時を過ぎるようなら、それもその時点で声をかけるように。さすがにいきなり残業させるつもりはないから」

 そう言うと、キスト室長は口元に笑いを残したまま立ち去っていき、私は一人、花壇と畑の境の小道に取り残された。もちろん、目に届く範囲で他の作業をしている人たちもいるため、厳密には一人と言えないのかもしれないが。

「チチチッ!」

 その時、頭の上に小さな可愛らしい鳴き声と共に、何かがぽすっと落ちた感覚があった。

「えっ、あっ、リファちゃん!?」

 頭の上からそっと下ろせば――相変わらずの、悶絶級の可愛さを誇るシマエナガ、じゃなく、ヘリファルテの白い「」が、てのひらに転がった。
 どこから飛んできたのかとあたりを見渡せば、花壇の奥に広がる人工林の木の陰から、トーカレヴァが小さく手招きをしている。
 私は植物を探すフリをしながら、ゆっくりと歩を進める。木を挟んでトーカレヴァと背中合わせになりつつ、さも植物を眺めているかのように屈み込んだ。
 多分これで、周囲にはバレずに会話が出来るはずだ。

「イデオン宰相を乗せた馬車が王都を出たようですよ。事前の情報の通り、ナリスヴァーラ城に向かったのだと」
「……そう。だけど、わざわざそれだけを言いに?」

 その程度の情報なら、仕事終わりに植物園を出た後でもいいはずだ。
 イザクやシーグも合流しているのだから、説明は一度で済むだろうに。
 そんな私の内心を知ってか知らずか、トーカレヴァはゆっくりと首を横に振った。

「どうやらギーレン王宮派遣の使用人たちの中に、我々のような裏方の人間もいるらしく……連絡が取りづらそうだと、様子を見に行った〝鷹の眼〟の一人がファルコに報告をしたみたいですね」
「裏方って」

 既にトーカレヴァは特殊部隊から王宮護衛騎士にジョブチェンジした状態のはずだけど、まだ以前の意識が残っているのだろうか。
 それはともかく、じゃあどうするつもりなのかと、言葉に出さないまでも眉をひそめた私に、トーカレヴァは私のてのひらで転がるヘリファルテを指差した。

「コイツを飛ばして繋ぎさえ取れれば、あとは〝鷹の眼〟同士なんとでも出来ると、ファルコが」

 まさかこの小柄なヘリファルテが手紙を運ぶなどと誰も思わないため、こういう時には頼もしすぎる連絡手段になると聞いてはいたけど……まさに今が、その時ということなのかもしれない。
 その上で、私は顔をしかめた。

「ねぇでも、リファちゃんに『エドヴァルド様に手紙を届けて』なんてお願いしても、理解は難しそうじゃない? 今って、私とレヴとの間くらいしか往復していないでしょ」

 トーカレヴァ・サタノフという名前自体、本人はあまり好きではないらしい。先の政変で既に死んだ名だというのがその言い分で、周りには「レヴ」呼びを強要して回っている。
 レヴと呼ばないと、ヘリファルテは貸さないと言われて以降、私も潔く白旗をあげている。
 この愛らしさの前に、意地を張っても仕方がない。そんな私に、近頃周りも諦めぎみだ。

「そうですね。どなたかが、なかなか手放して下さらないので、結果的にそうなっていますね」

 チラリとトーカレヴァの視線がこちらに向くが、そこはキッチリ無視しておく。

「……これまで詳しく説明をする機会もなかったですが、元々ヘリファルテは、この魔道具に取り込まれた魔力の持ち主を目がけて飛ぶように仕込まれているんですよ」

 そう言うと、トーカレヴァは懐からゴルフボールサイズの小さな球体を取り出した。

「それはリファちゃん限定? それともヘリファルテ種全般の話? っていうか、私、魔力ないけど」
「どうでしょうね……これは管理部の友人が以前実験的にくれた魔道具で、持っているのはまだ私だけなものですから、なんとも。他のヘリファルテでも、私が仕込めば同じように手紙を運ぶようになるとは思いますが、断言は出来ません。ちなみにレイナ様の場合、初回はイザク目がけて飛ばせたんですよ。まぁあの地下牢で、拷問とは言いませんがイロイロとやってくれたものですから、彼の魔力を仕込むことは割と容易たやすかった」
「……そ、そう」
「二回目からは、貴女があまりに可愛がって下さるものだから、単にコイツが懐いたんですよ。一応、魔力を仕込まずにコイツを放てば私のところに戻る仕様のはずなんですが……最近では貴女めがけて飛ぶようになってしまった」
「あぁ、だから私が飛ばせばレヴの所に戻るし、レヴが魔力を仕込まずに飛ばせば、私の所に飛んでくるようになったんだ……」

 手元に視線を落とせば、正解だとでも言うように、リファちゃんが「ぴっ!」と短く鳴く。
 ――いつ見ても、やっぱりカワイイ。

「それで話を戻しますが、レイナ様が身につけておられるそのネックレス、それをちょっと使わせていただけますか」
「え、コレ?」

 今日はよくネックレスに注目が集まる日だと、私は胸元の青い石を撫でた。

「ファルコが言うには、イデオン宰相からの贈り物だそうですね、それ。しかも迂闊に値が付けられない程の希少石だとか」
「思い出させないで……気にしたら、怖くてつけられなくなるから」

 思わず地面に「の」の字を書きそうになった私の気持ちなんて、きっと分かるまい。庶民がちょっとやそっとバイトして稼げるような金額でないことくらいは、私もヘルマンさんから聞いている。

「何もずっと貸せと言っている訳ではないんですよ。一瞬てのひらに乗せて、そこにある魔力をこちらの装置に移させてほしいだけですから」

 トーカレヴァの言ったことがとっさによく分からなかった私は、顔を上げた。

「魔力を……移す?」
「自分の髪や瞳の色を宿した宝石を贈ること自体、生半可な思いですることではありませんからね。それほどの宝石いしとなれば、イデオン宰相の魔力が相当に残されているだろうと、そういう話になって」

 揶揄からかわれているのか、そうでないのか。
 反応に困る私は、パクパクと口を開けるしかない。真面目な顔のままトーカレヴァは続けた。

「上手くいけばそのネックレスにある魔力を使って、ヘリファルテをイデオン宰相の所までやれるのではないかと。それでこちらまで参上した次第ですよ。ファルコはかなりイヤそうでしたが、その仕込みが出来るのは私だけですからね。という訳で、私が魔力を仕込んでいる間、イデオン宰相様に一筆書いて下さいますか。道具は持参してきましたから」
「一筆って……」
「書ける文章量には限りがありますから、とりあえずは今ギーレンのベクレル伯爵邸にいることと、この後〝鷹の眼〟たちがどこかで接触するということと、それだけで宜しいんじゃないですか。後はまた、おいおいやり取りをしていかれたら」

 本来なら、ヘリファルテの足に巻き付けられる手紙自体、書けるのは十数文字が限界だ。
 そこは特殊な用紙を使って、魔道具で小さくして、足に付いた円筒に入れ込むのだけれど、それでも、文庫本サイズの用紙一枚分なので、書けることは限られる。
 もう、魔法ファンタジーの世界は私の理解の外側の話なので、言われた通りの内容を手紙にしたためて、トーカレヴァに預けるしかない。

「リファちゃん、行ける?」

 トーカレヴァが手紙をセットしている横から、リファちゃんの顔を覗き込む。

「ぴっ!」

 どうやら「任せて!」と返事をしてくれたようだ。
 ネックレスに魔力があるかどうかも分からなければ、見知らぬ土地で、大勢の人の中からエドヴァルド一人を捜し出せるのかという不安もある。
 けれどリファちゃんは、こちらを安心させようとするかのように、頭上で何度か旋回すると、小さな羽を羽ばたかせて飛び立って行ったのだ。
 ――うん、リファちゃん頑張れ! 



  【閑話一】エドヴァルドの邂逅


 レイナが「夜這い除け」に実験してみようと言い出したという、害獣を吹き飛ばすための風魔法が込められた農業用の罠の魔道具。それはギーレンの王宮滞在初日の夜に、仕掛けた側も忍び込もうとした側も、双方が驚愕するという矛盾した事態を引き起こした。

「ちょっと……持ってきたのが大型の害獣用だったのが効果ありすぎましたかね……」

 夜這いの手引きをしようとしていたらしい侍女が、私にあてがわれていた部屋の扉から遠く離れた廊下の向こうまで吹き飛ばされ、飾られていた花瓶が破壊されている――と、部屋の扉を開けて、遠くを眺める仕種をしながらフィトが懇切丁寧に解説している。

「……いや。まあ、ふざけたことをするなと主張する意味では、ちょうどいいのかもしれん」

 本人は命じられただけなのかもしれないが、怪我をしているだろう侍女に同情するつもりは更々ない。滞在客を不快にさせる使用人など、公爵邸の使用人だったとしても即刻クビにする案件だ。

「あ、この罠、三回までは一度の魔力込めで発動するらしいんですよ。大抵の害獣は、二回吹っ飛ばされれば学習するだろうってことで、念のためプラス一回。なのであと二回はこのままでも大丈夫ですね」

 フィトはさもなんでもないことのように、廊下の向こうを見たまま言葉を続けている。

「その後はもう交換が必要になるって、譲ってもらった農家のオヤジさんからは聞きました。安い罠だと、見える形でしか設置しておけないらしいですけど、借りて来たのは〝隠形〟の魔力が合わせて仕込まれている、ちょっと高価なヤツですから。置けば廊下の色と同化して、見えなくなります。お館様が部屋を出る時には脇に避けますから、俺かナシオに声かけて下さいね」

 なんでも、ある一定の角度からだけは、罠の設置後でも触れられる仕様になっていて、仕掛けた罠のスイッチを一度切ることが出来るらしい。

「…………理解した」
「いやあ、王宮でも使えますよ、コレ! 昨今、国王陛下への突撃を試みるような勇気のあるご令嬢はいませんが、普通に警備でも使えますね! 戻ったら早速管理部の連中に声をかけてみます。このままなり、改良なり、彼らならより良い方向に昇華させてくれるはずです!」

 答えに一瞬間が空いた私をよそに、盛り上がっているのは王宮護衛騎士の……ノーイェルだったか。親指を立てるフィトと、妙に意気投合しているのはどうなのだ。
 この時になってようやく、ギーレン王宮内の警備担当者がこちらへと駆けつけてきたが、私は「部屋の扉をノックもせず開けようとした使用人がいたので、私の護衛が刺客か賊かと勘違いして、うっかり投げ飛ばしてしまったようだ」と、見るからに嘘と分かる言い訳を押し通しておいた。
 エドベリ王子なりベルトルド国王なりが聞けば、夜這いで既成事実を目論んだ「誰か」のために手引きをしたことが看破されたのだと、すぐに気が付くだろう。
 下手に侍女の怪我に抗議でもしようものなら、逆に自分たちの行いを責められるのが分かりきっているため、恐らくはなんの抗議もしてこないだろう。
 事実、翌朝になっても、誰も何も言ってこなかった。朝食の席でベルトルド国王は、夜中の騒ぎを知っているだろうに、まるで何事もなかったかのように、こんなことを口にした。

「イデオン宰相殿は、今日はナリスヴァーラ城へとお連れしよう。聖女殿はこの王宮に引き続き滞在してもらって、今日は王都周辺の観光、明日は午後からこちらの当代〝扉の守護者ゲートキーパー〟や、彼の体調管理をになっている、王立植物園の研究施設の室長などと交流を図ってもらうつもりだ」

 女性は女性同士、後宮にあるダイニングで食事をとるということで、この場には今、ベルトルド国王とエドベリ王子と私しかいない。ベルトルド国王は私をちらりと見やった。

「イデオン宰相殿は引き続きナリスヴァーラ城に滞在されるといいが……明日は聖女殿と同席されてはいかがかな」
「……我々と交流出来るほどに貴国の〝扉の守護者ゲートキーパー〟殿の体調が回復しておいでなら、もう〝扉〟の揺らぎとやらも修復可能なのでは?」

 返す言葉でベルトルド国王の話を切って捨てると、国王のこめかみが僅かに痙攣ひきつった。

「い、いや、ようやく身体を起こせるようになった程度なので、まだ完全な回復とは言えん。だが、いずれ聖女殿にも起こる症状やもしれんし、医師や室長から話を聞くのもためになるだろうと思ってな」

 あくまでまだ〝扉〟は使えない風を装っておきたいらしい。
 私も、まだ強硬手段に訴えるには手札が足りないのも確かなため、ここは「そうですか」と答えるしかない。

「それにしても、医師は分かりますが、植物園の研究施設の室長とは、どういった関係が?」

 私が〝扉〟から話題を逸らしたことに、国王は明らかにホッとした表情を見せた。

「あ、ああ。王立植物園自体は一般開放もしているが、その実、国の内外で薬草と呼ばれる植物の多くを栽培研究している、国にとっての重要な施設も抱えているのだ。そこの室長は侯爵相当の権威があり、王宮の侍医に卸す薬の原材料の多くをになっている。話をしておいても損はないと思うのだ」
「それは……」

 口惜しくはあるが、確かに話はしておきたい相手であるように思えた。

「……そうですね。それは私もぜひ、同席させていただければと」
「うむ、もちろんだ。とはいえあの男は研究馬鹿と言ってもいい男で、施設から出ることがほとんどない。王宮への呼び出しに応じたのは数えるほどだし、エドベリは顔も見たことがないはずだ。ただし今回は〝扉の守護者ゲートキーパー〟が体調を崩していると伝えてあるから、拒否権はない。室長の都合がいい時間が分かり次第、ナリスヴァーラ城の方に使いをやるつもりだ」
「いえ。人を派遣していただかずとも結構です。それでしたら午後、早いうちにこちらから参ります。もし時間が合わないようでしたら、一足先に〝扉の守護者ゲートキーパー〟の方や医師と話をさせて下さい。そこで待たせていただきます」
「……っ」

 使者と称して例の子爵令嬢に押しかけられでもしたら、面倒なことこのうえない。
 そんな内心が分かるように釘を刺すと、明らかに国王は言いよどんだ。
 自分の言い方では、貴族の作法としては明らかに無作法のそしりを免れないのだが、この場合、裏で余計な事を目論んでいた国王とエドベリ王子の方が分が悪いはずだ。
 事実、彼らはそれ以上強くは出てこなかった。

「そ、そうか。まあ、王都郊外と言っても、ナリスヴァーラ城は馬車で二十分ほどはかかるしな。使者の負担になるやもしれんし、では宰相殿の仰る通りにさせてもらおう」

 使者の負担などと、本来は気遣いもしないだろうにこの場ではそう言わざるを得なかったのだろう。
 国王が発言をする以上、エドベリ王子は話を振られない限りは無言を貫くしかないのだが、かなり苛立たしげな表情を見せている。自分はボードリエ伯爵令嬢に強い執着を見せて、国境まで越えて来ている割に、他人わたし一人の女性レイナに目を向けて、他に見向きもしないという可能性にはまるで思い至らなかったのだろうか。
 実務能力はあるのかもしれないが、少しは我が身を振り返れと言ってやりたい。

「イデオン宰相は、この後すぐにナリスヴァーラ城に向かうかね?」

 エドベリ王子がまとう空気に気付いているのかいないのか、話を切り上げようとしてきた国王に、私はゆっくりと首を横に振った。

「いえ。相続権放棄に関して、以前より何度か手紙のやり取りをしていた事務弁護士の所に立ち寄ってからにしたいと思っています。現法律での宣誓書の原本に署名をしませんと」
「そ……れは……」

 そしてこの話にも、二人はやはり顔を痙攣ひきつらせた。

「ま、まずは城に行ってからにすればどうだろうか? 実際の城を見たら、気が変わるやもしれんだろう」
「いえ。私はこの地に根を下ろすつもりはありませんし、醜聞を持つ親族の籍を今更戻したいとも思いません。眠っていた話が面白おかしく掘り返されるだけでしょうから、むしろ不利益しか受けません」

 どのみち、容易たやすく放棄させないよう、弁護士に圧力がかかるに違いないのだから、最初の内に旗色は明確にしておくべきだろう。

「ナリスヴァーラ城自体は、歴史のある建造物であると聞き及んでいます。観光資源として一般開放し、周辺地域の保全活動を行う方が余程健全ですし、陛下の御名みなも国の内外にまで轟くことでしょう」

 レイナのいた国では、それは「ナショナル・トラスト」と呼ばれているらしい。
 歴史的建物や土地などが手入れをされなくなって荒れ果てていく状況を憂えた地域住民の有志がそれらを買い上げ、次世代に伝えていくために管理・保全していく活動のことを指すのだそうだ。
 保全された環境を二次的な商品として利用し、そこから得られる産品で収益事業を行い、維持にかかるコストを賄おうという運動らしい。
 相続権放棄を渋られたら、その考え方を主張してみたらどうか――出発前にそう教えてもらっていたことが、まさか本当に活かされようとは。

「保全活動……」

 ベルトルド国王もエドベリ王子も、反論の取っ掛かりが掴めないといった様子で、口をつぐんだ。
 ――これで少しでも、手続きの引き延ばしを思いとどまってくれればいいのだが。


   ❀  ❀  ❀


「申し訳ありません。長年、そちらの公爵家の対応に当たらせていただいておりましたのは、先代の所長で……今は私がこの事務所を預かっております」

 ギーレン王都中心部にあった、その事務弁護士の事務所では、身なりの良い、いかにも上流階級を相手にしていますといった雰囲気の壮年の男性が応対してきた。

「イデオン公爵エドヴァルドだ。本家はアンジェスにあるが、今回は外交のためにこちらの国に来る機会を得た。この機に、長年そのままになっていた相続権放棄の手続きを完了してしまいたいと思い、直接伺わせてもらった。放棄の宣誓書に当人の直筆署名が必要で、他国との書面のやり取りは出来かねると言われていたからな」
「公爵閣下。大変失礼かとは存じますが……この案件自体が〝王族案件〟に相当していることはご存じでいらっしゃいましたか?」

 弁護士の言葉に、私は僅かに目をみはった。

「いや……初耳だ。だがしかし、相続権のことを思えば、さもありなんという気はしている」

 何しろオーグレーン家最後の当主アロルド・オーグレーンは、先代国王の弟だったのだから。
 私の答えに壮年の男性は汗をぬぐいつつ頷いた。

「そうですか。何故他国との書面のやり取りが出来かねると、長年申し上げてきたのかと言えば、そういった事情があったのですよ。うっかり配達途中に内容が洩れでもすれば、大変なことになりますから」
「私は、責めているつもりはない。これを機に手続きを進めてもらえるなら、それで充分だ」
「そのことですが――」

 相手はかなり言いにくそうな表情になった末に「王族案件では、最終的に王族の許可が必要になるため、提出後認可まで時間がかかるかもしれない」と、そう言ってきた。


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