聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

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第一部 宰相家の居候

236 帰国前(4)

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※1日複数話更新です。お気を付け下さい。

「もともとこの本の存在は、陛下か殿下、あるいはお二方共がご存知の筈です」

 続けた私の言葉に、無言のままエヴェリーナ妃の目が半目になった。 
 続きを促されていると判断をして、そのまま話を続ける。

「何故なら当初は、この本の存在を楯に、反逆者の汚名を着せられたくなければ――と脅迫をかける方向で考えられていた、その為の小道具だと思われたからです」

「………なるほど。そう言う使い方もあった訳ね」

 国内の〝転移扉〟に関する情報などと、機密の塊なのだ。
 言われて見れば当然とばかりに、エヴェリーナ妃も頷いた。

 コニー夫人は、まだちょっと事態が呑み込めていないのか、茫然とその場に佇んでいる。

「ええ。ですからこのままこの本をこちら側に留め置けば、余計な火種を残す事になると思ったんです。それよりは、この本は『ギーレンから出国する為の対価』として、エヴェリーナ様に差し出したとする方が、後から誰も文句を言えないだろう――と」

「そう言う事なら、理解したわ。確かにそれなら、コニー様は甥への同情で手を貸したとして、わたくしはこの本を引き取る事を対価に手を貸す事にしたと、それで通るものね。自分たちの方が先にこの本を利用しようとしていたと言う前提がある以上は、陛下も殿下も何も言えない。ただ、それでどうして辺境の話になったのかしら?」

「え、エヴェリーナ様達の手元にあって没収されるよりは、辺境の邸宅おやしきででも預かって頂いて、いざとなったらアンジェスに流出させるかも――なんて危機感をあおっておく方が、辺境伯家も潰されずに済むんじゃないかと思ったんですが」

 アンジェスと国境を接するメッツァ辺境伯家には、現在元第一王子であるパトリックと、アンジェスから輿入れが予定されている、クレスセンシア姫の存在がある。

 こんなところに〝転移扉〟の機密情報が隠されていれば、迂闊にエドベリ王子の側からは手を出せなくなる。
 これ以上の迫害を進めて、情報をクレスセンシア姫経由でアンジェスのレイフ殿下に洩らされては、周辺大混乱に陥るからだ。

 まして、エヴェリーナ妃にとっては、追放されたとて実の息子だ。
 その息子にとっての「保険」になり得るこの本は、最強と言って良い「武器」の筈なのだ。

 エドベリ王子にとっては、パトリック元第一王子をこれ以上追い込めない事は悔しいかも知れないが、情報が洩れない限りは、それ以上の実害は発生しない。ただ、悔しいだけだ。

「ほ…ほほほほ……っ!」

(うわぁ…美魔女の「おほほほ」って迫力ぅ……)

 私は感心した様に見つめただけだけれど、コニー夫人をはじめ、控えている侍女さんたちも、さすがに驚いた様に目を丸くしていた。

「貴女、素晴らしいわ」
「あ…りがとうございます……?」

 私もすぐには話に付いて行けずに、うっかり語尾が上がってしまった。

「ではこの本は、貴女からわたくしへの『駆け落ちの手引きの対価』なのね」
「――そう言う事で、お受け取り頂ければ」
「確かに受け取りましょう。ただそうね…この本は、辺境伯家に事にするわ」

 息子に預けるのではなく、隠す。
 意外な事をエヴェリーナ妃は言った。

「隠す…ですか?」
「ええ。わたくしが言うのも何だけれど、きっとあの子パトリックでは扱いきれないわ」

 母親である前に王妃だと。
 そうとも取れる言い方だった。

わたくしがこの本を受け取った事は、今日この場にいる者全員が証人になるわ。そして私はこれを、ラハデ家の信頼出来る部下に預けて、その「誰か」は本を辺境伯家の邸宅やしきのどこかに隠す。そうすれば、辺境伯家の為の抑止力を最終的に持つのは私であって、あの子パトリック自身ではなくなる。あの子がこの先もう少し政治的な駆け引きを覚えてくれば、いつか教えても良いけれど、今は無理ね」

 周囲から良いように利用される未来しか見えない。

 エヴェリーナ妃が口にしなかった部分を、残念ながら周囲の皆が理解してしまった。

 この本があれば、場合によっては息子を中央に戻させる切り札にだってなり得るのに、エヴェリーナ妃はその手段を選ばないと言う。

 ただ、選べば恐らくギーレン国内、利権絡みの派手な内紛が勃発するだろう。
 場合によっては元第一王子パトリックは、再度御輿として担がれた挙句、粛清対象の筆頭になりかねない。

 だからこそ、それよりも辺境に留め置く事での国内の安定を、彼女は選ぶのだと、何とは無しに察せられてしまった。

「陛下と殿下が、辺境の叛逆を恐れて冷や汗を流しているくらいで丁度いいのよ」

 確かにそれが最も国が被る傷が浅い。
 薄氷の上だとは思うけど、バランスは保たれる。

「そう都合良く、何もかもは手に入らない。そろそろ、それをあの二人も悟るべきね」

 嫣然うっそり微笑わらったエヴェリーナ妃は不意に「ああ、そうそう」…と、さも何でもない事であるかのように呟くと、侍女に向かって片手を上げた。

 さっき私をここまで案内してくれたベテラン侍女さんが、無言のまま私の前にコトリと液体入りの小口の瓶を置く。

「……あの」

「それね、王立植物園のキスト室長持参の薬草から作られた、お薬」

 エヴェリーナ妃の説明に、私はハッとその液体入りの瓶を凝視した。

「コニー様がね、先日わたくしにこう仰ったのよ――『薬を使うとしても、自分以外の者、侍女あるいは料理人がそれをしてしまうと、物理的に首が飛んでしまうのでは?』――って」

「……っ!」

 その言葉に、私は思わずコニー夫人を凝視したけれど、彼女は儚げな笑みを見せるばかりで、実際に言葉を繋ぐのは、エヴェリーナ妃の方だった。

「それはその通りですわよね?実際に命じたのが誰であれ、王族相手に病を理由としたもの以外で薬を使うとなったら、確実に実行犯の首と胴は離れるでしょう」

 私もそれには言葉が返せない。
 その通りでしかないからだ。
 身分が下になるのだから、誰が庇ったとて、どうなるものでもない。

「ですからコニー様は、この後の夕食で、ご自身が直接夕食に振りかけるって仰るの。二、三日前からって仰っていたから、ご自分の為に使われようとして、殿下のお皿に混ぜてしまう予定なんですって」

 ――私は、口の中がカラカラに渇いていくのを自覚した。

「キスト室長の薬ってね、即効性が薄く、飲んでから数十分後にじんわりと効き目が滲んでくるように設計されているらしいの。ダイニングでいきなり倒れちゃったら大変ですものね。だからちょうど部屋に戻った良い具合のところで効いてくる予定」

 パラリと扇を開いたエヴェリーナ妃は、それをゆっくりと口元に持ってきた。

「ああ、でも私達がダイニングで夕食を摂っている間、貴女達の食事はこちらに運ばせるわ。多分その間に、宰相閣下もお越しになる筈よ?貴女はギーレンにはいない筈の人だし、宰相閣下はバシュラールにいる筈の人。後宮にいれば、少なくとも殿下とすれ違う事はないわ。夕食は、私とコニー様と、殿下の

「……三人?」

 そこに舞菜いもうとが抜けている違和感に気付いた私が、視線を薬の瓶からエヴェリーナ妃に移すと、扇越しの妖艶な視線とそこでぶつかった。

「実は聖女様を、この後お茶にお招きしているのよ。遠方からの商人が、珍しい銀細工を売りに来たそうだから、貴女もいかが?費用はわたくし持ちで――とお話ししたら、喜んで!なんてお返事を頂いたわ」

「な……⁉」

「ちなみにそのお薬は、コニー様が使われる予定のお薬よりも、睡眠時間が長くなるよう調整済みなんですって。研究所から派遣された研究員達って、余計な事をしなければ、そこそこ優秀だったのね――残念」

 その口調は、まったく、一切、残念そうに聞こえない。
 むしろ奈落の底に突き落とす断罪者の声だ。

「さあ、レイナ嬢。聖女様がお越しになる前に、わたくしが美味しい〝イラ〟入りのお茶の淹れ方をお教え致しますわ。お帰りの前に、ぜひ手づから振る舞って差し上げて下さいな」

 わたくしの言いたい事は分かりますわよね?

 ――エヴェリーナ妃の声なき声に、私は立ちすくんだ。
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