聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

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第一部 宰相家の居候

241 駆け落ちしましょう(2)

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※1日複数話更新です。お気を付け下さい。

 ――いつの間に、こんなに寄りかかっていたんだろう。

「エドヴァルド様……」

 顔を見た瞬間、私の中で何かが決壊して、視界が滲んだ。

「……レイナ?」

 侍女から紅茶の入ったティーカップとソーサーを受け取ったエドヴァルドは、もしかしたら私を驚かせるつもりで紅茶を差し出したんだろうけど、逆に思わぬ方向から驚かされて、目をみはっていた。

 片膝をついて、更に片手を私の頭に乗せる様にしながら、こちらを覗き込んできた。

「どうした」

「エドヴァルド様は……全部、受け止めてくれるんですよね……?」

 彼にとってはあまりに唐突で、頭の上にあった手が驚いた様に揺れていたけれど、口に出しては何も言わなかった。
 黙って続きを促してくれていた。

「何があっても軽蔑しない、って……言ってくれましたよね……?」

 震えている私の言葉に答えるよりも先に、エドヴァルドの右手が頭の後ろに下りて、左手が私の腕を掴んでいた。

「……っ」

 気が付けば、座っていたソファから、エドヴァルドの胸の中に倒れ込んでいた。

「全てぶつけて良い。――とも言った」

 耳元に、破壊力が半端ないバリトン声が響く。

「怒りも涙も――全て受け止める。貴女が私にだけ行使出来る、貴女の特権だ」

 ――使え。
 
 最後の囁きが、ダメ押しになった。

 泣いて、泣いて……私自身が、舞菜に引導を渡すに等しい事をしたのだと話せるようになるまで、エドヴァルドはただ黙って、私を抱きしめたままの体勢でいてくれた。

「……すみません、取り乱しました……」

 ようやく我に返って離れようとしたけれど、エドヴァルドの腕は、何故かすぐには解けなかった。

「レイナ」
「……はい」
「私は〝鷹の眼〟の連中に、賊にしろ政敵にしろ『殺せ』と命じた事が何度かある」

 不意に聞こえた声に、私は無意識のうちに、目の前のウェストコートを握りしめていた。

「彼らも、私の知らないところで襲撃犯を手にかけた事が一度ならずある」
「……はい」

 それは実際に、コヴァネン子爵の一件で目の当たりにした事だ。

「貴女は、私や彼らを軽蔑するか?」

「それは…っ!そんな…ことは……」

「同じ事だ。私も〝鷹の眼〟の連中も、決して貴女を責める事も軽蔑する事もしない。胸を張れ。貴女は手持ちの札で、貴女に出来る最善の行動をとった。ただ、それだけだ」

 最後、そう柔らかく呟いたエドヴァルドは、この話はここで終わりだとばかりに、私の背中を軽く叩いた。

「食事にしないか。先ほどから給仕の使用人が、ずっと所在なさげにしている」
「⁉」

 フクロウ並みとは言わずとも、私がぐるんと首を後ろに傾ければ、目がキラキラと輝いている侍女数名と、若干顔を赤くして視線をあらぬ方向にそらしている男性の使用人に、部屋の警護と思しき騎士がいた。

 そう言えば、シーカサーリから流れた紙面を目にしたらしい使用人が一定数いると、さっきエヴェリーナ妃が言っていたかも知れない。

 …自分で噂の火に油を注いでどうする。

「たた…食べますっ。あっ、何も仕込まないと確約はしていただきましたけど、もしまだあの薬が残っていれば、念のため――」

「――なるほど」

 この期に及んでエヴェリーナ妃の側から薬を仕込むメリットなんてゼロと言っても良いけれど、物事に「確実」はない。

 エドヴァルドも頷いて、今回大活躍だったらしい〝霊薬エリクサー〟もどきの残りを荷物の中から出させていた。

 その間に、私も慌てて、エヴェリーナ妃から渡されていた手紙を、食事のテーブルにつこうとするエドヴァルドに手渡した。

「あの、エヴェリーナ妃はこれを、エドヴァルド様が長年、喉から手が出る程に欲していた物だと。読めば分かると、そう……」

「……私が?」

 怪訝そうな表情のまま、エドヴァルドはそれを受け取っていたけれど、封蝋を外して中を開いたところで、ハッキリと顔色を変えていた。

「これ…は……」

 そうして手紙の端から端までくまなく眺めた後で、苦笑交じりに口元を歪めた。

「――オーグレーン家の継承権放棄の正式宣誓受理書面だ」

 多分、私のためだろう。
 エドヴァルドは、わざわざ書面の内容を口に出して教えてくれた。

ギーレンこちらの担当事務弁護士からは、それ自体が〝王族案件〟に相当しているから、すぐには認可されないだろうと言われていた」

「じゃあ、想像以上に早かったって事なんですね」

 嫌がらせ目的で、受理の引き延ばしがされるかも知れないと言う想像は、私にだってつく。
 エドヴァルドもそう思っていたのか「そうだな」と呟いていた。

「署名権者が国王陛下だけだったなら、想像の通り当分許可は下りなかっただろう。だがこれは〝王族案件〟であって〝国王案件〟じゃない。エヴェリーナ妃が、ものの見事にその法律の隙間を突いてきてくれた」

「……あ」

 エドヴァルドの言いたい事が分かった私が軽く目を見開き、エドヴァルドもそれが正解だと言わんがばかりに頷いた。

「エヴェリーナ妃は、王の正妃。現時点では、押しも押されぬ『王族』の一人だ。ベルトルド国王の署名でなくとも、彼女の署名があれば、正式書面として成立する…いや、成立したんだ」

 エドヴァルドが、オーグレーン家の継承権を正式に放棄した。
 これで公式には、エドヴァルドとギーレン王家との繋がりは切れた。

 現時点ではエヴェリーナ妃が王の正妃である以上は、例え今後没したり離縁が発生したとしても、効力はそのまま残る。
 そう簡単に後で無効に出来るようでは、王族の命など幾つあっても足りはしない。

 この書面をもって、実際の血筋はともかく、エドヴァルドはイデオン公爵家に対してのみ、責任を負う者となったのだ。

「腹の立つ事ばかりだったが、これでかろうじて、ギーレンでの収穫を得る事が出来たな。これがなければ、戻ってからフィルバートにどう八つ当たりすべきか、真面目に悩むところだった」

 どう考えても「既に真面目に悩んでいた」表情だったけど、念の為、口には出さずにおいた。
 空気は読まないと、後で大変なコトになる。

「……良かったですね」

 そもそもアロルド・オーグレーンを実の父親と認めるつもりがなかったのだから、血のしがらみを一つでも捨てる事が出来るのは、きっと悪い事じゃない。

 だから「良かったですね」と声をかけるのは、きっと間違ってはいない。

「エドヴァルド様。は、を除いて、エヴェリーナ妃に進呈しました。本自体はに隠されて、地位を脅かされない為の抑止力になる予定です」

 基本的に、王宮侍女や使用人は、仕える主の情報を外に洩らす事はない。
 ただ、王宮の中で話が止まる場合は、そうとは限らない。

 使用人達にだって、無所属含めて派閥は色々とある。

 だから「何の本」が「何処に隠された」かは、ここでは言わない。
 エドヴァルドなら、きっと察せられる。

 ――「最後の手紙」が「最後の頁」である事も。

「手紙は戻ったら、一緒に燃やしましょう。多分そこまでが、このはなしの『けじめ』だと思います。出過ぎた事を言っているのは分かっているんですけど」

 私には関係ないと言われてしまえば、それまでの話だ。
 けれどエドヴァルドは、そうは言わなかった。

「……いや」

 まるで私には最後まで関わっていて欲しいとでも言うかのように、エドヴァルドは微笑わらった。

「本も手紙も、私が貴女に一任した事だ。貴女がそうしようと言うのなら、私に否やがある筈もない」

 ――ありがとう。

 使用人達には聞こえないところで、確かにエドヴァルドの唇は、そう動いた。
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