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第三部 宰相閣下の婚約者
772 その罪状は「全部乗せ」で
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「エリィ、レイナちゃん、入るよ」
エドヴァルドがカプート子爵やフラーヴェク子爵を連れて〝誓約の間〟を出た後。
それほど間を置かずに、イル義父様と叔父レンナルト卿が再びこの部屋へと戻って来た。
「……っと、大公殿下もいらっしゃいましたか。これは大変失礼致しました」
どうやらイル義父様の頭の中には、テオドル大公がここにいることは全くの想定外だったらしい。
一瞬だけ目を瞠ったものの、すぐさま〝ボウアンドスクレープ〟の礼を見せる。
「うむ。何やら〝軍神の間〟は立て込んでおるらしくてな。宰相の指示でここでしばらく待てと言われたわ」
「……そうでしたか」
立て込んでいる、のところでやっぱりイル義父様も形の良い眉を顰めていたけれど、表立って触れるつもりはないように見えた。
きっと〝軍神の間〟がまだ諸侯の移動が落ち着いていないだろうことにも、エドヴァルドがテオドル大公をここに誘導したことにも、異論はなかったんだろう。
「殿下、私の義弟であるレンナルト・ダリアン卿の同席も許可いただけますか。この後、我が妻と共に引き上げる予定だったものですから」
侯爵家関係者となれば、恐らくはテオドル大公も把握はしているだろうけど、礼儀作法上、紹介をしないわけにもいかない。
位が下となるレンナルト卿は、もちろん言葉は発することなく無言で〝ボウアンドスクレープ〟の礼だけを取り、テオドル大公も世間話をしている場合ではないとばかりに「うむ」と、頷いて見せただけで、この場での邂逅は良しとされた。
「そうそうフォルシアン公爵、ちょうど今、其方の妻に『これ以上夫の公務の負担が増えぬよう助けては貰えまいか』と泣きつかれておったところだ。夫思いの良き妻を持って幸せものだな、公爵」
「!」
ここで言う公務の負担とは、もちろん「王族公務」のことだ。
もうしばらく大公でいることを望まれた――そのことを仄めかせてきたテオドル大公に、気付かないイル義父様じゃなかった。
「寛容なる殿下におかれましては、我が最愛の妻の申し入れ、受け入れて下さったものとの認識で間違いございませんでしょうか」
「たおやかなる美女の申し入れ、無下にするわけにもいかぬわな。こちらこそ我が最愛の怒りを買うであろうよ」
そして今の会話で、テオドル大公が当面の間「大公」位を持ち続けることへの確認も取れたものと思われた。
面倒だからと、ド直球に用件のやりとりはしないと言うことなんだろう。
貴族カーストの頂点に近いところにいる二人だからこそ、揚げ足取りになるような単語はなるべく避けているに違いない。
「殿下、心より感謝申し上げます。さすがに私の手には余りますもので」
「ふ……まさか其方が実質の第二位になろうとは、誰も思うまいよ。下手をすると宰相くらいしか把握をしておらんかったのではないか?」
「恥ずかしながら、仰る通りです」
「で、あろうなぁ」
サイコパス、という名称が知られていないのはともかくとしても、逆らえるものなら逆らってみろ、下剋上むしろ歓迎――が、国王陛下の基本の立ち位置だと思う。
何せ楽しめれば倫理は二の次三の次の人だ。
王家直系の血を残すことに固執しているようには全く見えないし、いっそ好きにすればいいとさえ思っているフシがある。
周囲は周囲で、王の若さが後継者不足と言うコトの深刻さ覆い隠していた。
今回改めてそのことに気付かされたであろうテオドル大公もイル義父様も、それぞれが迂闊さを恥じるかのように、苦笑いをすることしか出来ずにいた。
「それで儂は〝軍神の間〟で再度仰々しい任命でもされるのか? それとも何か、今の肩書での立ち会いでも必要としておるのか?」
「任命に関しては、これまでの当面復帰が延長となるだけでしたら、そもそもいつまでと明記されておりませんでしたから、しれっとこのまま強行されるかと。それとも、アンディション侯爵領でのんびりとお過ごしになることは諦められましたか?」
大公位は臨時のままか、恒久復帰なのか。
裏から匂わせるように聞いてくるイル義父様に、テオドル大公はふん、と鼻を鳴らした。
「年寄りをあてにするのは期間限定にしておくが良いぞ。悪いがそこは譲れん」
「それは失礼を致しました。肝に銘じましょう」
笑っているようで笑っていない、オトナのやり取りだ。
ある意味、ちゃんとアンジェス王家の血を持っている者同士だと、私は思わず納得してしまった。
「それで殿下、話はどこまで……?」
「うん? 投資詐欺と〝痺れ茶〟の流通の話は聞いたが、そこまでだ。ああ、あとその件で詰め腹を切らされるのがレイフになるだろうことか? まあ、レイフの話はそこまで詳しく聞いとらんかったが、もともとサレステーデへの赴任話があったくらいだ。いっそ全部乗せした方がアンジェス王家としての傷は最低限で済むだろうからな」
「全部乗せ……」
さすがにそれはどうなんだろう、と私だけじゃなくイル義父様もそう思ったみたいで、表情に出ていた。
ただテオドル大公は、あながち間違いでもないだろう……と、ニコリともしない。
どうやら冗談で言ったわけではないようだった。
「とは言え、それだけでは儂はこの場には呼ばれまいよ。それなら事後報告でも済むことだからな。陛下あるいは宰相か? この老体に何を望んでおられるのであろうな」
そう言ったテオドル大公の口の端が、不敵に持ち上げられる。
イル義父様でさえ気圧される、それはより本流に近い王族としての威厳だった。
恐らく無意識のうちに、イル義父様の背が少し伸びたように私には見えた。
「――テオドル大公殿下、この後の五公爵会議への立ち会いをお願い申し上げたい」
「立ち会い?」
訝しむ大公にイル義父様が、スヴェンテ老公爵が臨時の議長となること、その他の公爵家は部分的に採決に参加が出来ない状態であることなどを簡潔に説明する。
「先ほどのレイナ嬢の話だけでも、何故そこまでのことになっておるのかと思っておったが……諸悪の根源はナルディーニ侯爵家か……!」
はい、大公殿下。
それも今回の関係者の内心の総意です。
ただ、とイル義父様はそこに更に付け加えていた。
「そうとも言えますし、先代エモニエ侯爵夫人に関して言うなら、先代あるいは先々代の王が残した最後の負の遺産が露呈したのだとも……」
「うむ。バリエンダールのフレイア伯爵家か……なるほど、儂が呼ばれた理由の一端はそこにもあるか」
イル義父様やエドヴァルド以上に、テオドル大公には先代、先々代の王の時代の記憶はよりハッキリと残っているはずだ。
アレンカ・フレイア伯爵令嬢がアンジェスのエモニエ侯爵家に輿入れした経緯についても知らないはずがなかった。
「殿下におかれましては、バリエンダール王家の誰にこの件を告げるべきなのか、ぜひ王と宰相に忌憚なきところを語っていただければと愚考する次第です」
「ふむ……」
口元に手をやるテオドル大公の目は、とても厳しいものになりつつあった。
エドヴァルドがカプート子爵やフラーヴェク子爵を連れて〝誓約の間〟を出た後。
それほど間を置かずに、イル義父様と叔父レンナルト卿が再びこの部屋へと戻って来た。
「……っと、大公殿下もいらっしゃいましたか。これは大変失礼致しました」
どうやらイル義父様の頭の中には、テオドル大公がここにいることは全くの想定外だったらしい。
一瞬だけ目を瞠ったものの、すぐさま〝ボウアンドスクレープ〟の礼を見せる。
「うむ。何やら〝軍神の間〟は立て込んでおるらしくてな。宰相の指示でここでしばらく待てと言われたわ」
「……そうでしたか」
立て込んでいる、のところでやっぱりイル義父様も形の良い眉を顰めていたけれど、表立って触れるつもりはないように見えた。
きっと〝軍神の間〟がまだ諸侯の移動が落ち着いていないだろうことにも、エドヴァルドがテオドル大公をここに誘導したことにも、異論はなかったんだろう。
「殿下、私の義弟であるレンナルト・ダリアン卿の同席も許可いただけますか。この後、我が妻と共に引き上げる予定だったものですから」
侯爵家関係者となれば、恐らくはテオドル大公も把握はしているだろうけど、礼儀作法上、紹介をしないわけにもいかない。
位が下となるレンナルト卿は、もちろん言葉は発することなく無言で〝ボウアンドスクレープ〟の礼だけを取り、テオドル大公も世間話をしている場合ではないとばかりに「うむ」と、頷いて見せただけで、この場での邂逅は良しとされた。
「そうそうフォルシアン公爵、ちょうど今、其方の妻に『これ以上夫の公務の負担が増えぬよう助けては貰えまいか』と泣きつかれておったところだ。夫思いの良き妻を持って幸せものだな、公爵」
「!」
ここで言う公務の負担とは、もちろん「王族公務」のことだ。
もうしばらく大公でいることを望まれた――そのことを仄めかせてきたテオドル大公に、気付かないイル義父様じゃなかった。
「寛容なる殿下におかれましては、我が最愛の妻の申し入れ、受け入れて下さったものとの認識で間違いございませんでしょうか」
「たおやかなる美女の申し入れ、無下にするわけにもいかぬわな。こちらこそ我が最愛の怒りを買うであろうよ」
そして今の会話で、テオドル大公が当面の間「大公」位を持ち続けることへの確認も取れたものと思われた。
面倒だからと、ド直球に用件のやりとりはしないと言うことなんだろう。
貴族カーストの頂点に近いところにいる二人だからこそ、揚げ足取りになるような単語はなるべく避けているに違いない。
「殿下、心より感謝申し上げます。さすがに私の手には余りますもので」
「ふ……まさか其方が実質の第二位になろうとは、誰も思うまいよ。下手をすると宰相くらいしか把握をしておらんかったのではないか?」
「恥ずかしながら、仰る通りです」
「で、あろうなぁ」
サイコパス、という名称が知られていないのはともかくとしても、逆らえるものなら逆らってみろ、下剋上むしろ歓迎――が、国王陛下の基本の立ち位置だと思う。
何せ楽しめれば倫理は二の次三の次の人だ。
王家直系の血を残すことに固執しているようには全く見えないし、いっそ好きにすればいいとさえ思っているフシがある。
周囲は周囲で、王の若さが後継者不足と言うコトの深刻さ覆い隠していた。
今回改めてそのことに気付かされたであろうテオドル大公もイル義父様も、それぞれが迂闊さを恥じるかのように、苦笑いをすることしか出来ずにいた。
「それで儂は〝軍神の間〟で再度仰々しい任命でもされるのか? それとも何か、今の肩書での立ち会いでも必要としておるのか?」
「任命に関しては、これまでの当面復帰が延長となるだけでしたら、そもそもいつまでと明記されておりませんでしたから、しれっとこのまま強行されるかと。それとも、アンディション侯爵領でのんびりとお過ごしになることは諦められましたか?」
大公位は臨時のままか、恒久復帰なのか。
裏から匂わせるように聞いてくるイル義父様に、テオドル大公はふん、と鼻を鳴らした。
「年寄りをあてにするのは期間限定にしておくが良いぞ。悪いがそこは譲れん」
「それは失礼を致しました。肝に銘じましょう」
笑っているようで笑っていない、オトナのやり取りだ。
ある意味、ちゃんとアンジェス王家の血を持っている者同士だと、私は思わず納得してしまった。
「それで殿下、話はどこまで……?」
「うん? 投資詐欺と〝痺れ茶〟の流通の話は聞いたが、そこまでだ。ああ、あとその件で詰め腹を切らされるのがレイフになるだろうことか? まあ、レイフの話はそこまで詳しく聞いとらんかったが、もともとサレステーデへの赴任話があったくらいだ。いっそ全部乗せした方がアンジェス王家としての傷は最低限で済むだろうからな」
「全部乗せ……」
さすがにそれはどうなんだろう、と私だけじゃなくイル義父様もそう思ったみたいで、表情に出ていた。
ただテオドル大公は、あながち間違いでもないだろう……と、ニコリともしない。
どうやら冗談で言ったわけではないようだった。
「とは言え、それだけでは儂はこの場には呼ばれまいよ。それなら事後報告でも済むことだからな。陛下あるいは宰相か? この老体に何を望んでおられるのであろうな」
そう言ったテオドル大公の口の端が、不敵に持ち上げられる。
イル義父様でさえ気圧される、それはより本流に近い王族としての威厳だった。
恐らく無意識のうちに、イル義父様の背が少し伸びたように私には見えた。
「――テオドル大公殿下、この後の五公爵会議への立ち会いをお願い申し上げたい」
「立ち会い?」
訝しむ大公にイル義父様が、スヴェンテ老公爵が臨時の議長となること、その他の公爵家は部分的に採決に参加が出来ない状態であることなどを簡潔に説明する。
「先ほどのレイナ嬢の話だけでも、何故そこまでのことになっておるのかと思っておったが……諸悪の根源はナルディーニ侯爵家か……!」
はい、大公殿下。
それも今回の関係者の内心の総意です。
ただ、とイル義父様はそこに更に付け加えていた。
「そうとも言えますし、先代エモニエ侯爵夫人に関して言うなら、先代あるいは先々代の王が残した最後の負の遺産が露呈したのだとも……」
「うむ。バリエンダールのフレイア伯爵家か……なるほど、儂が呼ばれた理由の一端はそこにもあるか」
イル義父様やエドヴァルド以上に、テオドル大公には先代、先々代の王の時代の記憶はよりハッキリと残っているはずだ。
アレンカ・フレイア伯爵令嬢がアンジェスのエモニエ侯爵家に輿入れした経緯についても知らないはずがなかった。
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