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第二部 宰相閣下の謹慎事情
467 湖畔の館と白銀の元公爵(2)
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王都職人ギルドには、ドワーフ風なガラスギャラリーの管理人さんがいたけど、こちらは、これで耳が長ければ、ダークエルフとでも言われそうな、白銀色の長髪眩しいイケメンならぬ、イケオジだった。
かつてアンジェス社交界のご令嬢方を虜にしたと言うダンス講師ヘダー・マリーツを上回る瀟洒っぷりだ。
威厳ある王族っぷりが極まっているテオドル大公と並ぶと、その空気感の違いが両極端にも思える。
「おお、すまんすまん、ヴァシリー。すっかり身内の話をしてしまったな。――マトヴェイ卿、レイナ嬢。彼はヴァシリー・フェドートと言ってな。父親が臣籍降下して公爵位を得た元王族で、今はこの本人も、公爵家に関わる全ての権限をシェーヴォラに住む息子に譲って、フェドートではあるが扱いは一代貴族……まあそこまで詳しくなくて良いな。要は隠居老人だ」
そんなテオドル大公の紹介に、だから北方遊牧民族文化の色濃い地域の中で、ここだけ領主館の様な仕様になっているのかと、ちょっと納得をした。
紹介された側の当人は、意に介した風でもなく、笑っている。
「テオドルに言われる覚えはない…と言いたいが、今は臨時復帰中だったな。ようこそ、ヴァシリー・フェドートだ。ルーミッド・マトヴェイ卿とレイナ・ユングベリ嬢だったか。其方達の事や、今のこの地域の現状は大体聞き及んでいる。ただ、このような玄関先でする話でもあるまい。応接間の方へ案内しよう」
そう言って身を翻すフェドート前公爵であり元公爵とも言える男性に案内されながら、建物の奥へと進んで行く。
本来であれば、ベルセリウス「侯爵」を紹介しない道理はないのだけれど、今回は「護衛」扱いでアンジェスから入っている以上は、致し方ないところはあるのかも知れなかった。
そんな私の葛藤には気付かないフリをしつつ、テオドル大公が周囲には届かない声で「彼は件の姫の兄だ」と、こちらに静かに囁いた。
(ああ……)
なるほど公爵位を息子に譲ってから後、市井から離れて、ここで静かに妹姫を弔っているのだろうか。
兄でさえああなら、さぞやジュゼッタ姫は美人だったに違いない。
さすがにそこは心の中に留めておきつつ、表向きは無言のまま案内された応接間では、私とマトヴェイ外交部長、テオドル大公がフェドート元公爵とテーブルを囲み、ベルセリウス将軍は、ここでは侯爵ではなく護衛としての立場を貫いている為、ウルリック副長たちと部屋の隅で待機する事にしたようだった。
「しかしまあ、今回限りとは言え、ユレルミ族の族長の館まで〝転移扉〟を繋いだのか。ジーノがいるからこそ、出来た事だとも言えるだろうがな」
かなり驚いてはいるものの、その原因は自分が期日に戻れなかった事にあると分かっているテオドル大公は、何とも言えない表情を浮かべている。
「確かにこれで、街道封鎖の解除を待たずとも帰る事は出来ようが、三部族がイラクシ族を説得に行くと言うのであれば、移動途中で争いに巻き込まれぬと言う保証がない。さて、どうしたものか……」
いやだなぁ、説得とか説教とか、もうちょっと普通の意味で聞きたい単語だなぁ……。
思わず遠い目になる私をよそに、年配の男性陣は難しい表情のままだ。
「単純に考えれば、拠点の村を中心に、バリエンダールとサレステーデ、両方の街道側に姉二人を推すそれぞれが陣取っている様には思いますが」
今回の随行で、期せずして北方の少数民族事情に詳しくなってしまった感のあるマトヴェイ部長が、口元に手をやりながら呟いている。
「ふむ。姉の側同士では、手を組んでおらんと言う事か?」
「私ならば、日頃の仲が悪かろうがまず姉同士手を組んで、後継者に最も近い位置にいる弟から先に潰しますがね。ここに至るまでそれをしていないと言う事は、それぞれが相手の手を借りるつもりがないと言う事なんでしょう。戦略としては、あまり褒められたものではない」
確かに、そこは私もマトヴェイ外交部長の考え方に賛成だ。
私も思わず、首を縦に振る。
「各個撃破したところで、挟み撃ちにあう心配しなくて済みますものね」
「そう言う事だな。思うにこちら側の三部族の連中も、二手に分かれたのではないか?」
片方を潰している間に、もう片方がチャンスとばかりに拠点の村を落とすようでは意味がない。
一番良いのは、村に残る戦力も二つに割いて、それぞれに協力をさせる事だ。
「そうすると、それぞれの街道沿いで争いが起きるかも知れない点はまあ良いとして、問題はそこで負けた人間や、不利を悟ってこっそり逃走しようとする人間が、どう動くかですよね」
単に街道に近付かなければ良いと言う話ではない。
その争いの場から逃走を図った人間と、うっかり遭遇してしまった場合の危険性を考えないといけない。
ユレルミ族の拠点であるユッカス村を出て、このヘルガ湖畔へと荷馬車を走らせた過程においては、騒動とは逆方向であった事や、こちらの部族から攻めの姿勢に転じていなかった事とで、さほど巻き込まれる危険を感じずに済んでいたけれど、今度は逆だ。
いくら街道にまでは近付かないと言っても、敗走してパニックになっているかも知れない逃走者と出くわす可能性が出て来る。
「どうにかして、三部族とイラクシ族が衝突するだろう場所と、考えられる逃走経路の予測が必要だろうな……」
「ですよね……あ、それなら私なんかよりも、ベルセリウス侯や軍の皆さんに考えて貰った方が良くないですか?マトヴェイ部長もそうでしょうけど、それこそ防衛軍に席を置く皆さんの専門分野な気がします」
どのみちフェドート元公爵は、テオドル大公の正体、つまりユングベリ商会のご意見番でない事は元からご存知の筈。
だとしたら、私がバルトリとシーグ以外の残りの面々の正体を偽っても無意味だと思われた。
「テオドル……」
そして案の定、ここにいる中で王宮派遣の護衛騎士は二人しかおらず、商会の従業員も二人、あとはアンジェス国内にある二つの公爵領の領土防衛軍所縁の人間と聞いたフェドート元公爵は、驚きを通り越して呆れの表情になっていた。
「其方、今回は国王陛下からの親書を運ぶ使者として来たのではなかったか?それが何故、王宮の乗っ取りでも企むかの様な面子になっている」
「ははは……偏に儂が、彼女の言語能力、外交能力諸々を高く買って随行者に指名したが故の事でな。儂が婚約者の執着ぶりを甘くみておったのよ。いつだったか、絶対に海の向こうへは出さんと言われておったのを失念していた」
「⁉」
え、何ですかそれ、初耳なんですけど⁉
ギョッとなってテオドル大公を見ると、冗談ではないぞ、と大公サマは苦笑気味に口元を歪めた。
「最初の頃、シャルリーヌ嬢の話になった時にな。この儂を牽制するか――そう言ったのにも一切怯まず、其方を自分から引き離す事のないよう、これは『お願い』だと、冷気をまといながら堂々と言い放ちおった」
「……っ」
どんな態度で、どんな口調だったかが目に見えるようだ。
多分私と同じ心境であろうアンジェス組の生温かい視線を浴びた私は、その場でカメの如く首を縮こまらせた。
エドヴァルドを知らないフェドート元公爵は、強気一辺倒なその発言を聞き咎めているようだったけど。
「テオドル、直系ではないにしろ、仮にも王族の血を持つ其方に対して、随分と強気な事だな。言われたままとは、其方らしくもない――いや、その意趣返しもあって、今回この少女を連れてきたのか?」
「まあ、多少そんな気もあったやも知れんがな。だがな、ヴァシリー。その男は、彼のトーレン殿下が発掘して、時間をかけて己の後継者にまで育て上げた男だ。強気でなくてはいかん地位ではあるだろうよ」
「!」
トーレン殿下。
その言葉に、フェドート元公爵が分かりやすく顔色を変えた。
アンジェス国先代宰相。
フェドート元公爵の妹である姫と、幸せな結婚をする筈だった人。
そうか…と、柔らかな声が口からは零れ、その視線はじっとこちらを向いていた。
「これもジュゼッタの導きかも知れぬな。我が名の下に、其方とトーレン殿の後継者殿の幸せを祈ろう」
「―――」
有難うございます、以外にはとても口に出来ない空気がそこにあった。
かつてアンジェス社交界のご令嬢方を虜にしたと言うダンス講師ヘダー・マリーツを上回る瀟洒っぷりだ。
威厳ある王族っぷりが極まっているテオドル大公と並ぶと、その空気感の違いが両極端にも思える。
「おお、すまんすまん、ヴァシリー。すっかり身内の話をしてしまったな。――マトヴェイ卿、レイナ嬢。彼はヴァシリー・フェドートと言ってな。父親が臣籍降下して公爵位を得た元王族で、今はこの本人も、公爵家に関わる全ての権限をシェーヴォラに住む息子に譲って、フェドートではあるが扱いは一代貴族……まあそこまで詳しくなくて良いな。要は隠居老人だ」
そんなテオドル大公の紹介に、だから北方遊牧民族文化の色濃い地域の中で、ここだけ領主館の様な仕様になっているのかと、ちょっと納得をした。
紹介された側の当人は、意に介した風でもなく、笑っている。
「テオドルに言われる覚えはない…と言いたいが、今は臨時復帰中だったな。ようこそ、ヴァシリー・フェドートだ。ルーミッド・マトヴェイ卿とレイナ・ユングベリ嬢だったか。其方達の事や、今のこの地域の現状は大体聞き及んでいる。ただ、このような玄関先でする話でもあるまい。応接間の方へ案内しよう」
そう言って身を翻すフェドート前公爵であり元公爵とも言える男性に案内されながら、建物の奥へと進んで行く。
本来であれば、ベルセリウス「侯爵」を紹介しない道理はないのだけれど、今回は「護衛」扱いでアンジェスから入っている以上は、致し方ないところはあるのかも知れなかった。
そんな私の葛藤には気付かないフリをしつつ、テオドル大公が周囲には届かない声で「彼は件の姫の兄だ」と、こちらに静かに囁いた。
(ああ……)
なるほど公爵位を息子に譲ってから後、市井から離れて、ここで静かに妹姫を弔っているのだろうか。
兄でさえああなら、さぞやジュゼッタ姫は美人だったに違いない。
さすがにそこは心の中に留めておきつつ、表向きは無言のまま案内された応接間では、私とマトヴェイ外交部長、テオドル大公がフェドート元公爵とテーブルを囲み、ベルセリウス将軍は、ここでは侯爵ではなく護衛としての立場を貫いている為、ウルリック副長たちと部屋の隅で待機する事にしたようだった。
「しかしまあ、今回限りとは言え、ユレルミ族の族長の館まで〝転移扉〟を繋いだのか。ジーノがいるからこそ、出来た事だとも言えるだろうがな」
かなり驚いてはいるものの、その原因は自分が期日に戻れなかった事にあると分かっているテオドル大公は、何とも言えない表情を浮かべている。
「確かにこれで、街道封鎖の解除を待たずとも帰る事は出来ようが、三部族がイラクシ族を説得に行くと言うのであれば、移動途中で争いに巻き込まれぬと言う保証がない。さて、どうしたものか……」
いやだなぁ、説得とか説教とか、もうちょっと普通の意味で聞きたい単語だなぁ……。
思わず遠い目になる私をよそに、年配の男性陣は難しい表情のままだ。
「単純に考えれば、拠点の村を中心に、バリエンダールとサレステーデ、両方の街道側に姉二人を推すそれぞれが陣取っている様には思いますが」
今回の随行で、期せずして北方の少数民族事情に詳しくなってしまった感のあるマトヴェイ部長が、口元に手をやりながら呟いている。
「ふむ。姉の側同士では、手を組んでおらんと言う事か?」
「私ならば、日頃の仲が悪かろうがまず姉同士手を組んで、後継者に最も近い位置にいる弟から先に潰しますがね。ここに至るまでそれをしていないと言う事は、それぞれが相手の手を借りるつもりがないと言う事なんでしょう。戦略としては、あまり褒められたものではない」
確かに、そこは私もマトヴェイ外交部長の考え方に賛成だ。
私も思わず、首を縦に振る。
「各個撃破したところで、挟み撃ちにあう心配しなくて済みますものね」
「そう言う事だな。思うにこちら側の三部族の連中も、二手に分かれたのではないか?」
片方を潰している間に、もう片方がチャンスとばかりに拠点の村を落とすようでは意味がない。
一番良いのは、村に残る戦力も二つに割いて、それぞれに協力をさせる事だ。
「そうすると、それぞれの街道沿いで争いが起きるかも知れない点はまあ良いとして、問題はそこで負けた人間や、不利を悟ってこっそり逃走しようとする人間が、どう動くかですよね」
単に街道に近付かなければ良いと言う話ではない。
その争いの場から逃走を図った人間と、うっかり遭遇してしまった場合の危険性を考えないといけない。
ユレルミ族の拠点であるユッカス村を出て、このヘルガ湖畔へと荷馬車を走らせた過程においては、騒動とは逆方向であった事や、こちらの部族から攻めの姿勢に転じていなかった事とで、さほど巻き込まれる危険を感じずに済んでいたけれど、今度は逆だ。
いくら街道にまでは近付かないと言っても、敗走してパニックになっているかも知れない逃走者と出くわす可能性が出て来る。
「どうにかして、三部族とイラクシ族が衝突するだろう場所と、考えられる逃走経路の予測が必要だろうな……」
「ですよね……あ、それなら私なんかよりも、ベルセリウス侯や軍の皆さんに考えて貰った方が良くないですか?マトヴェイ部長もそうでしょうけど、それこそ防衛軍に席を置く皆さんの専門分野な気がします」
どのみちフェドート元公爵は、テオドル大公の正体、つまりユングベリ商会のご意見番でない事は元からご存知の筈。
だとしたら、私がバルトリとシーグ以外の残りの面々の正体を偽っても無意味だと思われた。
「テオドル……」
そして案の定、ここにいる中で王宮派遣の護衛騎士は二人しかおらず、商会の従業員も二人、あとはアンジェス国内にある二つの公爵領の領土防衛軍所縁の人間と聞いたフェドート元公爵は、驚きを通り越して呆れの表情になっていた。
「其方、今回は国王陛下からの親書を運ぶ使者として来たのではなかったか?それが何故、王宮の乗っ取りでも企むかの様な面子になっている」
「ははは……偏に儂が、彼女の言語能力、外交能力諸々を高く買って随行者に指名したが故の事でな。儂が婚約者の執着ぶりを甘くみておったのよ。いつだったか、絶対に海の向こうへは出さんと言われておったのを失念していた」
「⁉」
え、何ですかそれ、初耳なんですけど⁉
ギョッとなってテオドル大公を見ると、冗談ではないぞ、と大公サマは苦笑気味に口元を歪めた。
「最初の頃、シャルリーヌ嬢の話になった時にな。この儂を牽制するか――そう言ったのにも一切怯まず、其方を自分から引き離す事のないよう、これは『お願い』だと、冷気をまといながら堂々と言い放ちおった」
「……っ」
どんな態度で、どんな口調だったかが目に見えるようだ。
多分私と同じ心境であろうアンジェス組の生温かい視線を浴びた私は、その場でカメの如く首を縮こまらせた。
エドヴァルドを知らないフェドート元公爵は、強気一辺倒なその発言を聞き咎めているようだったけど。
「テオドル、直系ではないにしろ、仮にも王族の血を持つ其方に対して、随分と強気な事だな。言われたままとは、其方らしくもない――いや、その意趣返しもあって、今回この少女を連れてきたのか?」
「まあ、多少そんな気もあったやも知れんがな。だがな、ヴァシリー。その男は、彼のトーレン殿下が発掘して、時間をかけて己の後継者にまで育て上げた男だ。強気でなくてはいかん地位ではあるだろうよ」
「!」
トーレン殿下。
その言葉に、フェドート元公爵が分かりやすく顔色を変えた。
アンジェス国先代宰相。
フェドート元公爵の妹である姫と、幸せな結婚をする筈だった人。
そうか…と、柔らかな声が口からは零れ、その視線はじっとこちらを向いていた。
「これもジュゼッタの導きかも知れぬな。我が名の下に、其方とトーレン殿の後継者殿の幸せを祈ろう」
「―――」
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