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第二部 宰相閣下の謹慎事情
522 壊れた家族の行先
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「チチチッ!」
いつの間に眠っていたのか、記憶が抜け落ちている。
次に意識が浮上したのは、短い鳥の鳴き声と、頭と言うよりは、こめかみのあたりをふわふわの毛に撫でられて、妙にくすぐったいと思った瞬間だった。
ただ、手を伸ばしてそのふわふわを確かめようとした筈が――まったく腕が動かせなかった。
「う……ん……?」
「ぴっ!」
起きた?とでも言わんばかりの小さな鳴き声に、私はうっすらと目を開けて、声の主を探そうと試みた。
「⁉」
だけど視界いっぱいを覆っていたのは、私じゃない寝間着。
動揺した私がのけ反りかけた事で、頭にいた何かにもとばっちりがいったらしい。
ぴ?と可愛らしい、短い鳴き声と共に、目の前に小さな白いかたまりがころんと転がり落ちた。
「え……リファちゃん?え、あれ?」
どうやらエドヴァルドに抱きしめられたまま眠っていたのだと、思い至るまでに若干の時間を必要とした。
「あの……お嬢様、中に入っても……?」
そして扉の外から、恐る恐るといった雰囲気を漂わせているっぽいシーグの声が聞こえてきて、私は何とか状況の把握を試みた。
「えーっと……リファちゃんが、起こしに来てくれたの?」
私の目と鼻の先で転がっているリファちゃんが、まるで小さな起き上がり小法師みたいだ。
私の問いかけに、それでも「ぴ!」と返事をしてくれるあたり、朝から可愛さ全開だ。
「お嬢様……?」
「え?あ、シ……イオタ、どうしたの急に?普通に中に入って来れば良いのに、何でリファちゃん――」
私がそう言いかけたところで、こちらも目が醒めたのかも知れない。
私の頭の下にあったエドヴァルドの手が、そっと私の髪の上を滑った。
「イオタなりに気を遣ったんだろう……今の今まで眠っていたのだから、どんな場面に遭遇しようもないのにな」
「⁉」
「チチチッ」
気のせいか、リファちゃんが笑った様に聞こえた。
えーっと……もしかして、シーグの知らない(多分?)オトナの階段的なシーンが展開されていたらどうしようと……悩んだ末に、トーカレヴァからリファちゃんを借りて私を起こしに行かせた、と?
「なっ……」
一瞬で、真っ赤になった私は悪くない。
ナナメ上の方向から気を遣われることほど恥ずかしいことはないと、この時思い知った。
「いいから、入って――‼」
叫んだ私に、エドヴァルドは目の前で低く笑っていた。
* * *
「えっと……イオタ、イオタは昨日、私が下がった後、どうなったのか知ってる……?」
基本的に、ドレスじゃなく動きやすいネーミ族の衣装であれば、私は一人で脱ぎ着が出来る。
エドヴァルドに関しては、リファちゃんのお迎えも兼ねてか、トーカレヴァが何故かやって来た。
元特殊部隊隊員であった所為か、貴族衣装を脱ぎ着させるだけなら、この館の使用人たちよりも着せ方を分かっているからだ。
一応、男性二人からは見えない死角のところで服を着ながら、私は着替えを持って来てくれていたシーグに聞いてみた。
「…………」
シーグはすぐには答えなかった。
だけど、これ以上はないくらいに表情を歪めていた。
それが、答えだった。
「私は……私と兄は、自分たちが思っていたよりも、恵まれていたのだと思い知りました」
言いにくそうにしていると知りながらも、敢えて促してみると、シーグは諦めた様に口を開いた。
「夫人は、トリーフォンを族長と仰ぎ、マカールを補佐として、自分を含めた三人を『本来そうあるべきだった家族の姿』に戻すんだと、叫んで、暴れていました。姉妹に『邪魔をしないで』……と」
「本来……そうあるべき?」
「私も最初は何の事かと思った。けどあの夫人は、直後、姿を見せた息子と義兄に向かって叫んだ」
――トリーフォン!義兄様!愛しているわ!私が愛しているのは、今までも、これからも、貴方たちだけよ‼
「……っ」
さすがに、トリーフォンの本当の父親が誰かと言う事は、その場ではぶちまけなかったらしい。
それをやったら、トリーフォンが次期族長の地位を失ってしまう事は、夫人も分かっているんだろう。
けれど夫人が、夫であるイーゴス族長ではなく、義理の兄であるマカールに執着している事は、その場で明らかになってしまった。
放っておけば、トリーフォンの出生が疑われるのは、どちらにしろ同じ事だ。
「二人は……夫人に、何か答えた?」
答えざるを得なかっただろうと思いながら聞くと、シーグは少しの間目を閉じて、それから、辛そうな表情を浮かべたまま、私の問いかけに答えた。
「三人でこれから幸せになりましょう!と目を輝かせて叫んだ夫人に、先にマカールが答えていた。私が貴女を愛した事は、ただの一度もない。これからも愛さない。私の幸せは、そこにはないと……それだけを」
これまでの様子を見ていた限り、マカールはエレメア夫人を嫌悪すらしている。だけど、どちらにしてもそう答えない事には、エレメア夫人を唆して、トリーフォンを族長の子として権力を握ろうとしている、などと言った疑惑の声が消える事はない。
そうさせない為には、たとえ本来の血がどうであれ、トリーフォンを次期族長として立てる為には、一生父親と名乗れなくとも、エレメア夫人を拒絶するしか、彼には選択肢がないのだ。
芝居ではなく本音に見えましたが。と、シーグはその時の様子を思い返しながら呟いた。
そして、そこまで断言されても尚「何を言っているのか」と、マカールの言葉そのものを拒絶しようとしたエレメア夫人に、トリーフォンがマカールの前に進み出て、母親を一瞥したらしい。
「それは母上にとってのみの幸せだ――トリーフォンは、いっそ淡々と、そう告げてました」
自分にはこれといった望みがなかった。だから母が望むのなら、それに添っておくのが無難に、静かに過ごせるのかと思っていただけだと。
「ああ……彼、言ってたものね。静かにして欲しかった、って」
「だけど、いくら母の意に添おうとしても、静かになるどころか、自分と伯父上以外を遠ざけようとする母の声は、圧力は大きくなるばかり。もう疲れた。解放してくれ……と」
「――――」
たとえ表情が変わらなかったとしても、それはトリーフォンの心の悲鳴だ。
もしかしたら、ビーチェのアレルギーで族長に万一の事があったなら、彼は黙って後を追うつもりでいたんじゃないだろうか。
ここまできたら絶対に、口に出す事はないだろうけど。
「……それで、夫人は?」
「絶句した後で、何かが切れたように叫んで暴れ始めていました。ニセモノだ、とか誰に言わされているんだ、とか……」
「ああ……」
確かに二人の言葉は、二人に執着をしてここまできた夫人には、一生かかっても受け入れられない事だろう。
「どうして自分を見てくれないのか、とか自分の方が姉よりも優れているのに、とか……私がトリーフォンの立場でも、目の前で、育ててくれた族長を拒絶して、ひたすらに伯父への愛を叫ぶ母親なんて見たくないと思いました」
まして母がいても、父がいても、自分の存在は、母が考える、母にとっての幸せの一部でしかないだなんて。そんな醜悪な現実は、見たくなかっただろう――と。
「私と兄の母は、ただただ、私たちを愛してくれました。結婚出来なかったと、父を詰った事もなければ、一人で私たちを育てる苦労を、私たちに見せる事もなかった。母に向かって『静かにしていて欲しい』なんて、そんな事は考えた事もなかった」
ギーレンの暗部に足を踏み入れたのは、そうしないと生きていけなかったから。
厭う気持ちも、恨む気持ちも、一度も抱いた事はなかった。
トリーフォンは「母に愛されている」と、一度でも認識をした事はあるんだろうか。
シーグは恐らく、兄にさえ語った事のない本音を、ここでそう口にした。
「イオタ……」
「すみません、私見でした。ともかく、それ以上はもう話にもならなかったので、ジーノ・フォサーティ卿や三族長たちからの相談を受けて、ベルセリウス将軍の許可を得て、睡眠誘発薬を夫人に使いました。今朝になってからは、少し長く眠っていられる睡眠薬に切り替えるようにとも言われたので、そうしてあります」
ああ……と、私は天井を仰いだ。
きっと、夫人が急な病で儚くなるかどうかの相談を、北方遊牧民族の代表者たちのみで、今頃行っているのかも知れない。
どう言う結論になろうと、他国の人間である私やシーグには、もう口を挟める話じゃなかった。
「……ね、イオタ」
だから私は、シーグにこう言うしかない。
「やっぱりリ……シグマと、アンジェスに寄って行かない?それで白い花を探して、香水と紅茶とクッキー、作り方覚えて帰ろう」
そしてそれを、ギーレンの双子の母の墓標に。
「‼」
シーグは一瞬大きく目を見開いた後――最後、泣き笑いの表情を見せながら「そうですね」とだけ頷いた。
いつの間に眠っていたのか、記憶が抜け落ちている。
次に意識が浮上したのは、短い鳥の鳴き声と、頭と言うよりは、こめかみのあたりをふわふわの毛に撫でられて、妙にくすぐったいと思った瞬間だった。
ただ、手を伸ばしてそのふわふわを確かめようとした筈が――まったく腕が動かせなかった。
「う……ん……?」
「ぴっ!」
起きた?とでも言わんばかりの小さな鳴き声に、私はうっすらと目を開けて、声の主を探そうと試みた。
「⁉」
だけど視界いっぱいを覆っていたのは、私じゃない寝間着。
動揺した私がのけ反りかけた事で、頭にいた何かにもとばっちりがいったらしい。
ぴ?と可愛らしい、短い鳴き声と共に、目の前に小さな白いかたまりがころんと転がり落ちた。
「え……リファちゃん?え、あれ?」
どうやらエドヴァルドに抱きしめられたまま眠っていたのだと、思い至るまでに若干の時間を必要とした。
「あの……お嬢様、中に入っても……?」
そして扉の外から、恐る恐るといった雰囲気を漂わせているっぽいシーグの声が聞こえてきて、私は何とか状況の把握を試みた。
「えーっと……リファちゃんが、起こしに来てくれたの?」
私の目と鼻の先で転がっているリファちゃんが、まるで小さな起き上がり小法師みたいだ。
私の問いかけに、それでも「ぴ!」と返事をしてくれるあたり、朝から可愛さ全開だ。
「お嬢様……?」
「え?あ、シ……イオタ、どうしたの急に?普通に中に入って来れば良いのに、何でリファちゃん――」
私がそう言いかけたところで、こちらも目が醒めたのかも知れない。
私の頭の下にあったエドヴァルドの手が、そっと私の髪の上を滑った。
「イオタなりに気を遣ったんだろう……今の今まで眠っていたのだから、どんな場面に遭遇しようもないのにな」
「⁉」
「チチチッ」
気のせいか、リファちゃんが笑った様に聞こえた。
えーっと……もしかして、シーグの知らない(多分?)オトナの階段的なシーンが展開されていたらどうしようと……悩んだ末に、トーカレヴァからリファちゃんを借りて私を起こしに行かせた、と?
「なっ……」
一瞬で、真っ赤になった私は悪くない。
ナナメ上の方向から気を遣われることほど恥ずかしいことはないと、この時思い知った。
「いいから、入って――‼」
叫んだ私に、エドヴァルドは目の前で低く笑っていた。
* * *
「えっと……イオタ、イオタは昨日、私が下がった後、どうなったのか知ってる……?」
基本的に、ドレスじゃなく動きやすいネーミ族の衣装であれば、私は一人で脱ぎ着が出来る。
エドヴァルドに関しては、リファちゃんのお迎えも兼ねてか、トーカレヴァが何故かやって来た。
元特殊部隊隊員であった所為か、貴族衣装を脱ぎ着させるだけなら、この館の使用人たちよりも着せ方を分かっているからだ。
一応、男性二人からは見えない死角のところで服を着ながら、私は着替えを持って来てくれていたシーグに聞いてみた。
「…………」
シーグはすぐには答えなかった。
だけど、これ以上はないくらいに表情を歪めていた。
それが、答えだった。
「私は……私と兄は、自分たちが思っていたよりも、恵まれていたのだと思い知りました」
言いにくそうにしていると知りながらも、敢えて促してみると、シーグは諦めた様に口を開いた。
「夫人は、トリーフォンを族長と仰ぎ、マカールを補佐として、自分を含めた三人を『本来そうあるべきだった家族の姿』に戻すんだと、叫んで、暴れていました。姉妹に『邪魔をしないで』……と」
「本来……そうあるべき?」
「私も最初は何の事かと思った。けどあの夫人は、直後、姿を見せた息子と義兄に向かって叫んだ」
――トリーフォン!義兄様!愛しているわ!私が愛しているのは、今までも、これからも、貴方たちだけよ‼
「……っ」
さすがに、トリーフォンの本当の父親が誰かと言う事は、その場ではぶちまけなかったらしい。
それをやったら、トリーフォンが次期族長の地位を失ってしまう事は、夫人も分かっているんだろう。
けれど夫人が、夫であるイーゴス族長ではなく、義理の兄であるマカールに執着している事は、その場で明らかになってしまった。
放っておけば、トリーフォンの出生が疑われるのは、どちらにしろ同じ事だ。
「二人は……夫人に、何か答えた?」
答えざるを得なかっただろうと思いながら聞くと、シーグは少しの間目を閉じて、それから、辛そうな表情を浮かべたまま、私の問いかけに答えた。
「三人でこれから幸せになりましょう!と目を輝かせて叫んだ夫人に、先にマカールが答えていた。私が貴女を愛した事は、ただの一度もない。これからも愛さない。私の幸せは、そこにはないと……それだけを」
これまでの様子を見ていた限り、マカールはエレメア夫人を嫌悪すらしている。だけど、どちらにしてもそう答えない事には、エレメア夫人を唆して、トリーフォンを族長の子として権力を握ろうとしている、などと言った疑惑の声が消える事はない。
そうさせない為には、たとえ本来の血がどうであれ、トリーフォンを次期族長として立てる為には、一生父親と名乗れなくとも、エレメア夫人を拒絶するしか、彼には選択肢がないのだ。
芝居ではなく本音に見えましたが。と、シーグはその時の様子を思い返しながら呟いた。
そして、そこまで断言されても尚「何を言っているのか」と、マカールの言葉そのものを拒絶しようとしたエレメア夫人に、トリーフォンがマカールの前に進み出て、母親を一瞥したらしい。
「それは母上にとってのみの幸せだ――トリーフォンは、いっそ淡々と、そう告げてました」
自分にはこれといった望みがなかった。だから母が望むのなら、それに添っておくのが無難に、静かに過ごせるのかと思っていただけだと。
「ああ……彼、言ってたものね。静かにして欲しかった、って」
「だけど、いくら母の意に添おうとしても、静かになるどころか、自分と伯父上以外を遠ざけようとする母の声は、圧力は大きくなるばかり。もう疲れた。解放してくれ……と」
「――――」
たとえ表情が変わらなかったとしても、それはトリーフォンの心の悲鳴だ。
もしかしたら、ビーチェのアレルギーで族長に万一の事があったなら、彼は黙って後を追うつもりでいたんじゃないだろうか。
ここまできたら絶対に、口に出す事はないだろうけど。
「……それで、夫人は?」
「絶句した後で、何かが切れたように叫んで暴れ始めていました。ニセモノだ、とか誰に言わされているんだ、とか……」
「ああ……」
確かに二人の言葉は、二人に執着をしてここまできた夫人には、一生かかっても受け入れられない事だろう。
「どうして自分を見てくれないのか、とか自分の方が姉よりも優れているのに、とか……私がトリーフォンの立場でも、目の前で、育ててくれた族長を拒絶して、ひたすらに伯父への愛を叫ぶ母親なんて見たくないと思いました」
まして母がいても、父がいても、自分の存在は、母が考える、母にとっての幸せの一部でしかないだなんて。そんな醜悪な現実は、見たくなかっただろう――と。
「私と兄の母は、ただただ、私たちを愛してくれました。結婚出来なかったと、父を詰った事もなければ、一人で私たちを育てる苦労を、私たちに見せる事もなかった。母に向かって『静かにしていて欲しい』なんて、そんな事は考えた事もなかった」
ギーレンの暗部に足を踏み入れたのは、そうしないと生きていけなかったから。
厭う気持ちも、恨む気持ちも、一度も抱いた事はなかった。
トリーフォンは「母に愛されている」と、一度でも認識をした事はあるんだろうか。
シーグは恐らく、兄にさえ語った事のない本音を、ここでそう口にした。
「イオタ……」
「すみません、私見でした。ともかく、それ以上はもう話にもならなかったので、ジーノ・フォサーティ卿や三族長たちからの相談を受けて、ベルセリウス将軍の許可を得て、睡眠誘発薬を夫人に使いました。今朝になってからは、少し長く眠っていられる睡眠薬に切り替えるようにとも言われたので、そうしてあります」
ああ……と、私は天井を仰いだ。
きっと、夫人が急な病で儚くなるかどうかの相談を、北方遊牧民族の代表者たちのみで、今頃行っているのかも知れない。
どう言う結論になろうと、他国の人間である私やシーグには、もう口を挟める話じゃなかった。
「……ね、イオタ」
だから私は、シーグにこう言うしかない。
「やっぱりリ……シグマと、アンジェスに寄って行かない?それで白い花を探して、香水と紅茶とクッキー、作り方覚えて帰ろう」
そしてそれを、ギーレンの双子の母の墓標に。
「‼」
シーグは一瞬大きく目を見開いた後――最後、泣き笑いの表情を見せながら「そうですね」とだけ頷いた。
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