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第二部 宰相閣下の謹慎事情

414 分断の理由

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 宝石療法、と言うのは確かにいつぞや図書館で、そんな事が書かれた本を読んだ事はある。

 宝石は、本来人が持つ自己治癒力を特に高める性質があり、そのエネルギーは皮膚にあてると五感との共振作用を起こし、良い方向へと導いていくのだ…と。そんな内容だった気がする。

 また同時に、人の潜在意識(精神)に深く働きかける性質もあり、それが病の回復に繋がったり、活力を与えたりする事もある――とか何とか。

 アンジェスで耳にする事がなかったから、さっきまで頭の片隅にもなかったけど、もしかするとバリエンダールでは、この聖女様の力あるいは研究成果として、似た話がある程度知られているのかも知れない。

 ただ〝転移扉〟の維持の為に魔力を提供するだけではなく、それ以外にも自らの価値を高める――それもあって、女伯爵としての叙爵をされたんだと、そんな気がした。
 決して聖女の地位の上で胡坐をかいてはいない女性ひとなのだ。

「もちろん、医師や薬師が施す治療との併用にはなりますけれど、実際、ミルテ王女殿下もご幼少のみぎりは、かなり病弱でいらしたのが、今ではこうやってお茶会を主催しようと思い立たれるまでにはなられました。今はベネデッタ様に複数の宝石をお持ちいただいて、少しでも体調不良が回復されるよう、取り組んでいるところですわ」

 なるほど。
 テーブルに指輪やネックレスなどではなく、原石ばかりが並んでいるのは、実際にその宝石療法の為に揃えられた天然石だからという事なのか。

 そしておかげで「ミルテ王女病弱設定」は幼い頃あるいは少し前までの話として存在していて、今はほぼ回復しているのだと言うのも、何とはなしに理解が出来た。

「そうですか……ちなみに、今回の治療記録と言うのはどこかに残りますか?」

 この面々だと疑いづらいところはあるけれど、国王や王太子の立場で考えた場合、傷跡が綺麗に消えた時点で、起きた出来事まで「なかった事」にならないか、一抹の不安は残る。

「その…出来ればアンジェスに戻ってから、同じ聖女の立場に立つ女性に、話をしてみたいんです。今回の情報を開示して、試してみて貰うのも良いかと思いまして」

 半分は、目の前のこの聖女様に私の疑いを悟られない為、もう半分はシャルリーヌにも出来るのか聞いてみたいからだ。

 もしアンジェスでも似た事が出来るのなら、よりシャルリーヌの国内での付加価値は上がる筈。

「聖女、聖者の名を持つ人達が国の政略に必要以上に振り回される事のないよう、手に職じゃないですけれど〝扉〟の維持以外のもあって良いと思うんです。今回の治癒に関する記録があれば、確かに腫れや傷があって、それが治された――との説明もしやすいですし、もしアンジェスの聖女には無理だったとの話になれば、それはそれでノヴェッラ伯のお立ち場を強くする事にもなり得るかと思いますし」

 私の言葉に、ノヴェッラ伯は一瞬キョトンとした表情を見せたものの、すぐに柔らかな微笑がそれに取って代わった。

「アンジェスの聖女様は、まだ就任されて日が浅い……とかですかしら?」
「え、ええ」

 シャルリーヌの就任はまだ公にはなっていないけれど、仮に舞菜いもうとを指しての話だとしても、日が浅い事に変わりはない。

 うん、嘘は言ってない。

「そうですわね……いくら〝扉〟に注ぐ魔力が膨大で、なかなか替えのきかない存在だとは言え、自分の存在意義を問いたくなる時はございますものね。構いませんわ。それがその方にとっての心の依り代となるのであれば、喜んで」

 そう言ってノヴェッラ伯は、テーブルから少し離れて控えていた女性の方へと手のひらを差し出した。

「彼女は王宮の医療部門に席を置く方。さすがにまた、先ほどの様な事はないと思いますけれど、念の為と陛下が残していかれましたの。彼女はもちろん、全ての治療行為を記録する者でもありますから、どうか後で彼女から写しを受け取って下さいませ」

「――有難うございます。では後ほど是非に」

 ちゃっかりしておる…などと、テオドル大公が呟いていた事はスルーです、スルー。

 私が納得して頷いたところで、ノヴェッラ伯は、その医療部門の女性から差し出されたハンカチーフを広げて、そこまで厚みのない綿を乗せた上に、小ぶりの天然石を一つ乗せた。
 それをまるで絵画用のタンポでも作るかの様に包み込んで、最後、宝石のある部分を私の頬にそっとあてた。

「当然、布地で包まない方が効果も高いのですけれど、治癒の為の石で肌を傷つけていては本末転倒ですから、その分、少し多めに魔力をこめて治療にあたりますのよ」

「―――」

 一瞬、外側のハンカチーフごとほんのりと熱を帯びたか、頬の熱がハンカチーフに吸い取られていったか、そんな何とも言えない感覚がした。

 宝石が持つ力を活かしていると言われれば、なるほどと思わせられてしまう。

「あ」
「お」

 ウルリック副長やテオドル大公が、こちらをじっと見ながら呟いたところを見ると、宝石療法、上手くいったと言う事だろうか。

「ええ、ええ。これだと分からないと思いますよ………多分」
「多分?」

 最後の最後で微妙な事を言うウルリック副長に、思わずガクッと肩を落としそうになる。

「叩かれた事を知らなければ、きっと気が付きませんよ。それを知る私から見れば、ほんの少しの違和感が残ると言った程度で、それも帰国する頃には消えていそうだな、と。それくらいには治療が成功していますよ。ただ…まあ…何と言っても相手はお館様ですしね……」

 ほんの些細な変化でも気が付きそうな気がする、と言われれば私としても反論がしづらい。

 テオドル大公も「うむ。あとはもう祈るだけかも知れんな」などと、乾いた笑い声をあげていた。

「いったん、このくらいにされておく方が宜しいかと存じますわ。もともとは、本人の治癒力と宝石の持つ力を掛け合わせて、より高めていくのがこの療法の核ですから。必要以上の治癒力の負担は、本人の精神にも影響を与えてしまいます」

「ああ、いえ、充分に手を尽くして下さいました、有難うございます」

 私の頬からタンポもどきが離れたタイミングで、ノヴェッラ伯とミルテ王女とに頭を下げる。

「王女殿下も、ノヴェッラ伯の治療を受けられる様にして下さって有難うございました」

「――おねえさま、わたくしの事は『ミルテ』と」

 軽く頬を膨らませる仕種が「可愛い」と許されるのは、ミルテ王女の年代くらいまでだろうな…と、うっかり場違いな事をそこで考えてしまった。

「……そうでした。では『ミルテ様』と。さすがに敬語抜きでの会話は憚られますので」

「分かりましたわ。あまり他国の方に我儘を言ってはいけませんものね」

 ちょっぴり残念そうにため息をついたその姿も絵になります、ミルテ王女。

「ではせめて、アンジェスに持ち帰って貰えそうなお土産を、もっと持って来させますから、ぜひお持ち帰りになって?わたくし、このお茶会を皆様に楽しんで頂きたくて、色々用意していましたの!」

 パン、と軽く両手を合わせたミルテ王女は、さっきまでの騒動を何とか外交問題にさせまいと、彼女なりに頑張っているように見えた。

「――ユングベリ様」

 そうして再開されたお茶会の途中で、私はその場にいつの間にか、リベラトーレ侍従長がいる事に気が付いた。

「…ジーノ様より『この後の商談は王太子殿下の執務室で』との伝言を預かりました。お開きの後は、どうぞそちらへお越し頂けますでしょうか」

 私は無言。
 隣のテオドル大公が「殿下の執務室だと?」と片眉を跳ね上げたけど、侍従長は怯まなかった。

「それと陛下より、テオドル大公殿下におかれましては、陛下の執務室にお越し下さるように…とも言付かっております。一連の騒動の着地点を話し合う過程において、フォサーティ宰相とジーノ様は、決着まで王太子殿下の監視下に置かれる事となりました為、そのような措置に。それ以外にどのような話し合いが為されたかについては、陛下よりお聞き下さいますか」

 本来であれば、私も書記官としてテオドル大公に付いていかなくてはならない筈が、ジーノ青年を訪ねる約束、それも北方遊牧民族との取引についての話があったと聞かされて、その約束を却下する事は得策ではないと、メダルド国王なりミラン王太子なりが思い留まったに違いない。

「……では、マトヴェイ卿が書記として大公殿下に付き添って下さいますか?こちらで何を話したかは、夕食時にでも改めて報告させて頂きますので」

「うむ……この期に及んでの分断となると、裏を勘繰らざるを得んのだが、どちらも拒否出来る性質のものではない以上、仕方あるまいな。ではせめて、護衛の選択権を其方に委ねようぞ。いざと言う時に、殿下相手でもぶちのめせる者を選ぶがいわ」

 何と言う事を!とばかりにリベラトーレ侍従長が目を剥いているけれど、テオドル大公はしれっとそれを無視していた。

 冗談でも何でもなく、相手に隙を見せるなと言う事なんだろう。

(とりあえず、将軍と副長とレヴは必須かなぁ……)

 私は漠然と、そんな風に考えていた。
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