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第三部 宰相閣下の婚約者
791 復讐の未亡人~終幕~
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今、軍神の間では五公爵それぞれの配下である五長官による、ナルディーニ侯爵家を始めとした関係者事情聴取が行われているものと思われた。
それはそれで、ヘルマン(兄)長官や他の長官たちの怒りの矛先が、どう侯爵らに向いているのかが非常に気になるものの、そちらを見に行く理由もなければ、この場に留まる理由ももはや見当たらなかった。
私に与えらえた時間は、ここまでということなのだ。
居残ろうと思えば可能なのかも知れない。だけどこれ以上は、エドヴァルドに迷惑をかけるだけだと分かっていた。
護衛騎士か〝鷹の眼〟か、聞けば誰かが後で教えてくれるだろう。
私はそう見切りをつけて、この場を後にすることにした。
エモニエ先代侯爵夫人が王宮護衛騎士の手で連れられて行くのに合わせて、私も無言で頭を下げて立ち上がった。
やはりちょうど潮時ということなんだろう。この場の誰も、改めて私に声をかけてくることはなかった。
エドヴァルドだけが何か言いたげだったけど、声をかける理由が見つけられなかったのだろう。
どこか、多分私の視界には入っていなかった所にいたっぽい〝鷹の眼〟に向けて目配せをしているのが見えた。
「――王宮から下がるのか?」
やがて、部屋を出ようとした私の背にファルコの声がかかる。
アルノシュト伯爵への事情聴取を見守っていたと思っていたのに、いつの間にか戻って来ていたらしい。
部屋を出て、扉が閉まるのを確認したところで「……いいの?」と、私はファルコに話しかけた。
「何が」
「何が、って……」
私の表情から、何が言いたいのかをそこで悟ったらしい。
ああ、とファルコはそこで頷いた。
「確かにあの男の行く末を見届けていたとて、お館様は許して下さるだろう。だが〝鷹の眼〟としての役目を疎かにしてしまえば、俺は姉貴にも、誰にも顔向けが出来なくなる。優先順位をはき違えたりはしねぇよ」
「優先順位」
オウム返しに呟く私の背を、ファルコがそこで勢いよく叩く。
「痛っ⁉」
「いいから! アンタに何かあったら、汚染された土地の改善も何もないわけだからな。自重の行方不明はお館様に殺されるが、ちょっとした遠出なら〝鷹の眼〟が付いていってやるから」
「いや、ちょっとした遠出って!」
「行方不明よりマシだろうが」
「――――」
うっかり答えに窮したところで、不意に「……あの」と、柔らかな女性の声が私とファルコの会話の中に加わってきた。
「⁉」
驚いて振り返った視線の先には――王宮護衛騎士に両脇を挟まれた、アレンカ・エモニエ先代侯爵夫人の姿があった。
「エモニエ――」
先代侯爵夫人、と言いかけた私の言葉を、夫人はゆるゆると首を横に降って遮った。
「じきに『エモニエ』の名は取れますでしょうから、アレンカで結構ですわ」
「……分かりました」
そう言われたとて、今すぐどうこう出来るものでもない。司法の上では未だ「エモニエ先代侯爵夫人」だ。
私が、他に言いようがなかったこと、それすら理解しているとばかりに夫人は微笑んだ。
「ユングベリ商会長、と今はお呼びすればよろしいのかしら」
「……どの立場の『私』にご用がおありかによると思うのですが」
聖女の姉。
宰相閣下の婚約者。
フォルシアン公爵の義理の娘。
そして、ユングベリ商会の商会長。
声のかけ方からすれば、最後の「ユングベリ商会の商会長」に用事があるのだろうと、推測は出来る。
それでも聞いておくにこしたことはない。
迂闊なことを言えば、都合のいいように絡めとられる。
そんな気を起こさせる女性だからだ。
「ふふ……そうですわね」
案の定、これから貴族牢に収監されるであろう立場にも関わらず、エモニエ先代侯爵夫人は口元に笑みを浮かべていた。
「バリエンダールのリーサンネ商会を、抱えていたマルハレータ伯爵家ごと断罪なされたと先ほど仰いましたでしょう?」
「断罪は司法が行うものです。夫人――いえ、アレンカ様。私はただ、その罪を、日の当たるところへと引きずり出したにすぎませんので」
ミルテ王女主催の茶会で〝痺れ茶〟の存在を暴いたのは、ある意味たまたまだ。毒を確認する優秀な薬に、それが引っ掛かっただけだ。そこは主張をしておきたいところだ。
「大した違いはございませんわ」
いやいやいや! 私には嬉々として死神の大鎌を振るうような趣味はございませんので!
そうは言っても、エモニエ先代侯爵夫人にとっては、それさえも今更なのかも知れない。
「貴女様に心からの御礼を。私はそれを申し上げたかったのですわ」
エモニエ先代侯爵夫人がそうして見せた〝カーテシー〟は――今までに見た誰よりも、優雅で美しい仕種だった。
「御礼などと、私はそんな――」
これと言って何もしていない。
私はそう言って手を振りかけたものの、顔を上げたエモニエ先代侯爵夫人の表情を見て、なぜかその先は続けられなくなってしまった。
(ブラーガの領都商業ギルドに預けた証拠書類、無駄にはしないで下さいませね?)
明らかに夫人の目がそう言っているように、私には見えたからだ。
これは「御礼」ではなく「願い」。
夫人の処遇が強制送還であることは、ほぼ決定事項だろう。そしてミルテ王女のお茶会事件で屋台骨の揺らいでいるマルハレーテ伯爵家や実家のフレイア伯爵家に対しては、己の身、証言をもって引導を渡すのだろう。
ではアンジェス国側は?
彼女の矛先は本当に、亡くなった先王や先々代の王だけなのか?
……もしかして、何もしてこなかったエモニエ侯爵に対しても、本当は思うところがあったのではないのだろうか。
投資詐欺事件の主犯格となったブロッカ商会。その商会長夫人でもある元エモニエ侯爵令嬢に対しても。
彼女の「感謝」は、亡くなった先代エモニエ侯爵と、侯爵家と縁づかせたトーレン先代宰相にだけ向けられていたのだから。
「……ユングベリ商会長として言わせていただくのであれば」
慎重に、言葉を選んで。
そんな私を、エモニエ先代侯爵夫人の感情を抑えた目がじっと捉えていた。
「アンジェスの王都商業ギルド長、国内最大手のラヴォリ商会との情報共有は可能。元々独立精神が旺盛で、政治の権力に屈しないのが、彼らが彼らたる所以ですから……何一つ握りつぶされることはないと断言いたします」
リーリャギルド長どころか、この国の宰相でさえ一目を置くラヴォリ商会だが、明らかに今回の騒動を腹に据えかねている。
長年の宿敵、ボードストレーム商会の販路を剥奪することは、恐らくラヴォリ商会にとっては「手始めの一手」にしかすぎないはずなのだ。
恐らくは先代エモニエ侯爵夫人が残していく「証拠書類」を、バリエンダール側と揉めない程度には活用するだろう。
「むしろアンジェス、バリエンダール、双方にとって劇薬となるのでは――とすら思います」
そもそも、ただの取引の証拠書類であるはずがない。
アンジェスの先代宰相が仕込んだ致死薬も、そこには含まれているはずなのだ。
何を仕込んだのかは、今となっては誰にも分からなくとも、確実にそれは該当者の首を絞めていくだろう。
たとえ裁く側に、その自覚がなくとも。
「私も恐らくは『駒』の一つにすぎません」
「…………そう」
呟いたエモニエ先代侯爵夫人の口元に、いっそ清々しいまでの笑みが再び浮かんだのがこの場の全員に見えた。
「それなら、この国から追放されても本望かしらね。私、貴女に後を託せるのかどうかが知りたかったのよ」
「夫人、いえ、アレンカ様……」
「これで心置きなく、私は私の復讐に注力できますわ」
「……っ」
復讐は何も生まない。
馬鹿なことはしない方がいい。
生きていればいずれいいことがある。
本当なら、そんな言葉をかけなくてはいけないのかも知れない。
けれど今、生きている者の中では誰一人、彼女を説得できる人間がいないこともまた確かだった。
言葉に何一つ説得力を持たせられないからだ。
――何よりこの国の王が、彼女が望む、彼女の行く末を認めてしまった。
「書類をブラーガ領都商業ギルドに取りに行くのがカプート子爵だとしても、その使い道は、私は貴女に委ねましてよ――ユングベリ商会長」
希代の悪女であるはずの彼女の微笑みを、私は一生忘れることはないだろう。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
いつも読んでいただいて、応援していただいてありがとうございます!
今月諸々締め切りなどがあり、思うように進めていないのと、返信が滞っているのと……色々とございますが、コメントは全て読ませていただいておりますので、落ち着いたところで必ず返信させていただきます!
【告知】
https://www.alphapolis.co.jp/manga/official/54000568
コミカライズ版「聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?」
紙書籍版が発売いたしました後、本日から連載版も再開されました!
たくさんのいいねをどうかよろしくお願い致しますm(_ _)m
また、電子派の皆様お待たせしております!
今週金曜、19日から各社配信開始となりますので、ご期待下さい。
配信が始まり次第近況ボードにてご案内申し上げます……!
それはそれで、ヘルマン(兄)長官や他の長官たちの怒りの矛先が、どう侯爵らに向いているのかが非常に気になるものの、そちらを見に行く理由もなければ、この場に留まる理由ももはや見当たらなかった。
私に与えらえた時間は、ここまでということなのだ。
居残ろうと思えば可能なのかも知れない。だけどこれ以上は、エドヴァルドに迷惑をかけるだけだと分かっていた。
護衛騎士か〝鷹の眼〟か、聞けば誰かが後で教えてくれるだろう。
私はそう見切りをつけて、この場を後にすることにした。
エモニエ先代侯爵夫人が王宮護衛騎士の手で連れられて行くのに合わせて、私も無言で頭を下げて立ち上がった。
やはりちょうど潮時ということなんだろう。この場の誰も、改めて私に声をかけてくることはなかった。
エドヴァルドだけが何か言いたげだったけど、声をかける理由が見つけられなかったのだろう。
どこか、多分私の視界には入っていなかった所にいたっぽい〝鷹の眼〟に向けて目配せをしているのが見えた。
「――王宮から下がるのか?」
やがて、部屋を出ようとした私の背にファルコの声がかかる。
アルノシュト伯爵への事情聴取を見守っていたと思っていたのに、いつの間にか戻って来ていたらしい。
部屋を出て、扉が閉まるのを確認したところで「……いいの?」と、私はファルコに話しかけた。
「何が」
「何が、って……」
私の表情から、何が言いたいのかをそこで悟ったらしい。
ああ、とファルコはそこで頷いた。
「確かにあの男の行く末を見届けていたとて、お館様は許して下さるだろう。だが〝鷹の眼〟としての役目を疎かにしてしまえば、俺は姉貴にも、誰にも顔向けが出来なくなる。優先順位をはき違えたりはしねぇよ」
「優先順位」
オウム返しに呟く私の背を、ファルコがそこで勢いよく叩く。
「痛っ⁉」
「いいから! アンタに何かあったら、汚染された土地の改善も何もないわけだからな。自重の行方不明はお館様に殺されるが、ちょっとした遠出なら〝鷹の眼〟が付いていってやるから」
「いや、ちょっとした遠出って!」
「行方不明よりマシだろうが」
「――――」
うっかり答えに窮したところで、不意に「……あの」と、柔らかな女性の声が私とファルコの会話の中に加わってきた。
「⁉」
驚いて振り返った視線の先には――王宮護衛騎士に両脇を挟まれた、アレンカ・エモニエ先代侯爵夫人の姿があった。
「エモニエ――」
先代侯爵夫人、と言いかけた私の言葉を、夫人はゆるゆると首を横に降って遮った。
「じきに『エモニエ』の名は取れますでしょうから、アレンカで結構ですわ」
「……分かりました」
そう言われたとて、今すぐどうこう出来るものでもない。司法の上では未だ「エモニエ先代侯爵夫人」だ。
私が、他に言いようがなかったこと、それすら理解しているとばかりに夫人は微笑んだ。
「ユングベリ商会長、と今はお呼びすればよろしいのかしら」
「……どの立場の『私』にご用がおありかによると思うのですが」
聖女の姉。
宰相閣下の婚約者。
フォルシアン公爵の義理の娘。
そして、ユングベリ商会の商会長。
声のかけ方からすれば、最後の「ユングベリ商会の商会長」に用事があるのだろうと、推測は出来る。
それでも聞いておくにこしたことはない。
迂闊なことを言えば、都合のいいように絡めとられる。
そんな気を起こさせる女性だからだ。
「ふふ……そうですわね」
案の定、これから貴族牢に収監されるであろう立場にも関わらず、エモニエ先代侯爵夫人は口元に笑みを浮かべていた。
「バリエンダールのリーサンネ商会を、抱えていたマルハレータ伯爵家ごと断罪なされたと先ほど仰いましたでしょう?」
「断罪は司法が行うものです。夫人――いえ、アレンカ様。私はただ、その罪を、日の当たるところへと引きずり出したにすぎませんので」
ミルテ王女主催の茶会で〝痺れ茶〟の存在を暴いたのは、ある意味たまたまだ。毒を確認する優秀な薬に、それが引っ掛かっただけだ。そこは主張をしておきたいところだ。
「大した違いはございませんわ」
いやいやいや! 私には嬉々として死神の大鎌を振るうような趣味はございませんので!
そうは言っても、エモニエ先代侯爵夫人にとっては、それさえも今更なのかも知れない。
「貴女様に心からの御礼を。私はそれを申し上げたかったのですわ」
エモニエ先代侯爵夫人がそうして見せた〝カーテシー〟は――今までに見た誰よりも、優雅で美しい仕種だった。
「御礼などと、私はそんな――」
これと言って何もしていない。
私はそう言って手を振りかけたものの、顔を上げたエモニエ先代侯爵夫人の表情を見て、なぜかその先は続けられなくなってしまった。
(ブラーガの領都商業ギルドに預けた証拠書類、無駄にはしないで下さいませね?)
明らかに夫人の目がそう言っているように、私には見えたからだ。
これは「御礼」ではなく「願い」。
夫人の処遇が強制送還であることは、ほぼ決定事項だろう。そしてミルテ王女のお茶会事件で屋台骨の揺らいでいるマルハレーテ伯爵家や実家のフレイア伯爵家に対しては、己の身、証言をもって引導を渡すのだろう。
ではアンジェス国側は?
彼女の矛先は本当に、亡くなった先王や先々代の王だけなのか?
……もしかして、何もしてこなかったエモニエ侯爵に対しても、本当は思うところがあったのではないのだろうか。
投資詐欺事件の主犯格となったブロッカ商会。その商会長夫人でもある元エモニエ侯爵令嬢に対しても。
彼女の「感謝」は、亡くなった先代エモニエ侯爵と、侯爵家と縁づかせたトーレン先代宰相にだけ向けられていたのだから。
「……ユングベリ商会長として言わせていただくのであれば」
慎重に、言葉を選んで。
そんな私を、エモニエ先代侯爵夫人の感情を抑えた目がじっと捉えていた。
「アンジェスの王都商業ギルド長、国内最大手のラヴォリ商会との情報共有は可能。元々独立精神が旺盛で、政治の権力に屈しないのが、彼らが彼らたる所以ですから……何一つ握りつぶされることはないと断言いたします」
リーリャギルド長どころか、この国の宰相でさえ一目を置くラヴォリ商会だが、明らかに今回の騒動を腹に据えかねている。
長年の宿敵、ボードストレーム商会の販路を剥奪することは、恐らくラヴォリ商会にとっては「手始めの一手」にしかすぎないはずなのだ。
恐らくは先代エモニエ侯爵夫人が残していく「証拠書類」を、バリエンダール側と揉めない程度には活用するだろう。
「むしろアンジェス、バリエンダール、双方にとって劇薬となるのでは――とすら思います」
そもそも、ただの取引の証拠書類であるはずがない。
アンジェスの先代宰相が仕込んだ致死薬も、そこには含まれているはずなのだ。
何を仕込んだのかは、今となっては誰にも分からなくとも、確実にそれは該当者の首を絞めていくだろう。
たとえ裁く側に、その自覚がなくとも。
「私も恐らくは『駒』の一つにすぎません」
「…………そう」
呟いたエモニエ先代侯爵夫人の口元に、いっそ清々しいまでの笑みが再び浮かんだのがこの場の全員に見えた。
「それなら、この国から追放されても本望かしらね。私、貴女に後を託せるのかどうかが知りたかったのよ」
「夫人、いえ、アレンカ様……」
「これで心置きなく、私は私の復讐に注力できますわ」
「……っ」
復讐は何も生まない。
馬鹿なことはしない方がいい。
生きていればいずれいいことがある。
本当なら、そんな言葉をかけなくてはいけないのかも知れない。
けれど今、生きている者の中では誰一人、彼女を説得できる人間がいないこともまた確かだった。
言葉に何一つ説得力を持たせられないからだ。
――何よりこの国の王が、彼女が望む、彼女の行く末を認めてしまった。
「書類をブラーガ領都商業ギルドに取りに行くのがカプート子爵だとしても、その使い道は、私は貴女に委ねましてよ――ユングベリ商会長」
希代の悪女であるはずの彼女の微笑みを、私は一生忘れることはないだろう。
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