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第三部 宰相閣下の婚約者
【アンジェス王宮Side】護衛騎士サタノフの別離(べつり)・(後)
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「ぴぃっ! ぴいっ!」
白く丸い小さな鳥が、天井付近をくるくると旋回している。
すぐに降りてこないのは「来い」と言われないため、カタがついたかどうかが分からずに降りられないのだ。
こちらの邪魔をしないよう、ヘリファルテなりに考えているということだろう。
これがレイナ様がいたなら、問答無用に頭の上に着地していたはずだ。
閑話休題
「すまない、つい、手、出た」
王宮の廊下という公的な場所であるため、ギーレンの辺境出身であるキリーロヴ・ソゾンも、ここではカタコトのアンジェス語だ。
この男はもともと、同じ特殊部隊でも実行部隊、つまりは襲撃や暗殺を担う側にいた。
ひとたび本気で剣を持てば、それすなわち相手の命を奪う方へと直結するのだ。
この時も、背後から正確に心の臓を刺し貫いていたため、ずるりと剣を抜いたあとは、崩れ落ちた身体の下から血がどくどくと流れ出る凄惨な光景が展開される羽目になった。
そこでようやく、自分が誰を刺したのかを認識したのである。
「副隊長、か?」
どういうことかと目を瞬かせている元同僚兼友人に、深く息をつきながら剣を鞘にしまった。
「来い――リファ」
まずは飼い鳥の呼び戻しだ。
今やすっかり、レイナ様が付けた名前を呼ばないことにはピクリとも反応しない。
名前を呼んだところでようやく「ぴ!」と方向転換をし、ぱたたと肩の上に着地をした。
どうしてレイナ様の時だけは頭の上なのかが、やや解せないが、今は置いておく。
「あの飛び蹴りは、レイナ様直伝か?」
「ぴ!」
サレステーデの王女によるアレコレを阻止した際に、飛び蹴りをして止めるよう指示したのがレイナ様だ。
手紙の配達しか教えた覚えのない私の躾では、断じてない。
案の定「褒めて!」と言わんばかりの鳴き声が返ってくる。
「……分かった。キーロが持って来た肉の食べ放題は、その通りにしてやるから少し待て」
「ぴ!」
「分かってる、約束は守る」
直接言葉が分かるわけではないが、何となく言いたいことは分かるのだ。
多分、レイナ様もそのはずだ。
最近、リファの存在に慣れてきたキーロも恐らくそうだろう。親指を立てて、それにリファが「ぴ!」と応えているくらいなのだから。
だがその前に、護衛騎士として聞いておかなくてはならないことがあった。
「キーロ、確かに王都民からの苦情で獣狩りをしてきた肉があるからと、厨房に入る許可を出して、その場で少しくらいは食べさせてやろうとリファを飛ばしたが……それが、なぜここに」
そうなのだ。元特殊部隊員とはいえ、キーロの今の所属は王都警備隊。そうそう王宮の中を闊歩できる立場にはないはずなのだ。
「ああ、それ」
こちらの問いかけに、何とも言えないといった表情をキーロは見せる。
「確かに肉、運んできた。少し解体して、リファにやろうとした。とてつもない殺気を感じた。リファも身をふるわせて、ぴーぴーと騒ぎだした。だから、おまえに何か起きているのかもしれないと、リファに『よし、飛べ』と言ってみたら――着いた」
とてつもない殺気。
副隊長がレイフ殿下に襲いかかった時のものだろうか。さすが、元実行部隊。諜報が主だった自分よりも、遥かにそのあたりの感覚は鋭敏なんだろう。
リファは……どういうことなのか、分からない。
ヘリファルテ種の潜在能力に関しては、まだまだ分からないことだらけなのだ。種としてなのか、リファの個体としての能力なのか、何もかも。
可愛いは正義! などという謎の論理ですべてを押し通しているレイナ様が、そもそもの規格外だ。
このままだと、どんどんと思考が逸れていきそうなので、慌ててふるふると首を横に振る。
「分かった。何にせよ助かった。危うく王宮内で王族殺しという、護衛騎士の存在意義がゼロになる所業を許すところだった」
「おうぞくごろし」
カタコトの呟きと共に、キーロの視線が床に倒れる副隊長から、少し離れた場所で壁に寄りかかっていたレイフ殿下を捉えたようだった。
「――殿下」
膝をつこうにも、既に足元には血の池が広がっている。
キーロは剣の柄を握る方向を変えて、その手を胸元にあてて一礼した。
剣を持つ者に許された略式礼だ。それであれば、相手が誰であれ不敬を問われることはない。
「……おまえも、犬か」
どうやら、レイフ殿下にとっては特殊部隊の隊員だった面々は全て「犬」だったようだ。
もっとも、こちらも元々王族と話せるほどの知己でもなければ高位の爵位持ちでもないため、何と言われても痛痒は感じない。さもありなん、だ。
「キリーロヴ・ソゾン、です」
キーロも、その生まれ育ちが原因で、相手から見下されたり非好意的な対応をされることが一再ではないこともあり、ここでは顔色を変えなかった。
「殿下。彼は確かに元特殊部隊の一員ですが、ギーレンからの移民で男爵家の養子、言葉はあまり流暢に話せません。どうぞご容赦を」
それでも名前だけを名乗ったキーロに、殿下の眉根が寄せられたのを見て、慌ててフォローを入れた。
「彼は今は王都警備隊の所属です。王宮には私を訪ねてきました。時々、コレのエサのために王都警備隊が駆る害獣の肉を仕入れているのです」
「…………」
殿下の目が、私とキーロ、そして肩に乗るリファの間を行ったり来たり不審げに泳いでいる。
まあ、常に王と対立していた殿下は、恐らくはそんな呑気な話とはほとんど無縁だっただろう。とはいえ、疑われたとてそれが真実なのだからどうしようもない。
そしていつまでもここに立ち尽くしているわけにはいかないことを、大きくなる他者の足音とともに殿下も察したようだった。
リファの姿を見て気が抜けた――なんてことも、加わったかも知れないが。
「……おまえたちは、今の境遇に納得をしているのか」
不意に投げかけられたその言葉の真意が読めず、キーロと二人、顔を見合わせる。
「くすぶっているのであれば、別の国に渡るという手もある」
「!」
どうやら殿下は自分たちをサレステーデへの同行者として連れて行っても構わないと思ったようだ。
副隊長が、元特殊部隊ということでナルディーニ侯爵家で不遇をかこっていたように見えたのか。
彼が己の境遇に不満を抱いていた。それは確かだったから。
「その男は、もう口をきけん。正当防衛ではあるが、そうと司法が確定するまで口さがないことを言う輩も出てくるやも知れん。現状に不満があるのなら、いっそ全て捨ててしまうのも一つの策ではあろう」
生かしていたなら、証言もさせられただろうに。
殿下の口調は、そう言っている。
このままだと恐らく、副隊長が殿下を襲って返り討ちにあった――ことにしたかのように思われるだろう。事実がそうであろうと、なかろうと、上層部の間では重要ではなく、報告書に書きやすい落としどころを探られることになる。
王族が王宮の廊下で襲われるなどという、いわば護衛騎士全体の失態がこれ以上拡散されないためには、そうせざるを得ないのだ。
司法・公安長官あるいは軍務・刑務長官の下で事情聴取をされる際に、自分やキーロの素性や境遇に関して不愉快なことを言ってくる輩が出るかも知れない。
そう考えた殿下が、再び自分の下に入る気があるのなら、王族権限で事情聴取をさせないことも出来ると言ったに違いなかった。
「もうすぐこの国を出る私は、誰に何を思われようと今更だからな」
「…………」
そう言って自虐的に笑う殿下を、一瞬、何とも言えない表情で見返してしまった。
遥か上の地位にある殿下を見返すなどと、本来あまり褒められたことではなかったのだが。
日頃より簡単に頭を下げることの出来ない地位にいる殿下の、それが殿下なりの「礼」なのかも知れないと思ったのだ。
「それに、それであの王の取り繕った笑いを崩してやれるのなら、それも一興だ」
(そういえばレイナ様も、恐らくは国王陛下が絡まなければ、レイフ殿下はかなり真っ当な人のはずだと言っていたな……)
嫌がらせ歓迎。むしろ、そう言えとさえ言っているように見えるのは、はたして気のせいだろうか。
というか、直属部隊にいたはずの自分がほぼその為人を知らなかったというのが、何とも複雑な気分だ。
「……我々のような『犬』に過分の申し出を有難うございます」
だが。
「ですが少なくとも私は、既に仕えたいと思う方を心に定めております」
勝手にキーロをひとくくりには出来ないので、まずは自分の思うところを素直に吐露して頭を下げる。
「特殊部隊が解散状態となってから、殿下に認識をいただけたというのも皮肉なものですが……それでも、その方に仕えたいとの思いは揺らぎそうにありません」
使い捨ての道具の一つでしかなかった、無色の日々に差し込んだ彩。
それを無視して、再び別の国で全てを一からやり直す未来は、今の自分には思い浮かばない。
(それに、そう言った瞬間リファには逃げられるだろうな……)
飼い主を見捨てて、一直線にレイナ様のところに飛んで行く気しかしない。
「……そう言えば、おまえは宰相の『犬』だったな。余程居心地がいいらしい」
「…………」
ちょっと違います。
そう思ったが、説明がややこしいため沈黙を選ぶことにしておく。
代わりにキーロに視線を投げ、自分の意見を殿下に告げるよう促した。
「……私も、残る」
キーロも、まがりなりにも元特殊部隊隊員だ。
言葉はともかく、実行部隊の一人として、状況を読む力は長けていた。
殿下がサレステーデに「赴任」するだろうということはまだ知らなくても、王宮を離れるのだろうということは想像がついたようだった。
「王都でも、ソゾン男爵領、遠い。心配。けれど稼ぐ金、必要。王都には――友が、いる」
「キーロ……」
「ぴ!」
……そうか。リファはキーロの「友達」のつもりらしい。
肩の上で得意げな顔をしている想像がついて、こちらは何とも言えない表情になる。
一応、自分のことを言ってくれているのだと思いたいのだが。
「我々は、お傍にはおれません。ですがこちらへの連絡が必要な際の『犬』として都度思い出していただけたら、それは光栄の極みにございます」
「……それで王への裏切りを指示するとは思わんのか」
「今更そのようなことはなさらないかと」
それならば、サレステーデ行きを許容などしていないはずだ。
捲土重来を図るには、サレステーデは遠すぎる。
「ふん!」
王族らしからぬ舌打ちが聞こえるが、それ以上否定の言葉は紡がれない。
「殿下、ご無事ですか!」
「殿下、これはいったい……⁉」
当初は足音だけだったものが、いつの間にか王宮護衛騎士としての上司や同僚が、すぐそこまで駆けつけてきていた。
「大事ない。暴れた者はこの者らが既に斬り捨てた」
賊、となれば護衛騎士たちの鼎の軽重が問われる。
だから敢えて、殿下は「暴れた者」とだけこの場では口にした。
「いつまでも王宮の廊下が血に塗れているのもまずかろう。さっさと片づけさせろ」
殿下の目が、床に沈む副隊長を捉えることはない。
特殊部隊が元のままだったら、副隊長と自分やキーロの立場は、いつ逆転してもおかしくはなかっただろう。
仕えたいと思ってナルディーニ侯爵家にいたのか。それともナルディーニ侯爵家しか、行き場がなかったのか。
既に副隊長の心の内を聞く機会は永遠に失われてしまった。
「承知しました。事情はこの二人から聞くようにいたします。どうぞ殿下は部屋へお戻りを」
「うむ」
駆けつけた騎士に言われて頷いた殿下が、足元の血だまりを避けるようにしながらこの場を離れていく。
どうやら〝痺れ茶〟の影響は、ここにきてほとんど抜けたように見えた。
――そしてすれ違うほんの一瞬。
「サタノフ、ソゾン。……覚えておこう」
「!」
亡霊からも、犬からも昇格をした瞬間だ。
赴任先で何か起きれば、殿下は我々を通して連絡を入れると、そう言ったのだ。
(どうぞ、ご息災で)
自分たちの立場で、殿下にそんな声をかけるわけにはいかない。
だが、元上司への惜別をこめて、ただ深々と殿下の背に向かって頭を下げたのだった――
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
いつも読んでいいただいて&応援もありがとうございます!
色々とバタついており、コメントへの返信が遅れており申し訳ありません。
必ず返信はさせていただきますので、もう少々お待ち下さいm(_ _)m
そして――
いよいよ来週、コミックス・聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ? 第一巻が店頭に並ぶことになりました!
コミックス限定SS&店舗限定ですがタロコ先生の書き下ろしペーパーも特典封入される予定です。
近況ボードに予約可能な各社サイトを記載しました。
今、タロコ先生のTwitterではアルファポリス連載中、大好評だった「いいね!」イラストを使ったカウントダウンも毎日upされていますので、そちらもぜひお楽しみ下さい(^^♪
どうぞ宜しくお願いします……!
白く丸い小さな鳥が、天井付近をくるくると旋回している。
すぐに降りてこないのは「来い」と言われないため、カタがついたかどうかが分からずに降りられないのだ。
こちらの邪魔をしないよう、ヘリファルテなりに考えているということだろう。
これがレイナ様がいたなら、問答無用に頭の上に着地していたはずだ。
閑話休題
「すまない、つい、手、出た」
王宮の廊下という公的な場所であるため、ギーレンの辺境出身であるキリーロヴ・ソゾンも、ここではカタコトのアンジェス語だ。
この男はもともと、同じ特殊部隊でも実行部隊、つまりは襲撃や暗殺を担う側にいた。
ひとたび本気で剣を持てば、それすなわち相手の命を奪う方へと直結するのだ。
この時も、背後から正確に心の臓を刺し貫いていたため、ずるりと剣を抜いたあとは、崩れ落ちた身体の下から血がどくどくと流れ出る凄惨な光景が展開される羽目になった。
そこでようやく、自分が誰を刺したのかを認識したのである。
「副隊長、か?」
どういうことかと目を瞬かせている元同僚兼友人に、深く息をつきながら剣を鞘にしまった。
「来い――リファ」
まずは飼い鳥の呼び戻しだ。
今やすっかり、レイナ様が付けた名前を呼ばないことにはピクリとも反応しない。
名前を呼んだところでようやく「ぴ!」と方向転換をし、ぱたたと肩の上に着地をした。
どうしてレイナ様の時だけは頭の上なのかが、やや解せないが、今は置いておく。
「あの飛び蹴りは、レイナ様直伝か?」
「ぴ!」
サレステーデの王女によるアレコレを阻止した際に、飛び蹴りをして止めるよう指示したのがレイナ様だ。
手紙の配達しか教えた覚えのない私の躾では、断じてない。
案の定「褒めて!」と言わんばかりの鳴き声が返ってくる。
「……分かった。キーロが持って来た肉の食べ放題は、その通りにしてやるから少し待て」
「ぴ!」
「分かってる、約束は守る」
直接言葉が分かるわけではないが、何となく言いたいことは分かるのだ。
多分、レイナ様もそのはずだ。
最近、リファの存在に慣れてきたキーロも恐らくそうだろう。親指を立てて、それにリファが「ぴ!」と応えているくらいなのだから。
だがその前に、護衛騎士として聞いておかなくてはならないことがあった。
「キーロ、確かに王都民からの苦情で獣狩りをしてきた肉があるからと、厨房に入る許可を出して、その場で少しくらいは食べさせてやろうとリファを飛ばしたが……それが、なぜここに」
そうなのだ。元特殊部隊員とはいえ、キーロの今の所属は王都警備隊。そうそう王宮の中を闊歩できる立場にはないはずなのだ。
「ああ、それ」
こちらの問いかけに、何とも言えないといった表情をキーロは見せる。
「確かに肉、運んできた。少し解体して、リファにやろうとした。とてつもない殺気を感じた。リファも身をふるわせて、ぴーぴーと騒ぎだした。だから、おまえに何か起きているのかもしれないと、リファに『よし、飛べ』と言ってみたら――着いた」
とてつもない殺気。
副隊長がレイフ殿下に襲いかかった時のものだろうか。さすが、元実行部隊。諜報が主だった自分よりも、遥かにそのあたりの感覚は鋭敏なんだろう。
リファは……どういうことなのか、分からない。
ヘリファルテ種の潜在能力に関しては、まだまだ分からないことだらけなのだ。種としてなのか、リファの個体としての能力なのか、何もかも。
可愛いは正義! などという謎の論理ですべてを押し通しているレイナ様が、そもそもの規格外だ。
このままだと、どんどんと思考が逸れていきそうなので、慌ててふるふると首を横に振る。
「分かった。何にせよ助かった。危うく王宮内で王族殺しという、護衛騎士の存在意義がゼロになる所業を許すところだった」
「おうぞくごろし」
カタコトの呟きと共に、キーロの視線が床に倒れる副隊長から、少し離れた場所で壁に寄りかかっていたレイフ殿下を捉えたようだった。
「――殿下」
膝をつこうにも、既に足元には血の池が広がっている。
キーロは剣の柄を握る方向を変えて、その手を胸元にあてて一礼した。
剣を持つ者に許された略式礼だ。それであれば、相手が誰であれ不敬を問われることはない。
「……おまえも、犬か」
どうやら、レイフ殿下にとっては特殊部隊の隊員だった面々は全て「犬」だったようだ。
もっとも、こちらも元々王族と話せるほどの知己でもなければ高位の爵位持ちでもないため、何と言われても痛痒は感じない。さもありなん、だ。
「キリーロヴ・ソゾン、です」
キーロも、その生まれ育ちが原因で、相手から見下されたり非好意的な対応をされることが一再ではないこともあり、ここでは顔色を変えなかった。
「殿下。彼は確かに元特殊部隊の一員ですが、ギーレンからの移民で男爵家の養子、言葉はあまり流暢に話せません。どうぞご容赦を」
それでも名前だけを名乗ったキーロに、殿下の眉根が寄せられたのを見て、慌ててフォローを入れた。
「彼は今は王都警備隊の所属です。王宮には私を訪ねてきました。時々、コレのエサのために王都警備隊が駆る害獣の肉を仕入れているのです」
「…………」
殿下の目が、私とキーロ、そして肩に乗るリファの間を行ったり来たり不審げに泳いでいる。
まあ、常に王と対立していた殿下は、恐らくはそんな呑気な話とはほとんど無縁だっただろう。とはいえ、疑われたとてそれが真実なのだからどうしようもない。
そしていつまでもここに立ち尽くしているわけにはいかないことを、大きくなる他者の足音とともに殿下も察したようだった。
リファの姿を見て気が抜けた――なんてことも、加わったかも知れないが。
「……おまえたちは、今の境遇に納得をしているのか」
不意に投げかけられたその言葉の真意が読めず、キーロと二人、顔を見合わせる。
「くすぶっているのであれば、別の国に渡るという手もある」
「!」
どうやら殿下は自分たちをサレステーデへの同行者として連れて行っても構わないと思ったようだ。
副隊長が、元特殊部隊ということでナルディーニ侯爵家で不遇をかこっていたように見えたのか。
彼が己の境遇に不満を抱いていた。それは確かだったから。
「その男は、もう口をきけん。正当防衛ではあるが、そうと司法が確定するまで口さがないことを言う輩も出てくるやも知れん。現状に不満があるのなら、いっそ全て捨ててしまうのも一つの策ではあろう」
生かしていたなら、証言もさせられただろうに。
殿下の口調は、そう言っている。
このままだと恐らく、副隊長が殿下を襲って返り討ちにあった――ことにしたかのように思われるだろう。事実がそうであろうと、なかろうと、上層部の間では重要ではなく、報告書に書きやすい落としどころを探られることになる。
王族が王宮の廊下で襲われるなどという、いわば護衛騎士全体の失態がこれ以上拡散されないためには、そうせざるを得ないのだ。
司法・公安長官あるいは軍務・刑務長官の下で事情聴取をされる際に、自分やキーロの素性や境遇に関して不愉快なことを言ってくる輩が出るかも知れない。
そう考えた殿下が、再び自分の下に入る気があるのなら、王族権限で事情聴取をさせないことも出来ると言ったに違いなかった。
「もうすぐこの国を出る私は、誰に何を思われようと今更だからな」
「…………」
そう言って自虐的に笑う殿下を、一瞬、何とも言えない表情で見返してしまった。
遥か上の地位にある殿下を見返すなどと、本来あまり褒められたことではなかったのだが。
日頃より簡単に頭を下げることの出来ない地位にいる殿下の、それが殿下なりの「礼」なのかも知れないと思ったのだ。
「それに、それであの王の取り繕った笑いを崩してやれるのなら、それも一興だ」
(そういえばレイナ様も、恐らくは国王陛下が絡まなければ、レイフ殿下はかなり真っ当な人のはずだと言っていたな……)
嫌がらせ歓迎。むしろ、そう言えとさえ言っているように見えるのは、はたして気のせいだろうか。
というか、直属部隊にいたはずの自分がほぼその為人を知らなかったというのが、何とも複雑な気分だ。
「……我々のような『犬』に過分の申し出を有難うございます」
だが。
「ですが少なくとも私は、既に仕えたいと思う方を心に定めております」
勝手にキーロをひとくくりには出来ないので、まずは自分の思うところを素直に吐露して頭を下げる。
「特殊部隊が解散状態となってから、殿下に認識をいただけたというのも皮肉なものですが……それでも、その方に仕えたいとの思いは揺らぎそうにありません」
使い捨ての道具の一つでしかなかった、無色の日々に差し込んだ彩。
それを無視して、再び別の国で全てを一からやり直す未来は、今の自分には思い浮かばない。
(それに、そう言った瞬間リファには逃げられるだろうな……)
飼い主を見捨てて、一直線にレイナ様のところに飛んで行く気しかしない。
「……そう言えば、おまえは宰相の『犬』だったな。余程居心地がいいらしい」
「…………」
ちょっと違います。
そう思ったが、説明がややこしいため沈黙を選ぶことにしておく。
代わりにキーロに視線を投げ、自分の意見を殿下に告げるよう促した。
「……私も、残る」
キーロも、まがりなりにも元特殊部隊隊員だ。
言葉はともかく、実行部隊の一人として、状況を読む力は長けていた。
殿下がサレステーデに「赴任」するだろうということはまだ知らなくても、王宮を離れるのだろうということは想像がついたようだった。
「王都でも、ソゾン男爵領、遠い。心配。けれど稼ぐ金、必要。王都には――友が、いる」
「キーロ……」
「ぴ!」
……そうか。リファはキーロの「友達」のつもりらしい。
肩の上で得意げな顔をしている想像がついて、こちらは何とも言えない表情になる。
一応、自分のことを言ってくれているのだと思いたいのだが。
「我々は、お傍にはおれません。ですがこちらへの連絡が必要な際の『犬』として都度思い出していただけたら、それは光栄の極みにございます」
「……それで王への裏切りを指示するとは思わんのか」
「今更そのようなことはなさらないかと」
それならば、サレステーデ行きを許容などしていないはずだ。
捲土重来を図るには、サレステーデは遠すぎる。
「ふん!」
王族らしからぬ舌打ちが聞こえるが、それ以上否定の言葉は紡がれない。
「殿下、ご無事ですか!」
「殿下、これはいったい……⁉」
当初は足音だけだったものが、いつの間にか王宮護衛騎士としての上司や同僚が、すぐそこまで駆けつけてきていた。
「大事ない。暴れた者はこの者らが既に斬り捨てた」
賊、となれば護衛騎士たちの鼎の軽重が問われる。
だから敢えて、殿下は「暴れた者」とだけこの場では口にした。
「いつまでも王宮の廊下が血に塗れているのもまずかろう。さっさと片づけさせろ」
殿下の目が、床に沈む副隊長を捉えることはない。
特殊部隊が元のままだったら、副隊長と自分やキーロの立場は、いつ逆転してもおかしくはなかっただろう。
仕えたいと思ってナルディーニ侯爵家にいたのか。それともナルディーニ侯爵家しか、行き場がなかったのか。
既に副隊長の心の内を聞く機会は永遠に失われてしまった。
「承知しました。事情はこの二人から聞くようにいたします。どうぞ殿下は部屋へお戻りを」
「うむ」
駆けつけた騎士に言われて頷いた殿下が、足元の血だまりを避けるようにしながらこの場を離れていく。
どうやら〝痺れ茶〟の影響は、ここにきてほとんど抜けたように見えた。
――そしてすれ違うほんの一瞬。
「サタノフ、ソゾン。……覚えておこう」
「!」
亡霊からも、犬からも昇格をした瞬間だ。
赴任先で何か起きれば、殿下は我々を通して連絡を入れると、そう言ったのだ。
(どうぞ、ご息災で)
自分たちの立場で、殿下にそんな声をかけるわけにはいかない。
だが、元上司への惜別をこめて、ただ深々と殿下の背に向かって頭を下げたのだった――
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
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