ヒロインかもはみだし番外編集

深月織

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婚約中◇ 【とある夏の、】

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 窓から差し込む夏の日差しを避けながら、書類を抱えて社内通路を歩いていると、俺様専務婚約者殿に行き合った。
「鈴鹿。今日家に来ないか」
 問い掛けの形でお誘いされているにもかかわらず、命令されているような気分になるのは何故なのか。彼の唇に浮かんだ余裕すぎる笑みのせいか。
「すーず、返事」
 つらつらと余所事を考えて返事をせずにいると、額を突かれた。
「はっ。えーと、お泊まりの用意とかしてないし……?」
「うん。じゃあ仕事終わったら連絡入れて」
「ひとの話聞いてんの」
 やんわり無理かなー、という意思表示をしたにもかかわらず、オッケーしたことになってるのは何故だ。
 乙女のお泊まりには寝間着着替え基礎化粧品とかもろもろ必要なんだよ。思わずジト目になりますよ。
「要りそうなものは揃えてあるから」
「はいぃ?」
 あたしの言いたいことなどお見通しだったのか、先回りして専務が頷く。
「泊まりに来るたびいちいち準備するのも面倒だろ。足りなければ買いに――」
「どうしてそう無駄遣いに走ろうとするかな!」
「まあ、そういうことで」
 待て、あたしはまだ納得してないし良いと言ったわけでもない――などと、引き留める間を与えず彼はヒラリと手を振った。
 仕事中なので、追いかけて取っ捕まえるわけにもいかない。それも作戦のうちなんだろう、飄々とした背中が廊下の向こうへ去っていくのを拳を握って見送るしかなかった。
 同期の仲間から上司と部下の関係を経て、恋人期間をすっ飛ばして結婚確定婚約者になったあたしと専務――もといフミタカさんなのですが、今までが今までなだけに、その違いに微妙な気分になってしまう。
 さすがにもう当初の「あたし騙されてない?」なんて逃げ腰な考えは持ってないし、自分がちゃんと彼に想われていると理解している。
 けど、ずっと、『色気? ナニソレおいしいの?』という関係だったがために、こう、なんていうか不意に甘い雰囲気になると、思考停止に陥ってしまう。
 二人きりの時はまだいい。ただ今みたいに仕事場で身内距離になると、うまく意識の切り替えができなくてまごついちゃうのだ。
 と、まあ恋人の挙動が初心者マークなあたしに反して、フミタカさんはエロ甘だ。
 カテゴリー『子分』の妹扱いしてたくせに、よくもまあ、ああコロッと態度を変えられるものよ。これも経験の差か。
 そもそもの話、男友達は多いもののお付き合いなどしたことのないあたしは、対恋人にふさわさしい振る舞いの知識がない。
「なんじょーさん」となついていた昔に戻るわけにもいかないし、専務に対する秘書モードは論外だって言われたし。
 それにさ、つまりさ、ようするにさ――両思いになったからってすぐさまラブ全開になれるくらい可愛いげがあったら不毛な片想いを七年も拗らせてないよねってハナシなの!
 ……恋人になる前の方が好意を素直に表せていたような気がする。
 こんな残念な婚約者ではたしてご満足いただけているのだろうか。少々心配になるあたしであります……。
 残業でも飛び込んで来るかな、という予想に反して、何事もなく――というか普段よりもずっとスムーズに業務は終了し、何となく釈然としない気持ちでフミタカさんを迎えに行く。
 婚約者になったとはいえ、社内で身内ぶるなんてできない――と思うこと自体、自意識過剰だってわかってる。
 別にコソコソする必要はないのに、なるべく社員と行き合わないようにしてしまうのは、もう癖だ。
 彼が専務になってから、いろいろと面倒事を避けるためもあって個人的な接触をしないように心掛けていたけれど、自重しない相手のせいでそれも無駄に終わったし。
 なんだかんだ言いつつ許容していた時点で敗けなんですけどね、はい。
 ノックして声を掛ける。
 扉を開けるとすでに帰り支度を済ませていたフミタカさんが、入ってきたあたしを見て顔を綻ばせる。
「早かったな」
「フミタカさんも、珍しいね」
 身内用の表情が与えられるのは仲間の特権だと思ってた。
 それは密かな優越感で。
 外野からちょっとしたイヤミを言われるくらい、このご褒美をいただけるならプラマイゼロ、ううんプラスが勝つよねって。
 ところがこれが身内の中でも特に対木内用のものだって言われた日には、なかなか信じることができなかった。
 あれが特に特別だなんて気づいてなかったあたしは、暴露した友人たちに散々からかわれて、面映ゆいっていうかちょっと町内を爆走したい気分になったものだ。
 知らぬは本人ばかりなり――って、いろいろと思い返すと恥ずかしいんだけども!
 わかりにくい専務が悪い! って言ったら、めちゃくちゃわかりやすかったけどって反論されて、もう、もう……!
「なに百面相してるんだ」
「フミタカさんが悪いんだしっ」
「意味がわからん……」
 当たり前に手を引かれて。
 暑いのにぺたりとくっついててもかまわない近さに、嬉しくなるのはもうしょうがない。
 こういうのも、惚れた弱味ってやつ?

 夕暮れを過ぎて薄暗くなった空には、雲が風に流れたなびいている。空の唸る気配に、天候が崩れる予兆などなかったのになと思いながら、駐車場で立ち止まったあたしを、フミタカさんが呼んだ。手に持ったビニール袋をガサガサ言わせながら駆け寄る。
 いつものパターン通りなら、適当なお店で食事をしてから彼の家――なんだけど、今日フミタカさんが帰路に寄ったのはコンビニエンスストア。
 お酒やおつまみにジャンクフードを買い込んで、あたしが疑問混じりの視線を向けてもご機嫌な横顔を見せるだけ。
「いつもコンビニの食べ物なんかって言うくせに、どうしたの」
「雰囲気が大事だからなー」
 なんの、と訊ねても「すぐわかる」って言うだけ。企み好きもたいがいにしないと爆発するよ。主にあたしが。
「ん?」
 エレベーターで違う階数ボタンを押した彼に、あたしは疑問の呟きを漏らす。
 ナニユエにR。
 どこ行くのさ、と詰問しようとフミタカさんを振り仰いだ瞬間、止まったエレベーターに家族連れが乗り込んでくる。
 先にいたあたしたちに会釈したご一家のお父さんが、ニコニコとフミタカさんに声をかけた。
「もう始まってるようですね」
「少し間に合いませんでしたか」
 よそ様に珍しく愛想よく答えるフミタカさんに、さらにあたしの不信が募る。
 しかしお子様もいる前で婚約者の胸倉を掴むわけにもいかない。
 眉をしかめるあたしに気づいていないわけでもないのに、知らんぷりするフミタカさんへの報復を考えつつ、エレベーターが屋上へ着くのをじりじりと焦がれるような思いで見守った。
 扉が開くと同時にムッとする空気が吹き付ける。
 はしゃぎながら飛び出したお子様をたしなめるご両親のあとから、屋上に足を踏み出した。
 他にも数人の姿が見えて、いったい何があるのかと今度こそフミタカさんを問い詰めようとすると。
 揺れるように重く空が鳴り、雷か――と巡らせた視界が、遮るもののない夜空に映った鮮やかな色を捕らえた。
 ずれて轟く音に声を上げる。
「――花火!」
 あたしの歓声に満足げにフミタカさんが笑った。
「開始には間に合わなかったけど、充分だろ?」
 言っている間にも、遠く向こうで次々に花が開く。
 企みが成功したからだろう。ニヤニヤと人の悪い笑みを見せる彼の背中をド突く。回りくどいんだからもう。
「そういえば今日渡里川の納涼大会だったね」
「ここの屋上普段は施錠されているが、毎年納涼大会の日だけ住民に開放されるんだ」
「絶好の光景だー!」
 フミタカさんのマンションはこの辺りで一番高台にあるので、屋上に上がれば川向こうの花火会場まで眺め渡せる。
 距離があるだけに当然見える花火は小さいけれど、逆に全体が見えていい感じでもあった。
 他の住人さんたちが、思い思いの場所で空を見ているその間にあたしたちも入って、会場の方向を見やった。
 缶ビールのプルタブを開ける彼にならって、あたしも飲み物を取り出す。
 立ち飲み食いとかお行儀が悪いけれど、うん、「雰囲気が大事」、わかります。
 暑いとかボヤいたり、時折強く吹く風に髪を乱されて顔をしかめたり、連続で打ち上げられる花火に感嘆の声を上げながら、おつまみ片手にアルコール。
 どうってことのない時間の過ごし方に、なんだか特別を感じる。
「って言うか、こんな穴場を持ってるなら早く教えてよ」
 去年、友人たちと出かけたときは散々な目にあったのだ。花火は見たいけど、溢れる人波にもみくちゃにされるのはもう勘弁って。だから今年は忘れていたとも言う。
 専務んちにこんな特典があるって知ってたら、毎年みんなで押しかけたのに。
「馬鹿。うっかり同期連中に知れたら溜まり場にされるだろ」
「……。」
 まさにその状況にしてやろうと考えていたあたしは、彼の渋面から顔を背けて缶チューハイを傾けた。
 いやでも、そのうちっていうかあたしたちが結婚したら、遅かれ早かれみんな家に来ると思うし。
 フミタカさんだけならみんな気を使って遠慮するだろうけど、そこにあたしが加わるとなったら、これ幸いと騒ごうとするんじゃないかなー、って。……黙っとこ。
「フミタカさん今まで独り占めしてたんだ。ズルい」
 ふざけて軽口を叩くと、心外だというため息を返される。
「あのな。お前俺が一人で花火観て楽しむタイプだと思うか?」
 熟考したあたしは首を振る。
 まあ、女のひと口説くネタにはするんじゃないの、そう意地悪を言いかけて、柔らかく微笑んだフミタカさんの瞳に口を噤む。
「お前が喜ぶだろうなって、ずっと連れてきたかったから、念願果たせたな」
 ――サラッとこんなことを言うひとに、あたしはどう対抗したらいいんだろう。
 自分の「好き」をどう表せばいいか迷ってるうちに、どんどん先に行ってしまう彼に、どうすれば追いつけるんだろう。
 そろそろフィナーレなのか打ち上げの感覚が短くなって、大輪の花が連続して夜空を彩る。
 胸の奥まで響く音に鼓動を高められて、お酒のせいもあるのか、大胆な気分になった。
 フミタカさんを見上げると、言葉を拾おうと、いつものように屈んでくれるその隙を狙って。
 面食らった顔の彼に、まずは一矢、と満足して唇を曲げる。
「……お前な……、どうしてこう突拍子もなく俺の意表を突くんだ……」
 掠め取ったキスがよほど予想外だったのか、わずかに頬を赤くしたフミタカさんが口元を抑えて毒づく。
 そのレアな表情を、今日の花火と一緒に、しっかりと心にメモるあたしなのだった。


(初出:2014/08/08サイト拍手SS)
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