聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

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第三部 宰相閣下の婚約者

811 怯える草

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「もう……なんで動いちゃったかなぁ……」

 体調を崩して動けない、街道封鎖の影響が残っていて移動が出来ない等々、言い訳を並べ立てて、当面サレステーデへは戻らないよう仕込んでおいたはずだったのに。

 誰が、どうやって二人をサレステーデ側に誘ってしまったのか。
 その疑問に答えたのは、リーシンだった。

「いや、どうもあっちの宰相サンの方が最初に騙されたっぽいんだな、これが」
「え?」

 一瞬、バレス宰相の方が何かしら嘘をついてサラをユレルミ族の郷から出るように仕向けた――ように聞こえたけれど、微妙に違うとリーシンは言った。

「嘘をついて、二人を郷から出るように仕向けたのはホント。問題なのは、その理由。バリエンダール側の北方遊牧民族を怒らせてしまって、軟禁されている。商業ギルドの登録を抹消されるかも知れないし、何より王家の不興を買っているから、何とか呼び戻した方がいい――みたいなことを囁かれたらしいんだよね。で、どうやら自分が病気になったことにして、手の者をって、二人に国境を越えさせたみたいで」

「何それ⁉ 誰に⁉」

 噓八百もいいところだ。私はうっかり声を上げてしまった。

 ただ、嘘だと思うのは実情を知る私だからであって、ユレルミ族の郷にいるサラたちでは、真偽の見分けは難しかっただろう。
 不安になるサラを、恋人のラディズ・ロサーナ公爵令息が後押ししながら出国したとしても責めることは出来ない。

 むしろ、誰がそんなことを言ったのか。そちらの方が重要だ。

「えーっと……なんだっけ」

 どうやらリーシンは、すぐには名前が出て来なかったらしい。
 一瞬視線を彷徨わせた後、思い出したところでぽんと手を叩いた。

「ファブリエル・メンノ。バリエンダール王都商業ギルドの、前の副ギルド長だとか何とか」
「はい?」
「まあ、普通に聞けば『はい?』ってなるよネ? 前の副ギルド長が何してんだって話だけど。これもまあ、裏があって」
「裏がなかったら今こんなことになってないと思うけど……」
「そんなあげ足取らないでよー」

 相変わらず、軽いんだかチャラいんだか、微妙にイラッとさせられる〝草〟である。
 とはいえ今は、その話に耳を傾けるしかない。

「バリエンダール王都商業ギルドって、前のギルド長が民族問題でもめた末に殺されて、今のギルド長が異例の若さで就任したって話は関係者の間では有名なんだけどさ」

 知ってる? と目線で問いかけるリーシンに、私は無言の頷きでそれに答える。
 シャルリーヌは隣で目を見開いているけれど、リーシンが気にしたのは私の反応だろう。
 この場ではそこを詳しく説明することはせず、話を続けた。

「直接手にかけたのか、手引きしたのかは知らないけど、前副ギルド長はその事件の関係者として断罪され、ギルド職員としての資格を剥奪された」

「え、それだけ? 捕まって裁かれたんじゃないの?」

 少なくともナザリオギルド長やその周辺は、そういう認識でいたはずだ。
 だけどリーシンは「普通ならそうなるよネ」と、肩をすくめた。

「これさ、今回の件が起きるまでキレイに隠蔽されてたみたいなんだけど、この前副ギルド長を逃がして匿っていた『家』があってさ」
「……家」

 普通なら殺人罪か殺人教唆の罪で首と胴が離れていてもおかしくない。大国の王都商業ギルド長が命を落としたのだから、前副ギルド長が仮に貴族だったとしてもさすがに無罪放免にはならない。だからこそナザリオギルド長たちも、今更前副ギルド長の現状になど気を配ってはいなかった。

 それが、そうではなかったというのなら。
 ギルドの秩序どころか、バリエンダール法曹界ですら、鼎の軽重を問われる。

 ――そんなことに手を回せる家など、一つしかあるまい。

「ベッカリーア公爵家ね……?」
「正解ー」

 私自身は公爵やその周辺の側近に、まだお目にかかってはいない。
 けれどミラン王太子が今、断罪を画策し、アンジェスにおいてもアレンカ・エモニエ先代侯爵夫人が人生をかけて復讐を誓った家だ。

 むしろここでも名前が出てきたことに、呆れるやら感心するやら……である。

「もしかして、イラクシ族あたりに公爵家の内通者がいた……?」

 ハタラ、ネーミ、ユレルミなんかは、それぞれの族長もしっかりしているし、何よりジーノ・フォサーティ宰相令息の目がまだ届いている。
 イラクシ族だけは、イーゴス族長は病の床についているし、つい最近までは娘や息子たちの間でもめていた。

 北方遊牧民族を下に見ているという王都の貴族が、その支配を目論んで手を伸ばしていた可能性は確かにあった。

 ここからは確かめようがない。あくまで私が現地で見聞きしたところからの、想像だ。

「その可能性は高いねー。こっちも三国会談があったし、そこまで調べる時間なかったけどさ」

 リーシンも私が口に出した可能性を否定しなかった。

「え? その公爵家って、もう棺桶に片足突っ込んでいるのよね? 今さら何を足掻こうと?」

 うーん……と思わず声を合わせてしまった私とリーシンに、冷静な声をかけてくれたのは、シャルリーヌだった。

 さすがギーレンで王妃教育をほぼ終わらせていたヒロイン、頭の回転は、負けず劣らず早かった。
 棺桶に片足つっこんでいる、などとご令嬢らしからぬセリフがこぼれおちている点だけは、転生者としての意識に引っ張られているのだろうけど。

 それでも、私とリーシンが状況を整理していくのには、とてもありがたい合いの手だった。

「あー……うん、そのあたりの見解が知りたいっていうのが、長官やら宰相閣下やらがここに行けと言った理由だと思うけど?」

 そう言ってリーシンが、私の顔を覗き込む。

「見解……」
「だってココ、アンディション侯爵領だし。それ以前に転移装置がどうのということじゃなくて、今、会談真っ只中でしょ? 長官たちにはこっちのことに割く時間も人手もないでしょうよー」

 ド正論である。
 そもそもアンジェス王宮は、元から人手不足。

 猫の手も借りたい。
 立っている者は親でも使え。

 それは日本の諺だけれども。

 頼って貰えているのを喜ぶべきなのだろうか。
 ちょっぴり釈然としないモノを抱えながらも、私は腕組みをして考え込んだ。

 どのみちここまで聞いてしまえば、素知らぬふりも出来ない。
 少なくともサラとは、これからも交流していく予定なのだから。

(ミラン王太子による大鉈振るい、もとい断罪直前のベッカリーア公爵家が、今から足掻くとなると……しかも北からサレステーデの宰相に牽制を入れるとすれば……)

「サレステーデのバレス宰相は、どうやってもアンジェスに来なくてはいけない。留守中に娘を楯に会談を不利にされたくないから、本国の邸宅に閉じ込めておく? いやぁ……それはないわよね……」

 今さら娘を楯にせずとも、サレステーデは元より優位な立場にはない。それをする意味がないのだ。
 言葉に出して、頭の中を整理しようとする私に、不意にシャルリーヌが「……ねえ」と、何かを思いついたらしく、話しかけてきた。

「それ、状況が逆じゃない?」
「逆?」
「その、行方をくらましていた前副ギルド長とやらが、バレス宰相の娘さんと恋人を邸宅に閉じ込めて、宰相を脅している可能性ってない?」

「「‼」」

 それは私だけではなく、リーシンも考えつかなったことなのだろう。
 二人して思わず息を呑んでしまっていた。

「……でもシャーリー、それなら別にサレステーデにわざわざ行かせなくても良くない?」

「バリエンダールにいたままだと、宰相側に信憑性がないと思われる可能性があったから、とか。だからどちらにも、嘘をついた」

「親切を装ってサレステーデまで連れていった後、手のひらを返して宰相家を脅した、と?」

「その前副ギルド長とやらは小物な気もするけど、後ろに公爵家が付いているのが本当なら、それなりに腕の立つ輩を連れて行ってるんじゃない? 宰相と娘、双方が刀でも突きつけられて、脅されでもしたら?」

 ゴ令嬢ノ発想ジャナイネー……などと、リーシンがわざとらしく呟いているのは無視スルーだ。
 それは必ずしも、荒唐無稽な予測ではないのだから。

「脅す……脅すかぁ……だけど何を……?」
「ある程度会談の流れがもう決まっているのであれば、サレステーデが引き出したい妥協点に答えが眠ってない? ちょっと、それが何かと言われると困るんだけど。私がそれを判断するには、知っていることが少なすぎるもの」
「妥協点……」

 暗に私の方が想像つくだろうと言われているようなものだ。
 けれど私がシャルリーヌよりも多くの関係者を見知っていることは事実だ。
 頭の中で目まぐるしく情報を整理させる。

「サレステーデがもし今の状況を少しでも挽回したいと思うなら……自治ではなく王位の交代をあとの二国に認めさせること、かな? 自治よりも遥かに国としてのプライドは守れるもの。うん、多分それしかない」

「だけど第一王子と第二王子は、色々とやらかしちゃってるわよね。絶対に認められないじゃない。あとは……第三王子?」

「えー……女癖が悪すぎて臣籍降下が決まってるって聞いてるわよ? 体のいい厄介払い。そんなのを王にしたら、どっちにしたって国としては長くはもたな――あ」

 そんな軽い神輿を担いでどうするのか。
 ないない、とその可能性を捨てようとして、私はそこで口を閉ざした。

(違う。ない、どころの話じゃない)

 むしろ目的は――だ。

「多分そのベッカリーア公爵家だっけ? サレステーデにも誰かが輿入れしていて、親族がいるんじゃない? で、自分たちの息がかかったその親族に第三王子を担がせて、裏から権力を握る。そうすれば、バリエンダールでの権力を取り上げられたとしても、まだ生き残れる。そう考えてはいないかしら?」

「……過保護なバレス宰相によるサラの軟禁じゃなく、娘は人質に取られて、第三王子が代わって王になることを会談上で認めさせるよう、脅されてる……?」

「サレステーデの宰相邸で脅迫ソレが出来ているなら、自分たちにはバリエンダールから届く長い手があるぞっていう無言の主張になるもの。欲を言えば、宰相邸の様子をもう少し詳しく知りたかったわね」

「えぇぇ…………何それ。この二人コワイ。っていうか、さすがに無茶ぶり……」

 私とシャルリーヌ、二人の視線を受けたリーシンは、両手で降参のポーズをしながら、首をぶんぶんと横に振っていた。
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