聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

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第三部 宰相閣下の婚約者

586 お手本になりません

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「陛下にお願いして簡易型の転移装置を借りるか、小型の〝転移扉〟をフォルシアン邸に臨時に繋いで貰うか、してくる。事態が事態だ。否とは言われまいよ」

 税の申告時期はどの公爵家にも等しくやってくるにせよ、宰相職と領政と司法・公安長官と三つの責任を抱えるエドヴァルドが最も忙しいのは誰の目にも明らかで、イデオン公爵邸と宰相室との間に〝転移扉〟が一時的に繋がれるのは、そう珍しいことではない。

 税の申告時期以外でも、割と許可は出やすい。

 ただ残りの公爵家は、有事にそなえて王宮との間に〝転移扉〟を繋ぐための場所プラットフォームは確保してあるものの、エドヴァルドほどの頻度で〝扉〟が利用されることはないのだそうだ。

「魔道具とて無限にある訳ではないし、聖女ないしは聖者がこの国に定着をしてくれるまでは、あまり大きな魔力を何度も動かさない方が良いからね」

 ほとんど使用申請をしたことがないと、エドヴァルドの隣でイル義父とうさまは肩をそう言って竦めていた。

 なるほど以前の〝扉の守護者ゲートキーパー〟たる男性=聖者は殺され、次にと探し出した聖女いもうとは、実際はどうであれ、表面的にはギーレン国に奪われた状態。

 シャルリーヌの魔力ちからと立場をアンジェスで安定させるためには、現段階での酷使――ボードリエ伯爵の機嫌を損ねるようなことは避けたいのだろう。

 簡易型の装置の方が管理部の権限と魔力ちからでまだ動かせるから、その方が良いんじゃないかとイル義父さまが言い、エドヴァルドも「それもそうか」と、納得した様に頷いていた。

「では、行ってくるよ〝愛しい人エリィ〟――レイナちゃんも。二人で好きなように過ごしてくれて構わないからね」

 そう言いながら早速の「エリィ」呼びで愛妻の頬に口づける義父ちちに、一連の流れをしらないエドヴァルドは、見事に固まっていた。

「……イル」
「何かな。私と最愛の家族との微笑ましい朝の語らいを邪魔しないでくれるかな」
「――――」

 何か言いたげだったエドヴァルドも、ここで完全に反論に窮していた。

「……レイナ」
「はい」

 見上げれば、不安げな紺青色の瞳とぶつかる。

「私には家族がいない。以前もいなかった。だからどれが正解なのかはよく分からないが――」

「私も、いないも同然だったので、これが正しいとか、間違っているとかは言えませんよ?」

 多分、朝から糖分多めな夫妻の姿に、自分が決めたとは言え、ここに置いておいて大丈夫なのかと思ったのかも知れない。

「…………確かに」

 苦笑いになったエドヴァルドが、あれこれ取り繕うのをやめたのか、私の手をそっと持ち上げた。

「――行ってくる」

 手の甲に一瞬だけ唇の柔らかさと温度を感じ、弾かれたように顔を上げたものの、エドヴァルドの静かな微笑みとぶつかるだけだった。

「……はい」

 おかしいな。
 今生の別れみたいになっているのは、何で。

「もう!殿方は早く王宮へ向かわれませ!淑女には淑女の予定がありますのよ⁉」

 結局そんな場を収めたのは、エリィ義母かあ様の一喝だった。

 早々に夫と義理の息子を追い立てた夫人は、こちらを見てにっこりと微笑わらった。

「さ、レイナちゃん。まずはわたくしの部屋へ行きましょう。この後の予定を話し合わないとね」

 もちろん私とて、義母かあさまに逆らうなどと言うことは、出来る筈もなかった。

*          *          *


「……わあ」

 きっと、エドヴァルドたちを見送る間に、侍女たちに用意をさせておいたのかも知れない。

 部屋の中にはカラフルな糸ばかりが詰まった箱と、裁縫道具の詰まった箱とが、テーブルに並べられていた。

「本当は、一緒にお裁縫をしようかとおもっていたのだけど」
「お裁縫……」

「その後はダンスかしら。お食事の作法は大丈夫そうだったから、その辺りの基本から始めてみようかと」

「……っ」

 まさにそれまで後回しになっていた話を持って来られて、私のこめかみも、ちょっと痙攣ひきつった。

「あら、慣れれば存外楽しいものよ?」
「そ、そうですか」
「ただ、出かける予定があるのでしょう?」

 人差し指を口元にあてて、こてんと首を傾げるエリィ義母さま。

 ひとによっては、あざとさ全開のはずのその仕種も、彼女にかかればなんてことのない仕種のように見えた。

「は、はい。王都商業ギルドに」

 その後は、ユングベリ商会の本店候補の場所だ。
 すぐ近くだと言うラヴォリ商会にも、訪問の連絡くらいはしておくべきかも知れない。

 何であろうと「先触れ」大事、だ。

「ではまずは、貴女の本来の予定を済ませてしまいましょう」

 そして一緒に行く気満々のエリィ義母さまに、私は何も言い返せなかった。
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