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第三十五話 最悪な二人の出会い
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伊織は地面を蹴って疾駆すると、ぽかんとしていたマサミツの前に移動した。
それだけではない。
伊織は険しい顔つきを浮かべ、リーチに向かって中段の構えを取る。
「おいおい、勘弁してくれよ。いくら俺でも棒でぶっ叩かれるのはゴメンだ」
「どうしてあなたがここにいるの!」
リーチの言葉を無視して、伊織は大きく声を張り上げる。
「そう威嚇すんなって。俺はただ、あんたに頼みがあってここに来たんだよ」
「私に頼み?」
「ああ……と言っても、頼みってのはさっきのことだ。なあ、あんたはあのオッサンの弟子なんだろ? だったら、あんたのほうからもう一度、俺を弟子に取ってくれるよう頼んでくれねえか。この通りだ」
リーチは伊織に深々と頭を下げる。
「あれだけきっぱりと断られたのに、どうしてそんなにお師匠様の弟子になりたいんですか?」
伊織が不審に思うのも当然だった。
普通ならば、あれだけ面と向かって断られたら諦めるものだろう。
「それもさっき言ったことだ。俺は誰よりも強くなりてえ。そのためには、あのオッサンの弟子になる必要があると思ったんだよ……ちなみに、あんたは昨日の討伐任務に参加した冒険者の等級が上がったことは知っているか? まあ、厳密にはこれから上がる予定なんだがな」
伊織は「そうみたいですね」と構えを崩さずに答えた。
これは先ほどマサムネから聞いていたのでよく覚えている。
この異世界における冒険者の等級が上がる基準は知らないが、話を聞く限りには世間を驚かせるほどの功績を上げたら等級も上がるのかもしれない。
「俺もおかげで等級がBランクからAランクに上がる予定だ。マジで飛び上がるほど喜んだぜ。まだ等級なしのあんたらには分からないと思うが、冒険者の等級ってはBランクからAランクの間にすげえ壁があるんだ。それこそ生半可な依頼をこなしても絶対に超えられないほどの壁がな」
けどな、とリーチは興奮した様子で話を続ける。
「それ以上にAランクからSランクの壁の高さは半端じゃねえ。ここまで来ると、もう任務の達成した数だけじゃ絶対に超えられやしねえんだ。なぜなら、AランクからSランクになるには、ある絶対条件を満たさないといけない……それが何かあんたには分かるか?」
伊織はしばし考えたとき、ルリから聞かされた言葉を思い出した。
――凄いも何もSクラスの冒険者になる条件の一つやで。言っとくけど、どれだけ馬鹿みたいに任務をこなして実績を積み重ねても、ステータスや天掌板の〈練精化〉すら出来ない冒険者なんて星の数ほどおるんや。そんで、そういった冒険者はAクラスで高止まりになる。
というAランクからSランクへ上がるための絶対条件をである。
「ステータスや天掌板が出せるかどうかってことですか?」
「そうだ!」
リーチは鼻息を荒くして叫んだ。
「なあ、あのオッサンは天理使いなんだろ? あのギガントエイプを倒した武器を出したとき、左手のステータスじゃなくて右手の天掌板を出していたからな。マジで凄えぜ。冒険者章のない等級なしなのに、もうSランクの冒険者になる条件を持っているなんてよ」
伊織は何となくリーチの言いたいことを理解した。
「あなたはお師匠様に弟子入りして、天掌板の出し方を教えてもらいたいのですか……今度はAランクからSランクになるために」
「察しがいいな。もちろん、天掌板の出し方以外のことも是非とも教えてもらいたいぜ。俺の見たところ、あの武術の技量は迷宮の〝土竜〟どもと互角に渡り合えるかもしれねえ」
(迷宮の土竜?)
などと伊織が疑問符を浮かべたとき、リーチは「話が逸れたな。あんな連中のことなんて今はどうでもいいんだ」と伊織に再び頭を下げる。
「頼む、この通りだ。正式な弟子のあんたから何とか口添えしてもらえねえか? 一度は断られているのは重々承知だが、やっぱり弟子になるのならあのオッサンしかいねえ。あれだけの達人の弟子になれたなら、俺は今よりもっと強くなれる。いや、なりてえんだ!」
(この人は本気でお師匠様の弟子になりたいのかもしれない……でも)
伊織は師である武蔵の忠告を脳裏によぎらせた。
――伊織よ、お主はあまりにも純粋すぎる。それは人としては素晴らしいことだが、武を生業とする者からすれば失格だ。その人を見る目を直さぬ限り、いつか己の身を危うくするぞ。
(武を生業とする者の人を見る目か……)
このとき、伊織は冷静になってリーチのことを考えてみた。
リーチが本当に武蔵の弟子になりたいのならば、自分ではなく何度断れようとも武蔵本人に頼むのが筋ではないか。
ましてや、こんな場所まであとをつけてくるなど何か怪しいような気がする。
「申し訳ありませんが、お断りします」
やがて伊織は自分の正直な気持ちを口にした。
「あなたも本気で弟子になりたいのでしたら、私に頼むよりも了承してくれるまで何度もご自分でお師匠様に頼むべきです」
伊織はマサミツに「別の場所で遊ぼうか」と顔を向けたときだ。
「あ~あ、マジで面倒くせえ。ころっと騙されてくれたなら、もっと楽に攫えたんだがな」
突如、リーチは溜息をつきながら下卑た表情を浮かべた。
それだけではなく、リーチが軽く右手を上げるなり物陰から数人の男たちが姿を現したのである。
どう見てもまともな人間ではない。
チンピラというよりは、山賊のようなガラの悪い男たちだ。
伊織は驚愕した。
「これはどういうこと! あなたたちは一体――」
伊織が怒声を上げたのと、リーチが猛進したのは同時だった。
完全に虚をつかれた伊織は咄嗟に木の棒を振るったが、リーチは頑丈な左腕で伊織の上段打ちを受け止める。
続いてリーチは、伊織の腹部に砲弾のような右拳を繰り出した。
伊織の腹部にリーチの右拳が深々と突き刺さる。
あまりの衝撃に伊織は両膝をついた。
凄まじい気持ち悪さと吐き気が込み上げてくる。
その後、伊織の意識は深い闇の中へ落ちていった。
「くそっ……思ってたよりも痛えな。ガキの分際で芯に効く打ち込みをしやがる」
リーチは苦々しく舌打ちすると、数人のガラの悪い男たちに首をしゃくった。。
「おい、こいつを例の場所まで運べ。だが、手荒に扱うんじゃねえぞ」
リーチは数人の男たちに指示すると、その中の一人が「そっちのガキはどうします?」とリーチに尋ねた。
「例の武器屋のガキか……まあ、いい。このガキも一緒に連れていくぞ。この女はオッサンに天掌板の出し方を引き出させるのに使えるが、そのガキはこの女の言うことを聞かせるのに使えるかもしれねえ。念には念をってやつだな」
などとリーチが、無言で震えているマサミツに酷薄した笑みを向けたときだ。
「中々に面白い話をしているな」
リーチたちの視線が声のしたほうに集中する。
「だ、誰だてめえは!」
いつの間にか、ガラの悪い男たちの後方に一人の男が佇んでいたのだ。
明らかに右腕がない、着物姿の黒づくめの男がである。
「拙者のことなど今はいい。それよりも、その童(子供)を連れて行くと言うのなら黙っておれんな」
「何だ、正義の味方でも気取ろうって言うのか?」
リーチは強い殺意を向けたものの、黒ずくめの男はどこ吹く風であった。
「案ずるな。お主らと敵対する気など毛頭ない。むしろ逆よ」
黒づくめの男は、眉間にしわを寄せていたリーチに不敵に笑う。
「お主らの企みに、拙者も加えてもらえんか?」
一方、その頃――。
武蔵たちはマサムネの案内で、地下の工房へと案内されていた。
「ほう、ここが異世界の鍛冶場か」
薄暗い工房に入るなり、武蔵は好奇の目を輝かせて室内を見渡した。
室内には材料の鉄を溶かすための小さな炉があり、他にも炉で沸かした地鉄を鍛えるための作業台や鎚(ハンマー)などが置かれている。
「前に備前国(岡山県南東部)で見た鍛冶場と似ているが、備前国(岡山県南東部)の鍛冶場はもっと炉は大きかったような気がするな……こう、地下構造の箱型になっておってな」
武蔵が身振り手振りで説明すると、マサムネは羨ましそうに微笑んだ。
「備前国(岡山県南東部)という場所がどこかは存じませんが、地下にまで広がっている箱型炉を持っているということは、よほど大所帯の工房なのでしょうね。うちの場合は小さな工房なので、なるべく経済的にも品質的にも優れている小型炉を使っています」
マサムネは工房の事情を話しながら、武蔵とルリの二人を工房の奥へと案内していく。
やがて武蔵とルリは、工房の奥にあった神棚の前に辿りついた。
「これが店主殿の打たれた大小か……」
などと呟いたのは武蔵である。
神棚の前には木製の刀掛けがあり、そこには二振りの大小刀が置かれていた。
武蔵は食い入るように、二振りの大小刀を見つめる。
二振りの大小刀とも、丁寧な黒漆塗りの打刀拵えだ。
そして大小刀の柄巻きの種類は、菱形の柄糸が高く盛り上がるように編まれた摘巻きであった。
「これらの刀に名はあるのかな?」
武蔵が尋ねると、マサムネは「大刀は〈尊天・清正〉、小刀は〈将地・正光〉です」と答えた。
「キヨマサにマサミツ……っちゅうことは」
「はい、お察しの通り父と息子の名をつけました。大刀のほうは、尊敬する天ほども実力の高かった父の名をつけて〈尊天・清正〉。小刀のほうは、将来は地道に鍛冶師として大成してほしいと願い〈将地・正光〉と息子の名をつけました」
(〈尊天・清正〉に〈将地・正光〉か……異世界の刀工も良い名をつける。しかも真打ちほどの刀に自分の名ではなく、父と息子の名をつけるとは)
一流の兵法者である武蔵も、本職ほどではないが一通りの刀を鑑定できる目は養っている。
本来、刀工が会心の出来とするほどの刀――真打ちが打てた場合、刀工自身の名をつけるのが一般的であった。
だが、マサムネは自分の真打ちの大小刀に父と息子の名をつけたという。
それだけでマサムネは刀工として名を上げる気がないことは分かった。
しかし、だからといってマサムネの刀工としての技量が低い理由にはならない。
それゆえに、武蔵はどうしても好奇心を抑えることができなかった。
「店主殿、無礼を承知で申し上げる。この二振りの刀を拝見させていただくことは可能だろうか?」
一拍の間を空けたあと、マサムネはこくりと頷いた。
「構いませんよ。これらは別に御神刀として祭っているわけではありませんので……それにあなたのような剣使いならば粗末に扱わないでしょうし」
「かたじけない」
武蔵は慎重な足取りで神棚の前に移動すると、居住まいを正して一礼した。
そして両手で慎重に大刀を手に取る。
「拝見いたす」
もう一度、今度は大刀に対して武蔵は一礼するなり、ゆっくりと鞘から刀を抜いていく。
(これは見事!)
武蔵は思わず心の中で唸った。
波打つような湾れの刃文と、樹木の年輪のような杢目肌の地鉄。
その刃文と地鉄の境の匂口は深くながら明るく、当然ながら曲がりはおろかねじりもまったくのない見事な刀であった。
しかし、気になるところがあると言えばある。
「……はて、何やら刀身全体がかなり青みがかっているな」
そうである。
武蔵が知る一般的な刀の刀身に比べると、明らかに刀身の色はかなり青みがかっていたのだ。
「ちょい待ち。その刀はもしかして魔法剣なんか?」
と、後ろから言ってきたのはルリである。
「魔法剣? 何だそれは?」
聞き慣れない単語に、武蔵が振り向きながら訊き返したときだ。
上の部屋――店内のほうから、耳朶をうつようなけたたましい音が鳴った。
それだけではない。
伊織は険しい顔つきを浮かべ、リーチに向かって中段の構えを取る。
「おいおい、勘弁してくれよ。いくら俺でも棒でぶっ叩かれるのはゴメンだ」
「どうしてあなたがここにいるの!」
リーチの言葉を無視して、伊織は大きく声を張り上げる。
「そう威嚇すんなって。俺はただ、あんたに頼みがあってここに来たんだよ」
「私に頼み?」
「ああ……と言っても、頼みってのはさっきのことだ。なあ、あんたはあのオッサンの弟子なんだろ? だったら、あんたのほうからもう一度、俺を弟子に取ってくれるよう頼んでくれねえか。この通りだ」
リーチは伊織に深々と頭を下げる。
「あれだけきっぱりと断られたのに、どうしてそんなにお師匠様の弟子になりたいんですか?」
伊織が不審に思うのも当然だった。
普通ならば、あれだけ面と向かって断られたら諦めるものだろう。
「それもさっき言ったことだ。俺は誰よりも強くなりてえ。そのためには、あのオッサンの弟子になる必要があると思ったんだよ……ちなみに、あんたは昨日の討伐任務に参加した冒険者の等級が上がったことは知っているか? まあ、厳密にはこれから上がる予定なんだがな」
伊織は「そうみたいですね」と構えを崩さずに答えた。
これは先ほどマサムネから聞いていたのでよく覚えている。
この異世界における冒険者の等級が上がる基準は知らないが、話を聞く限りには世間を驚かせるほどの功績を上げたら等級も上がるのかもしれない。
「俺もおかげで等級がBランクからAランクに上がる予定だ。マジで飛び上がるほど喜んだぜ。まだ等級なしのあんたらには分からないと思うが、冒険者の等級ってはBランクからAランクの間にすげえ壁があるんだ。それこそ生半可な依頼をこなしても絶対に超えられないほどの壁がな」
けどな、とリーチは興奮した様子で話を続ける。
「それ以上にAランクからSランクの壁の高さは半端じゃねえ。ここまで来ると、もう任務の達成した数だけじゃ絶対に超えられやしねえんだ。なぜなら、AランクからSランクになるには、ある絶対条件を満たさないといけない……それが何かあんたには分かるか?」
伊織はしばし考えたとき、ルリから聞かされた言葉を思い出した。
――凄いも何もSクラスの冒険者になる条件の一つやで。言っとくけど、どれだけ馬鹿みたいに任務をこなして実績を積み重ねても、ステータスや天掌板の〈練精化〉すら出来ない冒険者なんて星の数ほどおるんや。そんで、そういった冒険者はAクラスで高止まりになる。
というAランクからSランクへ上がるための絶対条件をである。
「ステータスや天掌板が出せるかどうかってことですか?」
「そうだ!」
リーチは鼻息を荒くして叫んだ。
「なあ、あのオッサンは天理使いなんだろ? あのギガントエイプを倒した武器を出したとき、左手のステータスじゃなくて右手の天掌板を出していたからな。マジで凄えぜ。冒険者章のない等級なしなのに、もうSランクの冒険者になる条件を持っているなんてよ」
伊織は何となくリーチの言いたいことを理解した。
「あなたはお師匠様に弟子入りして、天掌板の出し方を教えてもらいたいのですか……今度はAランクからSランクになるために」
「察しがいいな。もちろん、天掌板の出し方以外のことも是非とも教えてもらいたいぜ。俺の見たところ、あの武術の技量は迷宮の〝土竜〟どもと互角に渡り合えるかもしれねえ」
(迷宮の土竜?)
などと伊織が疑問符を浮かべたとき、リーチは「話が逸れたな。あんな連中のことなんて今はどうでもいいんだ」と伊織に再び頭を下げる。
「頼む、この通りだ。正式な弟子のあんたから何とか口添えしてもらえねえか? 一度は断られているのは重々承知だが、やっぱり弟子になるのならあのオッサンしかいねえ。あれだけの達人の弟子になれたなら、俺は今よりもっと強くなれる。いや、なりてえんだ!」
(この人は本気でお師匠様の弟子になりたいのかもしれない……でも)
伊織は師である武蔵の忠告を脳裏によぎらせた。
――伊織よ、お主はあまりにも純粋すぎる。それは人としては素晴らしいことだが、武を生業とする者からすれば失格だ。その人を見る目を直さぬ限り、いつか己の身を危うくするぞ。
(武を生業とする者の人を見る目か……)
このとき、伊織は冷静になってリーチのことを考えてみた。
リーチが本当に武蔵の弟子になりたいのならば、自分ではなく何度断れようとも武蔵本人に頼むのが筋ではないか。
ましてや、こんな場所まであとをつけてくるなど何か怪しいような気がする。
「申し訳ありませんが、お断りします」
やがて伊織は自分の正直な気持ちを口にした。
「あなたも本気で弟子になりたいのでしたら、私に頼むよりも了承してくれるまで何度もご自分でお師匠様に頼むべきです」
伊織はマサミツに「別の場所で遊ぼうか」と顔を向けたときだ。
「あ~あ、マジで面倒くせえ。ころっと騙されてくれたなら、もっと楽に攫えたんだがな」
突如、リーチは溜息をつきながら下卑た表情を浮かべた。
それだけではなく、リーチが軽く右手を上げるなり物陰から数人の男たちが姿を現したのである。
どう見てもまともな人間ではない。
チンピラというよりは、山賊のようなガラの悪い男たちだ。
伊織は驚愕した。
「これはどういうこと! あなたたちは一体――」
伊織が怒声を上げたのと、リーチが猛進したのは同時だった。
完全に虚をつかれた伊織は咄嗟に木の棒を振るったが、リーチは頑丈な左腕で伊織の上段打ちを受け止める。
続いてリーチは、伊織の腹部に砲弾のような右拳を繰り出した。
伊織の腹部にリーチの右拳が深々と突き刺さる。
あまりの衝撃に伊織は両膝をついた。
凄まじい気持ち悪さと吐き気が込み上げてくる。
その後、伊織の意識は深い闇の中へ落ちていった。
「くそっ……思ってたよりも痛えな。ガキの分際で芯に効く打ち込みをしやがる」
リーチは苦々しく舌打ちすると、数人のガラの悪い男たちに首をしゃくった。。
「おい、こいつを例の場所まで運べ。だが、手荒に扱うんじゃねえぞ」
リーチは数人の男たちに指示すると、その中の一人が「そっちのガキはどうします?」とリーチに尋ねた。
「例の武器屋のガキか……まあ、いい。このガキも一緒に連れていくぞ。この女はオッサンに天掌板の出し方を引き出させるのに使えるが、そのガキはこの女の言うことを聞かせるのに使えるかもしれねえ。念には念をってやつだな」
などとリーチが、無言で震えているマサミツに酷薄した笑みを向けたときだ。
「中々に面白い話をしているな」
リーチたちの視線が声のしたほうに集中する。
「だ、誰だてめえは!」
いつの間にか、ガラの悪い男たちの後方に一人の男が佇んでいたのだ。
明らかに右腕がない、着物姿の黒づくめの男がである。
「拙者のことなど今はいい。それよりも、その童(子供)を連れて行くと言うのなら黙っておれんな」
「何だ、正義の味方でも気取ろうって言うのか?」
リーチは強い殺意を向けたものの、黒ずくめの男はどこ吹く風であった。
「案ずるな。お主らと敵対する気など毛頭ない。むしろ逆よ」
黒づくめの男は、眉間にしわを寄せていたリーチに不敵に笑う。
「お主らの企みに、拙者も加えてもらえんか?」
一方、その頃――。
武蔵たちはマサムネの案内で、地下の工房へと案内されていた。
「ほう、ここが異世界の鍛冶場か」
薄暗い工房に入るなり、武蔵は好奇の目を輝かせて室内を見渡した。
室内には材料の鉄を溶かすための小さな炉があり、他にも炉で沸かした地鉄を鍛えるための作業台や鎚(ハンマー)などが置かれている。
「前に備前国(岡山県南東部)で見た鍛冶場と似ているが、備前国(岡山県南東部)の鍛冶場はもっと炉は大きかったような気がするな……こう、地下構造の箱型になっておってな」
武蔵が身振り手振りで説明すると、マサムネは羨ましそうに微笑んだ。
「備前国(岡山県南東部)という場所がどこかは存じませんが、地下にまで広がっている箱型炉を持っているということは、よほど大所帯の工房なのでしょうね。うちの場合は小さな工房なので、なるべく経済的にも品質的にも優れている小型炉を使っています」
マサムネは工房の事情を話しながら、武蔵とルリの二人を工房の奥へと案内していく。
やがて武蔵とルリは、工房の奥にあった神棚の前に辿りついた。
「これが店主殿の打たれた大小か……」
などと呟いたのは武蔵である。
神棚の前には木製の刀掛けがあり、そこには二振りの大小刀が置かれていた。
武蔵は食い入るように、二振りの大小刀を見つめる。
二振りの大小刀とも、丁寧な黒漆塗りの打刀拵えだ。
そして大小刀の柄巻きの種類は、菱形の柄糸が高く盛り上がるように編まれた摘巻きであった。
「これらの刀に名はあるのかな?」
武蔵が尋ねると、マサムネは「大刀は〈尊天・清正〉、小刀は〈将地・正光〉です」と答えた。
「キヨマサにマサミツ……っちゅうことは」
「はい、お察しの通り父と息子の名をつけました。大刀のほうは、尊敬する天ほども実力の高かった父の名をつけて〈尊天・清正〉。小刀のほうは、将来は地道に鍛冶師として大成してほしいと願い〈将地・正光〉と息子の名をつけました」
(〈尊天・清正〉に〈将地・正光〉か……異世界の刀工も良い名をつける。しかも真打ちほどの刀に自分の名ではなく、父と息子の名をつけるとは)
一流の兵法者である武蔵も、本職ほどではないが一通りの刀を鑑定できる目は養っている。
本来、刀工が会心の出来とするほどの刀――真打ちが打てた場合、刀工自身の名をつけるのが一般的であった。
だが、マサムネは自分の真打ちの大小刀に父と息子の名をつけたという。
それだけでマサムネは刀工として名を上げる気がないことは分かった。
しかし、だからといってマサムネの刀工としての技量が低い理由にはならない。
それゆえに、武蔵はどうしても好奇心を抑えることができなかった。
「店主殿、無礼を承知で申し上げる。この二振りの刀を拝見させていただくことは可能だろうか?」
一拍の間を空けたあと、マサムネはこくりと頷いた。
「構いませんよ。これらは別に御神刀として祭っているわけではありませんので……それにあなたのような剣使いならば粗末に扱わないでしょうし」
「かたじけない」
武蔵は慎重な足取りで神棚の前に移動すると、居住まいを正して一礼した。
そして両手で慎重に大刀を手に取る。
「拝見いたす」
もう一度、今度は大刀に対して武蔵は一礼するなり、ゆっくりと鞘から刀を抜いていく。
(これは見事!)
武蔵は思わず心の中で唸った。
波打つような湾れの刃文と、樹木の年輪のような杢目肌の地鉄。
その刃文と地鉄の境の匂口は深くながら明るく、当然ながら曲がりはおろかねじりもまったくのない見事な刀であった。
しかし、気になるところがあると言えばある。
「……はて、何やら刀身全体がかなり青みがかっているな」
そうである。
武蔵が知る一般的な刀の刀身に比べると、明らかに刀身の色はかなり青みがかっていたのだ。
「ちょい待ち。その刀はもしかして魔法剣なんか?」
と、後ろから言ってきたのはルリである。
「魔法剣? 何だそれは?」
聞き慣れない単語に、武蔵が振り向きながら訊き返したときだ。
上の部屋――店内のほうから、耳朶をうつようなけたたましい音が鳴った。
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