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第二部 宰相閣下の謹慎事情
537 天才ギルド長の目論み
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そして、扉の外側が妙に騒がしい事で、私もハッと我に返った。
「セルヴァン?邸宅内で、何か作業中だったりした?」
その事でセルヴァンも、何かを思い出したみたいだった。
「いえ、あれはむしろ――」
「セルヴァン、もしや旦那様とレイナ様がお戻りに――」
セルヴァンの声を遮る形で、ノックの音が聞こえた。
ああ、と答えるセルヴァンの声に前後するかの様に、入口の扉が開けられた。
「あ、ヨンナ」
「…………レイナ様」
今はもうエドヴァルドが王宮に戻ってしまったけれど、それでもヨンナは一瞬、私の姿を見て硬直していた。
「お戻りになられたんですね?一時的なご帰宅で、また邸宅を離れる――とかではございませんね?」
だけどすぐに立ち直って、奇しくもセルヴァンと全く同じセリフを口にしているのは、さすがと言えるかも知れない。
「た……ただいま」
「――おかえりなさいませ。無事のお戻り、何よりでございます」
結局そこまで、同じやりとりを繰り返す事になった。
「ヨンナ、旦那様はレイナ様をこちらに送られたその足で王宮に戻られた。今日は遅くなると仰せだった」
「そうですか……ではレイナ様だけでも、バリエンダールから持ち帰って来られた品々のご説明をお願いしても宜しいですか?私やセルヴァンを含め使用人一同、品物の見当がつかずに保管に困っているモノが多々あるのです」
「?」
そんなに説明に困る様なモノがあっただろうかと、一瞬首を傾げたけれど、ヨンナに先導される様に階下へと向かえば、玄関ホールは確かに喧騒のただ中にあった。
「お嬢さん!」
「レイナ嬢!」
「レイナ様!」
うん。
何か方々から色々と聞きなれた声が聞こえる。
ああ、帰ってきたんだな――なんて、うっかり和みそうになる。
珍しくラズディル料理長がいるのは、食料品があるからかな?と思っていたら、その料理長に来い来いと手招きをされた。
「あのな、どうすんだコレ?砕きゃイイのか?」
「え……」
呼ばれて近くまで行ってみれば、そこには私ですら想定外のモノがあった。
「ええっ⁉ナニコレ、知らない!何で魚が氷に閉じ込められてるの⁉」
「いや、皆それを聞きたいから呼んだんだよ!」
よく真夏の動物園でシロクマが、果物なんかが閉じ込められた氷の塊を貰って喜んでいる、アレだ。
もちろん、大きさとしてはもっと運べるくらいのサイズにはなっているけど、確かにそこに積み上げられた陶器の箱の中には、氷の塊の中に、鱒っぽい魚が埋まっていた。
そんな箱がいくつもあると言う事は、ウナギだなんだと、似たような形で入っているのだと推察された。
「レイナ嬢」
私が唖然とその箱を眺めていると、いつの間にか隣に来ていたウルリック副長が、そっと筒状に綴じられた手紙を差し出して来た。
「多分、その答えが――ここにあるかと。ナザリオ・セルフォンテ王都商業ギルド長から、荷解きをする頃にでも渡してくれれば良い、納品書だと言われて預かっていました」
「えぇ……」
うん、何か盛大にイヤな予感がする。
私は外側の紐を外して、中身に目を通した。
〝実は最近職人ギルドの方で、水に多量の硝石を入れる事で、水を人工的に凍らせることが出来る――なんて現象を発見した、ベルィフ出身の子がいてね。実際どこまで保つかどうか、ぜひユングベリ商会の方でも実験をお願いしたいと思ったんだ。裏付けは多い方が良いからね。魚は多めに用意しておいたから、結果を送ってくれるのを心待ちにしているよ〟
「ナザリオギルド長……っ!」
私は手紙を握りしめたまま、その場で座り込んでしまった。
〝歩行補助器具開発の話は、ちゃんと黙っておいてあげるから、この話も広めないでいてくれるかな。冷凍技術が安定してレシピ化したら、優先的に技術は提供してあげるよ!〟
確かに、これは画期的だ。
今は小型の転送機器を持てる店舗や貴族だけが、寒さの厳しい土地から氷を削って送ったりしていて、冷蔵庫としては成り立っていても、冷凍庫はまだ存在していない世の中だ。
モノを凍らせることが出来れば、少なくとも料理業界や菓子業界には革命が起きる。
裏付けが多い方が良い、と言うのは建前。
彼は絶対に、今、これと言った強みがないと嘆いていた故郷のためにこの技術を確立しようとしていて、そのためのデータを敢えてバリエンダール国内ではなく、アンジェスに拠点を持つユングベリ商会に取らせようとしているのだ。
「道理であれらの箱だけが異様に冷たかった筈だ。我々も、キヴェカスから乳製品が届く時は、冷えているうえに重みがあったりしますから、さほど不審には思わなかったんですよね」
なんて、ウルリック副長が感心しているけど、私は「勘弁して……」と、頭を抱えたくなった。
「……いや、でも、今すぐ調理しなくてよくなったのは、目指せ海鮮バーベキュー!計画としては渡りに船……?いや、もうこの時点で乗せられちゃってるわ……」
なんにせよ、荷物の中で魚が氷漬けになっている陶器の箱たちは、厨房の冷暗所にしばらく置いておいて貰うしかなさそうだった。
「エドヴァルド様への説明、どうしよ……」
もちろん、誰一人その呟きに答えてはくれなかった。
* * *
「あ、シーグ。今日って時間ある?夕食済んだら、アレ作ってみる?」
イデオン家の使用人たちが、玄関ホールに積み上がる荷物を、中身を確認しながら片付けている中で、私はシーグに声をかけた。
別に、この邸宅内であれば、イオタ呼びをわざわざする必要はない。
「レイナ様……旦那様からは『早めにゆっくり休ませるように』と……」
ただ、私のそんな声かけを聞いたセルヴァンが、明らかに困ったちゃんを見る目でこちらを見ていた。
確かに、バレればまた「色々と単語が行方不明」と雷ならぬ吹雪が吹き荒れるのは目に見えている。
ただ、明日出かける予定をぎゅっと詰め込まれてしまった以上、他に日がないと言うのもまた確かなのだ。
何もしないで明後日以降になるまでシーグを待たせるのと、先に教えてしまって、あとは兄を待ちながら一人で練習させるのとでは、習熟度が違う。
「シーグがやり方覚えてくれたら、あとはお任せだから!エドヴァルド様、今日遅いって仰ってたから、きっと大丈夫!……ね?」
「え……あ…………ハイ」
さすがに「いいのか?」って感じの小さな声だけど、ここは敢えて無視!
私は薔薇がこっちで何と呼ばれているのか分かっていないので、シーグに自分で花を調達出来るか聞いてみた。
それが手に入れば、夕食の後で場所を借りて試作してみようよ!と言うと、一瞬の沈黙の後「――行ってきます!」と、踵を返して出かけて行った。
「レイナ様……」
「えっと、ホラ、亡くなったお母様のお墓に供えたいって言われたら、作り方教えてあげたいじゃない?」
亡くなった母のためと聞いてしまえば、隣にいたヨンナも、強くは出られなかったみたいだった。
セルヴァンもため息をついただけで、小言を出せずにいる。
うん。イデオン公爵邸に偵察に来て「捕獲」された頃の事を思えば、少なくとも「敵」認定はされていない筈だよね。
「旦那様がお戻りになるまで、ですよレイナ様。それもギリギリではなく、早めに切り上げて下さいませね?」
そう言ったヨンナに、私は大きく首を縦に振った。
「セルヴァン?邸宅内で、何か作業中だったりした?」
その事でセルヴァンも、何かを思い出したみたいだった。
「いえ、あれはむしろ――」
「セルヴァン、もしや旦那様とレイナ様がお戻りに――」
セルヴァンの声を遮る形で、ノックの音が聞こえた。
ああ、と答えるセルヴァンの声に前後するかの様に、入口の扉が開けられた。
「あ、ヨンナ」
「…………レイナ様」
今はもうエドヴァルドが王宮に戻ってしまったけれど、それでもヨンナは一瞬、私の姿を見て硬直していた。
「お戻りになられたんですね?一時的なご帰宅で、また邸宅を離れる――とかではございませんね?」
だけどすぐに立ち直って、奇しくもセルヴァンと全く同じセリフを口にしているのは、さすがと言えるかも知れない。
「た……ただいま」
「――おかえりなさいませ。無事のお戻り、何よりでございます」
結局そこまで、同じやりとりを繰り返す事になった。
「ヨンナ、旦那様はレイナ様をこちらに送られたその足で王宮に戻られた。今日は遅くなると仰せだった」
「そうですか……ではレイナ様だけでも、バリエンダールから持ち帰って来られた品々のご説明をお願いしても宜しいですか?私やセルヴァンを含め使用人一同、品物の見当がつかずに保管に困っているモノが多々あるのです」
「?」
そんなに説明に困る様なモノがあっただろうかと、一瞬首を傾げたけれど、ヨンナに先導される様に階下へと向かえば、玄関ホールは確かに喧騒のただ中にあった。
「お嬢さん!」
「レイナ嬢!」
「レイナ様!」
うん。
何か方々から色々と聞きなれた声が聞こえる。
ああ、帰ってきたんだな――なんて、うっかり和みそうになる。
珍しくラズディル料理長がいるのは、食料品があるからかな?と思っていたら、その料理長に来い来いと手招きをされた。
「あのな、どうすんだコレ?砕きゃイイのか?」
「え……」
呼ばれて近くまで行ってみれば、そこには私ですら想定外のモノがあった。
「ええっ⁉ナニコレ、知らない!何で魚が氷に閉じ込められてるの⁉」
「いや、皆それを聞きたいから呼んだんだよ!」
よく真夏の動物園でシロクマが、果物なんかが閉じ込められた氷の塊を貰って喜んでいる、アレだ。
もちろん、大きさとしてはもっと運べるくらいのサイズにはなっているけど、確かにそこに積み上げられた陶器の箱の中には、氷の塊の中に、鱒っぽい魚が埋まっていた。
そんな箱がいくつもあると言う事は、ウナギだなんだと、似たような形で入っているのだと推察された。
「レイナ嬢」
私が唖然とその箱を眺めていると、いつの間にか隣に来ていたウルリック副長が、そっと筒状に綴じられた手紙を差し出して来た。
「多分、その答えが――ここにあるかと。ナザリオ・セルフォンテ王都商業ギルド長から、荷解きをする頃にでも渡してくれれば良い、納品書だと言われて預かっていました」
「えぇ……」
うん、何か盛大にイヤな予感がする。
私は外側の紐を外して、中身に目を通した。
〝実は最近職人ギルドの方で、水に多量の硝石を入れる事で、水を人工的に凍らせることが出来る――なんて現象を発見した、ベルィフ出身の子がいてね。実際どこまで保つかどうか、ぜひユングベリ商会の方でも実験をお願いしたいと思ったんだ。裏付けは多い方が良いからね。魚は多めに用意しておいたから、結果を送ってくれるのを心待ちにしているよ〟
「ナザリオギルド長……っ!」
私は手紙を握りしめたまま、その場で座り込んでしまった。
〝歩行補助器具開発の話は、ちゃんと黙っておいてあげるから、この話も広めないでいてくれるかな。冷凍技術が安定してレシピ化したら、優先的に技術は提供してあげるよ!〟
確かに、これは画期的だ。
今は小型の転送機器を持てる店舗や貴族だけが、寒さの厳しい土地から氷を削って送ったりしていて、冷蔵庫としては成り立っていても、冷凍庫はまだ存在していない世の中だ。
モノを凍らせることが出来れば、少なくとも料理業界や菓子業界には革命が起きる。
裏付けが多い方が良い、と言うのは建前。
彼は絶対に、今、これと言った強みがないと嘆いていた故郷のためにこの技術を確立しようとしていて、そのためのデータを敢えてバリエンダール国内ではなく、アンジェスに拠点を持つユングベリ商会に取らせようとしているのだ。
「道理であれらの箱だけが異様に冷たかった筈だ。我々も、キヴェカスから乳製品が届く時は、冷えているうえに重みがあったりしますから、さほど不審には思わなかったんですよね」
なんて、ウルリック副長が感心しているけど、私は「勘弁して……」と、頭を抱えたくなった。
「……いや、でも、今すぐ調理しなくてよくなったのは、目指せ海鮮バーベキュー!計画としては渡りに船……?いや、もうこの時点で乗せられちゃってるわ……」
なんにせよ、荷物の中で魚が氷漬けになっている陶器の箱たちは、厨房の冷暗所にしばらく置いておいて貰うしかなさそうだった。
「エドヴァルド様への説明、どうしよ……」
もちろん、誰一人その呟きに答えてはくれなかった。
* * *
「あ、シーグ。今日って時間ある?夕食済んだら、アレ作ってみる?」
イデオン家の使用人たちが、玄関ホールに積み上がる荷物を、中身を確認しながら片付けている中で、私はシーグに声をかけた。
別に、この邸宅内であれば、イオタ呼びをわざわざする必要はない。
「レイナ様……旦那様からは『早めにゆっくり休ませるように』と……」
ただ、私のそんな声かけを聞いたセルヴァンが、明らかに困ったちゃんを見る目でこちらを見ていた。
確かに、バレればまた「色々と単語が行方不明」と雷ならぬ吹雪が吹き荒れるのは目に見えている。
ただ、明日出かける予定をぎゅっと詰め込まれてしまった以上、他に日がないと言うのもまた確かなのだ。
何もしないで明後日以降になるまでシーグを待たせるのと、先に教えてしまって、あとは兄を待ちながら一人で練習させるのとでは、習熟度が違う。
「シーグがやり方覚えてくれたら、あとはお任せだから!エドヴァルド様、今日遅いって仰ってたから、きっと大丈夫!……ね?」
「え……あ…………ハイ」
さすがに「いいのか?」って感じの小さな声だけど、ここは敢えて無視!
私は薔薇がこっちで何と呼ばれているのか分かっていないので、シーグに自分で花を調達出来るか聞いてみた。
それが手に入れば、夕食の後で場所を借りて試作してみようよ!と言うと、一瞬の沈黙の後「――行ってきます!」と、踵を返して出かけて行った。
「レイナ様……」
「えっと、ホラ、亡くなったお母様のお墓に供えたいって言われたら、作り方教えてあげたいじゃない?」
亡くなった母のためと聞いてしまえば、隣にいたヨンナも、強くは出られなかったみたいだった。
セルヴァンもため息をついただけで、小言を出せずにいる。
うん。イデオン公爵邸に偵察に来て「捕獲」された頃の事を思えば、少なくとも「敵」認定はされていない筈だよね。
「旦那様がお戻りになるまで、ですよレイナ様。それもギリギリではなく、早めに切り上げて下さいませね?」
そう言ったヨンナに、私は大きく首を縦に振った。
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