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第六話 能力
しおりを挟む「──ひゃっ!! 」
ほんの一瞬の出来事だった。目を開けていられないほどに渦巻く旋風に身体全体が一瞬包み込まれたような感覚の後、マーガレットは気がつくと、屋敷の客間とおぼしき場所に立っていることに気が付いた。
「──着いたぞ……」
「えっ! すごいっ……一瞬で場所が変わった……ここはどこなの? 」
人質として魔導師に拐われた令嬢は、窓辺から春の陽射しが差し込む、自分が住んでいた屋敷と然して変わらない豪奢な部屋の様子を不思議そうに眺めた。
「──あっ、ひぃっ! ………」
サイラスは握っていたマーガレットの手に気がつくとさっとそれを離し、ブルッと身震いをしてくるりと背を向けた。
「──サイラス? あなた、さっきからレディに対してとっても失礼だわ。それは一体何のまねなの? 」
自分に背を向ける魔導師をマーガレットはキッと一睨みした。しかし、直ぐに魔導師は何食わぬ顔で再びマーガレットを振り返った。
「……いや、失礼。これは何でもない……ひゃっくりが出ただけだ。気にするな」
マーガレットは眉を顰め、肩をすくめた。
──ひゃっくりって……わたしに触れる度に? 女性に対してアレルギーでもあるのかしら……?
「そうなの? それはお気の毒なこと。で、ここは一体どこなの? 」
「あぁ、ここは俺が住んでる屋敷だ。俺は国の大事を担う特殊能力を買われ招かれた国賓扱いだからな。ヴェネスの王より特別に、王宮の奥の殿、つまり、王族の居住する一角の離れの別邸を丸ごと宛がわれている」
「ヴェネスの王宮の奥……」
マーガレットは窓際に歩み寄り、目の先の花壇一杯に咲き誇っている紫や赤にピンク、色とりどりに彩られたルピナスの花々から、庭奥の背の高い鉄柵越しに望む、陽を受けキラキラと煌めく遥かな海の地平線へと視線を移した。
「まぁっ! 海ね……素敵……」
その鮮やかな光景を眺めるうちにマーガレットの頭には一瞬、結婚したら海を渡って旅をしようと自分に言ったキーガンの、武骨でぎこちのない笑顔を浮かべた先刻までの遠乗りの光景が頭に浮かんだ。
──キーガン様、ご無事にお城へ戻れるかしら……
……でも……もうわたくしのことも、そんな会話を交わした記憶すらもキーガン様の頭からは失われてしまったんだわ……
マーガレットは、心にまだ整理のつかないやるせない想いが再び甦ってくるのを感じた。
「──マーガレット? 分かってるだろうがこのヴェネスから逃げ出そうとはゆめゆめ思わないことだ──まぁ、右も左も分からぬ場所では逃げようにもどうすることも叶わないだろうが……」
マーガレットは現実に引き戻され、サイラスを見遣った。
「──あら、それは、サイラス? あなたが乱暴なことはしないと誓った約束を守ってくれたらの話だわ。わたしって、世間知らずのお嬢様かもしれないけれど、知らない土地を巡り歩くのは楽しくて仕方のない質だから、一人では何もできない、大人しくておしとやかな箱入りのお姫様とかと一緒にされるのは大間違いですわよ? ……だから、もし約束を反古にしたら絶対外へ抜け出して見せますわ? うふふふ……」
「──おっ、おいおい! やめてくれよ。あまり面倒なことを起こさないように頼むぜ。しかし、まだこの国での貴女の処遇は正式には王の最終決定を待たねばならないんだ……」
「えっ! わたしは暫くこのお屋敷で暮らすのではないの? 」
「そうなるとは思う……が、まぁ、そこは俺に任せろ。俺にしたって、若い貴婦人が鎖に繋がれ、尖塔の天辺か地下かまでは知らんが、ネズミがウロチョロする狭くて汚い石牢に放り込まれるのを黙って見るのは忍びない……」
「──な、何ですってぇ?! わたしがそんな仕打ちを受ける可能性を隠して連れてきて、まんまとわたしを罠にはめたわね!! 」
マーガレットは髪を逆立て、魔導師をキッと睨んだ。
「いやいやいや! だから、そんなことはさせないと言っているだろう? ……もし万が一、王との謁見で貴女との約束を違えるような状況になっても……俺はそれには全力で反論しよう。王も俺には強く反対はできまい。何せ俺がその気になれば、この国の軍隊などが束になって襲って来たとて、そいつらをまとめて焼き尽くすくらいは造作もないことなんだから……まぁ、それはあくまでも最終手段の話だが……」
「ふんっ、本当にそんな話を信じてもいいのかしら? ……でも、まぁ、分かったわ。あなたを一旦は信じたのだから、今はあまり騒がないことにしておくわ──それで、わたしはいつまでヴェネスに拘束されればいいのかしら? 」
顎が尖りそのスッキリと整った面立ちの心の内を探るように、マーガレットは澄んだ青い瞳から視線を遣った。
「──それも俺が決める話ではないな。レウィシルトとの交渉の成り行き次第というところだろう……」
マーガレットは一つ深い溜め息をついた。
「ふぅ、そうですの……人質ってすごく不安だし気持ちのいいものじゃないわね。お部屋の籠の小鳥っていつもこんな憂鬱な気分でいるのかしら……ねぇ、サイラス? あなた、そんなに強い力をもっているのなら、王様の下で働かなかなくったっていいんじゃないのかしら? なんだったらわたしの国に来ない? あなたがその魔法の力でわたしを帰してくれるのなら、その後はわたしの国に暫く留まってくれもいいのよ? キーガン様のことがあるけれど、わたしが何とか上手くお父様に取り成してあげるわ? 」
「いや……そうもいかん話だ……そもそも約束を勝手に放り投げるような筋が通らないことは俺はしたくはない……」
「でも、たまたまヴェネスの王に雇われただけじゃないの? 」
「そうは言ってもだな……」
「──まぁ! 案外そういうところは義理堅いのね」
サイラスは静寂さを湛えた紫水晶のような瞳でじっとマーガレットを見詰めたかと思うと、首をすくめ手を大きく横に広げるような仕草をした。
「──ふふっ! しかし、マーガレット、君の思い付きはいつも突拍子もなくて面白いな」
「えっ? わたしって、突拍子ないかしら? 」
道理の分かっていない幼い子供を軽くあしらうようなサイラスの言い振りにマーガレットは少し傷つき、プウッと頬を膨らませた。
「──まぁ、そう膨れるな。何故俺ほどの特
別な力の持ち主が、王とはいえ俺に対して絶対的に無力な者の命令に従わなければならないのか、ってことも気になるか? 」
「うん。まぁね……とても気にはなるわ。だって、なろうと思えば王様にだって軽くなれちゃえそうなくらいすごい能力のように思えるもの」
「──まぁ、貴女の疑問も分からないではないな……」
そう言って魔導師は少し考えながら、大理石でできたマントルピースへ歩み寄り、その上に置かれた呼び鈴をリンと鳴らした。
そうして再び口を開いた。
「──そうだな、君には分からんかもしれないが、人の上に立つってのは色々と面倒なことが多いものだ。寝る場所と食い物にありつけて、時折暇つぶしに王から下るミッションでもあって、適当に悠々自適に生きていく方が俺には向いてるのさ? ──ふふっ、どうだ? がっかりしたか? 」
口許に自嘲を込めた僅かばかりの笑みを浮かべ、自分に投げ掛ける視線に寂しげな影を落とすサイラスをマーガレットはじっと見詰めた。
「そうなの……」
マーガレットは少し考えてから答えた。
「うん。そうね……わたしはそれはちょっとがっかりかな。だって、もって生まれた自分の才能の上にあぐらをかいて適当に生きるだなんてすごくつまらないし、第一勿体ないじゃない? わたしは才能なんかなくったって自分の理想を追いかけたり、守りたい恋人のために頑張っている殿方の姿に憧れるもの……」
「ふっ……そうか──守りたい貴人か……」
魔導師もマーガレットの傍らに立ち、庭園の柵越しに遠く望む遥かな海の地平線を一緒に眺めた。
──コンコンコン!
誰かが部屋をノックした。
『ご主人様』
「──エイダか……入ってくれ」
すると、小柄でやや背の曲がった、ギョロりとした目付きに鷲鼻の老いた下女がノロノロと部屋へと入ってきた。
「ご主人様、ご無事のお戻り、何よりでございますじゃ……」
「あぁ……初仕事で予想外に手間取ったが何とか上手く事は運んだ──」
「──それはよろしゅうございました」
「あぁ。アンドレイ王の言い付け通り、こうして隣国の宰相の令嬢をお連れすることができた。こちらはマーガレット嬢だ」
「エイダですじゃ。よろしゅうお願いしますで」
エイダはゆっくりとした動作でマーガレットにお辞儀をした。
「──えっ……えぇ、よろしくね……」
「──あ、それから、エイダ? 今日の夕刻にも王へマーガレット嬢を連れて謁見を願い出たい。その旨、王に伝えてもらってくれ。王も直ぐに会いたいと言われるに違いない」
「──はい、旦那様。では王宮執事殿にその旨お伝えしておきますじゃ」
「あぁ。よろしく頼む。あとそれから、まだ夕刻には大分間がある。マーガレット嬢は外からの帰りで召し物も汚れてしまっている。湯でゆっくりと汗でも流して、新しいドレスに着替えてもらいなさい。夕刻までには王の御前に立つ支度を整えてもらえると助かる」
「──畏まりましたで、旦那様」
「あぁ、頼んだ。俺は先に失礼して少し自室で休むことにするよ。何せ甦りの呪文ってのは酷く体力を使うんだ──それじゃあ、マーガレット、後でまた」
サイラスが部屋から先に出ていくと、老女はマーガレットの方を向いた。
「──マーガレット様、お着替えをするマーガレット様のお部屋は二階じゃから、この婆がそちらへご案内しますじゃ……」
「えぇ、分かったわ」
エイダの後に続いて、マーガレットは屋敷の二階に続く階段を上がっていった。
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