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第三部 宰相閣下の婚約者
580 婚約にまつわるあれこれ(前)
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明日の朝、王宮に向かう前に顔を見に立ち寄るだの、戻ったら〝鷹の眼〟を何人か護衛に張らせるだの、何かあれば夜中でも連絡を入れろだのと、フォルシアン公爵夫妻もビックリするほどに、あれこれ言い聞かせられた後で、半ば追い立てられるように、エドヴァルド一人が本当にイデオン公爵邸に戻って行った。
「ふふ……そう、不安そうな表情をしないで?この邸宅の人間は皆、ユセフのことで貴女に大恩があることを理解しているわ。原因が向こうだったにしろ、あわやこの公爵家にとっての致命的な醜聞となるかも知れなかったところを未然に防いでくれたんですから、皆、貴女を歓迎していてよ?」
出立する馬車を見送る表情から、一人取り残された不安を多少は察したのかも知れない。
エリサベト夫人が、並みの女優でも裸足で逃げ出すような微笑みを向けてくれた。
「まあ、それもあるけど、レイナ嬢――ああ、もうレイナちゃんで良いかな?今日はゆっくりと休んだ方がいい。エドヴァルドのあの様子だと、ほとんど眠れていないだろう?赤の他人のご令嬢なら、そんな下世話なことも言わないが、もう、私とエリサベトの娘になるからね。ここから結婚までは、アイツにとっての物わかりの悪い肉親になるのも、また一興さ」
そんなエリサベト夫人の肩を抱くようにしながら、フォルシアン公爵もこちらを向いて軽く片目を閉じた。
なんとなくそんな気はしていたけど、やっぱりエドヴァルドの反応を楽しんでいたようだ。
「アナタ、レクセル君にも時々チクチクと何か仰ってますものね」
エリサベト夫人も、夫に追従するように、クスクスと笑っている。
「もはや手遅れと思えば、余計に言いたくもなる。私は彼を買ってはいるが、それとこれとは別問題だからね」
手遅れって。
普段は奥様一筋の瀟洒な公爵サマだけど、やはり父親としての顔もちゃんと持っていると言うことなんだろう。ちょっと黒い。
そんな私の、何とも言えない表情を見たフォルシアン公爵は、微かに口元を綻ばせた。
「チョコレートドリンクのおかわりを運ばせよう。先ほどの部屋で、今後のことも含めてもう少し話をしておこうか」
どうやら本当に、三国会談まで私はここでお世話になるみたいだった。
* * *
「そもそもレイナちゃん、ピアスにまつわる由来と言うか、この国でどう見られるものかと言う話は知っていたかい?」
フォルシアン公爵に問われた私は、緩々と首を横に振った。
やっぱりなぁ、と公爵は笑っている。
「エドヴァルドも、婚約を申し込むのにピアスを用意すると言う事は家令か侍女長あたりから聞いていたみたいだったが、それがアンジェスのみの慣習だとは分かっていなかったみたいだからな」
フォルシアン公爵のように宝石店を経営していたり、他国から配偶者を迎え入れるような家だったりすると、相手が知らない可能性が頭に浮かんでくるものらしい。
「今更ながら、アイツでいいのかい?もし場の雰囲気に流されただけで本音は……とかだったら、私の方で何とかするよ?」
そう言ってこちらを覗き込んで来た公爵の目は、存外真剣だった。
「まあ邸宅と周囲どこまでが凍り付くか分かったモノじゃないが、無理を通せばどちらも不幸になる。そのくらいなら、多少の氷漬けは覚悟しておくしね。ああ、だからと言って養子縁組を解消したりもしないから、今の偽らざる心境を聞かせてくれるかな」
「閣下……」
「閣下は寂しいな。父上とかパパとかお父様とか、色々あるだろう?」
「は、はい」
チラリと隣を見れば、エリサベト夫人も、公爵の隣でにこやかに微笑んでいる。
どうやら遠慮せず言えということらしかった。
「その……私のいた国は『愛している』を連発する民族ではなかったので、どういう心境がそれなのかはよく分からないんです。ただ……」
「うん、ただ?」
「エドヴァルド様の隣に、他の人がいるのはイヤかなぁ……と、思いマス……」
言っている傍から、自分の頬に熱が帯びてきているのが分かる。
「ほう」
「まあ」
アンジェスきってのオシドリ夫婦(きっと)は、楽しそうに顔を見合わせていた。
「そうか。ならいいんだ。おかしなことを聞いてすまない。何しろあいつの周りには、これまでロクな女性が出没してこなかったからね。私なりにまともな結婚をして欲しいと思っていたんだよ」
「そ、そうなんですね」
「エドヴァルドには聞かないけどね。聞かずとも、すでに駄々洩れだ。面倒臭い男だが、まあ、宜しく頼むよ」
そう言って笑ったフォルシアン公爵は、そのままアンジェスの婚約事情と言うのを説明してくれた。
仮止めが文字通り「仮の契約」。
両家の合意を得る第一段階にあたるらしい。
正式な婚約はもちろん高等法院に書類を提出して整うものにしろ、世間的にはこの仮止めで周りに認知され始めるのだそうだ。
「それから、傷の化膿がとけて仮止めから通常のピアスに移行する際に、いわゆる婚約披露のパーティーを開くんだ。まあこの場合は、こちらで開くことになるかな……?」
その辺りはエドヴァルドと相談だな、と公爵は呟いた。
「ふふ……そう、不安そうな表情をしないで?この邸宅の人間は皆、ユセフのことで貴女に大恩があることを理解しているわ。原因が向こうだったにしろ、あわやこの公爵家にとっての致命的な醜聞となるかも知れなかったところを未然に防いでくれたんですから、皆、貴女を歓迎していてよ?」
出立する馬車を見送る表情から、一人取り残された不安を多少は察したのかも知れない。
エリサベト夫人が、並みの女優でも裸足で逃げ出すような微笑みを向けてくれた。
「まあ、それもあるけど、レイナ嬢――ああ、もうレイナちゃんで良いかな?今日はゆっくりと休んだ方がいい。エドヴァルドのあの様子だと、ほとんど眠れていないだろう?赤の他人のご令嬢なら、そんな下世話なことも言わないが、もう、私とエリサベトの娘になるからね。ここから結婚までは、アイツにとっての物わかりの悪い肉親になるのも、また一興さ」
そんなエリサベト夫人の肩を抱くようにしながら、フォルシアン公爵もこちらを向いて軽く片目を閉じた。
なんとなくそんな気はしていたけど、やっぱりエドヴァルドの反応を楽しんでいたようだ。
「アナタ、レクセル君にも時々チクチクと何か仰ってますものね」
エリサベト夫人も、夫に追従するように、クスクスと笑っている。
「もはや手遅れと思えば、余計に言いたくもなる。私は彼を買ってはいるが、それとこれとは別問題だからね」
手遅れって。
普段は奥様一筋の瀟洒な公爵サマだけど、やはり父親としての顔もちゃんと持っていると言うことなんだろう。ちょっと黒い。
そんな私の、何とも言えない表情を見たフォルシアン公爵は、微かに口元を綻ばせた。
「チョコレートドリンクのおかわりを運ばせよう。先ほどの部屋で、今後のことも含めてもう少し話をしておこうか」
どうやら本当に、三国会談まで私はここでお世話になるみたいだった。
* * *
「そもそもレイナちゃん、ピアスにまつわる由来と言うか、この国でどう見られるものかと言う話は知っていたかい?」
フォルシアン公爵に問われた私は、緩々と首を横に振った。
やっぱりなぁ、と公爵は笑っている。
「エドヴァルドも、婚約を申し込むのにピアスを用意すると言う事は家令か侍女長あたりから聞いていたみたいだったが、それがアンジェスのみの慣習だとは分かっていなかったみたいだからな」
フォルシアン公爵のように宝石店を経営していたり、他国から配偶者を迎え入れるような家だったりすると、相手が知らない可能性が頭に浮かんでくるものらしい。
「今更ながら、アイツでいいのかい?もし場の雰囲気に流されただけで本音は……とかだったら、私の方で何とかするよ?」
そう言ってこちらを覗き込んで来た公爵の目は、存外真剣だった。
「まあ邸宅と周囲どこまでが凍り付くか分かったモノじゃないが、無理を通せばどちらも不幸になる。そのくらいなら、多少の氷漬けは覚悟しておくしね。ああ、だからと言って養子縁組を解消したりもしないから、今の偽らざる心境を聞かせてくれるかな」
「閣下……」
「閣下は寂しいな。父上とかパパとかお父様とか、色々あるだろう?」
「は、はい」
チラリと隣を見れば、エリサベト夫人も、公爵の隣でにこやかに微笑んでいる。
どうやら遠慮せず言えということらしかった。
「その……私のいた国は『愛している』を連発する民族ではなかったので、どういう心境がそれなのかはよく分からないんです。ただ……」
「うん、ただ?」
「エドヴァルド様の隣に、他の人がいるのはイヤかなぁ……と、思いマス……」
言っている傍から、自分の頬に熱が帯びてきているのが分かる。
「ほう」
「まあ」
アンジェスきってのオシドリ夫婦(きっと)は、楽しそうに顔を見合わせていた。
「そうか。ならいいんだ。おかしなことを聞いてすまない。何しろあいつの周りには、これまでロクな女性が出没してこなかったからね。私なりにまともな結婚をして欲しいと思っていたんだよ」
「そ、そうなんですね」
「エドヴァルドには聞かないけどね。聞かずとも、すでに駄々洩れだ。面倒臭い男だが、まあ、宜しく頼むよ」
そう言って笑ったフォルシアン公爵は、そのままアンジェスの婚約事情と言うのを説明してくれた。
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両家の合意を得る第一段階にあたるらしい。
正式な婚約はもちろん高等法院に書類を提出して整うものにしろ、世間的にはこの仮止めで周りに認知され始めるのだそうだ。
「それから、傷の化膿がとけて仮止めから通常のピアスに移行する際に、いわゆる婚約披露のパーティーを開くんだ。まあこの場合は、こちらで開くことになるかな……?」
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