聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

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第二部 宰相閣下の謹慎事情

294 厨房狂騒曲

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※1日複数話更新です。お気を付け下さい。

「えっ、うどん⁉今日、うどん食べられるの⁉」

 現状、厨房において社交界のマナー云々と言った話をするような人間はいない。

 セルヴァンやヨンナと言った、表方の使用人たちは今、ほぼ開かずの間と化していた、ダンスパーティーの為の大広間ボールルームを、こちらもほぼ総出で整えていて、厨房は放置…と言うか「各自、己の本分を尽くす事!」と言うセルヴァンからのお達しが合言葉となって、それぞれに任された部署で仕事に没頭している。

 なので、例えシャルリーヌが貴族のご令嬢らしからぬ叫びをあげようと、ここでは誰も気に留めていなかった。

「おっ…そっちのお嬢さんも『うどん』をご存知です?」

 なんて、ラズディル料理長が軽く聞いているくらいである。

「知ってるわ!レイナの故郷にもの!でもこっちに来てからは存在そのものすら懐疑的で……今日、食べられるなら嬉しい‼」

 転生云々の話は言えないから「行った事がある」と言い方を変えたんだろう。
 シャルリーヌはずっとアンジェスに住んでいた訳ではないので、いくらでもごまかしようはあると考えたに違いない。

「そうか。なら、皆さんにお出しするのにも、安心材料が増え――って、いや、その下拵えをベルセリウス侯爵閣下にお願いすると⁉」

 そんなシャルリーヌにつられる様に頷いてから、料理長がそもそもの問題に立ち返ったらしく、勢いよく私の方に向き直った。

「えっ、だってあの生地は、本来布で包んで、人が上から乗って柔らかくしたりするんだもの!捏ねすぎても良くないけど、ベルセリウス将軍の腕力があれば、上から乗るのに匹敵するくらいの事は出来るし、良い硬さの麺になるもの!」

 その作り方が全国共通だったのかどうかは、私は知らない。
 たまたま学校の研修旅行で讃岐うどん作りの体験をした記憶が元なだけだ。
 逆に言うと、それしか知らないのだから、致し方ない方法だとも言える。

 多分、転生寸前、関西の大学に通っていたシャルリーヌにも、私の言っている事は分かる筈だ。
 見ると案の定、その通りとばかりに頷いて、ベルセリウス将軍にきらきらとした視線を向けている。

「そうですわ、侯爵閣下!お昼にお越しになられる皆さま方にも、理想的な『うどん』がお出し出来ます。会の成否は侯爵閣下にかかっていますわ!」

 …うん、シャーリー。口調だけ伯爵令嬢っぽくしても、語ってる事は「理想のうどん」だからね。
 将軍とウルリック副長が驚いてるよ。

「ちょ…ちょっとシャーリー、しょうゆとみりんが存在していない以上は、魚のあら汁でカルグクス作るのと、野菜の切れ端で出汁とってつけ汁にするくらいだからね?私達が知ってる、あの『うどん』のままじゃないからね?」

 その言葉に、ちょっとだけシャルリーヌは落ち着いたみたいだった。

「そ、そう言えばそうよね。ううん、でも、麺としてのうどんが出来るだけでも、画期的な一歩じゃない!カルグクスはともかく、もう一方は『天ざる』もどきになるワケでしょ⁉」

「ま…まあ、そうね。――そんな訳で、お願いして良いですか、将軍?力仕事なんで、ぜひ!」

 私とシャルリーヌの視線を一斉に受け、身長190cm越えの、イデオン公爵領防衛軍のトップである侯爵サマは、その体格に似合わずちょっとドン引いていたけれど、結局は話を引き受けてくれた。

「諦めろ、オルヴォ。もうこの前、卵をかき混ぜていた時点で、アンタもお嬢さんの使いっ走り決定だ」

 ファルコが、むしろ面白そうにニヤニヤと笑っている。

「い、いや。別にイヤと言っている訳ではないのだがな」

「そうですよ。単に二人のご令嬢に、怯えられもせず頼み事をされて、どう対応して良いのか分かっていないだけですから」

 横から安定の、ウルリック副長のツッコミも入っている。

 じゃあ、そう言う事で――と、ラズディル料理長を見やったところで、料理長が諦めた様に嘆息して、腰に手をあてた。

「ああ、分かった分かった!そうしたら、粉の状態から纏めるまではこっちでやるから、そこから捏ねて貰えば良いな?その後はちょっと寝かせるんだったな?最後、切って茹でるのはまたこっちでやるぞ」

「大丈夫です!力が必要なのは、捏ねるところですから。耳のこのあたりの柔らかさが目安です」

 私が自分の耳たぶを触ってみせたところで、分かったと料理長と将軍が答えた。

「私もじゃあ、手伝いましょうか。将軍ほどではないにしても、そこそこの事は出来ると思いますよ」

 確かに、参加人数を考えたら、猫の手はたくさんあった方が良い。
 ウルリック副長にも遠慮なく、うどん捏ね組に回って貰う事にした。

「嬉しいなー、楽しみ!」
「でしょ?日程的に、今回作って貰うのが初めてになっちゃったから、私も楽しみなのよ」

 そう言って、私とシャルリーヌが笑い合っているところに、ミカ君が興味深そうに首を傾げた。

「うどん?って、僕も初めて聞いたけど、レイナ様の国の食べ物なの?」

「そうね。使うのが、クッキー用の粉とパン、ケーキ用の粉に、塩とお水って、すごくシンプルでしょう?あと、野菜の切れ端からスープが出来るし、そこにさっき採ったキノコと山菜の天ぷらを添えれば、豪華な食材がなくても、ちゃんとした食事に化けるって訳なの。天ぷらの代わりに、薄切りして茹でた牛肉を添えても良いから、どっちも今、土砂災害の影響で食料事情が豊かとは言えないハーグルンド領の役に立つと思って」

 肉うどん…と呟くシャルリーヌに、私はうんうんと頷いた。

 塩や小麦は、基本の食料として、まず流通される物だ。
 卵は極端な話、鶏でなくとも、食べられる鳥の卵でさえあれば、何だって使える筈で、牛肉に限っては、ハーグルンド領で元々飼育されている。

 後は山に入って山菜なりキノコなり野菜なりの食材と、油がなければ油分の多い植物を探すなり、クセは出るけど最悪牛の油脂ラードだって使える。

 つまりは、復興途中の今でも手に入れられる食材で、出来る筈の料理――と、言う事になるのだ。

「―――」

 その瞬間、ミカ君だけじゃなくて、厨房にいた全員の視線が、こちらを向いた。

 そんな意図があったのか、とそれぞれの目が語っている。

「あ、いちいちクッキー用とパン、ケーキ用に粉を分けていない!って言う家や地域なら、一種類でも、近いモノは作れますよ?捏ねる回数とか力加減とか、あと茹でる時間さえ工夫すれば。あくまで美味しく作るなら――って話なので。一応ほら、今日は公爵サマ方も召し上がられる訳ですし」

 何なら貴族の館やレストランでは二種類の粉を使って、一般家庭では一種類で…と、棲み分けしたって良い。
 ただちょっと、一種類だけだとパスタ寄りの生地になる気がしないでもないが。

 主に「捏ね組」のベルセリウス将軍とウルリック副長に向けて、そんな風に説明をすれば「……なるほどな」と、将軍が感心した様に頷いた。

「そっか、中力粉がどうとか、そんな概念がないから、とりあえずクッキー用とパン、ケーキ用と粉を混ぜて、なんちゃって中力粉か……いやでも、それって、食べる層を考えても、公爵サマ方にお出しする物で良いわけ……?」

 至極もっともな疑問を呟くシャルリーヌに、いいのよ!と私も言うしかない。

「誰も未だ食べた事のない料理になるし、ハーグルンド領の為って言うのもあるから…って、お許しは出てるもの。庶民食だ、って言うのはくどいほど説明したし」

「そ、そう……いやでもポテチをもう体験してるから、それはそれでアリなのか……」

「そう言う事。じゃあ、こっちはこっちでチョコチップス?それだと違うな。ポテトチップスチョコ?を仕込むからね、シャーリー」

「え⁉」

 それはそれで、聞かされていなかったシャルリーヌが更に驚いた声を出した。

「ポテトチップスチョコって、それはもしかして……北海道物産展とかでお馴染みの、あの……」
「まあ、ギザギザのポテチをこっちでは作れないから、やっぱり『なんちゃって』になるけどね」
「…っ、もう、レイナ素敵!愛してるわっ‼︎」
「いやいや、誤解を招く言い方やめようね⁉︎」

 今にも抱きついて来そうなシャルリーヌを、私は両手で全力で押し返す。

「レイナ様、レイナ様!ポテトチップスチョコって、何ですか?そっちも新しいお料理?」

「んー…料理って言うか、おやつ?この前食べた〝スヴァレーフ〟の素揚げの改良版。こっちは簡単だから、シャルリーヌ嬢とミカ君と3人で仕込もうかと思って。ミカ君がそれを、白磁器の器に入れて、スヴェンテ老公爵様に食事の終わりに出して差し上げたら、きっと喜ばれるんじゃないかな?」

「えっ、ホントに⁉︎じゃあ、僕も頑張らないと!」

 ちょうどそこに、湯煎されたチョコレートと、素揚げされて塩が振られた状態のポテチが、厨房の隅にドンと置かれた。
 若手料理人のテュコが、置いた拍子にポテチをひょいと一枚つまんで「余計なコトをすんな、ど阿呆!」と、ラズディル料理長から拳骨を落とされている。

「なんだか分からないけど、出来上がりを楽しみにしてるよ」

 と、本人はあまり懲りた風もなく、ヒラヒラと手を振って、持ち場に戻っていたけど。

「じゃあ、まず見本でやるね?なるべく端っこを指で摘まんで、スプーンでチョコを片面だけにたっぷり垂らしながら塗っていく感じね?それからちょっと伸ばして、見た目を整えて――」

 …何か一瞬、厨房にいる全員の手が止まって、視線がこっちを向いている気がしたけど、気にしないようにしておこう。

「出来上がったらこれをまずは平面のお皿に並べて、ちょっと気温の低い部屋でチョコを乾燥させておきます、と。今からなら、公爵様方が来られる頃には、いい具合に固まるんじゃないかな?」

「そっか、じゃあ今すぐには味見出来ないね!」

 多分ミカ君の声は、厨房みんなの声を代表したと思う。

「そうだね。もうちょっと後になるねー。表のチョコと裏の塩味が微妙に溶け合って…私の国では女性とか子供とかに人気なのよ」

 エール片手に食べまくっていた、エッカランタ伯爵には合わないかも?と首を傾げる私に、前回を知る厨房の料理人達と、ミカ君が笑った。
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