聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

文字の大きさ
438 / 785
第二部 宰相閣下の謹慎事情

515 妄執の果て(10)

しおりを挟む
 冷静に考えれば、他にいないだろうなとは思った。

 だけど、トリーフォンの「伯父」である筈のマカールが三族長をかき分ける様にして現れた時、やっぱり私は驚いてしまった。

「トリーフォン、ここで何を……」

「僕はただ、流動食としてビーチェの搾り汁を持って来ただけですよ?でも、そのビーチェが古い果物ものだったとかで、別の果物と変えた方が良いと、ジーノさんがお越しになられたところでした」

「……エレメアは……そんな事は……」

 どこか、感情の壊れた機械の様に喋るトリーフォンに、マカールが気圧されている。

「ああ、確かに言われていなかったかな?でもどうせ、後から言うよね?だったら先回りしておく方が良いでしょう?」

 もしかして、エレメア側室夫人も、ビーチェメロンを使った物が族長の体質的に合わない事を知っていたんだろうか……?

 浮かんだ私の疑問は、すぐさまトリーフォン自身によって、叩き潰されてしまった。
 ふふふ、と可笑しそうな声を洩らしながら、彼は言ったのだ。

「毎日、毎日。いつ、この前みたいに体調を崩されるのかしら?……って。母が願えば、息子は言う事を聞くものだと思い込んでいるんだよね。そこまで言うのなら、やり方から指示して欲しかったよ」

「なっ……⁉︎」

 気圧されるどころか、絶句である。
 それだとエレメア側室夫人は、族長の死を願っていたと言う事になるのだ。

 そして「どうやって」なのかは知らずとも、息子が何らかの方法で自分の望みを叶えてくれると狂信していた事になってしまう。

「ええ。どうも母上は、結婚自体が意に添わないものだったみたいですよ?」

 私やエドヴァルドの視線を受ける形で、いっそ飄々と、トリーフォンは肩を竦めていた。

 同じ北方遊牧民の地を祖に持つからか、ジーノ青年やマカールたちは言葉を失くしてしまい、顔色を変えて立ち尽くしている。

「民族の特異性から、どの部族も血統至上主義に近いものがある。母は本当は好きな人がいたのに、女の子が立て続けに生まれて、後継者の目処が立たないと言う理由で、強引に側室として取り立てられた」

「…………」

 何だか、王家や高位貴族家よりもシビアな話を聞かされている気がする。

「それでも母は、どうしてもその好きだった人を諦められなかった。諦めきれずに――父に、族長に内密の逢瀬でも楽しんだんですか?」

 ――マカール

 トリーフォンの真っ直ぐな視線が、マカールを射抜いた。

「ち……がう」

 顔面蒼白となったマカールから零れ落ちる言葉は否定の言葉で、そして震えていた。

「違う……私の妻はアマリアだけだ……私は……」

「違うんですか?」

 返すトリーフォンの声は、いっそ淡々としていた。

「……ふうん?まあ確かに、伯父上は伯母上にベタ惚れだと思ってましたから、最初は『まさか』って、僕も思ったけど」

「違う……あれは……気が付いたら……どうして……」

 うわ。
 私は思わず顔を顰めてしまった。

 もしかして、今の一言は、一番言っちゃいけない一言だったんじゃないだろうか。
 
 そのまま受け取れば、この人は、エレメア夫人との関係を望んでいなかったと言う事になる。
 ――トリーフォンの誕生さえも、望んでいなかったと。

 それでも、エレメア夫人が族長の側室となる事を望まずに、この人の方だけを向いていたと言うなら。

 あの夫人の性格を思えば、恐怖の一方通行が成立する気がしてしまう。

「ああ……母上、伯父上に一服盛ったりしたのかな。まあ確かに、その方が納得かも知れない」

「……っ」

 よろめいたマカールが、背中を壁にぶつけた。

「別に僕は、伯父上を責めたりはしませんよ?は、父親として僕に真っすぐ接してくれていましたし、伯父上も、伯父として、僕を可愛がってくれていた。ただ、母上が歪んでいただけだ」

「いつ……から……」

「さあ……いつだったかな。伯母上が亡くなったあたりかな?その後くらいから、次の族長は僕だって、ことあるごとに言うようになったから。これまで、なにひとつ思い通りにならなかった。だけど僕が族長になりさえすれば、すべて報われるんだ――ってね」

 ある意味、エレメア夫人も壊れているのかも知れない。

 望まない結婚を強要された。
 しかも求められているのは、跡取りとなる息子を産む事。ただ、それだけ。

 それならば、自分が愛した人の子供を、黙って産もうと。それが、一族への復讐にもなると。

 トリーフォンが苦しもうと、己の妻だけを愛していると言うマカールが苦しもうと、エレメア夫人には関係がない。
 彼女はただ、愛した人の子を産んで、育てているだけなのだ。

「だからと言って……君がそれに従う必要はなかっただろう……」

 とうとう言葉を発する事が出来なくなったマカールに代わって、ジーノ青年が苦い声で話しかけた。

 知っていようが、いまいが、イーゴス族長が父親として真摯にトリーフォンと向き合っていたと言うなら。
 どうして、わざわざ弱らせる様な事をするのか。

 ビーチェメロンの影響を、マカールは知らないのかも知れない。
 と言うか、あの様子だと知る由もなさそうだ。

 トリーフォンしか、その因果関係を疑っていなかったと、そう言う言い方をさっき本人がしていたくらいなのだから。

 だから敢えて、その事は伏せる形で口を開いたジーノ青年に、トリーフォンは僅かに口元を歪めた。

 やっぱり、甘い――くらいは、思っていそうだ。

「ジーノさんには、分からないかも知れませんね。毎日、毎日、同じ事を、顔を合わせる度に言われる辛さ。言われないようにするには、どうしたら良いか?くらいは考えると思いませんか?僕は考えた。考えて、さっさと母上の望みを叶えてあげる方を選択しただけですよ。そうすれば、少しは静かになるかと思って」

「……静かにならなかったら……どうするつもりだったんだ……」

 呻く様に問いかけたジーノ青年に、トリーフォンはこてん、と首を傾げた。

 そこには、何の感情の揺らぎも見えなかった。

(ああ……)

 だけど、私には分かってしまった。
 血の繋がった肉親から、毎日、毎日、自分ではない誰かに固執して、その為の献身を当然とする声の残酷さが。

 周りに人がいなければ、あと何年、何ヶ月か同じ状況が続いていれば、私の行きつく先も、トリーフォンだったかも知れない。

 彼は周囲の大人に期待をしなくなり――そして、壊れた。

「静かにならなかったら?それは、その時考えますよ。だけど、僕は。だからその為のやり方を、今回の様に探すかも知れませんね」



 トリーフォンは、いずれそうなるかも知れなかった、鏡の向こう側にいる、私なんだ。
しおりを挟む
感想 1,464

あなたにおすすめの小説

『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。 尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。 けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。 そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。 再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。 一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。 “尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。 静かに離婚しただけなのに、 なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。

事情があってメイドとして働いていますが、実は公爵家の令嬢です。

木山楽斗
恋愛
ラナリアが仕えるバルドリュー伯爵家では、子爵家の令嬢であるメイドが幅を利かせていた。 彼女は貴族の地位を誇示して、平民のメイドを虐げていた。その毒牙は、平民のメイドを庇ったラナリアにも及んだ。 しかし彼女は知らなかった。ラナリアは事情があって伯爵家に仕えている公爵令嬢だったのである。

平民の娘だから婚約者を譲れって? 別にいいですけど本当によろしいのですか?

和泉 凪紗
恋愛
「お父様。私、アルフレッド様と結婚したいです。お姉様より私の方がお似合いだと思いませんか?」  腹違いの妹のマリアは私の婚約者と結婚したいそうだ。私は平民の娘だから譲るのが当然らしい。  マリアと義母は私のことを『平民の娘』だといつも見下し、嫌がらせばかり。  婚約者には何の思い入れもないので別にいいですけど、本当によろしいのですか?    

お前は家から追放する?構いませんが、この家の全権力を持っているのは私ですよ?

水垣するめ
恋愛
「アリス、お前をこのアトキンソン伯爵家から追放する」 「はぁ?」 静かな食堂の間。 主人公アリス・アトキンソンの父アランはアリスに向かって突然追放すると告げた。 同じく席に座っている母や兄、そして妹も父に同意したように頷いている。 いきなり食堂に集められたかと思えば、思いも寄らない追放宣言にアリスは戸惑いよりも心底呆れた。 「はぁ、何を言っているんですか、この領地を経営しているのは私ですよ?」 「ああ、その経営も最近軌道に乗ってきたのでな、お前はもう用済みになったから追放する」 父のあまりに無茶苦茶な言い分にアリスは辟易する。 「いいでしょう。そんなに出ていって欲しいなら出ていってあげます」 アリスは家から一度出る決心をする。 それを聞いて両親や兄弟は大喜びした。 アリスはそれを哀れみの目で見ながら家を出る。 彼らがこれから地獄を見ることを知っていたからだ。 「大方、私が今まで稼いだお金や開発した資源を全て自分のものにしたかったんでしょうね。……でもそんなことがまかり通るわけないじゃないですか」 アリスはため息をつく。 「──だって、この家の全権力を持っているのは私なのに」 後悔したところでもう遅い。

離婚する両親のどちらと暮らすか……娘が選んだのは夫の方だった。

しゃーりん
恋愛
夫の愛人に子供ができた。夫は私と離婚して愛人と再婚したいという。 私たち夫婦には娘が1人。 愛人との再婚に娘は邪魔になるかもしれないと思い、自分と一緒に連れ出すつもりだった。 だけど娘が選んだのは夫の方だった。 失意のまま実家に戻り、再婚した私が数年後に耳にしたのは、娘が冷遇されているのではないかという話。 事実ならば娘を引き取りたいと思い、元夫の家を訪れた。 再び娘が選ぶのは父か母か?というお話です。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。